表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

七章 五年の間

おーい、フロイン、起きてるか?

……ええ、早い目覚めね。リティル

おまえもな。インジュと話せるか?

たぶん

インジュに、ユグラと来てくれって、伝えてくれねーか?

ええ。何をするの?

ハハ、ちょっとな


 インジュは風の城の応接間で、微睡んでいた。大きな窓から差し込む、日の光が暖かくて、書類の整理をしているノインの正面で、思わず眠ってしまっていた。ノインはそんなインジュの様子に和んだ笑みを浮かべると、ブランケットを掛けてやろうと、ソファーを立った。

「――はい……フロイン……」

インジュの寝言を聞いて、ノインの手が不自然に止まった。

フロイン?ノインは、ずっと隣にいた、笑顔以外の感情をあまり表さない妻の姿を、鮮明に思い出していた。リティルを助ける為に手放したが、何をするでもなく、ただ寄り添ってくれる彼女の不在は、思いの外寂しかった。中身は獰猛なオウギワシだとしても、彼女の存在に救われていたのだと、痛感していた。

肉体より思念体に近い彼女は、ノインに触れることで霊力を与えてくれていた。故に、霊力の交換をしなくてもよかった。

一方的だが、それでいいのか?とフロインに聞いたことがあったが、彼女は、交わっても、あなたの力はもらえないからと言った。興奮したらオウギワシに戻ってしまうから、不可能だとも言われた。

「ええ?今から――ううん、わかりまし、た――……」

リティルが大地の礎を使って一年。まだ、二人の意識が目覚めるには早い。早いと思ったが、この会話のような寝言に、ノインはインジュの肩を、逸る心を抑えきれずに、強く掴んでいた。

 リティルと共に、大地の礎になってやってくれと、フロインに頼んだのはノインだった。彼女は特に何も感情を表さずに、わかったわと言った。騎士であるノインも、最優先はリティルだった。リティルの守護鳥であるフロインも、一番はリティルだ。それでいいと思っていた。

水晶球で話してそして別れた彼女は、急に戻ってきて、その勢いのまま抱きついてきた。

――ノイン……!あなたを、想っているわ!

驚いた。本当に驚いた。そんなフロインを、強く抱きしめてしまった自分にも驚いた。

 あの別れから一年だ。底なしの優しさですべてを慈しむリティルと、霊力の泉を持つ、守護鳥のフロインという二人の精霊が関わっているといっても、早すぎる。早すぎるがと、ノインは気が急いた。

「うわあ!え?ノイン……?」

掴まれたインジュは、驚いて覚醒していた。寝起きのインジュは、なぜノインに詰め寄られているのかわからなかった。何か、彼を怒らせるようなことを、してしまったのだろうか。はっ!そういえば、仕事の途中だった!インジュが慌てて謝ろうとしたとき、ノインが感情を抑えた声で言った。

「インジュ、フロインが目覚めたのか?」

「フロイン?……あ、はい!今、フロインからコンタクトされました。あのそれで――」

インジュは、こんなにソワソワしたノインは初めて見たなと思いながら、フロインとの会話の内容を話した。頷いたノインはすぐさま立ち上がって、はたと何かに気がついてインジュを見下ろした。

「インファが戻らなければ、オレは行けない」

「あ、そうですね。ボクだけで行ってきます」

今城には、ノインとインジュしかいなかった。二人が動いてしまっては、城は空っぽになってしまう。城の決まりで、来客や急な仕事の依頼などの為に、誰かが留守番をすることになっていた。

「待て!今インファを呼び戻す」

えええ?ノインの言葉に、インジュは驚いた。あの冷静で私情を挟まない大人なノインが、相手の状況も考えずに、メッセンジャーのツバメを飛ばす姿を、信じられない瞳で見つめていた。しばらくすると、応接間の何もない空間に、一文字の亀裂が走り、ゲートが開いた。亀裂の向こうから、インファが姿を現した。

「ノイン、インジュ、すぐに青い焔にむかってください」

「お、お父さん、仕事はいいんです?」

「ルディルに任せてきました」

「あ、そうですか」

なら、問題ないかと、インジュはホッとした。そんなボンヤリしているインジュの腕を、ノインはムンズと掴むと、引きずるようにして玄関へ向かおうとする。

あ、ちょっ!ユグラ!ユグラも連れていかないと!と、インジュが焦っていた。

「ノイン!」

インファが、机の上に置かれた宝石箱の中から、白い光の花の踊る、玉が一つ付いたブレスレットを、ノインに投げた。このブレスレットの玉には、青い焔直通のゲートが仕込まれている。シェラが二人が目覚めたら、行き来が楽なようにと作ってくれていたのだ。

「すまない」

「いいえ。ゆっくりしてきてください」

インファは首を横に振ると、ニッコリと微笑んだ。二人を送り出し、インファはハアとため息をつくと、ソファーにドサッと腰を下ろした。そしてはたと、残してきたルディルは大丈夫だろうか?と思った。

現場に赴いてみると、情報以上に魔物の数が多かった。こっちにレイシだったなと、采配ミスしたことを悟っていた矢先だった。ノインからツバメで、リティルが目覚めたことを知らされ、彼には珍しく、城に戻ってほしいと言われた。一緒にメッセージを聞いたルディルは、戻れと言ってくれたが、彼一人では大変だろう。

