第参話 〜赤眼〜 ※改変中
「私は、この国から争いを無くしたい!」
いつも親や周りの陰陽師にそう言っていた。
でも具体的にどうするのかは決めていなかった。
そしてその言葉を叫んだ時は、未熟ながらにそう簡単ではないとも悟っていた。
寧ろ、私一人では到底成し得ない事なのだろうと。
それでも諦め切れなかった。
無力ながらにできる事が何かある筈だと。
神に祈るだけの日々では一生何も動かないと、私は決心したのだ。
鳥居を、神に守られた結界を越えて、神の使いではなく普通の人間として、陰陽師という大きな力に立ち向かう事を。
――私が目を覚ますと、辺りはとても薄暗かった。
床は硬くて冷たい。ザラザラと、砂の混じる平らな石の手触り。埃と鉄の匂い。
暗闇という程の暗さではない。所々ヒビ割れた壁から光が差し込んでいるためだ。
その壁に触れてみる。床と同じような石の手触り。とても冷たい。
どれほど眠っていたのだろうか。
少しずつ意識を現実へと向けていく。そしてぼんやりと何かを思い出す。
そうだ。確かあっさりと捕まってしまったのだった。
背後に陰陽師が立っていて、声を掛けられて。抵抗も虚しく、牢獄の中である。
あの青年に大口を叩いたばかりだと言うのに、何だか恥ずかしいな。
しかしこうしてはいられない。こうなったらできる所まで足掻いてみないと。
簡単に諦めてはいけない。昔の、すぐに怖くなって泣いてしまう私とは違うのだから。
抜け道は何処かにある。冷静になってよく考えよう。
私は辺りを見回した。所々にヒビが入り隙間ができているものの、女性の力で壊せるような物では無い。
鉄格子も頑丈で鍵が掛かっている。当たり前だが、力尽くで逃げ出すのは無理そうだ。
どの機会を狙えば良いのだろう。
私はこれから、一体何をされるというのだ?
罪人として捕えられているのか? これは処刑待ちなのか?
何か恐ろしいことが待ち受けているのではないかと少しでも考えてしまえば、身体の震えが止まらなくなる。
駄目だ。怯んではいけない。何を考えたって未来は変わらないのだから、それよりも対策を練るべきだ。
絶対、あの人達に負けるものか。
――ガチャリ。
鍵の開く音がした。驚いた。いつの間にか格子の傍に人が立っている。
心臓が跳ね上がるような感覚。でも怖がっていることを悟られはしたくない。
なるべく表情を無にして、取り敢えず従う形でこの人には接してみよう。
「立ちなさい」
凛々しく若い男性の声が響く。よく分からない模様が描かれた紙面を身につけた、陰陽師。
私は警戒しつつも言われた通りに動く。
両手を後ろに組めと命令されその通りにすると、縄をキツく巻かれてしまう。
そしてドンと背を押される。そんな乱暴にしなくとも素直に歩くというのに。
少し反抗的な顔をしてみたが、相手は何も反応しなかった。
暫く、全くの会話無しに建物の中を歩き続ける。
ここは恐らく陰陽寮だ。数多くの陰陽師達が先程からすれ違う。
妖力抵抗の力、妖力を操る力など、素質のある人間は学習を重ねてやがては陰陽師として認められ、陰陽寮に勤めるようになると言う。
役割、職種ごとに使える力は異なるが、皆それなりの力を持っているのは確かだ。
町の見張り役や、罪人捕獲役など、外で活動する者達は相手が抵抗できないよう縛り付けたり、距離のある仲間達へ連絡を行う力を持っていたりする。
アヤカシ討伐役も同じようなものだが、彼らは加えて攻撃、封印術を得意としている。様々な物質から力を得て繰り出す事が可能なようだ。
あまり外での活動が無いのは、学者と呼ばれる職に就く者達だ。彼らはそれぞれの専門学を研究し、様々な事に役立てている。そしてこの役割こそが陰陽寮の中でも重要であったりする。
多種多様な職種を管理するこの組織。
国を動かす力を持つというのも、納得だ。
ギィギィと古い床板を踏みしめていく。
ギィギィ。床の音と共に時間は流れていく。
とても長い道を歩いているように感じていた。辺りを見回しながら、抜け出す方法と機会を窺う。なるべく怪しまれないようほどほどに。
「――見付かったか……」
「いいや……確かに姿は見えて……」
「……付近を探せ……奴はまだ……」
