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2.家出皇子と仕事


一家に世話になるにあたってまず仕事を紹介してもらった。


といってもイアンの職場であるが。


「いやぁ!若い子が来てくれて助かったよ!」


「こんなキレイな顔の兄ちゃんがいたなんて知らなかったなぁ」


「にいちゃん仕事きつくないか?大丈夫か?」


「はは…がんばります…」


イアンはスティルアート領の公共事業に従事していた。あのアパートは社宅だったのだ。

現在は道路整備の仕事にあたっていて、イアンは班のなかで設計や資材管理をしていた。

いかにも肉体労働に向いていなさそうなイアンの仕事はやはりデスクワークだった。


作業は6人1組の班で行う。おれが入るまでは5人だったがイアンが肉体労働しないので実質4人で作業。


…つまり若くて体力がある働き手を探していて、タイミングよくおれが転がり込んできたということだ。

金なし、宿なし、仕事なし。

いい仕事を紹介すると言えば喜んで飛び付く条件が揃った人材である。



つまり、イアンは亡くなったという息子の話をダシに同情を誘いまんまと条件のいい人材を確保したわけだ。

おれも雨風凌げる家に住まわせてもらっているぶん文句は言えない。

ちょっと親としてどうかとは思った…。



「イアンのおかげで俺は細けぇ仕事しなくていいしウチの班は上からの評価もいいからありがてぇんだが…なにせ兵隊が足りなくてなぁ」


班長はそうぼやいて両肩に3袋ずつ資材を積み上げサクサク歩く。

おれはというと両手で担いで3つが限界で息を切らせながら班長の後を追った。

最初の頃は1つ運ぶだけでも精一杯だったからこれでも成長したほうだ。



「イアンさんって何者なんですか?」


「あ?おまえ世話になってるくせに知らねぇのか!」


「ま、まぁ…」


「あいつあんましそういうこと言わなさそうだもんなぁ~。イアンはなぁエライ数学とかの先生だったんだとよ」


「それで…」


学者と言われて合点がいった。

イアンは頭がいい。会話の端々で教養の高さは垣間見れた。

とても浮浪者になっているとは思えない。

娘であるミアからも、王都の女たちにひけをとらない教養や学の高さがある。




「ただなぁーあの性格だろ?のほほーんとしてるもんだからどうも職場合わなかったんだと」


「たしかにイアンさんには向いてなさそうです」


「だろ?まぁ奥さんと子どものために定職に就こうとしたら浮浪者になっちまったっつーのはどうかと思うけどな!」


「イアンさんらしい…」


班長は豪快に笑って資材をドンと置き、おれはぜいぜい息を切らせながら班長の半分にも満たない量をようやく運んだ。


このくらい魔道具を使えばすぐなのだが、平民暮らしにおいて魔力不足は命に直結する。

なるべく魔力を使わずできることは魔力を使わないのが鉄則だ。

実際に資材だってほんの10メートルくらい運ぶ程度なので魔道具を使う方が無駄である。



「なんだ兄ちゃん、へばったか?休んでてもいいぞ」


「いや、大丈夫…!」


ここで休んでは負けたような気がして悔しくて震える膝を鼓舞する。

誰かと競っているわけではないけれど。

初めの頃は、平民相手に敬語を使い上司としなければならないことに皇子としてのプライドが傷つけられたような気分だったが、そんなプライドはあっという間にボロ雑巾になった。