 インファは水晶球を手に取ると、レイシの姿を思い浮かべた。

『兄貴、何?』

「お疲れ様です。レイシ、手は空いていますか?」

『えっと……うん、今終わったとこ』

「ルディルの加勢に行ってくれませんか?」

『え?うん、了解。セリアが一緒だけどいい?』

「はい。すみませんが、お願いします」

『……兄貴、何かあったの?』

「帰還したら、話しますから、今は仕事に集中してください。場所は――」

『了解』

レイシは本当に優しいなと思う。違和感をすぐに感じ取って、インファが何か、窮地に立たされていないかと、それを案じてくれたのだ。

 二人の意識が目覚めたことを知ったら、レイシはどんな反応をするのだろうかと、インファは小さく笑った。だが、すぐには会わせてやれない。せめて、リティルが触れられるまで回復しなければ、会わせられない。レイシに会って話を聞いたら、リティルはきっと娘婿を殴りたくなるだろうからだ。

インファは窓の外、高い青空を見上げた。

――おはようございます、父さん。……父さん、オレも、早く会いに行きたいですよ

インファは眩しそうに目を細めると、フッと優しく微笑んだ。


 大地の礎を使ってから、二年の月日が流れていた。

「まだ透けてるんだな?」

リティルを約束通り見舞いに、ザリドが訪れていた。幽霊のように朧気だが、意識体を保てるまでに回復していた。

『ハハ、早いほうだぜ?』

「風の女神のおかげか?」

インリーは頻繁に来て、抜けない剣に触れて、リティルに力を送ってくれていた。剣に縋って倒れそうになりながら、自分が送れる最大限の力を与えている姿に、ザリドは心を打たれ続けていた。ザリドにとって、インリーは紛れもなく女神だった。

『あいつのことそう呼ぶと、みんな微妙な顔するだろ?』

雪山行軍をものともしないザリドは、大丈夫なのかと心配になる頻度で、リティルのところに来ていた。それは、なかなか来られないアルディオの為でもあるようにも思われた。

「そうだが、なぜだ?インリーは凄い魔女だろう?」

ザリドは、風の城の精霊達と、一番顔を合わせている。脳みそまで筋肉だという自覚はあるが、なぜか、知的でどことなく王の風格のあるノインと馬が合い、顔を合わせると、時間を忘れて話し込んでしまう。

『ああ、レイシ限定で、すげー魔女だよ』

「そんなことはないと思うが、未だにインリーは獣人のアイドルだ」

インリーはリティルの所に来ると、始まりの泉に寄って、風の奏でる歌を歌ってから帰っていく。この仕事で、インリーも少し変わった。彼女の持つ力に、変化があったが、ここに留め置かれているリティルには、何があったのか知るよしもない。インリーは相変わらずで、だが、リティルが眠る前は確かにあったレイシとの夫婦の証が、その首からなくなっていた。どうしたのかと聞いてはみたが、インリーは困ったように笑うだけだった。

『アイドルにお触り厳禁だぜ?』

「いっそ触られたと噂を流せば、レイシ、来るんじゃないのか?」

ザリドは、インリーに触ったら殺す!と伝言を受け取ったことを、懐かしく思い出した。

『どうだかな?あいつはオレのこういう行動、大っ嫌いだからな』

「許せる、城の者達の気がしれん。レイシは正しいと思うぞ?五年ならばと思っていたが、ワシらの感覚では、おまえの今の状態、死んでいると呼ぶと思うからな」

リティルが目覚めたと知らせを受け、インジュに連れられて会いに来てみれば、そこには靄か?としか思えない姿の彼がいた。それを目の当たりにして、ランティスはその場に頽れた。こんな状態から、本当に元の姿に戻れるのか?と大丈夫だと言われても、信じがたかった。

『ハハ、精霊だからな、精神に異常がねーなら、オレはオレだよ。ちょっと、肉体を保てなくなってるだけだぜ?』

今、リティルだとわかる姿にまで形を保てるようになっていて、やっとザリドは大丈夫なんだと安心していた。

「カルシエーナが、おまえは一つ所に留め置かれると、発狂すると言っていた」

大丈夫なのか?と、ザリドは様子を窺ってきた。

『はあ?ああ、それでおまえ、こんな頻繁にきてくれるのかよ?』

「これでも、責任は感じている。この山は険しすぎて、アルディオは精霊の助けでもないかぎり来られない。ランティスは、国をまとめるのに忙しいからな」

『あいつが王様かー。務まってるか?』

三王は話し合い、半獣人種のランティスを頂点の王として、各種族、各部族から長を選出してその下を支える形態を敷いた。ずっと戦争をしていた大陸だ。すぐに治まるものではなく、皆、争いをなくす為奔走していた。

「ワシらがいる」

『頼もしいなー。あと三年でオレ達引き上げるからな、その後も頑張ってくれよ?』

「任せろ。おまえ達のその命、無駄にはせん」

ザリドの言葉に、リティルは笑って頷いた。

 その二人の背中で、扉が開いた。

「ザリド、来ていたんですか?」

入ってきたのは、セリアを伴ったインファだった。

「インファ!今日は妃も一緒か」

「こんにちは、ザリド。リティル様の話し相手に、なってくれていたの?」

「まあな。インジュは、どうしている?」

インジュが二人の息子であることは、割とすぐに知った。見目麗しい二人を見たとき、ああ、インジュは確かに二人の息子なのだと思った。そして、彼は、儚げだが凜とした瞳の強さを持つ、母親のセリアによく似ているとそう思った。

