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1.家出皇子と人情




「大丈夫?生きてる?」


つんつん、と優しくはない感触で肩をつついてきたのは年端もいかない少女だった。


指1本動かす気力も残っていない首を動かして声のする方をみると10歳前後くらいの女の子が藤の籠と木の棒を携えてじっとこちらをみているではないか。


「ねー?いきてる?死んでる?」


「死んで…ない…」


「ぎゃーー!!死体がしゃべったぁ!!!」


どうしてそうなる。

少なくとも死んでいたら返事はしないはずだろう。


沸いて出てきた突っ込みは口からでることなく空腹感に押し潰されていった。



目を覚ましたとき、最初にみえたのは知らない天井だった。

見慣れた自室でないし、おとつい泊まった宿でもない。


「どこだ…?ここ…」


徐々に覚醒する感覚を頼りに情報を集める。


ここはスティルアート領、中心地区。仕事を求めてこの地にやってきた。

持っているものは中古で買った服だけ。

金はない。空腹で気が遠くなったのが最後の記憶。


地面が冷たくてかたくて実家の寝具を恋しく思いながら寝た。


しかし今寝ているのは冷たくて硬い地面ではなく清潔な簡易寝具のようだった。

ほのかな石鹸の臭いがする。香が焚かれていない部屋は『一般的な平民の家』といって差し支えないだろう。本でみたことがある。


窓があって照明器具があってテーブルあって花の飾ってある戸棚があってドアがある部屋だった。


「あ!起きた?お腹すいてない?」


「あ…」


ドアが開いてあらわれたのは先ほど道端でみた少女だった。

歳は10歳前後、髪は短くまとめられ両手に荷物を抱えていた。

良く似た顔立ちの女性もみえたので母親だろう。


「もしかして話せないの?」


問われて喉の渇きから声が出しづらくなっていることに気づいた。

口をパクパクさせるがどうしていいかわからない。

すると何かに気づいた少女がすかさず台所からコップに水をいれて持ってきたのて間髪いれずに水をぐびぐび飲み干した。


「ありがとう。礼をいう」


2回ほどそれを繰り返してようやく言葉が発するようになった。


「相当のどが渇いていたのね。おなかは空いていない?」


ぐううううう、と答えるより前に主張を始めた腹に少女とその母親が陽気にわらった。


「お腹すいてるみたいだね。消化にいいものを作るから待ってて」


「あ、あぁ…」


少女と母親が台所に行くとものの数分で温かいパン粥が運ばれてきた。

牛乳の香りが食欲をそそる。我慢できずに礼もそこそこにがっつくように掻き込んだ粥はこれまでで食べたどの料理より美味しかった。


「ありがとう。とても美味しかった。本当に空腹で死ぬところだったんだ…。助かったよ」


「なんであんなところで倒れてたの?」


腹を満たして落ち着きを取り戻し最初にしたのは少女と母親へのお礼だった。


第一皇子として生を受けなに不自由なく暮らしていて形式的な礼こそいつもしていたが自然としたいと思ってした礼はこれが初めてだったかもしれない。


「ちょっと親とケンカ…して家出をしたんだ。それで賭場に行ったらお金全部なくなっちゃって…」


ウソはついていない、ウソは。

恩人にウソをつくことに気がひけて頭のなかでひねり出した言い訳をする。



「…バカじゃないの?」


「あぁ…親とケンカするなんてバカだったよね」


「違うって!なんで賭場に行っちゃうかな~。お金増やしたいなら真面目に働きなさいよ!」


え、そこ?

