47_ノエル
衛兵隊から解放されたネネコ達は、ラタ森林地帯の奥へと入って行く。夜明けが近く辺りが少しずつ明るくなっているとはいえ、足下が悪い森の中を行くのはやはり大変なようで、その歩みは非常に遅い。ネネコ達を監視するチーちゃんをアヤセは追いかけているが、このペースでは追いつくまでさほど時間はかからないだろう。ただ、速度がのろくさくても森の中を迷うことなく進む様子は、ネネコ達が目的地の位置を正確に把握していることを示している。
アヤセは道々で包囲攻勢に加わる衛兵と出会うたび、ギー隊長に宛てチーちゃんの現在位置を伝達してもらっていた。ギー隊長はその連絡を受け、当初の目論見通りネネコ達が幹部達のもとに逃げ込もうとしていると確信し、各隊を臨機応変に動かしつつ自らも先頭に立ってネネコ達を追いかける。チーちゃん(とアヤセ)による正確な情報提供とギー隊長の迅速な決断は、包囲の幅を効率的に狭め、ネネコ達のみならずラタ森林地帯に残存するPKを着実に追い詰めていた。
チーちゃんとの距離もだいぶ近くなってきた。一方でネネコ達もバヤン川沿いを何かを探すように元々遅かった歩みを更に遅くして慎重に移動している。どうやら連中の目的地も近そうだった。
暗い森の中を疾走するアヤセであるが、ネネコ達を追うチーちゃんに追いつくまであと僅かというところで、護衛パーティーのメンバーを襲うPKを発見する。どうやらPKは三人の男性で、一人の女性プレイヤーを襲っているらしい。道中で同じような場面に遭遇し、PKの討伐とプレイヤーの救出を何度か行っていたが、今回のケースはそれとは少し様相が異なっていた。
(あいつら見覚えがあるぞ。以前自分を死に戻らせたPKだな)
シーフのリョージンにプリーストのシリアルキラー・マンゾー、それに戦士のゴブ男だっただろうか、むさい男が三人がかり(正確にはリョージンとシリアルキラー・マンゾーの二人であるが)で女性プレイヤーを嬲って楽しんでいる。ちょうどアヤセが現場に到着した際にシリアルキラー・マンゾーが女性の上着に手をかけ、それを引き裂くところだった。二人は胸を隠し悲鳴を上げる白のタンクトップ姿の女性を見て、歓喜の奇声を発している。
(あいつら『剥き』をしているのか? 重大なハラスメント行為だぞ!)
弱者をいたぶり、いい気になっているPKに怒りを覚えたアヤセは、プリスの袖を伸ばし、止めに入ったゴブ男を押しのけた二人のうち、女性のスカートに手をかけようとしていた、シリアルキラー・マンゾーの首を締め上げる。
「なっ!? がっはっっ!」
(抵抗しても無駄だ。そのまま引き摺り回してやる!)
プリスの力でいとも簡単にシリアルキラー・マンゾーを、自身の足下まで引き寄せ、鯉口を素早く切り、刀を逆手で上方に抜き出し、落とすような感覚で心臓に突き立てる。撃破にはこれだけで十分だった。
(この程度の実力だとこいつらは、自分を死に戻らせたあと、大して経験値を稼げなかったようだな。……最もこんなことをしているようでは当然だと言えるが)
呆気にとられるリョージン達をよそに、納刀しつつそのようなことを考える。
「ク、クソッ、よくもマンゾーを! くらえっ、【エアエッジ】! 【スピードブースト】!」
(ようやく来たか。立ち直りが遅いな)
十八番である風の刃を飛ばし、バフによって素早さを上げたリョージンはアヤセに迫る。
(スキル【エアエッジ】は陽動で、素早さを上げて接近、近接戦で勝負という魂胆か。……ライデンと似たような戦法だな)
ライデンもリョージンも同じシーフ系であることから、扱えるスキルも似通ってくるのだろう。そうなると行き着く先は同じになるのかもしれない。
(だけど、二人の間には基礎レベルやステータス、それに装備品に大きな差がある。正に「月とスッポン」というくらいのな)
鯉口を切り、敵の動きを観察していたアヤセであるが、ライデンとは異なり、四倍速度の世界の中をゆっくり動くリョージンを見て、その差を実感する。
(こちらから手を出してもいいが、速さに自信があってリーチの短い手合いは、懐に飛び込んでくるから、引き付けるのも有効だろう。取り敢えず陽動に乗ったふりをしてみるか)
リョージンの飛ばした風の刃をプリスの袖でジャストガードする。ちなみに、四倍速度の世界の中でもプリスの動きは通常時と変ることがない(つまりプリスも四倍速で動いているのである。理屈が分からないがこれは大きな発見だ!)
