暴露【3】
―長野谷には、二人の娘がいた。長女は葉月、次女は楓。二人は双子であった。
葉月と楓はとても仲が良く、互いにそっくりなことを自慢に思っていた。見分けられない大人たちをからかってよく悪戯をしたが、愛らしいその容姿に皆許してしまうのだった。
いくらそっくりに生まれ、同じように育っても同じところに嫁ぐわけにはいかない。二人はそれぞれ、両親の決めた縁談相手と結婚した。
葉月は「新城」という家、楓は「松葉」に嫁に出た。二人は大きな分かれ道を歩むことになる。
葉月は旦那と折り合いが悪かった。ひとりの娘をもうけたが、夫婦の間の溝は埋まることは無かった。故に娘が生まれて二年後、葉月は夫と離縁し元の長野谷の家に娘を連れて帰って来た。
長野谷は葉月を哀れんだ。しばらくは実家においてやり、やがて葉月のために住む家を用意した。彼女自身の希望でもあった。
葉月が実家に戻ってから間もなくして、楓は一人の男の子を生んだ。それがハクである。ハクは大きくなるに連れて、松葉の主人に生き写しと言われる程、父に似ていった。男児の居ない葉月はハクのことを大層可愛がった。楓が夫に着いて出かけなくてはならないときは、葉月が喜んで面倒を見た。楓は自分の子を大切にしてくれる姉に感謝していた。
ハクも、小さいながらに葉月の家を「自由に出入りしていい家」と認識したらしく、たとえ楓の頼みでなくとも葉月が「遊びにおいで」と言えば、何の疑問もなく遊びに行った。
異変があったのは、ハクが七つの時。いつものように葉月の家に遊びにいったハクが、真っ青な顔をして帰って来た。心配する家人に、ハクは何も言わなかった。ただひとり、始終ハクの世話をする白田にだけ、ハクは口を開いた。
「しろた。おねがい。お母さんとお父さんに何もないか、よく見ておいて。ぼくだけじゃ、じしんがない…。」
白田は突然幼いハクが言い出したことに耳を疑った。青い顔で穏やかではないことを言う、と怪しんだ。しかし理由を聞いてもハクは答えなかった。
「それからこのことはお母さんとお父さんに言わないでね。おねがい、しろた、ぜったい。」
必死なハクを安心させるように、白田はハクの言葉に「分かりました」と頷いた。
それからしばらくしたが、白田の観察では松葉の夫妻に変わったところなどなかった。あの時のハクの言葉は何だったのかと不思議に思った。変わらずハクは叔母の家に行く。きっと何かの拍子に突然心配になっただけだろう、と楽観的に構えていたが。
「…坊ちゃんは、隠していただけだったんです。いや、今も。変わらずあの方は葉月様のお宅へ足を運びますが、坊ちゃんのお顔は厳しくなるばかりです。原因は、葉月様だと思います。でも俺は気が付くのが遅すぎました。あの方は深く心を閉ざしてしまった。何かを動かすには、時が経ちすぎてしまったのです。」
白田は項垂れた。
ハクが家を出ても白田が松葉の屋敷に居るのは、ハクからの「実家と叔母の家をよく見ておいて欲しい」という命令が下ったからである。
「葉月様の家で何か不愉快なことが行われているのは確かなのです。そして、坊ちゃんが奥様旦那様を必死に守っていることも。でもそれを俺に何も言ってくださらない!」
「それでも、ハク様のためを思うなら、どうして何もなさらないのです!」
「奥様!俺は使用人です。俺が何かしたとして状況がもっと悪くなったら?世話になった皆さんに余計な危害が及んだら!?」
叫ぶように訴えた白田を、マツリは悲しい顔で眺めた。
―白田の気持ちも分かる。彼にも、立場はあるし、ハクからの「命令」もある。
(でも、立ち上がって欲しかった、と思うのは勝手かしらね…。)
白田も必死にハクに寄り添って来たのである。ハクと同じように、胸の内に罪悪感を隠しながら。
マツリは白田に向かって「分かりました」と一言告げる。すべきことはやはりひとつ。
「今日、ハク様に直接お聞きします。何かしなくては、事態は変わりませんわ。」
「…奥様がそういう方で、本当に良かった。」