少女がわりと真面目に博打の何がいけないかを確率論を交え懇々と語り、続いて心理学における賭け事の依存性についての話になったあたりで母親が止めた。


「ミア、お客様に失礼ですよ。…ごめんなさいね、この子父親の影響で理屈っぽい話が好きなもので…」


「あ…いえ、かまいません…おれも勉強になりました…」


ウソではない。

賭け事というのは心理的に依存しやすくできているという話は非常にためになった。

そして依存によって身を滅ぼすということも。


「あー!ごめんなさい…私もつい話し込んじゃって…それて行く宛もなくなっちゃったの?親戚とかいなかった?」


「………折り合いが悪くて…」


親戚、と言われて最初に思い出すのは母方の実家。アプトン家に連なる古参貴族だ。


あちらの家に頼ろうものなら廃嫡という野望を諦めることになる。

頼ることはできない。



「まーそういうこともあるよね…」


少女が急にしょんぼりと落ち込んでしまいつい口から思いもしないことを言ってしまう。


「あー、でもそのうち仲直りするから…」


「うん…無理に仲直りしなくてもいいんじゃない?」


「え……?」


ところが返ってきたのは意外とも言える答えだった。


「すみません、我が家も親戚と折り合いが悪く追い出されるようにこちらへ来たものですから…」


「そうだったんですね」


母親は少女の頭をそっと撫でると少女はくすぐったそうに微笑んだ。

暖かくて、穏やかできらきらして幸せそうな光景が眩しくて目がくらんでしまいそうだ。


「すみません、長いことご迷惑をおかけして…。このお礼は必ずさせていただきます」


「待ってください…!今日は…」


あんまりにも眩しくてこの場を立ち去ろうとしたら、玄関が開きこの家の家長と思わしき男が入ってくると同時に少女の手が服の端を掴んでべりっと嫌な音をたてた。



「あ…」


「おや?お客さんかな?」


「…………。一晩お泊まりされてはどうですか?」



ぽっかりと空いた穴をみつめ今にも泣きそうになる少女をみていたら断ることはできなかった。






「いやぁ、お客さんなんてはじめてだなぁ」


少女とよく似た目元をした男は思った通り少女の父親だった。仕事から帰ってきたばかりということで夕食までのあいだ談笑に付き合うことになった。

父親の名前はイアン。イアン・リベラ。線の細い男であった。

母親のほうはモリー。少女はミアというそうだ。



聞かれてジョージと思わず名乗ってしまった。貴族としてもつ長ったらし名前の一つでよくある名前だから怪しまれることはないだろう。

ジョージと名乗ったときイアンの目が一瞬光ったような気がしたがそれ以上追求されることはなかった。

偽名と気づかれたかもしれないが追及されないことをいいことにそのままにしておいた。


親切な一家に嘘を重ねることは心苦しくあったが本名を名乗ることにも抵抗があったのだ。




「はい。できましたよ。どうせですから綺麗に洗ってしまいましょうか」


「え…はい…ありがとございます…」


モリーが破れた服を縫い直した。それだけで十分だったはずなのに流れるようにどこかへ持っていかれてしまった。


流されている。


「ごはんもうすぐできるから」


今度はミアがいい匂いのするお皿を2つほどもってドンドンとテーブルに並べた。

それから戸棚に飾ってあった花を入れ替えた。


「ところでジョージさんはおいくつですか?」


「…15です」


嘘を重ねたくなくてつい本当の年齢を言ってしまった。



「ずいぶんお若い。そのお年で家出とは思い切ったことをされましたね」


「まぁ…」


「ではお酒はおすすめできませんね」


渡そうとしていたグラスをそっと引っ込め、かわりによく冷えたお茶がでてきた。

酒は好きだがスティルアート領では未成年の飲酒は禁止されている。


「あー、はい…」


家出の件を説教でもされるかと思ったが、そんなことはなかった。

どうやらイアンも込み入った事情にとやかく言うタイプではないようだ。

程よい距離感に心地よいものを感じた。


「…今日は息子が亡くなって1年になるんですよ」


「息子さんがいらっしゃったんですか?」


「はい。ミアの3つ上でした。頭のいい優しい子だったのですが妻と同じく体が弱くこちらへ越してきてしばらくしてから教会で…」


「……」


スティルアート領にくるまでのあいだに噂は聞いていた。

キャンタヘリー教会で奇病が流行っていて、病院に連れて行かれたら最後戻った者はいないと。


どうやら彼らもそのとき家族を失ったようだ。