「息子は、城で惰眠をむさぼっていますよ」

「そうか、そうか!それは安心した。レイシを一度も見ないが、来る気はないのか?アルディオが気にしている」

インファの言葉に、ザリドは遠慮なく笑った。一ヶ月前位に、たまたまインジュに会ったが、最近忙しいと愚っていた。城では緩い立場だから、レイシ以外には愚痴れないとも言っていた。そんな楽したいインジュが微睡んでいるなら、いいとザリドは心から思った。

「それなんだけど……リティル様、レイシは来させられないの」

セリアは、困ったようにリティルに向き直った。

『へ?あいつ、何かやらかしたのかよ?』

それは……とセリアは言い淀んで俯いてしまった。そんな妃の代わりに、インファが尋ねた。

「インリーから何か聞いていますか?」

『いいや?なんだよ?インリーのチョーカーの件と、関係あるのかよ?』

「チョーカー?ああ、そう言えば、していなかったな。なんだ?レイシ、離縁したのか?」

ザリドは遠慮のない言葉を、遠慮なく投げかけた。

『はあ?そんなことになったら、インリー大暴走だぜ?大暴走したのか?レイシ、生きてるか?』

インファは、セリアに真顔で尋ねた。

「あれは、離縁したことになるんでしょうか?」

真顔で冗談を言う、ちょっと珍しい夫に、セリアは大げさにツッコミを入れた。

「ならないわよ!セーフよ!でもインリー、リティル様にちゃんと隠してるのね」

「あのインリーにも、恥じらいというものがあって、何よりです」

あの恰好だものねとセリアが苦笑すると、あの恰好ですからねと、妻と視線を交えてインファも笑った。

『おーい!二人で話するなよ!なんだよ?教えろよ!気になるだろ?』

「父さん、インリー、服装変わりましたよね?」

急にインファが、リティルに視線を戻した。

『はあ?えっと?ああ、露出が減ったな。あのドレス、おまえが作ってやったのか?』

踊り子であるインリーは、隠すところしか隠していないような服装をしていた。だが、目覚めて久しぶりに会った彼女は、右肩だけ袖のある、際どいスリットの入ったドレス姿だった。大人っぽくなったその姿に、その服装どうしたのかと尋ねたが、インリーはただ困ったように笑うだけだった。

「城では、前とほとんど変わらない、恰好なんですけどね」

つまり、腹を出していると?意味深なインファの様子に、リティルはソワソワと苛立った。

『なんだよ?』

リティルは先を促すが、インファはそれを、のらりくらりと先延ばしにした。

「そうですね……レイシが来られるとしたら、一年後くらいですかね。一年経てば、父さんももう少し実体に近づいているでしょうし」

触れるようになっていますよねと、インファは言った。

『おい、インファ!』

「レイシから聞いてください。父さん、皆、あなたの背中を押したくて、押したわけではないんですよ?これくらいの嫌がらせさせてもらいます」

ピシャリと、インファはついに教えません!と宣言した。リティルは縋るように、セリアを見たが、セリアは困ったように笑うだけだった。

「厳しいな」

傍観していたザリドが苦笑いを浮かべた。

「この人は、自分のこととなると軽々しいんです。ルディルがかなり気にしていましたよ?あの人は、父さんの四人目の父親なんですから、あまり気苦労かけてはいけません」

リティルが大地の礎を使ったと聞いて、ルディルはもの凄く大きなため息を付いた。そして、リティルが戻ってくるまで、オレが代理の風をやるとまで言ってくれた。ルディルは初代風の王だ。風を知り尽くしている。リティルよりもやり方は荒っぽいが、そんな彼が風の城にいてくれて、気分的にもインファは助かっていた。インファはやはり、ナンバー2気質なのだ。

『うわっ!ルディルは親父じゃねーよ!ちょっと過保護な友達だよ!怖えーこと言うなよな!』

知っている。ルディルは本当に、過保護な風の王の友人だ。彼からはいつだって、リティルと対等でいたいという思いが、感じられるからだ。彼にあるのは、肉親の情ではなく友情だ。

「友人にしては構い過ぎです。今度ルディルに、どういうつもりなのか聞いてみます」

『やめろ!あいつ、絶対乗っかってくるぜ?それで、面白がってオレのこと息子だって、言いふらすぜ?また妙な噂立って、ユグラ達に生暖かい目で見られるの嫌だぜ?』

二人のやりとりを端で見ていたセリアは、インファが思いの外怒っていることを知った。どうにもならなかったとはいえ、やはり軽々しい選択だったと、セリアも思っていた。王として、家族の誰かを犠牲にする選択をするべきだったと、今でも思う。城で、シェラがどれだけ気落ちしているのか、リティルは知っているのだろうか。

風の王妃の座を一時的に失ったシェラは、風の王の護りも失ってしまった。魔物にとって美味しそうな匂いのするシェラは、一年ほど経った辺りから執拗に狙われてしまい、今現在外出もままならない状態になっている。故に、ここへも最初の数回だけで、今はもう来ることができない。今、ルディルとインファ達が対策を考えていた。

「リティル様、帰ってきたらお城がどうなっているのか、楽しみにしていてね」

え?リティルは不穏なモノを感じて、身震いした。そして、そんなにみんな怒ってるのか?と今更つぶやいていた。そんなリティルに、インファはすかさず、当たり前だと苦笑していた。