マツリよりもいくつも年上の男性が、涙を堪えるような表情をしている。マツリは何とも言えず、胸が苦しくなった。
「今日、まともにお話ができる状態であればいいですが…」と弱気なことを言う白田に一喝し、苦笑されてマツリは白田と別れた。
どうしてか、マツリは冷静だった。すべきことが定まっているからだろうか。それとも、相手が冷静でないということがはっきりと分かっているからだろうか。互いに激昂しては収拾が着かなくなる。
(あの日、ハク様の帰りを待ち望んでいた時とは雲泥の差ね。)
マツリは中庭の縁側に座り、ハクの帰りを待った。空はすでに暗くなっていた。抵抗する八重とナツを無理矢理休ませ、一人で夜の音に耳を澄ませた。
「おやすみないませ。」
白田の声だった。マツリと別れた後、ハクを迎えに行くと言ったが、あれから相当時間が経っていた。車のドアが閉まる音がした後、革靴が玄関先の石を踏む音が響く。マツリは立ち上がった。
「おかえりなさいませ。」
ハクを出迎えたマツリに、ハクは目を見開いた。
「ただいま帰りました。」と早口で言うと、ハクは足早に部屋に向かおうとする。今マツリと顔を合わせたくない、と思った。
しかしマツリは逃がすまいとハクの後をぴったりと追う。ハクはぎょっとした。
「もう遅いですから。」
暗い声で諫めるハクに対して、マツリは気にする素振りを見せずに「私は気にしません」ときっぱりと告げる。ハクは何とかしてマツリを遠ざけようとしたが、頑としてマツリは譲らず、ハクの部屋の中まで押し入った。
やった、と思ったのは束の間、マツリは後ろから捕らえられ、体の自由を奪われた。
「ハク様…!?」
衝動的にハクはマツリを抱きしめていた。
「今僕は冷静ではありません。どちらかというと気が立っています。」
声色、息遣いから彼が自分で言うように冷静ではないのは明らかだった。
(自分で冷静でないと分かっているくらいには冷静なのだわ。)
マツリは突然抱きしめられて驚きはしたものの、状況を落ち着いて考えることができた。荒い息をするハクの腕をポンポンと撫でるように叩く。マツリのあやすような仕草に、ハクは混乱した。
「このままで結構です。というか、このままの方がいいのかも。ハク様、聞いてください。私今日白田さんから気になるお話を伺いました。」
「白田と…?」
「ええ、白状します。二人でお話しました。」
マツリを捉える腕に力が込められた。ハクの動揺がマツリに伝わったが、マツリは至って静かに淡々と説明を続ける。
「あなたのことが知りたくて。こっそりお聞きしました。」
「え…。」
途端に、ハクの腕が緩んだ。マツリはハクの隙を突き、くるりと身を捩らせ、ハクと向き合う。自然と二人の視線がぶつかった。
(逃がしてはいけない。)
(-…逃げては、いけない。)
泣き出しそうな顔をしているハクを、今度はマツリが抱きしめた。背中を優しく叩いてやると、ハクは張り詰めていた息をゆっくりと吐きだした。
恐る恐る、マツリの体にも再び腕が回される。
結婚してから、二人が体を寄せ合ったのは初めての事だった。
しばらく無言で抱き合い、静寂が部屋に訪れる。
静けさを破ったのはハクの方だった。
「こうしていると、すごく安心する。貴女と話していると、自分の狭い価値観が、どんどん広がっていく気がして。僕の考え方が「全て」ではないと教えてもらっているようで、すごくホッとする。」
囁くように話すハクに、落ち着きが戻ってきたことを察したマツリは、努めて自然にハクに問いかけた。
「叔母様の家で何があるのです。」
マツリは弱冠腕に力を込めた。伝わって欲しい、と思った。自分の想いも、白田の想いも。ハクは応えるように、マツリを抱き返した。
「…幼い頃から、僕は叔母に可愛がられていました。」
ぽつりぽつりと、温度の無い空っぽな調子でハクはゆっくりと話し始めた。
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