11_冷たい雨の夜
アヤセとマリーが別れてから二日経過したものの、マリーからは依然として連絡が無かった。
アヤセは、この二日間、マリーからの連絡を待ち続け、ログインしても街中をブラブラするか、宿屋の部屋で何をするまでもなく、時間を無為に浪費していた。
現在の時刻は、午後十時を過ぎている。部屋の窓からは、雨がシトシト降っている様子を窺うことができる。季節は一応春らしいのだが、今夜は心なしか空気が肌寒く感じられ、室内にまで聞こえてくる雨音もそう感じさせる一因になっていた。
(今日も連絡は来なかったか……。そろそろ切上げよう)
アヤセはそう思いつつ、ログアウトの準備をはじめる。
一通り片付けを終え、ステータス画面を開き、ログアウトボタンを押そうとするが、その直前でメールの受信を知らせる音が鳴り響いた。
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「アヤセさん……。どうぞ入ってください……」
マリーは、アヤセを自室に招き入れる。
先ほどのメールは、マリーから、自室に帰宅したとの連絡であり、アヤセは取るものも取り敢えず、マリーを訪ねたのだった。
マリーが居住する賃貸共同住宅は、王都の中心部に位置する王城から遠く離れた南壁沿いにある、四階建ての古びた建物だった。南壁沿いは日当たりも悪く、更に中心部からのアクセスも悪いため、低所得層の居住地域が広がっている。スラム街が形成されている区域もあり、治安も他の場所に比べて格段に悪い。安い貸物件があるとはいえ、女性の一人暮らしには向かない場所であることは言うまでもない。このような場所に住居を構えざるを得ないマリーの困窮具合を窺い知ることができた。
間取りは、ワンルームで六畳程度の広さの居室に簡素な調理台がついている。本来のワンルームに大抵備わっているユニットバスは、ゲーム上では排泄が不要で、入浴は必ずしも要さないため、物置に置き換わっている。居室は粗末なベッドが一つと、窓際に裁縫道具や布地の切れ端が散乱した大きな作業机と椅子だけが置かれている殺風景なものだった。部屋の一番奥隅の床にシートとクッションが置かれており、そこでテイムモンスター達が身を寄せ合って眠っていた。
雨の中、大急ぎでマリーの居室まで来たアヤセは、ずぶ濡れである。そして同様にマリーもまた、小さな体を全身濡らしアヤセを待っていた。
「雨の中、わざわざ来てくださいまして済みません。タオルをどうぞ。これで体を拭いてください」
マリーの表情は、暗く冴えない。声も弱々しく、心あらずといった感じだ。
「私も濡れてしまったので着替えてきます。それまでお部屋で待っていてください」
マリーは、そう言い残し、物置の中に入っていく。アヤセは一人部屋に取り残された。
(タオルを使わなくても、すぐに服を乾かす方法がある)
アヤセは、現在装備している防具類を全てインベントリに収納する。このゲームでは、プレイヤーが防具を外すと、男女問わず白のタンクトップと短パン姿になる。倫理的な規制のため、特別な服飾品を除き、これ以上露出が増えることがない。
(一度、インベントリにしまえば、汚れとか落ちて見た目が元の状態に戻るから便利だな。これを知っているのと知らないのとでは大違いだ)
再度、防具を装備する。するとアヤセの初期装備の服は、先ほどの濡れた状態から一変し、元に戻っていた。
しばらく窓から日陰の原因である城壁を眺め待っていると、物置の引き戸が開く音が聞こえた。アヤセは振り返り、物置から出てきたマリーを目で追う。その瞬間、全身が凍り付いたように動けなくなった。
アヤセの視線の先にあったのは、綺麗な銀髪をおろした、赤い派手な下着を着た少女だった。はかない印象を与える体つきには、似つかわしくない、けばけばしい色合いの下着を着用したマリーの目はうつろで焦点が定まっていない。あまりの痛々しさにアヤセは目を逸らしたかったが、自身が思っている以上にショックを受けたようで、マリーを直視し続けてしまった。
マリーは、か細い声で語りだす。
「アヤセさん、私の借りていたお金は、二十万ルピアだそうです。初めは十万と言っていたのに、お金を渡した後、急にそう言われました。あと十万ルピア、返さないといけません」
アヤセは、何も言えずにマリーを見ている。冷たい湿気が部屋を包み込み、室内を底冷えさせる。
「この下着、素敵でしょう? 以前私が注文を受けて作ったものなんです。シノブさん達に服の納品だけでお金を返せなかったら、この格好で酒場を踊り歩いて、お金を稼いで来いと言われました」
マリーはアヤセに一歩一歩ゆっくりと近づいて来る。表情は乏しく、その胸の内を支配しているのは一体どの様な感情なのか分からない。
「借りたお金が急に増えたとき、悔しくて、悲しくて頭が真っ白になって、オンラインショップでの取引のことを言い出せませんでした。自分が情けなくて、今すぐにでも消えて無くなりたいくらいです」
マリーはアヤセから二、三歩くらいの距離まで近付き、歩みを止める。顔はアヤセに向いているが、濁った瞳はどこか違う場所を見ている。
アヤセには、シノブ達によって侮辱されたマリーの悲しみが痛いほど伝わって来た。彼女の絶望は、自分のことのように感じられ、身が引き裂かれる思いに襲われる。同時に、マリーに同行しなかった自分の決断を強く後悔した。
「本当に馬鹿みたい。話し合いをすれば分かってくれる、自分だけで問題を解決できるって思い込んで、結局シノブさん達に何も言えずに帰ってくるなんて……。アヤセさんがせっかくお金まで用意してくれて、一緒に来てくれるって言っているのに、それを断って、全部ダメにして! 本当に……、本当に馬鹿みたい!」
