「父とユメちゃん」
私は今年、31歳になる
OLである。
名前は初子。
三人姉妹の長女に
生まれたからって、
こんなネーミングないよね。
でも、だからって、
次女が次子つぎことか
三番目が三女みめとか
いう名前でもない。
小学生の頃、本当に三女で、
三女みめって子がいたけど、
途中から不良になり、
二十歳そこそこで結婚したらしい。
私たち一家は、
私が10歳になるまで、
大阪府に住んでいたけど、
その後、神戸のニュータウンに
引っ越した。
私と家族にとって
退屈な時代がスタートする。
ニュータウンの子供たちは、
皆、私と同じくらいの年で、
よその街からやってきた。
だから、生まれた頃から
知っている子はいない。
当然、親同士の関係も希薄で、
イコール子供たちの関係も希薄となり、
なんだか澄ました顔をして、
青春時代を過ごした。
20代半ばになって、
私は実家を出た。
小さい会社の社長を務める
父の事務所が大阪市内にあったし、
元々神戸よりも大阪の方が
自分に合っている気がしたからだ。
亭主関白で、昔かたぎの
オヤジである父は
私の一人暮らしに激怒した。
「クリスマスケーキが
売れるのは24日、
最悪25日の晩までやろ?」
と、私の結婚への道の
賞味期限が切れることを
ほのめかす事を何度も言われた。
でも、私にとって、
父はいつも悪い人ではなく、
何を言われてもジョークで返せた。
二人の妹たちは真剣に父を
怖がっていたけれど。
私が実家を出て、しばらくして、
母が近所の人が拾った
猫をもらってきた。
過去に、16年過ごした犬が亡くなって、
もうペットは嫌だ、といっていたのに、
やっぱり犬猫が大好きなのだ。
父は、昔、雑種の犬を飼うときも
大激怒した。
「ワシは一切、面倒みぃへんからな。
知らんぞ」
偉そうな父に、恐れおののきながら、
母は三人の娘の要望通り、
大きなオスの雑種を
飼うことにした。
が、飼い始めると、
父の態度は一変。
女ばかりに囲まれて
生活していた父は、
「ゴンちゃん(犬の名前)は、
とーさんの子やで」と、
まるで初めてできた
男の子のように可愛がった。
ゴンはいつも庭にいて、
うらやましそうに家の中をのぞいていたが、
父がいるときだけ、
家の中に入れてもらえた。
冬には炬燵にまで入って、
私たち姉妹は、その写真を
バシバシ撮って、
楽しんだものだ。
母は、もちろん、
部屋が汚れることで、怒っていたが、
父が自分の拾ってきた犬を
可愛がることに、少し気分を
良くしたりもしていた。
ややこしい夫婦関係である。
だから、ゴンちゃんが寿命で
亡くなり、ユメちゃん(猫)がきたとき、
父はまた怒るかと思った。
が、この時、娘たちは
それぞれ独立していなくなり、
ユメちゃんは孫状態で、
父の懐に転げこんだ。
今でも母は言う。
「お父さんと、分かち合えることが
あるとするれば、
犬猫が好きってとこぐらいやわ」
と。
ユメちゃんは、
まだネズミくらいの大きさの時に、
うちにやってきた。
母はペット用の哺乳瓶で、
ミルクをやり、腰湯をして、
お腹がパンパンになった子猫の
糞尿を促した。
父は父で、娘たちが赤ん坊の頃、
一度も買ってきたことがないという
粉ミルクを、会社の近くのペットショップで、
毎度毎度買って帰って来た。
これにはさすがの母も
失笑していた。
「あんたらの粉ミルクなんて、
一度も買ってきたことのない人やのになぁ」
と。
私は週末、たまに実家に帰って、
ユメちゃんに会うのも、
両親に会うのも楽しみだった。
父は、ユメちゃんがやることは
何でも許した。
障子に穴を開けても、
カーテンや壁に登っても、
「おお、すごいな、
さすがユメちゃんや!」
と猫を溺愛していた。
三女が猫の毛アレルギーで、
