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第28話 下らない、天使も愛もこの世にありはしないのに

 オードラン伯爵とエリアス付きの神官――ベルモン神官と呼ばれる若い男への尋問は、夜会から一週間が経ったある雪の日に、王都のとある懺悔室を貸切って、大神官と国王陛下の側近、そして私やエリアスを始めとしたミストラル公爵家とフォートリエ侯爵家の関係者の目の前で行われた。


 夜会から一週間という間が空いたことには多少の疑問を覚えたが、どうやら私やエリアスの預かり知らぬところで下調べを進めていたためらしかった。粗末な衣服を身に纏い、どこか憔悴したような神官とオードラン伯爵の横顔が、この一週間の取り調べの過酷さを物語っている。


 恐らく、ミストラル公爵家の手の者が容赦をしていないのだと思う。普段は温厚なお父様だが、ミストラル公爵家の一員が不当に傷つけられれば徹底的に報復する一面も持ち合わせている。神官とオードラン伯爵の憔悴ぶりから察するに、今回も例外ではないようだ。もっとも、結果的に私が毒を呷らなかったのだから、まだこれでも良い方なのかもしれないが。


 オードラン伯爵とベルモン神官は、懺悔室の真ん中に膝をつくようにしてそれぞれ二人の騎士に取り押さえられ、彼らを囲むようにして、大神官を始めとした尋問する側の人間が豪奢な椅子に腰を下ろしていた。社交界デビューして間もない私とエリアスは、あくまでも傍聴人という立場だ。

 

 尋問が始まる前から、エリアスは隣で私の手を握ってくれていた。私を安心させるように包み込んでくれる彼の手に、ここが懺悔室だということも忘れてしまうほどに心が安らいでいくのが分かる。


「これより、ベルモン神官並びにオードラン伯爵への尋問を開始する」


 国王陛下の側近である中年の男性が高らかに尋問会の開始を宣言した。それだけで、ベルモン神官はびくりと肩を揺らしている。酷い怯えようだった。


「まず、ベルモン神官、あなたはフォートリエ侯爵子息のエリアス殿の殺害を目論み、儀式で使用するワインに毒を盛った。これに間違いはありませんか?」


 国王陛下の側近の男性は、威圧的というよりは淡々とした調子で罪状を確認した。ベルモン神官は項垂れたまま顔を上げることもせずに、決まり文句のような言葉を口にする。


「はい、間違いありません」


 恐らく、この一週間で飽きるほど繰り返されたやり取りなのだろう。既に、ベルモン神官に抵抗の意はないようだった。


「ベルモン神官、これはあなた一人で企んだことですか?」


 淡々とした尋問は却って礼拝堂の温度を下げて行くような鋭さを持っていた。威圧的な物言いよりもずっと心に来るものがある。


「いいえ、オードラン伯爵のご指示で行いました」


「あなたの言うオードラン伯爵は、今この場にいますか? もしいるならば指を指して教えてください」


 ベルモン神官の高痩躯が僅かに解かれ、彼はのろのろと顔を上げた。そして、ぼろぼろの指先で、彼の隣で膝をつくオードラン伯爵を指した。


「この方が、オードラン伯爵です。私はこの方からエリアス殿の殺害を指示されました」


 名指しされたオードラン伯爵は一瞬不快そうに顔を顰めたが、大きな抵抗を見せることは無かった。ベルモン神官ほどではないにせよ、伯爵もまた既に抗うことを諦めているのかもしれない。


「結構です。では、本題に入りましょう」


 事務的な確認を終えたところで、国王陛下の側近の男性は椅子から軽く身を乗り出した。


「ベルモン神官、あなたはどのようにしてオードラン伯爵からエリアス・フォートリエ殿の殺害を依頼されたのですか?」


 これもまた、この一週間のうちに何度も繰り返された質問なのだろう。ベルモン神官は青白い顔を軽く伏せながら、すらすらと言葉を紡いだ。


「その質問にお答えするには、まずは私の身の上話をさせていただく必要がございます。……私は幼い頃に両親を亡くし、病弱な弟と二人で貧しい生活を送っておりました。そんな折、偶然オードラン伯爵が手を差し伸べてくださり、伯爵の資金援助と推薦で私は神官になれました」


 抑揚のない、暗い声で彼は身の上話を続けた。


「……ですから、伯爵には返しきれない恩があるのです。エリアス殿の殺害を依頼された時も、私はどうやったって逆らえなかった。神官の職を失えば、弟を養っていく術を失ってしまいますから……」


 ありがちな話だ。影響力を持つ神殿と繋がりを持ちたいと考える貴族は少なくないし、ベルモン神官と似たような境遇の神官はきっと他にもいるだろう。オードラン伯爵は、この微妙な力関係をエリアスの殺害に利用したということだろう。


「でも……上手くいかなかった。まさか聖女様が毒入りのワインを煽ろうとするなんて……。聖女を害したとなれば、確実に星鏡の天使の怒りを買うでしょう。そうなったら、この国がどんな悲惨な運命を辿るか……それを悟ったときには、聖女様のワイングラスを叩き割っていました」


