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ウザカワ系幼馴染と修学旅行の寒風による俺たちの変遷

作者: ごごまる

 修学旅行の鉄則。それは楽しいイベントを、しかしながら秩序あるものにするためにつけられた絶対なるルール。

 ひとつ、宿泊施設から抜け出すべからず。ひとつ、就寝時間以降はおとなしく寝るべし。

 いわゆる修学旅行のしおりに記載されているこの鉄則を守り、負い目なく楽しむもよし。逆に少しの傷をつくり、唯一無二の青春を謳歌するもよし。特別なイベントであるからこそ、堅実にいくか羽目を外すかは自分次第だと思う。


 だが俺は教師に怒られる度胸もないし、修学旅行後も悪い評判を引きずりたくない。だから個人的にはルールを守る派だ。

 そもそも一般常識的にルールとは守るために存在するものだから、きっとそれが当然なんだろう。その当然の枠の中に収まって、俺は今晩を明かすつもりだった。

 

 ところで、修学旅行の鉄則にこんなものがある。

 ひとつ、男部屋に女入るべからず。また女部屋に男入るべからず。

 修学旅行で男女が同じ部屋に配属されることなどあり得なく、それどころかホテルの部屋は同じ階ですらない。教師が待機する部屋も女性用と男性用に分けられている。共学であっても、なぜかここの峻別は徹底されていた。

 もちろん自分も厳守していた。女部屋に用なんてあるはずもなく、ルールはルールとして守るものだから。


「やっほー。あれ、お一人様だね」


 それでも予告なく男部屋に現れた女の侵入を、俺はどうやっても防げなかったのである。

 防ぐどころか、彼女はすでにそこにいた。玄関で靴を脱いで、閉じていた大部屋の襖を開けていた。


「ねぇ、なんで一人なの? 他の人たちは――あっ、もしかして同じ班の人と喧嘩した? もう、しょうがないなー。みんなが戻るまで私がいてあげるよ」

「他のやつらはまだ下の売店でお土産買ってる。おい、なんでしれっと座り込んでんだ。居座るな」


 広めの和室には6つの布団が敷かれていた。侵入者はそのうちのひとつに腰を下ろして、ここが自分の居場所だと言わんばかりに脱力している。

 振髪(ふりがみ)(むすび)が侵入者の名だ。幼小中高と同じ学び舎で過ごし、だからといって別に特殊な仲というわけでもないのが俺たち。いつでも一緒なわけでもなく、ただ歩む道が少し近かっただけ。それ以上でも以下でもなかった。


「男部屋は立入禁止だろ。早く帰らないと見つかるぞ。消灯時間も近いし」

「これ、誰がどこで寝るってもう決めた?」

「いや別に……」

「じゃあキミ、ここで寝てよ。殿、予めお布団を温めておきました、なーんて」


 さっきまで布団の上に座り込むだけだったはずなのに、今度はそれを被り始めた。横たわり、ご丁寧に枕も使い、布団から出ているのは首から上だけである。


「おい、本当になにやってんだ」

「12月の京都って思ったより寒くない? 私は寒いと思った、だから布団に入った、それだけだよ」

「そこもなにやってんだポイントだけど、そうじゃなくて……。なんでここに残る気でいるんだよ。先生、さっきから巡回してたぞ。見つかったらまずいだろ」

「じゃあ見つからなきゃいいの。同じように部屋を抜け出してるカップルもいるって噂だし。修学旅行くらい堅くならないでよ」


 これをもし誰かに見られたとして、自分は共犯になるのだろうか。いや、共犯以前にこの一対一という構図が危ない。男女間で部屋の行き来をするなというルールがあるにも関わらず接触するのは、それ相応の理由があると誤解されかねない。