「こっちも厳しいな」

ニッコリ笑う雷帝妃に、ザリドは再び苦笑した。

それから、リティルは、シェラはどうしてる?と王妃のことを熱心に聞いていた。

 それを尻目に、ザリドは、レイシは何をやっているのだろうかと、気になった。

この大陸のために、レイシも身を削ってくれた。感謝したいのに彼は一向に来ない。アルディオも会いたがっているのに、冷たいじゃないかとそう思った。

会話を終えて、ではと、リティルに背を向けた雷帝夫妻を、ザリドは追った。

そして、扉を出たところで、思い切って尋ねてみた。アルディオは、レイシの身を心配しているが、変に気を使って、精霊達に安否を尋ねられないでいた。ザリド達も、今まで、何となく聞けずにいた。もし、無事でなかったら、それを聞いてしまったら、アルディオになんて言えばいいのか……と偽る自信のないザリドなどは、思ってしまっていたのだ。

「レイシは無事なのか?力を使いすぎて、療養中とかそういうんじゃないのか?」

「弟はピンピンしていますよ?ままごと夫婦に進展があったので、父に報告させたいんですが、今はまだ会わせられません」

今はリティルに、ほとんど実体がないからと、インファはニッコリと微笑んだ。

インファに会う前は、カルシエーナ達を操りリティル達を翻弄して、どんな恐ろしい精霊なのかと思っていた。だが、会ってみると、インジュの父親だとわかる、彼よりも断然男らしいが、美しい精霊だった。彼は、精霊が原因で命を落とした魂を、茶番だからという理由で生き返らせた。そういえば、ケルディアスに狩られた者達の骸がなかったなと思った。そして、内緒ですよ?とインファは、崩壊に巻き込まれ犠牲になった魂を、この大地に放ち、新たにこの大陸に生まれるようにした。

「インジュは一週間後です。会いたいのなら、心に留めておいてください」

それではと、インファはザリドに一礼すると、鏡を使ってイシュラースへ帰っていった。

インジュは一週間後。あいつが来たら、ランティスが気にしている、ソラビト族のこと聞いてやるかと、ザリドは思いながら宮殿を後にした。


 青い焔から、ルディルの住まう太陽の城へ居を移されたソラビト族は、緩やかに絶滅に向かって進んでいた。

青い焔から引き上げてすぐ、インジュはリャンシャンのもとを訪れた。

彼女は変わらず無表情で、けれどもインジュの姿を見つけると駆け寄ってきて、リティルのくれた、大切な髪留めを返してくれた。

リャンシャンに持っていてほしいと願ったが、彼女は首を横に振って、頑なに受け取ってくれなかった。

その理由を、今ならわかる。

彼女は、自分の命が残り少ないことを知っていたのだ。

 ソラビト族が太陽の城に来て、三年だった。ソラビト族すべてが、死に絶えるまで。

彼等は死に場所を求めていた。そして、たどり着いたのだ。この暖かい太陽の城を、最後の場所と定めたのだった。太陽の城へついて、最初のソラビト族がその生涯を閉じたのは、一ヶ月が過ぎた辺りだった。それから、順番に、彼等は眠っていった。

そして、今日、最後の一人がその命を閉じる。

「リャンシャン……」

ベッドに寝かされたリャンシャンは、今にも眠ってしまいそうな瞳で、インジュを見上げていた。少しも老いていないのに、彼女の命の火が今にも消えそうなことが、インジュにはわかった。

「インジュ――様」

「様は、いらないです」

泣き出したインジュに、リャンシャンは手を伸ばした。力のない細い手を、インジュは強く握った。

 ソラビト族の皆が、リャンシャンに生きてと言ってくれた。けれども、ここで生きながらえたのでは、穏やかな終わりを用意してくれた風の王を、裏切ることになると思った。

けれども、頻繁に会いに来てくれて、仲間達に信用され、皆を一人残らず看取ってくれるインジュが気になって、リャンシャンはなかなか命を閉じられなかった。

精霊の世界に来て、ソラビト族は、命を閉じることが、簡単であることに気がついた。なぜなら、風に、この命をもらってくださいと、祈るだけだったのだから。

何人目か、希望を持っていいよと言ってくれた人。

インジュは、その何人かの人とも違っていた。インジュは話をたくさんしてくれて、たくさん笑顔をくれて、歌ってくれて……そして、リャンシャンを抱こうとはしなかった。

他の者達は「好きだよ」と言って、当たり前のように奪っていった。けれども、インジュは触れてくるのに、奪いに来なかった。

リャンシャンは、わたしを抱いても、恐れていることにはならないと、そう言ってみたことがあった。だが、インジュは首を横に振った。

――やり方わからないですし、リャンシャンはそういうこと、嫌いですよね?

インジュはそう言って笑った。

この人は、わたしに優しくしてくれるけれども、わたしを好きではないんだなと、リャンシャンは思った。好きだよと囁いて、奪うことが、愛なんだと思っていたから。

わたしは――インジュ様が好き……。でも、インジュ様の心に、わたしはいない……。

この体しか持っていないリャンシャンには、求めないインジュに、どう奉仕していいのか、わからなかった。

――リャンシャンも、逝っちゃうんですよね?望んじゃいけないのに、ボクは……

リャンシャン以外のソラビト族が、全員逝ってしまったとき、インジュはそう呟いて、抱きしめてきた。

「ボクは……」その先の言葉が何なのか、リャンシャンにはわからなかった。

――まだ、生きてる

そう言うと、インジュはホッとしたように笑った。それから、インジュは、帰る間際、必ず抱きしめるようになった。そうされるとリャンシャンは、風に祈れなくなって、ズルズルと一年以上が過ぎてしまった。

