崖の上の異変
何日かして、水がなくなりラキが得意な鼻で臭いを辿っていた時だった。(やはり仔犬)
信頼していたばかりに、ラキが峠の先まで進んでしまい、「まずい!」と思った時には崖から転落……。
ボヨン。コロン。
ラキは、何もない空間に跳ね返されて、転がって戻ってきた。
「大丈夫か?」
打った口を引っ張って確認している。
「ラキ……引っ張れば更に血が出るぞ」
「ううっ、ううっ」
お尻も打ったのか、ジッとして耐えている。
「来い」
抱き起こして土を払ってやれば、唇から血を出したまま体を硬くしていた。
「痛いか?」
「……」
サッと拭いてやれば、もう血は止まっていた。
ショックから動かないラキに、昔母がしてくれたように背中をソッとさすってやる。
やっと、こっちを向いたラキの頭を撫でてやり、それから腰に掴まらせておくことにした。
『この峠の先に見えない壁があるのか?』
携帯していた光学フィルターを張ったレンズで覗く。
すると、何もない筈の空間に歪んだ光りが見えてきた。
『何かあるな』
持っていたレンズを覗こうとするラキを手で制していたら、いきなり空間が左右に割れて、驚いている間にラキが突進してしまっていた。
「待て! ラキ!」
振り返りもしない。
こうなったら、追いかけるしかなくて、「どうぞ」と言わんばかりの中に入るしかなかった。
「ラキー~!」
外の強い光りから目が慣れれば、中は普通の通路だった。
一応警戒しながら運ばれると(動く道)、差し掛かった壁がスッと開いた。
「ラキ?」
「綺麗だろう?」
「チイチイ」
繊維石膏で出来た一面のフロアーには、美しい花々が咲き乱れた庭園が映し出されている。
ラキは、上皇人と言われる特徴を持つ、恐ろしい程煌めく人物の隣りに座っている。
「ライウー」
こちらに気付いて、管のついたチューブを手に駆けてきて差し出すのだ。
「んー、んー」
「ラキが先に飲めよ」
管を口許に近づけてやれば、素直にチューチュー吸っていた。
少し飲んでから渡してくれる優しいラキ。
私も、ちょっと飲んで返してやる。
「美しい少年だ」
上皇人と思われる人物が発言をした。
こんなところで迄するのかと、嫌な気持ちになりながら、胸に手を当て中腰を保つ。
「やはり、上階の者か」
「はい」
「ふーん、こちらで何をしている?」
藍昌石で設えた高級なカーゴチェアに体を預けての質問だ。
「それが……落ちて頭を打ってしまい理由を思い出せないままなので、申し上げる事が出来ません」
ラキは、中腰のまま控えている私を下から直接見上げてくる。
小さな鼻が鼻に当たる。
「フッ」
『まずいぞ、つい笑ってしまった。不敬で処罰されるかもしれない』
緊張が走る。
「美しい少年のしたこと。よい。気にするな」
「ホッ。ありがとうございます」
不意に背にしていた入口が開いて、誰かが入って来てしまった。
「あー! ライウー! あっち、あっち」
ラキが必死で叫ぶこの様子は、魔物が出た時の反応だ。
こっそり後ろを覗けば、真っ黒なあの山の主が……!
「遅いよマーちゃん」
「マーちゃん?」
「ンガー」
驚くべき事に、あの上皇人は、入って来た魔物の恐ろしい熊とハグをしていて……。
ラキは、魔物が恐いから私の足に掴まって隠れている。
「一人にしたら嫌だって言ったでしょう?」
上皇人は、魔物の熊にデレデレのように見える。
「ンガ、ンガー」
「あぁ、さっき、ここに気付かれちゃって、下手に壊されても困るから招待しちゃったの。うん、浮気じゃないよぉん」
「グー、グフフ」
『いったいどんな関係なんだ?』
「えっ、また採ってきてくれたの。嬉しい。じゃあ、待っているから、作ってくれたら手ずから食べさせてあ・げ・る」
「クマクマー」
『クマクマって……喋ってるじゃないか!』
魔物の熊が入口に消えれば、上皇人はまた元に戻ってしまったようだ。
「嬉しいので、お前達を特別に客として迎えてやろう」
「ありがたき幸せでございます」
「うむ」
本心では辞退したいが、長年刷り込まれた上下関係は、そう簡単には抜け出せない。
ましてこれは、時空を越えるスペースシップだと思われる。
叶わない事はないと謳われた技術の粋を集めた乗り物だ。
私なんかが、独り抵抗してもすぐに処分されて終わりだよ。
「ラキと言うのか? 美しい少年よ」
「ラキー、そっち、そっち?」
「我か?」
あぁ、心臓がバクバクする。
不敬でいつ処分されるかわかったものじゃない。
「チイ」
「我は、そうだな……Kと呼べ」
「ケエー?」
うわっ、上手く発音出来ていない。
「愛らしい者だ」
フゥ、怒られなかったか。
ラキは、私以外の優しい人に会えて嬉しいんだろう、自分の頭を上皇人にぐりぐり押し付けていた。
こっちはさっきから胃がチクチクするぞ。
上皇人は、ペットだと思ってラキに接してくれているんだろう、もう気にするのは止めよう。
それから、不思議な者達での食事会のご相伴をした後、町まで送ってくれると言われたのだ。
さっき話したラキの生い立ちに憐れみを感じたのか、この世界の取説を万能スーツにインプットしてくれるサービスぶりだ。
これで、魔物や食べられる物がわかって助かるな。
更に、ラキにも万能スーツをプレゼントしてくれてビックリだ。
温度調節から治癒に至るまで、全てオート管理してくれるので便利なスーツなのさ。
さすが、上皇人。不可能はないな。
ただ、この世界が滅びる事を知って、興味本意で遊びに来たのはいただけない。
まったく、雲の上の支配者ときたら……。
それで、私達を町に送ったら、また他所に遊びに行くと言っていた。