空飛ぶ少女と見つめる少女(3)
それから、柊は何度も青子を見かけることになった。
あのときの柊の反応がハマったのか分からないが、その頃、トモダチに防風林に連れて行かれることが多くなったのだ。
突き飛ばされたり、ランドセルを奪われて隠されたり、かくれんぼをしようと言ったかと思えば、鬼にした柊を置き去りにして帰ってしまったり。
そんなこと、と言われればそうかもしれないが、そんなことを毎日毎日毎日毎日されて、その度に柊はただただ泣いた。
そして、そんな柊を見るとトモダチたちはクスクスと笑ったり、怒ったり、呆れたりしていた。
そんな状況の中で、彼女はいつもいつの間にか広場に浮かんでいた。
捨てられたランドセルを拾って広場に戻ったとき。
かくれんぼで隠れたトモダチを見つけられなくて、仕方なく広場に戻ったとき。
ぷかぷかとのんきに浮かんでいるのだ。
最初の頃は気まずくてたまらなかった。
次には、助けてほしいと思った。
その次には、柊がいじめられているのに気付いていないのかと怒りたくなった。
不思議とトモダチと青子は鉢合わせすることはないようで、いつも柊が一人のときに青子はいる。
青子も柊に気付いていたのか、そのときは分からなかった。
ふとその視界に入ったと分かるときもあれば、ただボーっと空を見ていて気付いていないんじゃないかと思うときもある。
話もしない。目も合わせない――たまにかすめる程度に目が合うときもあったけど――誰かも知らない。
それでも、その顔を覚えてしまうくらいには青子のことを見かけていた。
そして、あるとき柊は学校の中で青子を見つけた。
休み時間、理科室での授業を終えてクラスに戻るために階段を上っていると、体操着を着た生徒の何人かとすれ違った。
その中に、いたのだ。
丸い輪郭の顔に、眠そうな垂れ目。短い髪。
見覚えのある特徴に、柊は小さく「あ……」と声が漏れた。
しかし、そのとき青子は柊に気付かなかったようで、そのまま通り過ぎていく。
とっさに柊は青子の足元を見た。
内履きを見れば、緑色のラインが入っている。内履きのラインの色は学年ごとに違っているのだ。
緑のラインは五年生のものだ。ちなみに柊たち四年生は青色のラインが入っている。
柊はこのとき初めて、青子を学校でも見かけることが出来る事実に気付いた。
ずっと防風林の中で見ていたため、そこでしか会えないと思い込んでいたのだ。
それから、柊は校内でも青子の姿を探すようになった。
意識して探すようになると、案外その姿を見つけることが出来た。
移動教室のときにすれ違ったり。
図書室で突っ伏して昼寝をしている姿も見かけたり。
授業中、窓の外を見れば、運動場で体育をしている姿も見た。
少し寝坊して家を出るのが遅くなったときは、学校の近くで青子の後ろ姿を見かけたときもある。後になって分かったが、青子はいつもギリギリになって登校するようだ。
そして、放課後は防風林で浮かぶ青子を見つめる。
そうやって過ごしている内に、柊は気付いた。
彼女はいつも一人だ。
移動教室は一人で教科書を持って廊下を歩き、図書室で眠っているときにも隣には誰もおらず、体育の授業だっていくつかの女子グループに分かれているのに、そのグループとはつかず離れずの位置で一人立っている。
防風林の中で飛んでいるときだっていつも一人だ。
周りの雰囲気からいじめられているわけではないと分かる。
これはつまり、彼女は一人で行動できる人なのだろう。
彼女は友達なんていない……いなくてもいい人なのだ。
それはなんて……羨ましいのだろう。
(いいなぁ……)
柊も一人がいい。
一人で移動教室に向かって、一人で休み時間を過ごして、一人で帰りたい。
トモダチなんていらない。欲しくない。
一人でいい。一人がいい。
(いいなぁ……)
いつしか柊が青子を見る目には、憧れがこもるようになった。
この頃も、柊のイジメは続いていた。
ただ柊はもう青子がいる防風林を怖いとは思わなかった。
むしろトモダチと離れた後に、こっそりと青子を見つめることが楽しみにもなっている。
一人でいる青子が、一人で飛んでいる青子が、いつしか柊の支えになっていたのだ。
だから、柊はなんとか学校に行き続けることが出来た。
学校に行けば、青子がいる。
青子と話すことも、目を合わせることもない。
それでも。
その姿を見ることだけが、柊の救いであり、支えになっていた。
――そして、春。
進級すると、柊はトモダチ全員とクラスが離れた。
それをキッカケにして、柊はトモダチ全員を避けた。トモダチが柊のクラスまで呼びにくることもあったが、それもすべて逃げ回った。