 教師に見られたら終わるのは当たり前。友達ですら誤解されそうで怖い。

 こうなればもう、やることはひとつ。


「出ていかないのなら――追い出すまでだ!」


 それは布団を無理やり剥がすこと。

 結が寒いと思ったと言うように、室温はそれなりに低かった。それもそのはず、人は体温が下がると眠くなるらしいから、あえてこの部屋は暖房をつけていないのだ。

 ぬくぬくしているところを突然冷気に晒されたものだから、結は予想通り暴れている。


「ちょっと、布団返して! 女の子の布団剥がすとかありえないから!」

「うるせぇ、誰の布団だと思ってんだ!」

「ホテルのでしょ!」

「うっ……。まぁ、そうだけど……」

「ははーん、さては私のパジャマ姿をもっと拝みたかったとか。いやん、言ってくれればいくらでも見せてあげるのに。なんだったら、修学旅行以外でも」

「はぁ!? いや、そんなことのためにやったんじゃなくて――」

「隙あり!」


 結は再び布団を自分のものにした。すぐ横にはならず、歩く蓑虫みたいな格好で逃げ回っている。やがてまた最初と同じ場所に寝転がり、ひょっこり顔だけを出した。


「イエーイ、奪還成功! なに、キミなんかちょっと焦ってなかった? まぁね、これだけかわいい幼馴染がいれば狼狽するのも無理はないけど。それでもちょっとドキッて気持ちが態度に出過ぎかなー」

「お前な……。そうやって軽口叩いてるけど、誰かがこの現場見たら洒落にならないと思うぞ」


 恋人として誤解される――これを直接的に言うと、むしろ意識しているみたいに思えてなんだか嫌だった。

 だからあえて遠回しな言い方をしたが、結はきょとんとした顔のまま何も言わない。

 見つめ合うのも気恥ずかしく、とっさに言葉を続けてみる。


「だって普通にだるいだろ、誤解されるのって。別にお前とが嫌ってわけじゃなくて、誤解されること自体がさ……」

「誤解じゃなくて本当にしちゃう? 修学旅行ってアバンチュールにぴったりだと思うけど」

「お前、もしかしてそんなことを言うために来た……?」

「むはー! 幼馴染の自意識が痛い! いやぁ、そんなわけないじゃん。参っちゃうねー。まさか修学旅行の夜に私がキミに愛の告白なんて……ねぇ? まぁまぁ、罪な女である私も悪い部分があると思うし。罪滅ぼしのためにキミからの愛がそれなりのものなら、私としてもそれなりの対応とそれなりの関係にさせてもらいますけど?」

「それなりってどれなりだ……」


 結の性格がふざけていろいろ言う性質なのはわかりきっているが、今日は特にテンションが高かった。

 というか、こいつは同じ部屋の人にどう説明して抜け出してきたのだろう。男の部屋に行くと言ったら、もう女子側にはいろいろ憶測されてしまっていそうなものだ。

 さすがに、俺目的で行ってきますなんてストレートなことは伝えていないであってほしい。恋愛的な面会でなくとも、わざわざ禁止された事柄をするだけのウエイトがある関係だと思われれば何かと面倒だ。それに、結の言うように修学旅行の夜はアバンチュール的な空気が濃い気がする。だって男女の二人でルール違反してるんだから。禁断の恋ならぬ禁断の面会みたいな。


「ねえねえ」


 顔以外は全部布団にくるまって防御を固めていた結が、今度は唐突に毛布の端をを持ち上げた。毛布の奥からパジャマ姿の脚が見える。


「一緒に入る?」


 挑発だ。その声も表情も仕草も、全てがそう思わせるには十分すぎた。

 だからいつも通り言い返してしまえばよかった。入らねえよ――と。

 でもなぜか今だけは、挑発する結と目が合った瞬間に時間が止まったような感覚に襲われた。


「あ、本気にしてやんの。なに、もしかしてドキッとしちゃった?」

「うっさい。するわけないだろ」

「はっはー。まあ、超絶かわいい結ちゃんが悩殺必至な誘惑しちゃったからしょうがないけど、それでもあからさまにキョドって何も言えなくなっちゃうのはどうなの? ねえ、どうなのってば? ねえねえ――」


 ガチャンと音がして、結の言葉を遮った。


「3班いるかー?」


 その正体は部屋の扉が開いた音で、しかもどうだろう、開けたのは担任の先生だった。

 幸いにも部屋の入り口と大部屋の間にある襖が仕事をしてくれた。結はとっさに俺の布団(の予定だった場所)に全身を入れて隠れている。微妙な膨らみがバレなければこの場をやり過ごすことができるはずだ。


「なんだ井筒(いづつ)しかいないのか。もう消灯だぞ、他のはどこ行ったんだ」

「な、なんか、まだ下で買い物してるらしいです。多分もうすぐ戻るはずなんですけどね」


 部屋に暖房は入れていないはずなのに、廊下から入ってくる風は部屋の空気よりも寒かった。潜伏者がバレないか冷や汗が出るような緊張感だが、それとは別に物理的な寒さがそこにはあった。

 まったく、言わんこっちゃない。先生がいなくなったら結にはさっさと出て行ってもらおう。


「ところで、このスリッパ誰のだ? 外に出るときは備品を使うなと言ったはずだが」


 まったく――!