棚に置かれていた花は亡くなった息子を悼むためのものなのだろう。花と一緒に子供の人形やおもちゃが置かれていた。


「息子が生きていたらジョージさんくらいの歳だったんですよ…いや…死んだ子の歳を数えるものじゃありませんね…」


イアンは懐かしむように目を細めてグラスの酒をひとくいあおった。


ミアがおれと同じ歳だという兄の3つ下ということは12歳。

第一印象は10歳くらいだったが平民にありがちな食べ物が足りなくて成長が遅いタイプなのかもしれない。



「もしかしたらミアも妻も亡くなった息子にあなたを重ねているのかもしれません」


「ミアがジョージさんをみつけてきたとき私もカーソンが戻ってきたって思ったんです」


モリーが戻ってきて、戸棚に飾られたおもちゃを慈しむように撫でた。


「私が…私がもっとしっかりしていたら…カーソンは…」


「モリー、きみのせいじゃないよ。ぼくがもっと計画的に移住を考えていたらよかったんだ…。不甲斐ない父親で申し訳ない…」


夫婦そろって涙を流し嗚咽を漏らした。


「たいへんお辛かったことでしょうね…」


何と声をかけていいのかわからず、ありきたりなことしか言えない自分が悔しくて何かないかと言葉を探した。

女性に声をかけるときはスラスラと言葉が出てくると言うのにいざというとき全く役に立たない。

この程度のこともできないのか…。



「お客様にするようなお話ではありませんでしたね。すみません…忘れてください…」


「もしジョージさんに行くアテがないならウチにしばらく泊まっていかれてはどうですか?ミアも喜びます」


「え…しかし素性の知れない男を年頃の女の子がいる家に泊めていいのですか?」


ありがたい申し出ではあるがいいのだろうか。

ミアが3つ下ということは12歳。思春期の気難しい歳の女の子だ。いいのだろうか。


「そんな輩なら行き倒れたりしないのではありませんか?」


「ねぇ」


「……」


そう言う問題ではない。

にこにこ微笑みあう夫婦に当てられ、毒気が抜かれてしまった。



「はい、ごはんできましたよー」


ドンドン、と大皿が追加で2つ並べられパタパタとミアが台所にもどりカトラリーを手際よく並べた。

王城で使っていたときより質素で欠けて曇ったフォーク。

洗練されていない大皿料理。

味付けは雑多で繊細さの欠片もない。

野菜や肉が大雑把に切られ炒めただけ。

優雅さとはかけ離れた食卓だった。


「えーと、ジョージさんもたくさん食べてね」


「たくさん作ったねぇ」


「うん。ジョージさんがいるからつい作りすぎちゃった」


「食べ切れるかしら?」


「多かったら残していいよ」


「…せっかくミアが作ってくれたんだ。全部いただくよ」


それでもその日の食事は、これまでに食べたどの料理よりも尊くて何にも変え難いぬくもりの味がした。




「さきほどのお話ですが、もし皆さんが迷惑でないのならしばらくお世話になってもいいですか?」


「もちろんです。好きなだけ滞在してください」



この空気が心地よくて、柔らかい毛布に包まれるような感覚をもっと味わいたくて、つい承諾してしまった。


嘘がバレたらどうしようとか、後ろめたさとか、そういうことは後から考えよう。

ミアが無邪気に喜ぶ顔をみていたら、どうでもよくなった。




できることはしようとミアの手伝いを申し出た。


ミアが洗った食器をすすいでは詰んでいく。あとからまとめて拭くそうだ。


「ミアは学校には行っていないの?」


「行ってるよ。小学校」


「小学校?…今…何歳?」


「9歳だけど?どうして?」


「ん?9歳?」


「そうだよ」


「………」


おれが今15歳。

昨年亡くなったという息子はミアの3歳上でおれと同じ歳。

ということはミアは13歳のはず。


9歳?



アルテリシア、とりわけスティルアートは教育水準が高いことでも知られている。

息子の年齢を間違えるとも考えにくい。


大雑把な性格だったとしても大雑把すぎる。



…あれ…もしかして、これは騙された?


何くわぬ顔で食後のお茶を楽しむイアンとモリーはそんなことはしていない、先ほどの涙は本物だと信じたい。







==========



年齢答え合わせ

時間軸 8歳編中盤くらい


ミア 9歳

デイヴィット 15歳

ミアの兄カーソン 死亡時11歳(この年に12歳)


リベラ夫妻の言った正しいことは、『カーソンが亡くなったのはちょうど1年前のこの日』ということだけ。

その理由は後々判明します…。



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