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第41話 その髪に、胸に、首元に、目の覚めるような青薔薇を飾ろう

 それから、一月後。


 ミストラル公爵領の屋敷に移動した私たちは、明日に控えた結婚式に向けて慌ただしく準備をしていた。ほとんどのことは使用人たちが手配してくれているとはいえ、最終確認やらちょっとした相談などで休む間もなくあちこちから声をかけられる始末だ。


 折角海を臨める屋敷に来たのだから、エリアスと浜辺を散歩したりしたいわね、なんて呑気なことを考えていた私は甘かったようだ。まず、結婚式が終わるまではそんな余裕が無い。


「お嬢様、明日の装飾品の最終確認をお願いいたします」


 リズが何人かのメイドと共にいくつもの小箱を抱えて入室してくる。淡々と目の前に並べられていくのは、髪飾りから靴を彩る繊細な装飾用の花まで実に多岐にわたる。何日もかけて慎重に選んできただけあって、思わず見取れてしまうほど美しい品々だ。

 

 リズが手にしていたリストを片手に、一つひとつ念入りに確認を始める。私としては装飾品の一つくらい無くても平気だが、予定が狂った時に困るのは、私を着飾ってくれるメイドたちなのだ。彼女たちのためにも、慎重に確認を進める。


 流石はリズというべきか、漏れは一つもなく、リストも明瞭に書かれているおかげで作業を進めやすかった。


 数年前まで私付きのメイドでしかなかったリズも、気づけばメイドの中ではかなり上位の立場になって、今では若いメイドたちを教育する立場にあるようだ。


「ありがとう、リズ。完璧よ」


「では、後程ドレスの方も最終確認をいたしますね」


「ええ、よろしくね」


 普段であればこの後他愛もないお喋りをするものなのだが、今日だけはお互いにその暇がない。リズは素早く装飾品類を小箱に戻すと、綺麗な一礼をしてメイドたちを引き連れて下がっていく。私より、彼女たちの方が何倍も忙しいことを知っているだけに、結婚式が終わったら特別手当でも出そう、と密かに心に決めた。


 その後も、招待客のリストや結婚式の後に行われる夜会で振舞われるお酒の種類など、改めて確認しておきたいことに黙々と目を通す時間が続いた。一か月前の予定では、夕方には家族で団らんしている予定だったのだが、お父様やお母さまはもちろん、クリスティナもフィリップも各々明日の準備に追われてすれ違いざまに疲れたような笑みを送りあうことしか出来ない。


 ミストラル公爵領には、結婚式の後もしばらく滞在することだし、そこでエリアスも交えながらのんびりすればいいだろう。家族となったエリアスと一緒に過ごす時間を待ち遠しく思いながら、私は間違いのないように淡々と作業を進めた。


 どれくらい、そうしていただろう。一言もしゃべらずに羊皮紙を捲っていると、不意に視界に影が落ちてきて、何事かと私は顔を上げた。


 その先で微笑んでいたのはラフなシャツ姿のエリアスだった。彼も彼でもちろん準備に追われているので、どことなく疲れたような表情をしている。


「っ……エリアス、来ていたの?」


「ノックしても返事がないから、心配で入ってきてしまった。倒れたりしてなくて良かったよ」


 そう告げたエリアスの表情は言葉通りどこかほっとしている様子で、不安を抱えやすい彼らしい心配に、ふ、と頬が緩んだ。


 それにしても、ノックの音に気が付かないほど集中していたなんて。置時計を眺めれば想像以上の時間が経過していて、僅かに痛む首を軽く傾けた。


「ごめんなさい、確認することが山ほどあるから……」


「無理をして明日辛い思いをしたら本末転倒だぞ。ここまで念入りに準備をしてきたんだ。大抵のことは上手く行くさ」


 エリアスは私を励ますように微笑むと、そっと私の手を取った。彼に言われると、本当に何もかもうまくいくような気持ちになるから不思議だ。忙しい使用人の手を止めるのは忍びないが、誰かに頼んでお茶でも持ってきてもらおうかと考えたその時、ふと、エリアスの手が私をソファーから立ち上がるように誘導した。


「それより、外がとても綺麗なんだ。ちょうど陽が沈んでいくところだから、一緒に見よう」


「まあ、それはいいわね」


 私はエリアスにエスコートされるままに、私の使っている部屋に備え付けられたバルコニーへ向かった。この屋敷は浜辺と繋がっている小さな小島に建っているため、遠目から見れば海の中に浮かび上がるような幻想的な作りになっている。そのため、バルコニーの真下は既に海で、絶景が望めるのだ。


