39_釘粘土
時刻は、午前二時。夜明けまでおおよそ二時間程度であるが、月は欠け、照らす月明かりも暗いラタ森林地帯は、ただ一箇所だけ除いて漆黒の闇に包まれている。
バヤン川に沿って切り立つ段丘崖は高台を形成し、その上には、周りの森林地帯より高い位置に平らな地形が広がっている。岩肌がむき出しになった高台の植生は、他と異なり高い樹木が生えず、ところどころに申し訳程度に背丈の低い草が点在する程度である。
この高台は、昔から森に住む妖精達が夜に集まり、夜空に輝く星々に祈りを捧げたという言い伝えが残っており、そのためラタスの人々から「星見の台地」と呼ばれている。ただ、現在この台地に集まっているのは、森の妖精ではなく、帝国から逃れてきたプレイヤーとそれを護衛してきたクラン「断罪の暗黒天使」の団員達である。
護衛パーティーは、監視の目が比較的緩くなる真夜中に国境越えを決行し、帝国領を踏破した後、明け方頃に王国領内のどこかの場所で落ちあい、王国内の行先別にパーティーを再編成することも兼ねて小休止を行うのが常だった。
最近になって帝国軍が東部国境地帯に集結しはじめ、バヤン川流域も帝国軍のパトロールが強化されつつあった。そんな中であってもクランは、真夜中の国境越えを落伍者お構いなしに強行し続けている。落伍したプレイヤーは、帝国軍によって捕捉され強制送還されるか、PKかモンスターの襲撃等によって死に戻るか、いずれかの結果をたどることになる。
控えめに配された篝火のそばで、場違いな安楽椅子を持ち込み、足を投げ出し、ふんぞり返って座る一人の男が酒を飲みながら、国境越えによって地面に座り込む疲労困憊のプレイヤー達を無感情に一瞥する。この男にとって、護衛パーティーのメンバーは、ただの金を落とす家畜程度の存在に過ぎない。
「コーゾ、ピラン、おせーぞ! 何をやっていた!」
男の前に出頭したコーゾとピランは、頭ごなしに怒鳴られる。
この男はクラン「断罪の暗黒天使」の幹部の一人であった。
「すみませーん。急きょ護衛パーティーの引率を命じられたので遅れましたー」
コーゾが悪びれもなく答える。
「あん? テメーらが引率だ? そんなこと聞いてねぇぞ」
「ネネコさんから、ブルボンヌ地方で募集したパーティーメンバーを担当しろって言われたんで、こうして、二組五十八人を連れてきましたぜ」
ちなみに、この五十八人は、初期装備の服をまとって偽装したアヤセや青星達を含めた討伐作戦の参加プレイヤーとNPC衛兵である。
二人の報告を聞き、幹部の男は大きな音で舌打ちをする。
「また、ネネコか……。クラマスのお気に入りだからって勝手なことしやがって。しかしブルボンヌだ? メンバー共もちょっと見た感じだと、NPCや高レベルプレイヤーも混ざっているようだな?」
ブルボンヌ地方は、南部諸国の領土であったが、つい最近帝国軍の侵攻によって併合された地域である。
「南部諸国から帝国に切り取られて、今随分と混乱しているようですー。この人達は、ブルボンヌの各都市で略奪に遭って、身ぐるみを剝がされて逃げてきた人達なんですよー。勿論、全員から参加料は、徴収していますから安心してくださいー」
「はん、当然だろ? 参加料が払えないようなゴミがいたら、道にでも放り捨てろや。もし、未払い者が混ざっていたら、テメーらもただじゃおかねぇからな。……それにしても、こんだけ高レベルのくせしやがって、ダセェ奴らだぜっ!」
幹部の男は、自分より基礎レベルの高いプレイヤーが着の身着のまま護衛パーティーに加わり、王国まで逃げてきたと聞き、せせら笑う。他人の不幸が嬉しくて仕方がないという様子が態度や顔に出ている。
「チッ、口だけヤローの下っ端幹部のくせに」
「……おい、ピラン。なんか言ったか?」
「それより、お耳に入れたい情報がありますー」
「なんだ? 言え」
