ことほぎ
そこは、遠い先祖から続く呪い場であり、我々一族の危急の時には避難場所ともされる、日の射さない岩窟の奥の奥に隠された秘境のようなところだった。
永い年月の間に、すっかり水に浸食された岩の隙間から、ヒューヒューと荒れ狂う風が音を立てている。
そして、荒れ果てて乾いた砂がそこら中に紛れ込み、踏み入れた者達の足にジャリリと嫌な音をさせるのだ。
岩窟内は、細かい網目の影が日の光りの動きと共に蠢くせいで、入った者の心にざわざわぞわぞわとするなんとも居心地の悪い気持ちを起こさせた。
複雑な迷路のような岩窟のその奥の奥に進むと……。
目の錯覚が起こしているのか、白い色だけがボーッと蒼白く浮かんで見え、どうやらそれは椅子の周りに飾られた何かで、目を凝らせば大きな顔の様なものが座っているのがわかるのだ。
大きな顔は左右に揺れていて、それが強い風のせいかは定かではなかった。
周りの蒼白さとは対象的に、その大きな顔は紅く幾重にも波のような線が刻まれている。
「ガルアの大婆様。ラータの娘のライカとその夫のバズでございます。ご無沙汰しておりましたが、覚えておいででしょうか? 今日は、息子のライルの洗礼の為に、ことほぎ(スギ)を頂きに参りました」
家族全員が、先祖から受け継いだ鮮やかな衣装を纏い、椅子の前で礼を取る。
すると、椅子の中央にある大きな顔の髪だと思われていたモノが、二匹の羊雲に変化し、その重たそうな波を割れた蹄でかき分ければ、そこから金色の強烈な光りが放たれたのだ。
「ヒヒッ、ラータのお転婆娘ライカだね。よう来たな」
高くしゃがれた声がした。
「ライル、大婆様の前に出なさい」
父にしがみついて震えていた子供が、大きな顔の前に無理矢理立たされたのだ。
「イーヒッヒッ。ライカに似た器量良しじゃのう。婆が恐いんじゃな。ヒッヒッ」
今にも泣き叫びそうな子供には、得体の知れない大きな顔から、ニューと伸ばされた長い長い爪が、影を帯びたまるでナイフのように見えて、一瞬気を失ってしまいそうになったのだ。
「ドゥブリザムンド、ナブルヘブル、ドドゥク」
大婆様と呼ばれた大きな顔の主が、低く地に轟くような声で呪いを唱えれば、おどろおどろしいナイフに子供の身体が貫かれたようにピクリと跳ねる。
身体を丸めた子供からは紫の煙りが滲み出て、偶然なのか風の止んだ岩窟内の天井にそれは、集まり出して、モヤモヤと文字のような形を取っていった。
『ウヒヒ。なんて面白いんじゃ。婆も、まだまだお前達の手を煩わすかも知れないねぇ。イーヒッヒッヒッ』
不思議な事に婆が放つ金色の光りに当たった煙りは、蒸発するようにかき消えて闇と同化してしまった。
両親がふらつく子供の身体を支えると、大婆様からの厳かなことほぎ(スギ)が与えられたのだ。
「受け取るがよい。ライカの息子ライルよ。汝、動くことなかれ。動かばそれは、汝の運命が動く刻であろう」
「「?」」
「大婆様。動くとは行動すると言う意味でしょうか?」
自分達の時とは違う、予言のようなことほぎ(スギ)に、とうとう耐えられずにライカは尋ねてしまったのだ。
大婆様は、またかん高い声で話しをする。
「ヒッヒッ、相当珍しく面白いから教えてやろうじゃないか。婆は、ここにいつも居るが、魔熊にでも体当たりされてしまえばどうなると思うかね?」
「お怪我をされてしまいます。まさかここに、魔熊が現れているのですか?」
ライカとバズが心配を露にした。
「ヒーッヒ、婆を案じてくれるとは可愛い子達じゃな」
「「大婆様!」」
真面目な夫婦が抗議する。
「イーヒッヒッ、おー怖い怖い。大地の子らよ良くお考え。その時この可愛い坊やはどうするのか、ヒッヒッヒッ、先が楽しみじゃな」
機嫌の良さそうな大婆様に、これ以上尋ねるのは失礼かと思い、両親はボンヤリしている我が子を伴い感謝を述べた。
「ことほぎ(スギ)をありがとうございました大婆様」
この荒地の集落での『ことほぎ』の儀式とは、個々への未来の贈り物である。
それ以上尋ねたところで、対象者ではない限り到底理解出来るものではないのだ。
従って、帰ってから子供自身に忘れないように大婆様からのことほぎ(スギ)を繰り返し伝えていくしかないのであった。