そうすると、トモダチも柊を構うことはしなくなった。
こうして、柊はやっと一人になることが出来たのだ。
一人になった柊は、放課後、防風林に向かった。
広場に入ると、相変わらず青子が一人、仰向けになって浮かんでいた。
今まで、見つめているだけだった相手。
何度も声をかけようと思ったが、人見知りだったこともあり、話しかけることなど出来なった相手。
でも、一人になった柊の心は、なんだかとっても軽くて、今なら大丈夫だと思った。
「こんにちは……」
挨拶の声は、かすかな緊張を含んで、思ったより小さなものになってしまった。
それでも、彼女は首をそらして、逆さまになった視界の中に柊を入れる。
柊は、もう一度言った。
「こんにちは」
「…………こんにちは」
返ってきた挨拶の声に、柊は無意識に強張っていた肩から力を抜いた。
こうして、柊と青子は出会った。
柊にとって、友達なんてものじゃなくて、知り合いなんて浅いものじゃなくて、名前もつけられないような、たった一人だけの存在にやっと出会ったのだ。
※ ※ ※
イジメがなくなった今でも、柊にとって学校に行く一番の楽しみは青子を見つめること。それと、放課後に青子と飛ぶことである。
それなのに、最近は邪魔が入るようになってしまった。
青子の同級生の冴木滉征である。
なぜかは知らないが、彼もまた塾に行くまでの時間をここで過ごすようになってしまった。
上級生の、しかも男子である。
柊はどうしても気になってしまって、青子といつものように話すことができない。ただ青子に引っ付いて飛ぶだけだ。
そんな柊の様子を、青子は一向に気にしない。
滉征は、柊を気遣っているのだろう。たまに話しかけてくるが、柊はうまく返すことができなかった。
そもそも、滉征はどうしてここにいるのだろう。
一緒に飛ぶわけじゃない。いつも広場に置いてあるベンチに座って、浮かんでいる青子と話しているだけだ。
内容はとても他愛ないもので、授業のことや先生のこと、テレビのこととか流行りの動画とか色々だ。
ある日、ふと気付いた。
滉征は青子のことが好きなのではないか?
だから、いつもここにやってくるのではないか。
そう考えると納得できる。もうそれしかない。
滉征が塾の時間だと先に帰ったあと。いつものように仰向けになって浮かんでいる青子の上に、抱き付くように乗っかっていた柊は青子の顔を見下ろした。
「滉くんって、青子さんのこと好きなんじゃない?」
青子が滉征のことを「滉くん」と呼ぶため、柊にもその呼び方がうつってしまった。
名前を呼ぶほど二人は仲がいいのかと思ったが、そうではなく。滉征は青子のことを「柳さん」と苗字で呼ぶし、青子もいつか見た佐南という少年の呼び方がうつっただけだと言っていた。
放課後はほとんど柊と会っているのに、佐南といつ会っているのかと不思議になって聞けば、「秘密?」と小首をかしげながら言っていた。しつこく聞いたのに答えなかった。いつか絶対吐かせてやる――と、今はそうではなく。
「青子さんも滉くんのこと好き?」
それは嫌だと思いながら、柊は聞いていた。
青子はキョトンとしている。
「……フツー」
「フツーって? 普通に好き?」
「うーん……考えたことない」
考えたことない。じゃあ、滉征の片思いか。柊はホッとして、思わずニンマリと笑う。
そんな柊を、青子は不思議そうに見た。
「なに、いきなり」
「んーん、なんでもない。……青子さんって今、好きな人いるの?」
「いないよ」
「そっか」
柊は満足気に、青子の身体に抱き付いた。
青子に好きな人が出来るのは嫌だ。なんだか、その相手に青子を取られてしまう気がする。
一人がいいと思っていた柊だが、青子は別だ。
そういう意味でも、青子は特別な存在なのだ。
「あ……」
ぽつりと漏れた青子の声に、柊はまた顔を上げた。
青子はまじまじと柊の顔を覗き込む。
「柊は、滉くんが好きなの?」
「…………はあ!? なんで!?」
いきなりの言葉に、柊は思いっきり嫌そうな顔をした。その様子に、青子は少し驚きつつ、小首をかしげて言う。
「なんとなく?」
「なんとなくで馬鹿なこと言わないでください! そんなわけないから! むしろライバルですよ!」
「ライバル? なんの?」
「青子さんを巡るライバルです! 絶対に青子さんのことは渡しませんから」
また胸に顔を寄せるように、柊は青子に抱き付いた。
青子は頬をかきつつ、柊を見下ろす。
「……あたし、柊のものでもないけど」
「うるさい!」
つれないことを言う青子を、さらにぎゅっと抱きしめた。