 この野郎、自分の靴じゃなくてスリッパ履いてきやがったのかよ。ルール破りすぎだろ。

 いや、裏を返せばそれでよかったのかもしれない。最悪、靴の色やサイズなんかで結がここにいるとバレていた可能性を考えるとむしろ好都合……。ただ、本人はそこまで深読みしたわけじゃないだろうけど。


「すいません、俺っす。自販機まで向かうときに一回やらかしました」

「他のやつは?」

「ちゃんと靴で出てると思います」

「じゃあ、まあいいか。これ、靴がどれだけ残ってるかで部屋に何人いるか確認するためのルールなんだよ。ほら、別の部屋のやつが入ってたら靴が一足多いことになるだろ。あ、これ秘密な」


 靴じゃなくてよかった――!

 ナイス、ナイスだぞ結。いや嘘、そもそもお前が来なければこんなスリルを味わう必要はなかった。なんで来たんだコラ。


「とにかくそういう理由でスリッパ禁止だから、次から気をつけるように。次やったらグーパンな」

「グーパンって、ヤバくないっすか……」

「アウトに決まってんだろ。冗談だよ」


 でも本当にスリッパ厳禁だからな――と。先生は笑っていた。

 そのまま先生は長居する必要もないということで部屋から出ていき、俺たちは許され――。


「お、ちょうど戻ってきたな。お前らギリギリだぞ、10分前行動しろって」


 許されそうなタイミングで部屋のやつら全員が戻ってきた。自分を含め、人数は6名の部屋。そこに先生がプラス1。そしてそして、トップシークレットの女が布団の中にプラス1。

 ここでバレたらいろいろ終わってしまう気がする。


「ほら、消灯時間だぞ。さっさと布団の中に入れ。電気消しといてやるから。トランプとかはスマホのライト機能でも使ってこっそりやれ」


 あろうことか、先生は俺たちを強制的に布団の中に入れようとしていた。教師として正しいと思う――が当然ここには人数分の布団しかないわけだから、俺は寝るに寝られない状況だ。もちろんそんなことを知るのは俺だけで、他の人たちは寝る寝ないに関わらず次々と布団に横になっていく。そもそもこの部屋が寒いせいもあるかもしれない。

 さりとて、ここでもたもたしていれば怪しまれる。それに、なぜか一人余っているのに布団が全部膨らんでいるという怪奇現象に気づかれる危険性もある。誰かが結がいると気づかずに入ることだってあるかもしれない。

 ならば、答えはひとつ。

 もう俺がここに入ってしまえばいいというわけだ――!


 布団の中は暖かかった。布団独自の保温性能はもちろん、結の体温がこの暖かさを実現しているのだろう。ひとつの布団に2人が入るのは無理があるものの、だからといってはみ出たら結のことが明らかになってしまう。俺たちは自然ととんでもない密着状態になってしまった。


「じゃあ、明日寝坊するなよ。あと勝手に部屋から出るなよ」


 そう言い残して先生はいなくなった。ついでに部屋も真っ暗になって。


「いや全消しかよ。豆電とかでいいだろ」

「マジ? 俺全消し派」

「あ、そう。じゃあこのままでいっか」


 他のやつ――青木(あおき)とか池田(いけだ)とか――がべらべら話している中で、一人だけありえない緊張感を感じている自分。そもそも結はここからどうするつもりだ。先生はいないし、もう出てもいいんじゃないか。それとも、こいつら全員の目から守れっていうのか。


「――井筒もやるか?」

「え!? な、何が?」

「だから七並べだよ。寝るなら寝るでいいんだけどさ」

「あ、ああ、そうだな。俺はちょっと明日に備えて寝ようかな」


 会話の裏には様々な緊張と、もはや汗ばむほど暑い布団の中、そしてその布団の中から服をぐいぐい引っ張ってくる結がいた。俺はいい感じに寝たふりをして、なるべく怪しまれないようゆっくりと布団を頭の上まで被った。