くしゃみをすると、
「ユメちゃんと合わんのなら、
お前が帰れ!」
と言われたそうである。
ユメちゃんは雑種の
日本猫の女の子だった。
体の色は迷彩色。
こんな不思議な色をした猫が
いるのかと思ったが、
夜目は、きれいなまん丸目玉で、
夜のユメちゃんはべっぴんさんや、
と父は褒めたたえていた。
父と私たちの猫遊びは続いた。
例えば、気ままな猫が
父に寄りつかない時、
父から「ユメちゃんを逮捕しろ」
と命令が下る。
散々暴れる猫を父の元に
連れて行くと、
父は愛おしげに、
猫をひと撫ですると、
「とーさんが、ユメちゃんを
解放してやるな」
と、猫の自由にさせてやる。
「悪もん役は、私らかい!」
と何度も思うのだが、
その父のバカバカしい
正義の味方ごっこが楽しくて、
私たちは何度も猫を逮捕し、
父に引き渡し、
父は自分のおかげだと
いうふうに猫を解放した。
この様子に夫婦仲の
あまりよくなかった母も、
楽しげに笑ったものだ。
そんなある日、私が、
おしゃれして、実家に帰った。
土曜日の神戸デート帰りで、
宝塚に住む彼に大阪より近い実家に
車で送ってもらったのである。
父はすっかり飲んでいて、
ユメちゃんが食器棚の上から遠巻きに
父と一緒にテレビを見ていた。
猫はどうしてあんなに人に
懐かないのであろうと思うと、
今でもおかしい。
玄関まで出てきた母は、
「あれ?」と無遠慮に、
私の顔をのぞきこんだ。
「えらい化粧して。
別人かと思ったわ」
その声につられて、たまたま
実家に戻っていた三女が顔を出した。
「わぁ、初子姉ちゃん、
えらい盛ってんなー」
確かに本命の彼氏との
デートなので、かなり盛っていた。
が、彼が明日、用事があり、
とにかく私を帰そうとしていたので、
大阪まで車で送って、とはなく
言えなかったのだ。
お泊り期待も薄々あり、
着替えまで用意してきた
私の敗北感に満ち満ちた様子を
察したらしく、三女は、
それ以上からんで来なかった。
が、コートを脱いで、
とりあえず炬燵に入ったとき何と、
酔っぱらった父がマジマジと
私の顔を見て笑った。
「お前も、ユメちゃんの真似まで
して大変やなー」
「はぁ?」
私は猫のコスプレをしているわけでも
なかったので、父に反撃した。
「何よ、それ。ちょっとオシャレたら、
全部ユメちゃんの真似とか
言うのやめてくれへん?」
「へ?それ、オシャレか?
ユメちゃんの真似したんとちゃうんか?」
何のことかと思いきや、
猫が食器棚から降りてきて、
私をジッと見た。
私は、「あ・・・」
と思わず、驚いた。
大きく盛った瞳が、
夜のまん丸目玉のユメちゃんと
そっくりだったのである。
「なんで私がこんな猫の
真似せなあかんのよー!」
私が怒ると、父はニッと笑った。
確信犯の笑顔である。
「とーさんにとってはユメちゃんが、
一番のべっぴんさんやからな。
お前もユメちゃんのふりして、
モテようとしてんのやろ」
あまりの胆略的思考が、
私のツボにハマった。
が、笑ってはいけない。
大阪の鉄則。
「なんでこんなまだら模様の猫が、
そんなに可愛いんかな?
猫に色ぼけオヤジやな」
父はうれしそうに、
近づいてきた猫を捕らまえる。
「ユメちゃんは、とーさんの子やからな、
可愛いに決まってるやろ」
私はまるで、
初子はお父さんの娘やから、
可愛いに決まってるやろ、
と言われたような気がして、
恥ずかしくなる。
「幸せな老後やね、
猫が孫状態で」
私の悪態に父は
ムッとした顔をする。
「三人もいて、どいつもこいつも
結婚せん娘より、マシやろ」
長女の私は多少の責任感も感じつつ、
父をおちょくる。
「ええやん、もう、ユメちゃん、
孫やと思えば」
父は酔っぱらった顔で、
大笑いする。
「そやな、しゃあないな」
了