あなたの笑顔が、わたしを傷つける。向けられるべきではないと、わかっているから。

また明日逢いたいと思ってしまうのは、わたしなんだ。

今が続けばいいと、祈っているのはわたしなんだ。

インジュ様では、ないんだ。わたしなんだ。

インジュ様……わたしはあなたに、愛されたかった……。

踏みにじられすぎて、リャンシャンにはインジュの想いも、愛なんだということがわからなかった。

インジュも、同じ気持ちなんだよ?それが、わからなかった。

教えてくれる人が、いなかった。

リャンシャンは、風に祈った。この命をもらってください。と――

 インジュには、命の終わりがわかってしまうらしい。永遠の眠りに落ちるその時、彼は来た。そして、泣いてくれた。この手を、とって。

インジュ様……あなたの心には、誰がいるの?それはわたしじゃない。だから、そんなに泣かなくていいよ?あなたの優しさをもらうのは、わたしじゃない

リャンシャンは、穏やかな心で、歌を歌った。わたしを看取らないで。リャンシャンは、そう思ってしまった。

――心に 風を 魂に 歌を 祈ろう 祈ろう 続いていける 

――歌おう 歌おう 風の奏でる歌

――続いていけるよ 君が望むなら

――たとえ 世界が 否定しても 続いていけるよ

――心に 風を 魂に 歌を すべて 振るわせて 歌おう

――終わらせないで 諦めないで 打ち鳴らして

――続いていこう 歌声で 世界を 満たし続ける

――たった一つ 揺るがない わたしの願い――……

リャンシャンの歌声に、何か懐かしい気配が背後に現れたのを感じた。

「あなたの、心には、わたしはいない」

「リャンシャン!そんなこと、ないです!ボクはリャンシャンが――」

リャンシャンの瞳に、僅かに微笑みが浮かんだ。インジュが初めて見る、最初で最後の彼女の微笑みだった。そして、その視線がインジュの背後に向けられた。インジュは、彼女の視線を追って、振り返ってしまった。

「スフィア……」

透き通った姿の、初恋の人。もうとっくに逝ってしまった、ウルフ族の女性が立っていた。インジュの知っている、勝ち気で明るい笑みを浮かべて。

リャンシャンの能力を知っていたはずなのに、スフィアの幻を目の当たりにして、インジュは瞳を逸らすことができなかった。インジュの緩んだ手から、リャンシャンの手がすり抜けるのを感じて、インジュは慌てて視線を戻した。だが、もう、リャンシャンは瞳を閉じてしまっていた。術者の死と共に、スフィアの幻も消え去った。

「リャンシャン……そんなこと――ないです。ボク……ちゃんと、あなたのこと、好きでしたよ……?」

インジュは離れてしまった華奢な手を、もう一度両手でしっかり握り直す。そして、最初で最後の口づけをした。その口づけが、遅かったことに気がつかないまま、インジュは涙が涸れるまで泣いた。

インジュの閉じた瞳には、どこまでも澄んだ大空を楽しそうに飛ぶ、リャンシャンの姿、その笑顔が見えていた。

「どうか、安らかに……来世は、心から、笑ってください……!ボクは、それだけを、祈ります。リャンシャン……」

そしてインジュは、風の奏でる歌を、声がかれるまで歌い続けた。

曇りガラスの大きな窓から、淡く日の光が優しく差し込んでいた。


 レイシは、やっと、青い焔に来ることができた。

というのは、なぜかインファに止められていたからだ。リティルが目覚めたと聞いたときから、会いに行こうとしていたのに、行ってはいけないと止められた。インリーは問題なく行けるのに、なぜオレはダメなのか理由を聞いても、誰も教えてくれなかった。

それだけ、リティルの状態が悪かったと、そういうことだろうか。見せられないような状態って、どんな状態?とレイシは想像すると恐ろしくて、それ以上聞くことをやめた。北の宮殿に行ってきた家族から、その都度話は聞いていて、インファが許してくれることを心待ちにしていた。

「父さん!」

レイシは、逸る気持ちを抑えながら、父のいる部屋の扉を開いた。

『レイシ!やっと、来てくれたな』

そう言って、リティルは笑っていた。抜けない剣の前に、僅かに透けた姿の、風の王がそこにいた。

ああ、父さんだ!と、レイシは思わず駆け出してリティルに抱きついていた。その体はすり抜けてしまうかと思ったが、僅かに感触があった。

『お、素直じゃねーか。何かあったのかよ?』

抱きついてきたレイシに、嬉しそうに驚きつつ、リティルはそっとレイシの背に手を回してやった。

「アハハ、父さんにハグする権利、ノインがくれたんだよね」

こんな、レイシのはしゃぐような声を聞いたのは、何年ぶりだろうか。それくらい、明るく嬉しそうだった。

「ハハ、ノインがおまえに譲ってくれてよかったぜ。ノインに抱きつかれたら、ショックで、あと十年くらい城に帰れなくなってたぜ」

「アハハ!父さん、ノインと仲いいよね!それより、なんでオレ、出禁だったの?」

もしかすると、父さんが来るなと言ったのかな?とも、思ったが、リティルの顔を見る限り、それは違うようだった。

『はあ?おまえ、出禁だったのかよ?オレはてっきり、おまえが怒ってて来ねーのかと思ってたぜ?』

「一緒に戦えたからね、今回は怒ってないよ。その、寂し……かっただけで……」

『ハハ、おまえ、ホントにどうしたんだよ?』

レイシは、やっとリティルを解放して顔を上げた。その瞳は相変わらず、冷たいままだったが、前向きな笑みが浮かんでいた。

「父さん、報告しないといけないことがあるんだ」

 三年前、リティルが眠った直後、婚姻の証を壊そうとしたレイシは、原初の風の逆鱗に触れ、力を無理矢理に注ぎ込まれて死にかけた。

セリアが原初の風と話をしてくれ、彼女の怒りは一応静まったが、体の中から出てきてくれなかった。魂や力に融合したという感じはなかったのだが、話しかけても無視されて、何も答えてくれなかった。