「僕達がここにいることがクラン『暗殺兵団』にバレていますよー。早く撤収しないといつものように大変なことになりますよー」
「んだよ、そんなことか。PKなんていつものことだろ? 毎度のようにお前達が盾になって食い止めればいい話じゃねぇか。ま、一応他の団員にも伝えておけ。まだ到着してねーパーティーもいくつかあるし、団長達も来てないから、それまでPKは襲撃してこねーだろ」
「まるでPKの襲撃のタイミングをあらかじめ知っているような言い方だね。本当は君達とクラン『暗殺兵団』は仲が良いんじゃないの?」
三人の会話に突然、青と白と黄色を基調とした狩猟服姿の青年が割り込む。青年がコーゾとピランが引率してきた護衛パーティーの中にいたプレイヤーの一人であることを幹部の男は認識していたが、初期装備の服からクラン「蒼き騎士団」の制服に装備変更した姿を見て初めて、顔と名前が一致したようだった。椅子から立ち上がり、青年を指さし叫ぶ。
「テメェは、クラン『蒼き騎士団』の青星! 何でここにいやがる!?」
青星の後ろには、同様にクラン仕様の装備品を再装備したツルガとまかろんが控えている。
「ああ、討伐作戦? 君達とクラン『暗殺兵団』をターゲットにした作戦がさっき発動されたよ。君達も年貢の納め時だね。無駄な抵抗は止めた方がいいよ?」
「く、くそっ!」
幹部の男は、青星達に背を向けその場からの逃走を試みるが、青星はそれを見逃さずインベントリから短弓を取り出し、矢をつがえつつスキルを発動する。
「【サンダーアローEX】」
真夜中の台地を明るく照らし出すほどのまばゆい光と、周辺に生息する動物を叩き起こすくらいの轟音を生じさせ、放たれた稲妻の矢は男の身体を貫き、全身を燃やし尽くした。
「幹部の捕縛は、普段通りの攻撃で倒してもOKらしいね。それにPKの討伐にもカウントされるから、僕達のノルマもこれで一人減ったって訳だ」
テクスチャを散りばめ消滅する幹部の男を尻目に青星は成果を喜ぶ。
だが、突如として生じた派手なエフェクトと轟音は、当然のことながら周囲にいる何も知らない人々を驚かせた。クラン「断罪の暗黒天使」の団員や護衛パーティーの参加者達は、悲鳴を上げ、狼狽し、あたりを右往左往している。
「あんな派手なスキルを使って、何を考えているのだ! この光と音でPKを刺激してしまったらどうする!」
「…皆怖がっている。早く何とかしないと」
ツルガとまかろんが青星を非難する。話に割り込まれたコーゾとピランンも同様に、余計な混乱を招いた青星を目で非難する。
「ごめん、ごめん。ちょっと派手にやりすぎちゃったね。でも大丈夫。すぐに混乱は収まるから。……フィールド用で大丈夫かな」
青星はそう言いながらインベントリからシャウト用アイテムを取り出し、即座に使用する。
このゲームにおける「シャウト」とは、通常運営が行う連絡事項等を伝達するアナウンス(個人アナウンス等)をプレイヤーが利用できる仕組みである。例えばオープン参加のレイドボス戦において自らが所属するパーティーやチーム以外(この二つはメンバー同士チャットができる)の参加者に対し、大技スキルの発動を宣言したり、全プレイヤーを対象に何かしらの協力を要請する際に利用すること等が想定されている。ちなみに、プレイヤーが無闇矢鱈に叫ぶのを防ぐため、シャウトには専用の消費アイテムが必要で、購入には、そこそこのルピアが必要になる。
青星は、このうち、周辺のプレイヤー全員を対象にシャウトを聞かせることができるアイテムを選んだ。
「皆さん、驚かせて済みません。僕は、青星、クラン『蒼き騎士団』の幹部です。僕達は護衛パーティー参加者の皆さんを助けに来ました。皆さんを標的にPK達が集まって来ています。ですが、僕達がついています。PKは必ず倒します。どうか僕達の指示と誘導に従ってください。それと、クラン『断罪の暗黒天使』の団員の皆さんも協力してください。お願いします」