 その理由は寝るためなんかじゃなく、結と話すためだ。


「なんだよ、さっきから引っ張ってきて」

「なんだよじゃなくて! これどう考えてもまずくない!?」

「いや、お前のせいだろ。それに先生いないんだし、もう出てもいいんじゃないか」

「え!? キミ、昔からそういうとこあるよね。なんかガサツっていうか、鈍感っていうか……」


 よくわからないが、とりあえず出ないらしい。全員の目をかいくぐって脱出するのをご所望なようだ。

 となれば……。


「みんなが寝るまでこのままってことか。布団の中で」

「あはは……。本当に一緒に入ることになるなんてね」


 挑発してきた結の姿は記憶に新しい。それが、まさか現実になってしまうとは。


「あ、キミと一緒の布団が嫌なわけじゃないよ。むしろ、なんか昔みたいで懐かしいような、嬉しいような――って私は何言ってんだ一人で」

「昔? 昔もこんなことあったか?」

「幼稚園のお泊り。ほら、年長さんになったら園に泊まるやつ」

「あー、あったな。けど一緒の布団だったかはもう覚えてないぞ」

「そりゃ、私がキミのところに潜り込んだだけだから。キミはもう寝てて、何も覚えてないと思うよ」

「潜り込むってお前、ほぼ今日と同じじゃんか。なんでそんな俺のところに来るんだよ」


 声量の調節が難しかった。布団の外はトランプで賑わっているとはいえ、消灯時間はみんな派手に騒がない。少しでも大きな声で話せば布団越しに聞こえてしまうだろう。ただでさえ俺の声がすれば独り言をぶつぶつ言う変なやつだと思われかねないのに、結の声がすれば簡単にバレてしまいそうだ。

 おまけに布団の中は俺たちの距離が近いおかげで聞き取ることはできても、ささやき声で話すのがなんだかじれったかった。


「ここに来た理由は――別に何もないけどさ。キミが寂しいかなあって」

「おかげさまで寝られないほど楽しくなったな」

「ごめんってば。それは……最悪、このまま寝ちゃっていいよ。まだ明日もあるんだし」

「バカ、寝れるかって。お前、自分の――なんだ、なんて言えばいいかな」


 自分の魅力に気づけよ、と言葉が浮かんだ。でもこれだとまるで恋をしているようじゃないか。

 ただ俺は年頃の男女が同じ布団の中にいる状況下で安眠なんてできるわけがないことを言いたいだけなのに、どうも言い方がわからない。


「自分の……自分の立場をわきまえろよ。その、なんだ、女じゃん、お前」

「ああ、なるほど。意外とキミもかわいいところあるんだね。なーんだ、やっぱりドキドキのキョドりっぱなしなんじゃん」

「お前、調子に乗ってると布団からぶん投げるぞ」

「あう……。それは勘弁して……」


 それを最後に俺たちの会話はしばらく途切れてしまった。

 布団の外からはまだトランプに興じる人たちの声がうっすらと聞こえる。小声とはいえ話すこと自体がリスクになるから、俺たちは話さないほうが賢明だった。でも、今この空間で黙りながら平常心を保てるほど俺の精神力は強くない。そしてそれは結も同じみたいだった。


「キミさ、背、伸びたよね」

「お前だって伸びてるだろ」

「そうだけどさ。ちょっと前までどっちも同じくらいの身長だったのに、キミだけ大きくなってるじゃん。なんか、成長したよね」

「お互い様だっての。昔のお前ならもっと素直だったのにな。今はなんつーか生意気」

「生意気なのはどっちよ。背だけ大きくなって、いろいろ察しは悪いくせに……」


 昔だの今だのと言っているが、実は俺たちが会話する機会そのものが最近は過去最低レベルだった。学年が上がるごとに自然と話す機会が減っていって、特別話したいと思うこともなくなって――しかしこうして話してみれば、普通の会話も憎まれ口もすべてがいとも簡単に言葉になる。結に何を言われても心の底から腹が立つこともなく、否定したいこともなく、正直一番話しやすい相手であることは間違いなかった。


「あのさ、キミはさ、もう昔みたいに呼んでくれないわけ……?」


 今も昔も幼馴染の関係は変わらないんだな――と思っていたところで、結は俺の変わってしまった部分を指摘した。指摘というか、疑問というか……。


「昔みたいにって、名前でか?」

「そう。また下の名前で結ってさ。いつの間にか『お前』なんて不愛想な呼び方になってるの、納得してないからね」

「そっちこそ、俺のこと『キミ』って呼ぶだろ」

「それは、なんか恥ずかしいじゃん。あっ、いや、私がキミを意識してるとかじゃなくて、みんながびっくりしちゃうかなって……」

「俺だってそんな感じだっつの」

「お? 照れ屋さんめ。ちょっと一回だけ呼んでみてよ。今だけでいいからさ」


 呼び方ひとつで何が変わるってんだ。ああ、でも、そんなこと言ったらあれだな、何も変わらないならさらっと呼べばいいじゃんかってなるな。

 正直、一言くらいなんともなかった。「む」「す」「び」の3文字で終わるんだから、それくらいサービスしてやればいい。でも実際はそううまくいかなくて――要するに「む」「す」「び」が「結」になった瞬間、俺にとっては妙な気恥しさに似た何物かが感じられる言葉になってしまう。