またいつ暴れ出すのかと、ビクビクしていると、カルシエーナが青い焔から帰ってきた。

そして、ある場所に付き合ってほしいと言われた。

「お父さんが、この場所へレイシを連れて行けと言った」

どこに?と問うと、カルシエーナはワインセラーだと言った。ワインセラー?そんな場所、風の城にあったかな?とレイシは首を傾げた。カルシエーナも、知らないと言った。そして二人は、連れだってツバメに導かれるままにその場所へ行った。

 中庭の端の地面に、鉄の扉があり、それを開けると中はレンガの階段だった。レイシは、真っ暗なその階段を、笛の音で光の妖精を作り出すと、ランプの代わりにして、中へ降りた。地下は確かに、ワインセラーだった。古そうだが、中は魔法で守られているようで、まだ飲めそうだった。こんな誰も知らないような所も、雀たちは掃除しているのか、埃一つ落ちていなかった。

「ここ……なんか、覚えがあるような……」

レイシは奥へと足を進めた。カルシエーナが、それ以上ついてこないことに、気がつくことなく。

 レンガの棚の奥には、ワインの入った樽までもがあった。レイシは、無意識に天井を見上げていた。そして不意に、あそこから落ちたんだと思った。そう思って、あれ?と思った。ここへ来たのは、初めてのはずなのに、なぜそんなことを思ったんだろうと、首を傾げた。

「レイシ」

不意に、インリーの声がした。ゲートを開いてここへ来たことがわかった。

レイシは、まだ、彼女に謝っていなかった。助けてくれたのに、突き飛ばしたあげく、婚姻の証を奪い取ってしまった。それもまだ、返していなかった。

「ここ、懐かしいね」

「インリー、知ってるの?」

インリーの意外な言葉に、レイシは振り返っていた。妖精の照らす光の中、インリーは少し怯えたように身を退いた。その様子が、痛々しくて胸が痛んだ。

「うん……レイシ、ここの天井が崩れて、中庭から落ちちゃったの。あの時は、レイシがいなくなったって城中大騒ぎだったんだよ?」

「こんな地下室……オレ、よく助かったね」

レイシはインリーを見ていられなくて、視線をもう穴のない天井に向けた。

「わたしが、助けたの」

「そうなんだ」

「ゲートの力で」

ゲート?レイシは思わず、心臓の辺りに手を置いていた。

「そう言えば、よくオレがここにいるってわかったね」

カルシエーナに聞いていたのかな?単純にそう思った。

「そういう力なの。わたしのゲート」

「そういう力って?」

レイシの問いに、インリーは言葉を紡ぐことを、少し躊躇った。

「……レイシの所にだけ行けるゲートなの。レイシの隣っていう魔法なの」

「オレの隣?そんなことできるの?」

そんなピンポイント?そもそも、ゲートを開くには座標が必要なはずだ。花の姫であるシェラは、その座標の指定が曖昧にしかできず、その付近にしか開くことができない。神樹の精霊の娘でもその精度なのに、そのまた娘のインリーが、オレの所だけとはいえ、正確に行くことができるとはと、レイシは驚いた。

「ごめんね、レイシ。わたし、そのときレイシを助けたくて、レイシの中にゲート開いちゃったの」

体の中にゲートを開く固有魔法は、花の姫だけが持つ魔法だ。その固有魔法は、生涯ただ一人にしか使うことはできない。故に、そのゲートを贈られたイコール、魂を分け合ったと見なされる。らしい。というのは、リティルとシェラは、魂で作ったアクセサリーの交換も行っているからだ。元風の王で元花の姫を妻に持つルディルが、どんだけ主張したいんだと、二人をからかった。ゲートを通して一心同体なのに、アクセサリーで魂を分け合うなんて今更だと、笑っていた。

 しかし、そうかと、レイシは合点がいった。たしか、シェラもゲートを通して、リティルがどこにいるのかわかると言っていた。インリーも、こんなかすり傷のようなゲートでもそれを座標に、正確にゲートを開けるのだなと思った。

「インリー」

「ごめんね!閉じ方がわからないの。お母さんにも聞いてみたけど、完全に閉じようと思ったことがないから、わからないって、そう言われて……で、でもでも!ちゃんと閉じ方見つけるから、だから――」

「インリー!」

一所懸命説明するインリーの言葉を、レイシは強い声で遮った。その声に、可哀想なくらい、インリーはビクリと身を震わせた。レイシの前で、こんなに怯えているインリーは、初めてだった。無理もない。あんな、酷いことをしてしまったのだから。オレに嫌われていると思われても、しょうがないとレイシは思って心が痛かった。

今更、伝わるのかな?とレイシは思った。このまま、心を偽って、インリーから離れた方がいいのかもしれない、とも思った。普段から怒りを力として使っているレイシは、怒りの沸点が低い。今後も、インリーをこうやって怯えさせるだろう。インリーはきっと、昔の、フワフワしたオレが好きなはずだからと、後ろ向きにそう思った。