 エリアスの言った通り、既に沈みかけている夕日が海一面を橙色に染め上げている。燃えるようなその色は眩しいくらいで、印象的な夕暮れだった。


「明日は晴れそうだな」


 エリアスはどこか機嫌良さそうに微笑むと、私に視線を送った。夕焼けの橙色と彼の紺碧の瞳のコントラストが美しくて、たっぷり数秒間見つめてしまう。


「そ、そうね。良かったわ、どうせなら晴れた方が嬉しいもの」


 エリアスは私の戸惑いまでも見透かしたように笑うと、ちゅ、と頬に口付けてきた。この一か月、こういった触れ合いが少しずつ多くなってきている気がする。恐らく、触れ合いを増やすことで、明日迎えることになる初夜での私の緊張を減らそうとしてくれているのだろう。案外、エリアスは策士だ。

 

 今のエリアスは、以前のエリアスと違って、滅多に甘い言葉は囁かない。「好き」も「愛している」も、特別な時にしか口にしない。それでも彼の眼差しや、優しく私に触れるその仕草を見ていれば、彼の中で私が特別な存在なのだと確信できてしまう。


 ある意味、信頼の上でしか成り立たない関係だ。そして、それをとても心地よく思っている私がいた。


「後で明日のドレスの最終確認をするのだけれど、エリアスも見に来る?」


 バルコニーの柵の上に乗った彼の右手に、そっと自分の左手を重ねながら問う。彼はそれが気に食わなかったのか、左手で私の右手を掴むと、そのまま私を背後から抱きしめるような形で柵の上でお互いの手を重ねた。軽く屈みこんだエリアスの吐息が耳の裏に当たって、何だかくすぐったい。


「いや、明日の楽しみにしておこう」


 離れがたくなりそうだからな、と笑うように囁くエリアスの言葉に、頬に熱が帯びていくのを感じた。一か月ほど前も、夕暮れにエリアスにこんな風に赤面させられたような気がする。今は、彼が私の背後に回っているおかげで、夕焼けのせいにせずに済みそうだ。


「……私も、明日のあなたの姿を見るのが楽しみだわ」


 準備段階でデザイン案などは見ているのだが、やはり本人が着るのとは違う。それに、結婚式という特別な雰囲気が余計に彼を素敵に見せるだろう。ああ、楽しみでたまらない。


「セシルやアルベリクは、どんな格好をしてくるかしらね」


 明日招待している友人たちの顔を思い浮かべながら、高鳴る鼓動を押さえるように遠くを見つめる。夕日は、もう半分以上沈んでいた。


「あいつらのことだ、リボンとタイの色を合わせたり、柄を合わせたり……そういうことをしてきそうだ」


 エリアスは辟易したように小さく溜息をつく。婚約者同士仲睦まじいのは何よりだと思うのだが、エリアスは友人たちが色恋沙汰に浮かれている姿を見るのは気恥ずかしいらしい。


 四人でいるときは、私に対しても友人のように振舞うエリアスだ。人の恋愛感情を見せつけられるのも、自分の恋愛模様を見せるのも苦手なのかもしれない。


「ふふ、素敵だわ。セシルは喜びそうね」


 何気なくそんな答えを返せば、僅かな沈黙の後にエリアスがぽつりと呟く。


「……コレットもそうしたいなら、この先、誂える服には気を配るが……」


 不器用な物言いだったが、彼なりに私に配慮してくれているのが伝わってきて、愛おしいという気持ちが広がる。くすくすと笑いながらも、私は彼の指に自分の指を絡ませるようにして彼の手をぎゅっと握った。


「いいのよ、あなたはお揃いよりも、私に青薔薇を飾る方が好きでしょう」


 図星だったのか、またしても数秒の沈黙が返ってくる。この点は、以前のエリアスも今のエリアスも同じだ。この先注文する私の装飾品は、青い宝石で薔薇を模ったものばかりになるんだろうな、と幸せな想像をした。


 以前の時間軸では、青薔薇の装飾品を増やす間もなく終わってしまったから、余計に嬉しく感じる。


「コレットは何でもお見通しなんだな」


 降参したとでも言うようにエリアスはふっと笑ったかと思うと、背後からぎゅっと私を抱きしめた。


「ふふ、それだけ私の心はあなたで一杯ということよ」


「あまり甘い言葉を言ってくれるなよ。夢心地のまま、本当にここが現実だと思えなくなりそうだ」


「大袈裟ね」

 

 くすくすと声を上げて笑えば、エリアスは黙ったまま僅かに私を抱きしめる力を強めた。


 エリアスが行動で想いを伝えるのに対して、私はつい言葉にしてしまうから、こうしてすぐに彼を戸惑わせてしまう。もっとも、照れたエリアスは、普段の色気溢れる余裕綽々な彼とは違って大変可愛らしいので、この先もやめるつもりはないのだけれど。


 ちょっとだけ、意地悪かしら、なんて思いながら私は彼の肩にもたれ掛かるようにして体を預けた。そのまま二人、海の音に耳を澄ませながら、夕日の名残が消えていくのを眺めていたのだった。

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