班長や強面の班員たちにバカにされて笑われてからというもの、皇子という身分のないおれはただの世間知らずのお坊ちゃんでしかないということを思い知らされた。


不思議と悪い気分ではない。


むしろ重荷を下ろしたような清々しささえあった。

額を走る汗を首にかけたタオルで拭って再び資材を運ぶ。

朝、ミアが持たせてくれたタオルは以前使っていたものよりもヘタレていて薄っぺらいし安っぽう石鹸に匂いがほのかにする程度だ。

それでも王城で使っていたものよりも尊いものに感じてしまうのはだんだんここでの生活に慣れてきた証拠だろう。




「ジョージさん、お父さーん。終わった?帰ろー」


「お!ミアちゃんか!買い物かい?」


「うん、近くまで来たから迎えに来たの」


防音幕からひょっこり顔をだしたのは両手に買い物袋をさげたミアだった。

夜勤の班と引き継ぎを終えて今からちょうど帰るところなのでタイミングがいい。


「関心だねぇ!ほれ、おまえさんらは帰んな!せっかくミアちゃんがきてんだから」


「それではお言葉に甘えて先に失礼します」


「あ!イアン!今夜から大雨らしいから旗が上がってたら作業は中止だからな!」


「はい。朝にアパートの前ですよね」


「そうそう。奥さんのそばにいてやれ」


「お気遣いありがとうございます」


「班長さーん!おつかれさまです」



ミアから買い物袋をもらって幕の外にでると、外界の雑踏が飛び込んできて仕事が終わったという気分になる。

防音幕は作業中の騒音を出さないようにする魔道具でこれのおかげで夜通し作業ができる優れものだ。


スティルアートの街はこの大規模公共事業によってどこよりも清潔なものになっていた。

かつてこの街も汚物に塗れまともに歩けないほどだったというが信じられない。


この公共事業を指揮しているのはスティルアートの令嬢だと口を揃えて言うがとうてい信じられない。

もっとも、住人らにそういうと「おまえは何も知らないんだな」と豪快に笑われるが。




「旗ってなんだい?」


「警報旗のこと。災害が起きると危ないでしょ?そういうのをお知らせするの」


「へぇ…そんなものがあったのか…」


「王都にはなかった?」


「どうだったろ…あまり覚えてないな…」


覚えていない、というか知らないだけである。

王城ではそんなものなかったから。


「ジョージさんって実はいいところのお坊ちゃん?」


「………さぁ~どうだろう…」


「ミア、夕飯はなんだい?」


「カレー!日持ちするから!明日から雨が降るならしばらく買い物もたいへんでしょ?カレーだったら3パターンくらい使いまわせるし」


たぶんイアンには正体がバレていそうだ。

職場でもプライベートの質問になるとこうしてさりげなく話を変えてくれる。

まぁ職場は探られたくない人間が多いから深く聞いてこないが…。


スティルアートの公共事業は人が足りないという理由で身元不明の不法移民を使って行なっている。


自分もその1人ではあるが最初に役場へ住人登録をしたときあまりの簡単さに不安になったほどだ。

名前と年齢と職歴、住居の有無を伝えるだけ。

犯罪歴とか身分証とか調べない。

それでいいのかと言いたくはなったが、実際に住んでみるとその理由はよくわかった。


逃げないように、犯罪を犯さないように相互監視システムができている。

班の連帯責任ということは誰か1人でも悪さをすると班全員が処罰をうける。

だから班長はトラブルを未然に防ごうとするし、班員同士では家族ぐるみの付き合いがある。


それ以外にも食事補助、住居補助がでて給料もいい。

ならば逃げたり犯罪を犯す必要がない。


ちなみに犯罪を過去現在問わず犯した人間がいた場合、速やかに『処理』される。

…班長に処理ってなんだろうと聞いたら知らないほうがいいと言われた。




「ただいまー!お母さーん?!」


いつもならモリーは玄関で出迎えてくれるのに、今日はそれがない。

ミアが慌てて寝室に走った。おれも胸騒ぎがしてイアンと共にミアの後をおう。


「お母さん!?」


「ミア、帰ったのね。ごめんね」


モリーは寝室からフラつくようにでてきた。顔が赤いし少しだるそうだった。


「ううん、そんなのいいの…熱?」


「そうみたい。でも少し休んでいれば大丈夫よ」


「医者を呼んだほうがいいのでは?」


今日は夜にかけて雨がふる。

雨が降り出してしまうと病院へ行くことも医師を呼ぶこともままならない。


「大丈夫よ。こんなのいつものことだし」


そう言って笑うので、何も言えなくなってしまった。

イアンも病院をすすめるがモリーは頑なに首を縦に振らなかった。


班長の言葉どおり、日が沈んだころにポツポツと雨が降り始めた。

やがて雨は大粒になり窓を叩く音がうるさくなる。


「すごい雨ですね。川は大丈夫でしょうか?」


「護岸工事は終わっているけどこの雨だからなぁ…」


「橋の設計もイアンがしたんだって聞いた」


「恥ずかしながら」


「すごいことだ」


イアンと談笑をしていると、急にミアの叫び声があがった。


「お母さん!?」


「モリー?!」


慌てて台所へ向かうと、そこには苦しそうなモリーが倒れていた。


「すごい熱じゃないか…やっぱりさっき医者へ行くべきだった…」


「病院に行ったら帰って来れなくなっちゃう…」


ミアが震える声でモリーのエプロンを掴んだ。


「大丈夫だよ。ノース先生はそんなことしない。ちゃんと治してくれるから」


モリーを抱えながらイアンが安心させるようにミアの手を握り優しくエプロンからはずした。

いつもは勝ち気で溌剌としているミアが今にも泣きそうな声でモリーを呼んでいる。


「ジョージさん、申し訳ありませんが、ミアを頼めますか?」


「もちろんだ。早くモリーを病院へ」


少しでも雨に濡れずに済むように雨具と、毛布をモリーに掛け2人を見送った。


「お母さん…お父さん…」


「大丈夫。一晩は大事をとって病院に居るかも知れないけど明日には元気になっているさ」


元気づけたくて言った無責任な言葉はどれだけミアに届いたかわからないが、無言で小さく頷いたミアと食べたカレーはあまり味がしなかった。

ふたりのことが気になって腹は満たされたのに全く満腹感がない。


ミアが風呂から出てくると濡れた髪のまま居間で宿題ノートを開いた。

いつもならモリーに小言をいわれて髪を拭くのに今日はそれがない。


「風邪をひくよ」


「うん…」


雨音がいっそう激しく窓を叩いた。ごうごうという音に不安を覚えながらおれも風呂を借りる。出てきたときにはミアが疲れて寝ているといいと思ったが、そんな僅かな願望は叶うわけなかった。