「へっ、遅えな。俺のスピードについてこれねぇのか? 死ねっ、【ラインカッター】!」
(風の刃を弾いたついでに伸ばした袖の間を上手く潜り抜けてくれたな。何か言っているようだが、ここまで来てくれれば刀身も届くだろう。……焦らず刃筋、手の内に気を付けて、鞘引きを丁寧にやることを心がけて集中、集中っと)
技の速さよりも正確さに気を配る。幸いにして敵は、馬鹿正直に正対したアヤセに真正面から突っ込んでくる。
鞘を握る左手首を返しつつ右手で刀を抜き出す。鞘放れ(注:切っ先が鯉口から離れる瞬間。居合では技の勢いを殺さないために、この瞬間に刀を抜き付けることが非常に重要)を意識して抜き付けた逆袈裟斬りは、リョージンのHPを残り二割程度まで減らし、ついでに相手が発動しようとしていたスキルも強制的にキャンセルさせた。
「バカなっ! たった一撃でこんなにHPが減っちまうのか!? しかも、俺より早えぇって? ありえねぇ!」
(今更驚いても遅い。もう終わりだ)
アヤセは、バックステップで逃れようとしていたリョージンに追い討ちをかけ、返す刀で袈裟に斬って捨てた。
「テメェ、思い出したぞ! あの時のアイテムマスターだな?」
二人が倒されるのを呆気にとられて見ていたゴブリン装備のゴブ男であるが、目の前にいるプレイヤーがアヤセであることに気付き、急に叫びだす。
(急に大声を出して何だ? それにしても、自分のことを覚えていたとは意外だな)
「装備を新調しても分かるぞ! テメェに二回も取られた俺の装備、今日こそ返して貰うからな!」
(ああ、そうか。過去に二度ほどこいつから装備品を奪っているのだよな。それなら自分のことを忘れないだろう。それで、装備品をもう一回奪えば、こんなことをする気持ちも失せるかもしれない)
ゴブ男は、両手にそれぞれ装備した錆びた剣を手に躍りかかる。それに対してアヤセは、プリスの袖で斬りかかるゴブ男の両腕を取り、いとも簡単に引き倒す。人類種 (おそらく)でも巨体の部類に入るゴブ男すら子供扱いするプリスの力は、恐ろしく強い。
=個人アナウンス=
スキル【換骨奪胎】を発動。ゴブ男の装備「錆びた剣」、「錆びた剣」、「ゴブリンスキンマスク」、「ゴブリンスキン_外体」、「ゴブリンスキン_内体」、「ゴブリンスキン_脚」、「ゴブリンスキン_靴」をインベントリに回収しました。
「ああっ、また盗りやがったな! ふざけんなテメェ! 返せ、俺の装備をかえせぇぇ!」
(これに懲りて、PKにかこつけた弱い者いじめなんて止めるのだな!)
無言のアヤセは、抜き打ちでゴブ男の首を問答無用で刎ねた。
三人のPKを片付け、辺りに散らばる戦利品を、プリスを器用に動かして素早く回収していたアヤセであるが、襲われていた女性が自身に視線を向けていたことに気付が付く。
(しまったな。戦利品の回収よりも優先しなければならないことがあった。)
声をかけようと女性に目をやるが、話かけるのを一瞬ためらう。女性の格好は、上半身が白のタンクトップ姿であったのだが、胸の膨らみが今までアヤセが会ったどの女性プレイヤーよりも遥かに大きいことに気付いてしまった。
(これは目のやり場に困るな……。先ほどのPK達が「剥き」であんなに狂喜乱舞していた理由はこれだったのか。運営がこういった性的な強調を控えないと「剥き」なんてハラスメント行為が無くならないだろうに。しかし、絶対に口に出せないが、存在感がマリーさんとは大違いだ。…………絶対に口には出せないが)
とにかく何か着てもらおうと、インベントリの中に適当な物を見繕う。
=個人アナウンス=
ノエルさんに以下のアイテムをプレゼントします。
・純白のフリルブラウス(装備品:内体)
(ポテンシャルが「光り物の加護」になってしまったので、女性用の服としては微妙なところがあるがこの場では、やむを得ないだろう)
「大丈夫ですか? もしよければ、これをお使いください」
女性ことノエルは、アヤセとインベントリから取り出された服装備をキョトンとして見ていたが、突然悲鳴を上げ胸元を隠すように体を背けた。
(まずい! 先ほどの自分の視線に気付いた!?)