こんなオレが、好かれるわけがないと、頑なにレイシは思っていた。

「聞いて、インリー。オレ、やっぱりこの血が許せないんだ。汚いオレが触れて、インリーに汚れが移るのが嫌なんだ」

だから、キスしてほしくなかったと言ったレイシに、だからあんなに怒ったんだと、インリーはやっとわかった。けれども、レイシを汚れていると思えないインリーには、やはり彼の心を、理解できなかった。

「いいよ。レイシと同じ汚れなら、わたし、汚れていいよ?でも、わたしには、レイシは汚れて見えないよ?」

「インリーの答えは、いつも、一緒だね」

「わたし、レイシが好きだよ?だから、レイシの隣にいたいんだよ?」

インリーの言葉に、レイシは小さく笑った。

レイシの隣にいたい――ずっと繰り返されている言葉だ。好きという言葉も。けれども、インリーの好きは家族としてでしょ?と、それ以上に思えなかった。なぜなら、インリーはインファにもノインにも、ケルゥにも同じ言葉を使うのだから。

オレ限定のものじゃないと、頑なにそう思っていた。

「あのさ、それ、どういう好き?」

「レイシの答えも、いつも、一緒だね。レイシ、レイシがわたしに触ってくれないなら、わたしを隣にいさせてくれないなら、もう、わたしがレイシの隣にいる方法は、これしかないよ」

間合いを詰めたインリーは、両手をレイシの胸に押し当てていた。その手が、レイシの中に潜り込んだ。痛みはない。むしろ、暖かい風が体の中に流れ込む感触があった。

「え?待ってよ、そこまでする?なんで?オレ、変わっちゃったよね?君の好きなオレって、いったい、どういうオレなの?」

インリーは、レイシと融合しようとしていた。レイシはインリーの肘を掴んだ。そこから先はもう、レイシの中にあった。相手と同化して、自分のすべてを相手に与えて死ぬ、精霊最大の禁忌魔法。それをインリーは、行おうとしていた。

レイシは自分の心が、昔と変わってしまったことをわかっていた。心に宿る憎しみの醜い炎は、その最たるモノだった。なのに、全く変わらず隣にいようとするインリーが、理解できない。

純粋無垢で優しい君には、今のオレは、ただ怖いだけの存在じゃないのか?と、思えてならないのに、インリーはいつだって、レイシの間合いに、無防備に踏み込んできた。

 インリーはレイシに、ゆっくりと視線を合わせた。

僅かに熱を帯びた瞳――インリーは今どんな瞳で見つめているのか、わかっているのだろうか。その瞳は明らかに、大好きな人と一つになれるのだと、悦んでいた。

初めてだった。レイシは、インリーに、そういう意味で触れたいと思ってしまった。触れていいのだと思ってしまった。

「レイシは変わってないよ。誤魔化すのが上手くなっただけ。レイシは、ずっと、レイシだよ。好きだよ?レイシ。ずっとずっと、好きだよ?だから、全部あげる。こうすれば、レイシの願いが叶うから。今でもほしいんだよね?風の王の血と力」

シェラが言っていた。インリーはすべてを与える力の化身だと。

インリーは、レイシの隣にいられないと、思い込んでいることが、レイシにはわかった。もう隣にいられないなら、レイシの欲しいものを与えて、消え去りたいとそこまで思い詰めていた。

そんなにオレのこと、好きなんだ……レイシはやっとわかった。

わたしの居場所はレイシの隣――ずっと、そっちが先だと思っていた。好きだから隣にいたいと、そう言ってもらえているのだと、どうしてもそう思えなかった。

「うん、ほしいよ。でも、もういいんだ。もっと凄いものが手に入ったから」

これってちょっとアブノーマルだよね?とレイシは思った。鈍いくせに、いろいろわかってないくせに、全部すっ飛ばしてこんなことするなんて、インリーは本当に怖い。

「原初の風?」

レイシはガクッと脱力した。本当に、インリーは何もわかっていない。この流れで、そっちが出てくるなんて、どんだけ自分に自信がないんだよ?と呆れた。

レイシはグイッと、融合しかけたインリーの腕を体から引き抜いた。

「あ、そういうこと言う?インリーはそばにいすぎて、当たり前の空気みたいで、よくわからなくなってた。インリーがなんなのか、見えなくなってた。オレも、インリーが好きだよ?ごめん。今まで言えなくて、ごめん。インリーが好きだから、言えなかったんだ」

「本当?」

「うん。好きだよ?インリー」

「わたし、レイシの隣にいていい?」

「うん。当たり前の顔して、オレの隣にいてよ」

「レイシ……!」

インリーは口を両手で覆うと、その左右で違う色の瞳から、ボロボロと涙を流した。

「うん、泣いちゃうよね?ごめん。ごめん、インリー。これでもオレ、君が大事なんだ」

レイシはそっと、インリーを抱きしめた。インリーの華奢な手が背中に回ってきて、ギュッと掴まれた。

「ねえ、インリー。オレ達、そんな昔から夫婦だったんだ」

「ご、ごめん!気持ち悪いなら、本当に消し方探すよ!」

弾かれたように離れようとするインリーを、さらにきつく抱きしめてレイシは言った。

だからなんで、そういう方向に行くんだよ!とレイシはイラッとしながら。

「消さないでよ。むしろもっとちゃんと開いてよ。カルシーが、霊力の流れに付いた傷かと思ったって言ってたよ。どこに繋がってるかわからないってさ。ちゃんと、ゲートの先に君がいるって、わかるようにしてよ」