マリーの目から涙があふれ出る。拭うこと無く頬を伝う涙は、冷たい床板に染みを作り出していく。
「アヤセさん。アヤセさんは、今の私を見てどう思いますか? あれだけ面倒を見たのに、お金までだまし取られて、失望したって思っているのでしょう? 要領が悪くて、鈍臭くて、馬鹿な女って思っているのでしょう? もう、こんな女助けないって、そう思っているのでしょう!」
突然の大声に、部屋の隅で寝ていたテイムモンスター達が目を覚まし、様子を伺っている。
「マリーさん、自分の話を聞いてください」
「でも……、でも、そんなの嫌です。アヤセさんにまで見捨てられるなんて、私、そんなの嫌です」
マリーは、更に進み出る。アヤセとの距離は、あと一歩のとこまで近付いていた。
「私には、もうアヤセさんと『取引』できる物は、一つだけしか残されていません。それは、私自身です」
マリーは、最後の一歩を踏み出し、アヤセに抱きつく。身長差により、マリーの顔がアヤセの胸板に当たる。
「知っていましたか? このゲームはフレンド登録していれば、プレイヤー同士こんなに密着できるのですよ。男女の行為そのものはできませんが、途中まではいくらか楽しめるみたいです。……さあ、私で楽しんでください。私のこと、めちゃくちゃにして何もかも忘れさせてください!」
マリーは、アヤセの胸元に顔を埋め涙で服を濡らす。マリーの体は室内の冷たさに反して熱く火照っていた。まるで熱を帯びているかのように……。
(えっ? 熱!?)
アヤセは慌てて、自分の体からマリーを引き剥がす。額に手を当てると、自分の体温より遙かに高い熱が手のひらに伝わって来た。
「マリーさん、まさか!」
急ぎスキル【鑑定+】でマリーのステータスを確認する。
====鑑定結果====
名前 マリー 【状態異常(発熱、混乱)】
性別 女
レベル 35
職業 裁縫師 / テイマー
HP 22/225
MP 30/290
装備
武器 なし
頭 なし
外体 なし
内体 レースの誘惑_上(赤)
脚 レースの誘惑_下(赤)
靴 なし
装飾品 ベルベットチョーカー(黒)
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「やっぱり状態異常か! HPがかなり低下している。これはまずいぞ!」
アヤセに倒れ込んでくるマリーを抱きかかえる。マリーは目を閉じ、意識も朦朧だ。テイムモンスター達も異常に気付いたのか、二人の周りに集まって来ている。
抱きかかえたマリーをアヤセは、ベッドに横たわらせる。現実と異なり、薄着だからといって体調がこれ以上悪化する訳ではないが、さすがに下着姿はよろしくない。戦闘中ではないので、【換骨奪胎】で装備を回収することもできない。
「そうなると、何か上に服を着せるか……。何かないか?」
すると、猫のテイムモンスター、スーちゃんが物置の扉の前で、鳴き声を上げる。
アヤセが、引き戸を開けるとスーちゃんが中に飛び込み、一枚のセーターを口にくわえ持ってくる。
「『ウサギとネコとカメのセーター』か。これなら着せられる」
ゲーム上は、他のプレイヤーが装備している防具を脱がすことはできないが、着せることは可能な仕様になっている。「ウサギとネコとカメのセーター」は外体の装備で下着と装備部位が重複しなかったので、マリーに着せることができた。
「次は、HPと状態異常の回復だ」
アヤセは、ステータス画面を呼び出し、オンラインショップを開く。そして目当ての物を探していく。
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価格 250ルピア
【アイテム・薬品】下級ポーション 品質2 価値2 重量2 生産者:-
HP100回復
特殊効果:ハンドメイド品(転売ロックON)
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価格 150ルピア
【アイテム・薬品】解熱剤 品質2 価値1 重量 1
状態異常「発熱」回復
特殊効果:なし
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「購入手数料は、価格の30%か。相変わらず高いな」
オンラインショップで、ポーションを三個、解熱剤を一個購入する。購入したアイテムはインベントリに収納された。
念のため、購入したアイテムのポテンシャルもスキル【一目瞭然】で確認していく。ポーションには有用なものがなかった。しかし、解熱剤は、一つだけしかポテンシャルがなかったものの、それが効果は倍増するが、服用後数時間は状態異常「睡眠」になるものだったので、直ちに付与を行う。今までの装備品やアイテムはポテンシャルが必ず三つあったが、どうやら既製品で品質や価値が低い物は、ポテンシャル自体が減るものもあるようだ。
ポテンシャルの付与が終わったあと、マリーの上半身を起こし、背中を支えつつ、ポーションと解熱剤を少しずつ口に含ませる。時間がかかったが、何とか全部飲ませることができた。
少し時間が経つと解熱剤の効果が出てきたのか、やがてマリーは静かに寝息をたて眠りについた。
(状態異常は、満腹度の減少等によるHP減から引き起こされたのだろうか? それとも精神的なダメージでプレイヤー自身のバイタリティに影響があったからなのか?)