「先攻譲るわ。お前から言えって」

「え、ええ? それはちょっと……。乙女には必要な準備とかがありまして……」

「名前呼ぶくらいでそんなもんないだろ」

「そういうところよくない! 女の子の言うことにいちいち突っかかってたらモテないよ?」

「別に。そんな面倒な気遣いしてまでモテたいって思ってねえし」

「あ、そう。なるほどね、そうなんだ」


 結は軽快な声でそう言った。布団の中が暗すぎて、結の表情がどんなものであるかはわからなかった。だから、その軽快な声が何を含んで軽快になったのかは――果たして察することができなかった。

 さっき結に鈍感だと言われた気がするが、そうだ俺は鈍感なんだ。だって人の腹の中なんてわからないし。唯一付き合いの長さからなんとなく言いたいことがわかってた結も、最近だと接することがなくなって、気づいたら何を考えているのかわからなくなっちまったし。


「もしかしてキミ、気になってる人とかいない感じだったり……?」

「なんでそんなことお前に言わないといけないんだよ」

「だって修学旅行の定番でしょ。いないならいないでいいから、ちょっと教えてってば」

「なら、いないな」


 いたとしても教えるわけないが。

 一番信頼できる相手ではあるものの、逆にそういうのを知られたら一番恥ずかしい相手。それが俺にとっての幼馴染だった。


「あ、あの、隣の人についてなんか思うことない? こいつ、思ったよりかわいいな――とか!」

「俺の隣の席、男だぞ」

「はいはい、キミに期待したのが間違いでした。こんなの100年の恋さえひえっひえになるよ……」


 どういうこと……? 事実を言ったら謎の幻滅をされたぞ。

 もしかして今の言葉、幻滅とかより「キミの青春、灰色すぎワロタ」みたいな煽り? 100年の恋さえひえっひえなんて言われても、席替えなんてくじ引きなんだから仕方ないだろ。


「そんなこと言うならお前はどうなんだよ。隣のやつ、男なのか?」

「うん、まあ……男の子だよ」

「そいつのこと、いい感じに思ってんの?」

「いい感じっていうか、なんていうか……。もうちょっと私のこと見てもいいんじゃないかなって思ってるかな。最近話してなかったけど、ちょっとくらいはそっちのほうから絡んでくれてもいいのに……」

「そいつ、名前は?」

「い、言うわけないでしょ、特にキミには!」


 なんでだよ。そっちも俺に対して恋バナしろって言ったじゃんか。

 とはいえ、肝心な時に恥ずかしくなる気持ちはわからなくもない。一番信頼できるが、一番色のある話が恥ずかしい相手――それが幼馴染。どうやらこの認識は結も同じらしい。


「ええと、もうこんな話はどうでもよくて……。そう、名前だよ、名前。一回だけでいいから呼んでみてってば」

「なんでだよ。別に今のままでいいだろ」

「これから私のこと呼ぶときに『お前』なんて言ったら、みんな誰に向かって言ってるのかわからなくてびっくりするって。あと印象も悪い」

「今日久しぶりに話したんだから今後また話さなくなるんじゃないか?」

「そこはもっと話そうよ、せっかく久しぶりに話したんだから。今後もたくさんさぁ」


 いつから、なぜ話さなくなったのかは明確に覚えていないし、そもそも話さなくなった理由なんてなかった。ただ自然に、高校でクラスが分かれ、お互いのスケジュールが合わず、気づいたら話さなくなっていただけだ。特別今から話す理由もないけど、こうして結のほうから訪ねてきたときは楽しく話せるし、それどころかやっぱり一番話しやすい相手だなと実感する。要するに今後も話さない理由もないということだ。