突然のアナウンスが流れ、周辺のプレイヤー達は戸惑いつつその内容に耳を傾ける。
「またPKかよ! だが、クラン『蒼き騎士団』の青星って……」
「王国最強クランの幹部が助けに来てくれたのか?」
「えっ? うそっ!あの青星様!?」
「クラン『蒼き騎士団』の幹部がいれば、勝てる……。俺達はPKに勝てるぞおおぉ!」
青星達の近くにおり、その姿を見つけたプレイヤー達が俄かに騒ぎ出す。中には、既にPKに勝利した気になっているプレイヤーまでいるようだった。また、直接青星達が見えていないプレイヤーも、アナウンスの内容と周囲の様子から、落ち着きを少しずつ取り戻していった。
混乱は、次第に熱気に入れ替わる。周囲から送られる歓声に対して、青星は、手を広げて声を抑えるようなジェスチャーをする。それに気付いたプレイヤー達が静かになる様子に満足げに頷いたあと、言葉を続ける。
「皆さんありがとう。もうすぐPKはここに来るでしょう。時間はあまりありませんので、早速行動をしなければなりません。僕達の活躍に期待していてください!」
再び上がる歓声。その中で早速、護衛パーティー参加者の誘導をNPC衛兵が開始し、他の討伐作戦参加プレイヤー達もこの場を青星達が取り仕切っていることに釈然としない顔をしながらも、それぞれPKを迎え撃つため散開し始める。また、クラン「断罪の暗黒天使」の団員もツルガとまかろんの指示のもと、仕事が与えられていった。
そんな中、コーゾとピランの二人は、黙ってその場を立ち去るのだった。
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「……という訳で、青星さん達が今ではリーダー気取りで、作戦の指示を全部出しているんですよー!」
コーゾがぷりぷり怒りながらアヤセに報告する。
青星達がクラン団員や護衛パーティー参加者の掌握に努めている頃、アヤセは星見の台地の端っこで、誰にも気付かれることもなく地道な作業をしていた。今はそれも終わり、青星達のもとに戻る途中でコーゾとピランの二人に出会い、歩きながら二人の報告を聞くかたちになっている。
「まぁ、しかし騒ぎもすぐに収まって、護衛パーティーの参加者達も大人しく誘導に従ってくれたのだろう? クラン『蒼き騎士団』と青星さん達の知名度が無ければもっと混乱して収拾がつかなくなった可能性もあるから、結果として良かったのではないか?」
「そうですけどー、これじゃ、作戦をギー隊長に提案したアヤセさんの手柄を横取りしているみたいでいい気がしませんよー!」
「全くだぜ。このままだと俺達をパーティーリーダーにして、クラン幹部を出し抜いて腕っこきを『星見の台地』に潜り込ませ、油断しているPKを叩くっていうアイデアまであいつらの手柄になりますぜ!」
ピランもコーゾに同調する。
「それに始めの混乱にしたって、青星さんがあんな派手なスキルを使わなければ、あそこまでにならなかったんですからー!」
「確かに、あのスキルはやや目立ったな。もしかしたら敵が先走って攻勢を早める可能性があるかもしれない。そうだとしたら、準備を急がないと」
「……ところで、アヤセさんは今まで何をしていたのですかー?」
「自分? えーと、簡単に言うと罠の設置だ」
「罠、ですかい?」
「そう。これが設置した罠と同じ物だ」
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【アイテム・特殊】釘粘土 品質2 価値1 重量3 生産者:アヤセ
固定ダメージ50(一回与ダメージ後消滅)
特殊効果:ハンドメイド品(転売ロックON)
被ダメージ者の移動速度25%down(600秒間)
ポテンシャル(1)…踏抜必中(半径2メートル以内にいる敵全員に被ダメージ