そうしてくれないと、オレの相手が君だって、わからないだろ?とレイシは言った。

「ええ?あ、あのあの――」

照れて混乱しているようなインリーに、レイシは大きくため息を付いた。ままごととはいえ、すでに夫婦やってたよね?とツッコミたかった。

「返事は?獣王妃様」

「は、はい!……レイシ、その異名知ってたんだ……」

「蒼の獣王?何?気に入らない?」

「ううん!格好いい」

「そう。ならいい」

レイシはインリーの三つ編みを解いた。

「でもインリーいいの?オレ、結構野獣だと思うよ?」

インリーの長い黒髪を弄りながら、視線を合わせて、レイシは挑発的に微笑んだ。

「え?ええ?……うん、いいよ?レイシなら……いいよ!」

レイシに触れられている髪の毛まで、熱が灯るようだった。こんな触れ方初めてで、レイシもちゃんと、男の子なんだと今更思ってしまった。でも、いい。レイシになら、何でも与えられる。

「インリーの答えは、いつも同じだね。じゃあ、オレの物だって証、つけちゃおう」

トンッと、レイシはインリーを押し倒していた。押し倒されたインリーは、こんなところで?と期待と恐れの入り交じった瞳で、レイシを見上げていた。

あ、期待しちゃった?とレイシは意地悪に笑った。レイシの手が、インリーの右胸から太ももの付け根まで滑った。

「ちょっと、派手かな?でもいいよね?インリー、踊り子だし」

「えっ?ええええ?」

レイシに撫でられた肌に、金色の染料で燃える鳥の、紋章のようなタトゥーが描かれていた。色が色なだけに、目立たないと言われればそうだが、これは、なんというか……大人っぽすぎる!

「お、お父さんに、なんて言おう……」

「オレが話に行くよ」

 当たり前のようにレイシは言ったが、程なくしてインファに、行ってはいけないと言われてしまい、インリーはそのタトゥーを隠して、青い焔に赴くしかなかった。

「――と、こんなことがあったんだよね」

『……おまえ、インファが出禁にするほどすげータトゥー、描いたのかよ?インリーこねーかな、子供っぽいあいつが、どんな妖艶になったのか見てーな』

からかってやろうと、リティルは楽しそうだった。そんな父の様子を見ながら、レイシは元気そうでホッとしていた。二人が目覚めて少しして、フロインは先に城に帰ってきた。ノインがノインらしからぬ状態だったからと、インファに説明されたが、それってどんな状態?とよくわからなかった。ただ、フロインを帰す為に、リティルが力を使ったことは確かで、本当に五年で帰ってこられるのかな?と心配していた。

「あ、父さん、原初の風、変化しちゃったんだ」

レイシは、首にかけていた、小さな羽根の生えた金のホイッスルを取り出した。レイシが小さく口笛を吹くと、ホイッスルは羽根をはためかせて飛んだ。

面白い変化をしたなと、リティルはマジマジと、ハチドリのように飛ぶ、ホイッスルを観察した。

「インリーと霊力の交換したらさ、原初の風がインリー入っちゃって、こんな形でもどってきたんだよね」

霊力の交換?やっとかよ!と思いながら、インリーの父親的には複雑だった。そして、インファがレイシを今まで、来させなかった理由がわかった。霊力の交換は、交わりによって行われるからだ。

リティルは、インファのヤツ、娘がいねーくせして、そういう気持ちまでわかるのかよ?と、思った。インファは、リティルが、相手に触れるくらいまで、実体化するまで待ってから、レイシを寄越したのだ。

『……出禁の理由、わかったぜ。レイシ!一発殴らせろ!』

「え?ああ、そっか。風の王、あなたの娘に手を出してすみませんでした!」

深々と頭を下げたレイシの頭に、リティルは苦笑するとコツンと軽く拳を当てた。

今更なんだよ!と、リティルは明るく笑った。

『オレの娘のこと、しっかり守ってくれよな?空の翼!』

やっと心から言えるよと、リティルは口にはせずに笑った。

「当たり前。風の城諸共、オレが守るよ」

『生意気だなー。けど、よかったな』

「本当に、そう思ってる?」

言ってほしいのかよ?と、リティルは思った。じゃあ、言ってやるよ!と思った。

『思ってるさ!おまえは、誰がなんと言おうと、オレの自慢の息子だよ』

自慢の息子――その言葉が、レイシの心に深く深く染みこんできた。

「うん、ありが――とう、父さん……」

『泣くなよ!ホントおまえ、自信ねーんだな。おーいレイシ、愛してるぜ?』

「あはは。父さん……どうしよう……止まらない……」

顔を覆って蹌踉めいたレイシを、リティルは受け止めてその背を撫でた。

『もう、自分自身を許してやれよ。おまえはオレの息子だ。風の力を持ってなくても、オレとは一滴も血が繋がってなくてもな』

「うん……うん……オレ、誰になんて言われても、風の王・リティルの息子だよ」

やっとだな。リティルは泣くレイシを抱いてやりながら、そう思った。レイシの産みの親と決別したあの日から、リティルはレイシの父親ではなくなった。リティルを父と呼ぶことに、罪悪感を持ってしまったレイシは、息子ではなくなってしまった。どうすれば取り戻せるのかと、危ういレイシを見守っている以外になかった。

それがやっと、許された。レイシを救えなかったリティルはやっと、レイシに許されたのだ。レイシの父であることを。

『レイシ、あと少し、風のこと頼むな。オレは必ず戻るからな?』

「うん。それまでオレも、お見舞い来るよ。それで、絶対――」

二年後、迎えに来るよとレイシは、冷たく鋭い瞳に晴れやかな笑みを浮かべた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