ご主人様なんで
午前中の会議も終わり、ようやく人心地着いた私は盛大にため息を吐き出した。
「先輩、ずいぶん激しいため息ですね」
飲みます?と、コーヒー片手に後輩の亮介が近づいてきた。
「ありがとう。はー。それにしても、どうしてこう会議って無駄に時間が長いかねぇ」
「先輩、上に聞こえますよ。それに、仕方ないじゃないですか。今まで一課の案件だった連続殺人が急遽、国際犯罪組織の絡みの疑いが出てきたちゃったんですから。上もバタバタみたいですよ?」
私はデスクに並べられた、五人の被害者の死体写真を眺めながら、コーヒーを啜った。
それを見ながら、亮介は若干引いた目をしながら「うわー」と声を上げる。
「コーヒーを飲む休息くらい、俺は死体の写真は見たくないですね」
「後五年もすればこうなれるぞ?」
「・・・先輩は色々ちょっとズレてるからなぁ・・。鈍いし」
「何か言ったかね?」
「いえ、別に。・・・ところで、先輩。先輩って非番は何してるんですか?」
非番?自宅でネットサーフィンかなー。と、自宅で寛ぐ自分を想像をして頬を緩みかけたが、今朝方玄関で見送りした男の顔が浮かんできて、頭を抱える事になった。
そーだよ。しっかり忘れてたけど、あいつどーするよ!?
「・・・もし、よかったらなんですけど、次の休み俺と・・」
そんなもんだから、亮介が何か話かけているなんてすっかり無視して考え事にぼっとうしていた私は、背後から忍び寄る影にまったく気付かなかった。
「この死体の写真、殺したのプロですよ」
顔の横からぬっと手が出てきて、一枚の写真が宙に浮いた。
「!!!!ぶぉっっっ、ぐっ!!!」
はい。アウトー!!
昨日あんなに耐えたのに、今日は努力する時間すら与えられず、私は盛大にコーヒーをデスクへと噴き出した。
亮介が「うわっ、先輩汚っ!」とか、叫んでいるがこっちはそれどころぢゃない!警察の建物内に殺し屋ってどんなタチの悪い冗談だし。何だ?外国ではこれがジョークで通じるのか?ヘイ!イッツア、アメリカンジョーク!もはや意味不明だ。
わなわなと震えて口をぱくぱくさせながら、私は何とか呼吸をしようと必死になる。
「どうしました?」
青ざめる私を他所に、問題の張本人は涼しい顔しながら麗しい笑みを向けてくる。
「あた、あた・・あんた!っ」
「先輩どうしたんです?さっきから。あーあ。コーヒー早く拭かないとシミになりますよ?」
だから!こちとらそれどころじゃないんじゃい!!
「それより、すみませんが、あなたはどちらの課の方でしょうか?」
亮介がディークを見ながら首を傾げた。
強いて言うなら、殺しマス課?
「俺、人の名前と顔覚えるのちょっと苦手で・・でもどこかで会ってますよね?」
おう。なんなら昨日も会ってるぞ?主にボードに貼られた画素数の悪い写真で。だがな。
飛びかける意識の中で機械的にデスク周辺を拭き始めた私を差し置いて、ディークは勿体ぶったように人差し指を唇に置いた。
「主な担当は殺しです」
うわぁー。まんまだ。
「あー、一課の方だったんですね。件の事件の応援の方ですね」
あれ?会話がなぜか成立してる。
ディークは何も言わず口角を上げると、またも手にした写真には目を落とした。
「で、先輩さっきの話ですが」
「さっき?何か話してたっけ?」
「・・・非番の話ですよ!休みの日俺と・・」
「それは無理ですよ」
言い終わらない内にディークによって会話は遮られる。怪訝な顔をしている私と亮介を他所に、この問題男はしれっと私の肩をだいた。
「彼女は僕のご主人様なんで」
「は?」
「えっ?」
私と亮介はほぼ同時に固まると、ポカンと目の前の男を見た。
うん。やっぱりちょっといい男だわー。
そー言えば受付の由美ちゃん、彼氏欲しいって言ってたなー。あの子理想高いからなー。
遠い目をしながら現実逃避をしかけた私を差し置いて、先に現実に目を向けたのは、なんと亮介の方が先だった。
「なっ、なっ・・!?だって先輩彼氏いないって!・・そっ、それに、ご主人様って、・・先輩!なんかいかがわしい事してるんですか!?」
いかがわしい。と言う言葉に一気に現実に戻った私は真っ赤になって慌てた。
「っ・・!!やめろ!!彼氏なわけあるか!!」
だいたい!年齢=彼氏いない歴女に、いかがわしいの「い」の字すら語れるものか!
「だいたい!こいつは・・っ!!」
勢いのまま言い終わらない内に、背中にぞわりと悪寒が走った。
僅かに擦れる金属音が、嫌な予感は正解だと物語る。
「ひっ」と、思わず両手を上げかけると、ディークはそれはそれは甘い声で私の耳に囁いた。
「それ以上はダメですよ。このサイレンサーは特注なんです。貴女を貫通して彼の心臓にちゃんと届きますよ?」
「っ・・!!」
ガタガタ震えながらディークを振り仰げば、これまた、きらっきらの素敵な笑顔と出会った。
「少し外に出ませんか?お昼時間ですし」
私はヘッドバンギングの如く激しく首を振ると、呆然とする後輩に一瞥することなく、ぎこちない足取りでこの場を後にするのだった。