時と同等のダメージ及び特殊効果を必ず負わせる。
発動後消滅)
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アヤセは二人に、無数の三寸釘が打ち込まれた二十センチ四方の粘土板を見せる。釘は粘土板を貫通するように打ち込まれ、尖った先端がむき出しになっていた。見る人が見たら、生け花で使う剣山を連想するかもしれない。
「『釘粘土』って、そのまんまの名前すね……」
「でも、特殊効果やポテンシャルの性能は優秀ですねー。踏み抜かなくても周りを巻き込んで被弾って、結構いやらしいですよー」
「これは、錬金で生産したのだが、粘土一個と釘百本で十個生産できる代物だ。これを南と東の斜面全体にまんべんなくばら撒いてきた。これでPKを多少でも足止めすることができるだろう」
「星見の台地」の地形は、北側と西側がバヤン川に面した絶壁であり、南側と東側が緩やかな斜面になっている。絶壁であっても侵入してくるPKがいるかもしれないので油断はできないが、大多数は南側と東側の斜面を駆け上がってくることが予測できる。
(青星さんとも打合わせたが、護衛パーティー参加者達を台地の北西部に集めて、討伐作戦参加者が南側と東側の斜面を防御、クラン「断罪の暗黒天使」の団員が同じく斜面の防御と護衛パーティー参加者の護衛、NPCの衛兵が絶壁を警護という配置で迎え撃つ。ギー隊長も言っていたが、南側と東側から攻めれば、逃げ道が無くなるから獲物を追い詰めるのにはうってつけの場所だ。だが、考えようによっては守りやすい場所でもある。……進路は塞がせてもらうぞ)
なお、NPC衛兵に絶壁を守らせるのは、討伐作戦に参加したプレイヤーがPKと戦う機会を平等にして、一様に討伐系のクエストを達成できるようにするためである。青星は当初、これらのプレイヤー達の一部を絶壁の守りにつかせようとしていたのだが、アヤセが変更を提案し、配置の見直しを行ったのだった。
「ちなみに、釘粘土のポテンシャルだが、物によっては麻痺や毒の状態異常の付与や防御力等を下げるステータスダウン系、一番強力なのは爆発を起こす物もある。それにこれは、味方は踏み抜くことがないし、巻き込まれることもない仕様だから安全だ」
「そいつぁ、奴等にとって益々嫌な仕掛けになりますぜ。ところで、こいつをどれくらいばら撒いたので?」
「南側と東側、各四百で合計八百個だ。この数では少々心許ないので、この倍は欲しかったのだが……」
「うわぁー、それだけあれば十分だと思いますよー。あの時、工房で僕達がアメリーさんにお説教されている間に、こんなに恐ろしい物をたくさん生産して、おまけに一つ一つにポテンシャルまで付与していたんですねー」
コーゾが感心したような、呆れたような顔をして言う。ただし、当初は否定的に見ていたポテンシャルそのものについては、肯定的に捉えるようになっていた。
「アメリーさんが言っていたように、ポテンシャル、いえ、アヤセさんが付与するポテンシャルが素晴らしいってことをまた確認させられましたねー」
「結局最後はプレイヤーの力量がものを言うのだろうから、『釘粘土』は小道具の一つに過ぎないかもしれない。だけど、勝率を上げるためには、試せることは何でも試す必要があると思っている。他にも試したいことはあるから、時間が惜しいな」
「他にも何かするつもりですかー?」
「ああ。それで、二人にも作業を手伝って欲しいのだが……。頼めないだろうか?」
「そんなのオッケーですよー。僕は、格好つけている青星さんより、地味でもこういうところに気配りする、アヤセさんの方が素敵だと思ってますよー」
「俺も同じでさ。さぁ、早く片付けましょうや!」
「ありがとう。それでは、早速取りかかろう」
アヤセ、コーゾ、ピランの三人は、残り少ない時間でPKを迎え撃つ準備を進めるのだった。