1ページも進んでいないノート。

ぎゅうっと噛み締められた唇。

目は涙を堪えるように真っ赤で今にもまぶたの堤防は決壊しそうだった。


「ミア…」


「お兄ちゃん…病院に連れて行かれて帰って来なかった…」


「お兄さんが?」


思わず戸棚にかざられた花とおもちゃをみる。

そこには初めて見た日と変わらず河原で摘んできた花が飾られていた。ミアかモリーが小まめに花を飾り水を変え、イアンが稀に菓子を置いている戸棚だ。


「うん。教会でまだみんなと寝泊まりしてたとき…」



イアンたちが他の領地からやってきた不法移民であったことは聞いていた。

このスティルアート領では珍しくもないという。

しかし保証された身分もなく、住む家も金もない彼らを待ち受けていたのは劣悪な環境だった。

最初こそ教会に保護してもらえたと喜んだが長くは続かず屋根も壁もない、中庭に詰め込まれるように集められた移民たち。

食事も1日1杯、具のないスープにありつけたら良い方だった。

優しかった兄はミアが空腹を訴えると自分の僅かなスープを分けてくれた。

たまにもらったパンを2人で千切り、大きい方をくれた。

雨の日でも教会のなかに入れてもらえることはなく、かろうじて雨の当たらない場所に身を寄せ合って夜を明かした。


そんな生活に体の弱い兄は耐えられなかった。

高熱を出して、体中に黒い斑点が現れた大雨の日、教会の人間に連れて行かれた。



「あのときも…教会の人はすぐ戻るって…すぐ良くなるって言った…神に祈りを捧げれば大丈夫って…でも…お兄ちゃん…帰って来なかった…」


「……」


「私がお腹すいたって言ったから…お兄ちゃん…パンもスープもくれたから…私がお腹すいたって言わなかったら…お兄ちゃん…」


「そんなことはない。お兄さんだってミアがお腹を空かせているほうがつらかったさ」


「お兄ちゃんだってお腹すいてたはずなのに…」


「ミアのことが大事だったんだよ」


「お母さんも…私のせいでさっき病院いかなかった…帰って来なかったらどうしよう…」


モリーがなぜ頑なに病院に行かなかったか、ようやくわかった。

ミアを不安にさせたくなかったのだ。

大雨の日に自分まで病院へいけばミアを不安にさせる。

現にミアはモリーがいないことでみたことがないくらい動揺していた。



ごうごうと唸っていた雨音は窓をばちばちという打撃音に変わり大雨の激しさを訴える。

雨音に揺さぶられるように、まぶたの堤防が崩壊して大粒の涙がミアの瞳からこぼれ落ちた。

涙の一粒が綺麗だと言ったら不謹慎だと怒られてしまいそうだ。

言わない代わりに、ミアの細い肩をつかんで思わず抱き締めた。



年端もいかない女の子に何をしているんだと理性が言うが、必死に孤独にたえるミアを見ていたら抱き締めずにはいられなかった。


落ち着けるように丸い小さい頭を撫でると、耐えきれなくなったのかミアが小さく震える。声をあげて泣かないようにしていると気づいたのは肩に暖かい涙が当たったときだった。


「我慢しなくていいよ」


「うぅ…ひぐっ…」


背中と頭を交互に撫でてやれば次第に嗚咽が漏れ始めた。雨音にかき消されるように小さなそれは9歳そこらの子がするにはひどく不釣り合いで普段の無邪気な彼女からは到底想像できないものだった。


ミアが両親のためにわざと明るく振る舞っていると気づいたのはそのときだった。



「デイヴィット」


「へ?」


涙をためた瞳と視線が交わった。

きょとんと見開かれ瞳が飴菓子みたいで、零れる涙が小さな宝石のようにきれいだった。


「おれの本名。フルネームは言えないけど」


「デイヴィット…私に言っちゃっていいの?」


「うん。ミアには呼んでほしいんだ。ふたりのときだけ。約束できる?」


「いいよ。ふたりのときだけの秘密」


秘密、という響きはひどく甘美だった。

指先で流れ出た涙をぬぐってやるとくすぐったそうに微笑んで、新しい滴が垂れてくることはなかった。


ミアには嘘をつきたくなかった。

本当の名前を呼んでほしかった、ただそれだけの理由だ。


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