スキル【鑑定+】では、満腹度を確認することができないため、マリーの状態異常がどの様に引き起こされたのか分からない。もし、満腹度が30%を割っていた場合、いくらポーションで回復してもHPは自然に減ってしまうので、眠っているマリーにどの様に食べ物を食べさせたら良いか心配になる。だが、鑑定を繰り返して経過を見守ったところ、HPの自然減少が見られないことから、ひとまず睡眠中は食べ物を摂取させる必要はなさそうだった。
アヤセは作業机と一緒に置かれていた椅子を、マリーが眠っているベッドの側に寄せ座っている。テイムモンスターもウサギのラビちゃん、猫のスーちゃんはベッドの上で横になり、亀のターちゃんは、アヤセの膝上にいる。ちなみにターちゃんは、全長40㎝ほどの陸亀だった。膝上に載せるとやや重い……。
状態の経過を数時間観察しているが、至って平静で、状態異常「混乱」もいつの間にか解消されていた。時刻は午前四時をさしており、まもなく夜明けを迎える。雨も上がったようで、窓の外も白白と明るくなり始めており、遠くで雀が鳴く声が聞こえてくる。
マリーの状態異常から「睡眠」が消えた。
アヤセは、ベッドで横になるマリーを長い間見つめ、じっと考え込んでいたが、意を決したように口を開く。
「……今から話すことは、全て独り言です。これは全て自分が勝手に話していることです」
ウサギのラビちゃん、猫のスーちゃんは、ベッドの上で眠っており、亀のターちゃんはアヤセが無意識に指で優しく頭を撫でることに身を委ねている。
「昨晩、自分がマリーさんの居室を訪ねた時、マリーさんは高熱を発し、部屋に倒れていました。意識も朦朧だったので、自分がベッドに寝かせ、その後服薬を介助しました。解熱剤を服用した後は、マリーさんは朝までずっと眠っていました。自分が居室を訪ねてからマリーさんとは、会話をひと言も交わしていません」
ここまで話し、アヤセは一息つく。そして、続きを語りだす。
「昨晩のことは、今後一切、二人の間で話題にあがることはないでしょう。二人は昨日と変わらず、お互いの長所を引き立て、短所を補い合うフレンドとして、良好な関係を築いていくはずです。……全ては状態異常『混乱』のせいです。ですから、気に病んで自身を責めるようなことはして欲しくありません。こんなことで、マリーさんと自分との間に溝ができてしまうのは、絶対に嫌です」
目を閉じ、眠っていることになっているマリーの体が、少しこわばったように見える。
「クラン『ビースト・ワイルド』との勝負はまだついていません。連中がマリーさんを侮辱したことを必ず後悔させてやります。最後に、自分ももっと強く同行を申し出るべきでした。辛く、悲しい思いをさせてしまい、申し訳ありません」
アヤセは席を立つ。
「さてと、そろそろ労働者向けの朝食屋台が並ぶ頃だな。少し外に出て買い出しをしてくるか。マリーさんも目を覚ましたらきっと連絡をくれるだろう。そうしたら今後の話をしよう。えっ? ターちゃん、良い屋台を知っている? それじゃあ、案内してもらおうかな」
アヤセと亀のターちゃんは、部屋を出て行く。
居室の扉が閉まる音を聞いて、ずっと寝たふりをしていたマリーは、こらえていた涙をそっと流がした。
「ありがとう、アヤセさん……。ありがとう」
マリーは、気持ちを落ち着かせようとしたが、流れる涙が毛布を濡らしてしまう。「目が覚める」には、しばらく時間がかかりそうだった。




