3.家出皇子と転機
モリーは2日ほど病院に入院してからすっかり良くなって帰ってきた。
本当は1日程度、様子をみればよかったのだが医師が念のためと言って2日ほど入院させたのだという。
雨も朝にはやんで眩しい朝日がさしていた。
ミアは夜にみせた涙などなかったかのように無邪気な笑顔を両親にみせ学校に向かった。
「ジョージさんがウチに来てくれるようになってからミアがよく笑うようになったんですよ」
「本当に。ジョージさん、ありがとう」
「そう…なんですか?」
「前々から無理して笑うことはあったんですがジョージさんがきてからはそれも減りました」
「息子が亡くなってからミアが私たちに心配かけないようにしていることは気づいていたんですが…」
ミアは兄の死は自分のせいだと思ってたようだから、その責任を感じていたのかも知れない。
だから両親に心配をかけないよう、笑っていれば両親も安心するからあえて無邪気に振る舞っていたのだ。
「…おれも、拾ってくれたのがミアでよかったです。おかげで命が助かった」
「きっと息子が繋いでくれた縁なのかもしれませんね」
「息子さんの命日におれが拾われたってアレですか?…本当の話だったんですか?」
「えぇ。こんなことでウソを言っても仕方ないですよ」
「生きていれば年齢が同じくらいというのは…?」
「そんなこと言いましたっけ?」
「え?」
「やだなぁ、息子が生きていたら12歳ですよ。間違えるわけないじゃないですか」
「……」
あははは~と朗らかに笑うので、おれもつられてあははは~などと合わせてしまった。
イアンは学者であったというから数字には誰よりも強い。
こんなかんたんな間違いするはずがない。
つまりおれはあのとき完全に騙されたということだ。
嘘を真実に混ぜるとわからなくなるというがどうやらこの説は正しかったらしい。
おれは食えない夫婦に騙され今も誤魔化されたということだ。
にこにこと陽気な2人をみていると、自分が間違えたのではないかという気分にすらなってくるから不思議だ。
流されている…。
今日の作業は先日の大雨で川が増水したので中止になった。
この遅れを取り戻すために明日は忙しいと班長が言っていた。昨日に続き今日も英気を養うことにする。
退院したばかりのモリーに代わり家事をこなし、学校に行くミアに代わって買い物に行く。
財布を丸々預けて「よろしく」というあたりに夫妻から信頼されているんだと誇らしく思うが、少々不用心すぎやしないかと一抹の不安に駆られた。
ミアが年齢より大人びているのはこの食えない両親あってのことかもしれない。
「よお!にいちゃん!モリーさんは帰ってきたかい?」
「あぁ。今日退院した。もう家にいる」
「そうかいそうかい。ならコレは快気祝いだ!持ってきな」
「モリーさん退院したの?ならウチからもコレ持ってって食べさせてあげて」
「いいのか?ありがとう」
「あら、ジョージくん。いいところに来たわね。りんごだけどモリーさん食べられるかしら?」
商店街に行くと、次々に声をかけられ色々持たされた。
街の住人同士はだいたい知り合いで耳が大きい。ひとりに言うとあっという間に10人に伝わる。
おれもずいぶん街に馴染んだと感慨深く食材の詰め込まれたズッシリと重たい買い物袋をながめた。
…最初からそこまで警戒もされていなかったが。
突然現れたいかにもワケアリの男をこの街は寛容に受け入れてくれた。
そういう人間は多いと聞いていたが、懐の大きい街なのだろう。
このままこの街で暮らすのも悪くない。
公共事業が終わったあとのことをイアンと相談していた。
参考までに聞くとイアンは頭脳を買われて建築系の商会からの誘いがあった。
おれも色々誘いは受けているし、収入面からみても安いアパートくらいなら借りられる程度の収入が得られる仕事ばかりだ。
夫妻はこのまま家にいて良いと言うがミアの年齢を考えれば赤の他人である男がいるのはあまり良くない。
ならば近くに単身者向けのアパートを借りればいい。幸い、アパートから出る住人はこれから増えるし、一家はこのままあの部屋に住むと言っている。バイトをしながら一家の手伝いをしたりミアに勉強を教える毎日は楽しいだろう。
家出したが結局なんとかなっている。
条件付きの家出だがこのまま帰らなくても良いんじゃないかとさえ思えてきた。
どうせ戻ったところで今度は出してもえない可能性だってあるなら戻る必要もあるまい。
このままこっちで暮らしているほうがよほど気楽だ。
なんてのほほんと未来のスティルアート暮らしに想いを馳せてしばらくたった頃、弟のオーギュストがこの地にやってきた。
「みたみた?ミア!!オーギュスト殿下だよ!お美しいよねぇ…永遠にみてられるよ…」
「ちょっと…興奮しすぎ…落ち着いて」
もともと、おれたちの従事していた公共事業はオーギュスト訪問のためのものだった。
オーギュストが来るというだけで領地内を整備してしまうステイルアートの令嬢にはシンパシーを感じるが、オーギュストの婚約者候補(候補!!)だからあまり好意的にみれない。
今日はオーギュストが街を視察するということでおれたちもオーギュストの姿を一目拝むべく野次馬と共に歓声を上げていた。
モリーは体調が不安ということでイアンと留守番である。
ミアも家にいたそうだったけど連れてきた。
あまりオーギュストに興味のなさそうなミアにもぜひオーギュストの素晴らしさを知ってほしい。
「落ち着いてなんていられないさ!仕草のひとつひとつが洗練されていると思わない?ほら、視線ひとつで何人か倒れてるよ!」
