雇用契約は真夜中に
なぜこうなった?
いや、なぜこうしている?
目の前には、ここ数年ずっと追いかけていた殺し屋の男がいて、優雅にお茶?しているではないか。
「このシュークリーム買うのに結構並んだんですけど、甲斐はありましたよ」
そう言うと男は美しい笑みを浮かべた。
美しい?私は警戒しながら男をチラりと見上げると、確かにねー。と頷きそうになった。
黒髪で黒目はアジア系だろうか、国籍不明となっていたがルーツはアジアなのかもしれない。細めですらりとした体躯に、シンプルな黒いスーツが嫌味なほど似合っている。
切れ長で涼やかな目元は、今は微笑みで細められている。
うん。正直言っていい男だと思う。
自分でも他に考える事があるのは分かってるけど、こんなイカれた状況、ちょっとくらい現実逃避したくなるってもんでしょ?
私はほぼヤケクソにコーヒーを手にすると、口を開いた。
「それで?世界有数の凄腕の殺し屋が、私に何の用?」
「僕を雇いませんか?」
「!!!!っっっぐふっ??!!」
吹き出しかけたのを無理やり口を閉じたせいで、コーヒーが思いっきり鼻にきた。
鼻の奥をコーヒーが通る不快感に上を向いて耐えていると、男が近くにあったティッシュを差し出してきた。
今何て言ってた?
冷静になれ自分。きっと深夜だから寝ぼけてるだけだ。
「・・・それで?世界有数の凄腕の殺し屋が、私に何の用?」
はい。やり直し。今度こそ聴き間違えないぞ。
「ですから、僕を雇いませんか?」
「・・・。」
聞き違いじゃなかったかー。そっかー。
それも、ご丁寧に一音一音強調して言われたもんだから、今度こそ聴き間違えの線は消えた。
「なんで?」
とりあえず、本当に本当に色んな意味を込めて呟いてみた。
この短期間で人は理解を超えた想定外の事に遭遇すると、自分自身も訳分からなくなることをしっかり学んだ。
「実は、前の雇い主に追われてまして、しばらくのあいだ匿ってほしいんです。ですが、一方的に囲えと言うのもフェアな関係ではないので、それでしたら雇用形態と言う形ではどうでしょう?」
ガーベラの花でやる花占い、あれ、花弁が奇数か、偶数ってだけで、結果が変わるんだよなー。
だから、いつも占う前に先数数えてたっけー。
「現実逃避しないで下さいね」
男は私の入れたコーヒー牛乳をそれは優雅に口につけた。
あーバレてたんだ。
だってさ、突然殺し屋が来てさ、殺される訳でもなく、自主するでもなく、雇って下さいって・・・そっちの方が現実じゃないと思わない?普通。
だからだろう、また根本的にズレた質問が自然と口から紡がれた。
「ちなみに、いくらで?」
「そうですねぇ・・・こう見えて優秀なんで、日本の価格ですと、表参道の一等地に一軒家を建てるくらいでしょうか?」
「・・・」
頭にゼロがたくさん浮かんで、すぐに数えるのをやめた。
どのみち、一公務員には土台無理な話だ。
遠い目をしながら、また現実から遠ざかっていた私は男からの言葉でまたも強制的に現実に連れ戻された。
「ですので、匿ってくれたらあなたの依頼を何でも一度だけ引き受けましょう」
特別待遇ですよ?と、いい笑顔でのたまう男に頭痛がしてくる。
「いや、別に私殺したい人とかいないし」
「・・・」
男は緩やかに口角をあげると、こてんと首を傾けた。
くそう。いちいちいい男だな。
「とっ、とにかく!私とあんたは敵同士なんだから!雇うなんてもっぱらムリだし、私には殺し屋なんて需要ないから!なんだったら今この場で逮捕・・」
「あー。それは無理ですね」
言い終わらない内に、男の言葉に遮られる。
「なぜ?って顔してますね。だって、貴女より僕の方が圧倒的に強いですから」
おー。わざわざ、圧倒的な部分に強調を入れてくれてありがとな。
「それに、貴女にとってもそう悪い話ではないですよ?」
「?」
「雇用と言っても別に金銭は要求しませんし、といいますか無理ですし。それにこうみえて、人気な殺し屋ですからね。流石に、依頼主の情報は話せませんが、僕を見張っとけば次の殺しは起きませんよ?」
「・・・」
殺し屋の人気って何だ?そんな需要がある世界にぞわりとする。
「ねっ?この僕を監視下に置けるというメリットがありますよ?」
うわー。きらっきらの笑顔が眩しいー。
「まぁ、断れば、僕と接触した貴女は僕を追ってる組織が貴女を酷い目に合わすかもしれませんね」
はい。天使のような悪魔の笑顔。何か前にそんなフレーズの歌聞いたことあったなー。
「でも、コーヒーのお礼に僕が酷い目に合う前に、苦しむことなく、瞬間で殺してあげますよ?」
「・・・」
つまりそれって、脅しな訳で私に拒否権は最初からなくない?
こうして私は、今夜意図せず殺し屋を雇う事になった。