「ひゃっ!?」
このままでは自分が運営に通報されてしまう! 慌てたアヤセは、ノエルの背中にブラウスを、ハラスメントブロックがはたらく範囲外から覆い被せるように、半ば強引に羽織らせるが、その際に間近で彼女の肩口を見ると、体が小さく震えているのに気付く。ここに至ってアヤセは、やっとノエルの受難を察することができた。
(そうか。彼女は先ほどまで、こんな人気のない暗い森の中を男三人に追いかけ回されて装備品を剥かれていたのだよな。おまけにPKを倒したプレイヤーにまで嫌らしい視線なんて向けられたら、彼女の恐怖体験にトラウマを上乗せしてしまうことになりかねない。とにかく、もう安全だということを分かってもらうように接しないと)
「驚かせてしまい、済みません。ひとまずこれを着てもらった方がいいかと思いまして。無事で本当に良かった。でも、到着が遅れてしまい、申し訳ありません」
(反応が無い……)
声をかけてみたものの、ノエルは体を震わせたままアヤセから顔を背けている。
「とにかく、PKは全員倒しました。それと、今回、連中がやったことは、PKから逸脱した完全なハラスメント行為です。訴え出れば連中は、間違いなくブラックリスト入りします。NPCの衛兵がこの後保護に来ますから、その時に申し出れば、処分が行われるはずです。その、言いにくいこともあるかもしれませんが……」
ノエルは、背中を向けてアヤセの声かけに先ほど同様無反応である。困惑するアヤセであるが、何とか彼女に安心であることを伝えようと言葉を続ける。
「辛い気持ちでいる時に、無粋なことを言ってしまいましたね。申し訳ありません。衛兵には女性もいますし、男性の自分とは違って色々相談もできますから、そのあたりフォローはしっかりしていると思います……」
(これでもダメか。もう少し自分に女性の気持ちが分かれば、気の利いた言葉でもかけられるのに……。どうしたらいい?)
(ご主人~!)
アヤセの言葉が続かず二人の間に沈黙が流れたが、突然頭の中でチーちゃんの声が響き渡る。
(ご主人は女心を知らなさ過ぎるの~! でも、色々と優しく声かけしていたから、その点は合格なの~。あとは、衛兵さんにお任せなの~)
(衛兵? この辺りにいるのか)
(もうすぐ、ギーのおじちゃんがこっちに来るの~。それで、ご主人、見つけたの~。河原の岩陰に十五人いるの~。猫型獣人達はまだそこに着いていないから、先にご主人をお迎えに来たの~)
「いたか……。ようやく見つけたぞ」
瞬時にアヤセの思考が切り替わる。大物を見つけたという手応えと絶対に逃がさないという意気込みから思わず口から独り言のように言葉が漏れた。
「おーい、おーい、誰かいるかー?」
聞き慣れた声が不意に静寂を破る。この声は、間違えようのない、ギー隊長のものだ。
「ギー隊長! ここです! 生存者がいまーす!!」
(ギー隊長と衛兵隊が来たか。これで彼女も心から安心できるだろう。良かった)
「もう大丈夫です。衛兵が来ました」
少し声を弾ませ、アヤセはノエルに語りかける。だが、相変わらずの無反応だ。
(よほど、ショックが大きかったのだな。この後衛兵隊でしっかりケアしてくれるといいが。それとも、自分をセクハラ男と誤解して口も聞きたくないと思っているのだろうか。もし、そうだとしたらショックだ……)
程なくして、ギー隊長と数名の衛兵が目の前に現われた。
「護衛が大方やられてしまったようだ。しかし、生存者がいて良かった」
「隊長、奴等を発見しました。自分はこれから先行して詳細を確かめます。伝令は後ほど寄越しますので、応援をお願いします」
そこまで言うと、アヤセは、ギー隊長のすぐそばまで近寄り、小声で続きを話す。
「あそこでうずくまっている女性プレイヤーですが、先ほどまでPKに酷い目に遭わされていて大きなショックを受けています。その、女性が男性に受ける意味での酷い目なのですが、できれば女性衛兵が彼女に付いて落ち着きを取り戻せるよう、取り計らいをお願いします」
これに対してギー隊長は大きく頷き、アヤセに了解の旨を表わす。そして、自身はアヤセが報告したPKの探索に対して、返答する体で話す。
「分かった。気を付けて行き給え。頼んだぞ。」
「了解です。……それでは自分はこれで失礼します。」
ノエルに声をかけるものの、やはり反応が無い。
(結局、何も話してくれなかったか……。これでは彼女の役にも立ったか疑わしいな。もとから人付き合いが得意とは言えないけど、やっぱりチーちゃんの言うとおり自分は女性との接し方が致命的に下手みたいだ)
チーちゃんの誘導に従い、例の如く鯉口を切り、四倍速度でこの場を走り去るアヤセ。ノエルに対し気の利いたことを言えず、自信を喪失するが、彼女がブラウスをぎゅっと握りしめ、アヤセの名前を深く心に刻み込んでいることには、全く気付いていなかった。