「それオーギュスト殿下が殺したような…」
「死んでないから!想像以上の神々しさで天に呼ばれただけだからっ!」
「それを死ぬって言うと思うんだけど…」
どうやらミアはあまりオーギュストの素晴らしさに興味はないようだった。
…まぁオーギュストがいかに崇高な存在であるかはおれだけが知っていればいいことなので構うまい。
皇子が行事でもなく公務として側近の領地を訪問するというのは珍しい。
派閥で不満がでるのであまりやらない。訪問するとしてもお忍びで行く。
スティルアート家の令嬢が婚約者候補(候補!!)だし、唯一の息子が側近だ。そのうえ母親同士が親友だったとあればオーギュストがスティルアート家を重要視しないわけないから印象付けのためだろう。
そういう賢いところもまたオーギュストの魅力である。
スティルアート家がいなければオーギュストはおれを頼ってくれたと思うとスティルアート家の当主と側近を憎く思わないでもない。
しかしスティルアート家がいなかればミアがいないわけで、おれの命が危なかったわけだから心中複雑だ。
「デイヴィットってオーギュスト様のことそんなに大好きだったのね…」
「まぁ…そうだね…」
多くを語るとボロを出しそだったのであまり口を開かないでおくがにやける口元と目元は隠せない。
オーギュストはおれが王城にいたとき、唯一可愛がっていた弟だ。
古参貴族の母のもとに生まれたおれは次期皇帝選抜の最有力候補なのだ。
そのせいで末端のメイドや執事、友人、学園の生徒から教師に至るまで常に顔色を伺われる毎日だった。
顔色を伺う人間の顔が、何よりも嫌いだった。
そいつらの期待に応えなくてはいけないことが何よりも苦手だった。
でもオーギュストだけは違った。
初めて対面した幼少期から顔色を伺う様子をみせたことがない。
もう1人の弟であるエドモンドもあまりおれの顔色を伺うことはしないが、ふたりの大きな違いはその頭脳だ。
エドモンドはよくも悪くも単純で手のひらで転がすように自在に操れる。
愚かしくてかわいくはあるがおもしろくない。
しかしオーギュストは違う。
こちらが1言いえば10を理解する。打てばおもしろいくらい響く会話は飽きることがない。そのひとつひとつ、存在の全てがおれの興味をひく。
毎日朝から晩まで観察しても足りない。なびく髪の毛1本から口から溢れる一声に至るまで全てを手中に納めたくてたまらないほど。
フローレンスとの婚約を解消したあとすぐに家を出なかったのはオーギュストがいたからだ。
おれが出ていくならオーギュストも連れて行きたかったのにオーギュストは断固として首を縦に振らなかった。とりまきの女を使ってオーギュストにハニートラップをしかけようとしたら側近に邪魔された。薬を使って連れ出そうとしたらバレて姿をみせてくれなくなった。
だからオーギュストの姿を1年以上みていないのだ。成長した姿を目に焼き付けておきたい。
「ファンのおっかけならいいけど相手は皇子様だからね…」
「……そうだね…もちろんだよ…」
おれもその皇子なんだと言ったらミアはどんな顔をするだろう?
呆れるミアの驚く顔に興味が沸いた。
公共事業が終わり、イアンは新しい仕事に就職した。そちらでは細かい計算や設計の仕事をしているそうで毎日楽しそうに出勤している。
定時退勤、残業なし、ボーナスあり、家庭への理解ありの優良商会だ。
おれも誘われたが少しは自分の力でなんとかしたかったことと、色々経験したかったから断ってバイトを掛け持ちする毎日だ。
時間に融通がきくため時折イアンの職場が繁忙期になると現場の手伝いに呼ばれる。
「ミア、迎えに来たよ」
「あ!ただいま!仕事早かったのね」
「うん。明日大きい仕事があるから今日は早めに引き上げたんだ」
「お父さんは?」
「明日の確認があるから事務所に残ってる」
「ふうん。なら買い物に行きましょう」
ミアは年頃もあってか女性らしい成長をみせるようになった。
口調も大人びてきたし立ち振舞いも落ち着いた。
ただ急激な成長に戸惑っているのはイアンとおれだけで周囲やモリーはそういう年頃よね、と言っている。
女性の成長期とは恐ろしい。
公共事業が終わったタイミングで家を出ようとしたがイアンとモリーに頼まれ結局そのまま厄介になっている。
申し訳なくて家賃と生活費は毎月渡しているがミアの成長をみるにおれのほうが限界が近いように思う。
「ねぇ、国立学園ってどんなところか知ってる?」
「……………さぁ…急にどうしたの?」
「今日先生から推薦受けないかって話をされた」
やっぱりか。
国立学園というのはアルテリシア国立学園のことだ。
元々は貴族教育のための学園で入学許可が降りるのは爵位を持つ家の子息令嬢のみ。それも多額の寄付金が出せる。
しかし近年では人材育成を目的に成績優秀な平民も入学できるようになった。
奨学金や給付金があるので平民でもチャンスはあるし将来は約束されたも同然のエリートコースだ。
ミアの学力なら学園でもやっていけるだろう。
「すごいことじゃないか。学園への推薦なんてかんたんにもらえるものじゃない」
「うん…そうなんだけど…」
「なにが不安なんだい?」
「国立学園にいくなら寮に入らないといけないでしょ?お父さんとお母さんを置いていけない…」
「ミア…」
肩にかけた4人分の食材をつめた買い物袋が重たく感じた。
「ようやくみつけましたよ!デイヴィット様!」
伸ばした手がミアの細い指にかかった瞬間、おれの家出生活が終わる合図がした。