 そしてそうなれば、確かに今のお前呼びは不便なものかもしれなかった。

 お前ってずっと言ってたら、一周回って誰かが俺たちの関係を誤解するかもしれないしな。


「結……」

「え、ちょっと早いって! まだこっちの準備ができてないからやめてよ!」

「バカ、お前声でかい――」


 でも、いくら耳をすませようと布団の外は静かだった。

 考えてみれば、時間もそれなりに流れている気がする。


「これ、みんな寝たと思うか?」

「私にはわかんないって。ちょっとだけ顔出して見てきてよ」


 気が緩んでいたのか、俺はきっと目撃されれば寝ていないことなんて一目瞭然だったであろう勢いで布団から顔を出してしまった。それでも誰かが声を出したりしないのは、なるほど、知らぬ間に全員が寝てしまっていたようだ。

 布団の外は恥を捨てて人肌で温まりたくなりたいほどの冷気で満ちていた。

 顔しか出ていないのにマジで寒い。


「みんな寝た……っぽいぞ」


 俺が声をかけると、結も同じように顔を出す。どこからかうっすらと光が差しているのか、布団から出ると結の輪郭が見えるようになった。表情こそわからないが、距離感は視覚的にもわかる。


「お前、近くない?」

「なっ……! 今更変なこと言わないでよ! あ、あと……ずっと名前で呼んでほしい、かも。お前じゃなくて……」


 ぶくぶくと水に潜るように、結はまた布団に入っていった。

 凍える室温を忘れるほど、布団の中は朝までぬくもりを保っていた。






「――って、朝までここにいるんじゃねぇ!」


 午前7時過ぎ。俺も結もなんだかんだ寝落ちして、結局男部屋の秩序は破られたまま。不幸中の幸いか、同じ部屋の男子たちは夜ふかしのせいでまだ眠っている。俺の目が覚めたのは変な緊張から――と、今はそんなことを言っている暇はない。


「結、起きろ結!」


 まるで生死の確認をしているように必死だったが、実際これがバレたら俺の高校生活は死ぬ。


「おい、結!」

「ん……。おはよ……」

「おはようじゃねえ! さっさとここ出てくれ!」

「さむ……。ちょっとこれ無理かも……」


 結は瞼を開けない。どうしても布団に潜ろうと、もぞもぞ動いている。

 まずい、これは二度寝をかます可能性がある。

 


「頼むから起きてくれ。先生に見つかったらヤバいって――」

「誰に見つかったらヤバいんだって?」


 声を聞いた瞬間に死が確定した――が、念の為声の方向を見てみる。

 やられた。やらかしちまった。枕の先、俺が横になったまま上を見上げた先に先生はいたのだ。


「い、いつからそこに……?」

「2時間前だよ。ちゃんと寝てるか確認したら――熱々に抱き合って寝てたからな」

「どうして、起こさずそのままに……?」

「寝不足で体調崩されても面倒だからな。そういうわけで、今日のバス移動は先生の隣に座ってもらおうか」

「は、はい……」


 残念ながら俺も結も普通に怒られた。ただ、俺たちのこの事件が他の友達に広まることはなく――ちょっとした噂程度の話はあったがそれも数日で消え――この思い出は俺たちの中だけの秘密になった。

 そんな関係になってから数日後。


「やっほー、キミも帰るとこ?」

「まぁな」


 秘密を共有する関係になって変化したのは俺たちの会話が増えたということと、俺が結を昔と同じ名前呼びで固定されたこと。それ以外は特に何も変わることはなかった。つまるところ、昔と同じような空気を取り戻しただけだ。


「そういえば結の隣の席のやつ気になって見に行ったんだけど、女子だったよな」

「うん。それがどうかした?」

「いや、なんか隣のやつが気になってるみたいな話したよな」

「え、えー、したかなぁ? キミが夢でも見てたんだよ、きっとそうだよ、うん」

「あ、そう。夢か……」


 夢にしては鮮明に覚えているが。というか、あの事件の流れ全てが夢みたいに現実離れしてる気がするし。冷静に考えて結の行動力が恐ろしい。


「あとさ、結は俺のこと名前で呼ばないのか?」

「えっ!? よ、呼んでほしい?」

「正直どっちでもいいかな。ただなんか不公平な気がして」

「あ、う……。そういうのはそのうち……。ちゃんとしたタイミングで呼ぶから」

「なんかわかんねーけど――まあ、好きにしてくれ」


 修学旅行から戻った今でも、外の風は冷たかった。ただ、人肌が欲しくなるほどのものかと聞かれればそうじゃないかもしれない。

 それは、ただ京都よりもここのほうが暖かいからかもしれないし、あるいは他に温めてくれる何かが俺たちの間にあるからかもしれなかった。

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