「……聖女ね、下らないな。所詮、ミストラル公爵家が金で買った名誉だろう」


 オードラン伯爵は吐き捨てるようにそう言って笑うも、すぐにそばに居た騎士たちに取り押さえられた。以前、フォートリエ侯爵領で出会ったときとは比べ物にならないほど攻撃的な物言いだ。国王陛下の側近の男性の隣に座っていたお父様が、穏やかな微笑みの中に明らかな憎悪を滲ませるのが遠目でも見て分かる。


「では、オードラン伯爵に訊きます。あなたはなぜ、エリアス・フォートリエ殿の殺害を目論んだのですか?」


 場の空気が、一瞬で引き締まった。この質問こそが、今日この場に集まっている人々の一番の関心なのだから当然の反応だろう。現に私も、エリアスの手を握る右手に力が入ってしまった。


 オードラン伯爵は乱れた前髪の隙間から、ぞっとするほどの冷たい瞳を見せつけた。やつれた体のどこにそんな憎悪が眠っていたのかと思うほどに、強い負の感情を滲ませた笑みを浮かべる。


「なぜ? なぜ、ね……。まあ、我が息子にフォートリエ侯爵家の家督を継がせたかった、とでも言っておきますよ。実際、真っ赤な嘘というわけでもない」


 嫌に含みのある言い方だ。当然、この場にいる人々が納得するはずもない。「正直に申し上げろ」と傍にいた騎士が伯爵を脅したところで、彼はどこか不安定な笑みを見せるばかりだった。


「成程、確かにエリアス殿が亡くなれば、フォートリエ侯爵家は分家から養子を迎えざるを得ないわけですからね。フォートリエ爵閣下の弟君であるあなたのご子息にその話が回ってくるのは想像に難くない」


 そんな風に柔らかな物腰で口を開いたのは、お父様だった。場に相応しくないほどの穏やかな笑みが、何だか却って恐怖心を煽る。完全に、お父様というよりはミストラル公爵の姿だった。


「でも、フォートリエ侯爵家の分家は他にもある。あなたのご子息はいずれオードラン伯爵位を継ぐことを考えれば、あなたのご子息ではなく、継承権を持たないどこかの分家の次男坊なんかを迎えることだって十分にあり得たはずです。オードラン伯爵領を再興した凄腕の経営者と名高いあなたが、そんな不確実な賭けのために殺人を犯そうとするとは考えにくい」


 そう言って、お父様は何枚かの羊皮紙を取り出した。一瞬見えたのは、フォートリエ侯爵家の家紋だろうか。


「だから、少し調べさせてもらったんですよ。一週間もありましたからね。そうしたら、面白い話が次から次へと出てくるじゃありませんか」


 お父様は笑みを深めると、オードラン伯爵の瞳をまっすぐに射抜いた。


「オードラン伯爵、あなたは、実の兄君であるフォートリエ侯爵と、フォートリエ侯爵位の継承権を巡って争った過去がおありなんですね」


 その言葉に、含みのある笑みを浮かべていたオードラン伯爵の表情が一瞬で強張った。今日初めて見せる、オードラン伯爵の動揺した姿だった。


「先代のフォートリエ侯爵閣下も面白いことをお考えになる。実に柔軟な発想をお持ちだ。あなたと兄君の歳がたった一つしか違わないことを考えて、お二人に平等に機会をお与えになったそうですね。ある試練を見事乗り越えた方に――そう、現在のフォートリエ侯爵夫人であるレディ・ミレーヌの御心を射止めた者に、継承権を譲る、という条件をお出しになったと聞いています」

 

 淡々と紡がれるお父様の言葉に、オードラン伯爵の笑みはどんどんと薄れていく。代わりに顔を覗かせたのは、底知れぬ憎悪と歪みだった。


「この条件に、あなたの兄君はあまり乗り気ではなかったそうですね。……そのころから、あなたの兄君が娼館に通い詰めていたというのは、私たちの世代では有名な話でしたからね」


 娼館、その言葉にちらちらとエリアスに視線が向けられるのを感じた。皆、察しているのだ。フォートリエ侯爵が継承権もそっちのけでのめり込んだ女性というのが、エリアスのお母様その人であるのだ、と。


 正直、これには私も驚いていた。フォートリエ侯爵とエリアスのお母様の付き合いはそんなにも若いころからあったものなのか。ちらりと横目でエリアスの表情を窺えば、彼もまた私と似たような驚きを顔に表していた。エリアスも、自分の両親

の付き合いの長さなんて知らなかったのだろう。


「まともに考えればあなたに勝機がありそうなものですが……レディ・ミレーヌが選んだのはあなたの兄君の方だった。結果、フォートリエ侯爵家はあなたの兄君が継ぐことになった、ということらしいですが……あなたは面白くなかったでしょうね、オードラン伯爵?」


 どこか皮肉気なお父様の言葉に、ふ、とオードラン伯爵は笑みを零した。


「……面白くない? はははっ……そんなもので済めば……どんなに良かったか……」


 オードラン伯爵はゆっくりと顔を上げ、くすくすと笑いながらお父様を見つめていた。決して心地の良い笑みではない。どこか虚ろな瞳のまま声を上げて笑う伯爵の姿は、人々の恐怖を誘った。

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