何人かの声が近付き、そして遠のく。襖の奥で話し合っているようだった。どうやら誰かを追っているような内容に聞こえたが、よく分からない。
「おい。しっかり歩け。貴様は裏切り者だ。我々に従う以外の行動は制限されている」
急に背を突かれる。只でさえ両手を縛られて歩きにくいというのに。
思わず何か言いたくなったが、グッと堪えた。
「――ここだ。いいか。逃げようとするな」
少し豪華な絵が描かれた、金箔の襖の前に立たされた。見るからに、偉い人が中に居そうな雰囲気。少し悪趣味なようにも感じられるが。
若陰陽師は中に居るだろう人達へ、襖越しに何かを伝えている。罪人を連れてきた、等のような内容だろう。
「入れ」
男の声と共に襖が開かれた。静かに、ゆっくりと。
……あちこちに装飾された金箔が、とても眩しい空間だった。
すぐに目に付いたのは、これもまた金箔の煩い狩衣を着た中年の男。
目元を隠す紙面には『鳴』と書かれている。その身体はまあまあに巨体で、垂れた皮膚によって顎と首元の境目が分かりにくい。
「ほほう? お前さんが例の逃走者か」
若陰陽師に背を押され、私は微かにニヤつく『鳴』の方へ近付く。
「ふむう、顔がよく見えんわい。もっと近う寄れ」
更に背を押されて、足元を崩しうつ伏せに倒れる。鼻をぶつけるところだった。
……畳から異様な匂いを感じた。鉄に近い匂いだ。よく見ると黒っぽい大きな染みがある。湿ってはいないが、明らかに液体のようなものが滴った、あるいは飛び散った跡だ。
少し吐き気を覚えるが、耐えた。
「こらこら。そんな風に転んでは顔に傷がつくかもしれんじゃろう……」
のそり、のそりと『鳴』は立ち上がる。長い衣が音を立てて畳に引き摺られる。
そしてうつ伏せの私のすぐ近くにしゃがみ込んだ。
右手は畳につき、左手で私の頬、顎を優しく撫でる。少しザラついた太い指。
その行為をとてつもなく不気味に感じ、その場から動けず固まる。
「なあに怖がる必要は無いんじゃよ……ワシは知っておるぞ、お前さんはあの巫女さんなんじゃっていうことをの」
鼻の詰まった呼吸音。
「どうしてこんな事をしでかしたか、ワシは残念で堪らない。じゃがのう、そのままあっさり死なせてしまっては、流石に可哀想じゃと思ってのう」
『鳴』は私の身体を起こし、その場に座らせる。そして髪を優しく撫でて指で丁寧に梳いていく。
「だからワシは、条件付きでお前さんを助けてやる事にした。どうじゃ? 嬉しいか?」
「……、条件、ですか」
「簡単な事じゃよ」
髪から頬へ、顎へ、肩へ。
するり……。
私の上衣を、肩からゆっくりと脱がし始める。
「……!」
「助かりたいんじゃろう? ならば、少しくらいは我慢してもらわないと」
「何を!」
「されるがままにしておけば良いんじゃ。分かってくれるな?」
私は薄らと、これから何をされるのか感じ取った。
自らのこの身を、この男に捧げろということだ。
……正直に言ってしまえば、この裏切り者というどうしようもない不利な状況から助かりたかった。
もし本当に、この身体を渡す事で命が救われるのならば、それも選択肢の一つではないのかと。
……そんなことを一瞬でも考えてしまった自分に虫唾が走る。きっと恐怖のあまりに汚染されている。
「……い、嫌と……言えば……?」
「言わせんよ」
『鳴』はいやらしく笑い、腰に差す刀をチラと見やる。
私は息を呑んだ。やはりそうなるか。
「良いのう。若い女性というのは、身体を差し出せば大抵の事は許してもらえる。この世は優しいと思わんか?」
「……っ」
衣を、更に下へ剥かれていく。胸部の傍まで。
そのような言葉を、英雄と呼ばれた正義の陰陽師が口走っても良いものなのか? この国を動かしている陰陽師が。
私は強い嫌悪感を抱いた。嫌だ。嫌だ。
――がぶっ!
「あいたっ」と声を上げる『鳴』。
勢いに任せて私は、その太くて肉の付いた手に噛み付いていた。歯形がつくほどに。
衣から手が離され、巨体が若干遠のく。今だ。
立ち上がろうと試みた、が、焦っているせいで身体が言う事を聞かない。足がもつれてしまう。
何とか転ばずに、駆ける。見張りが立ち塞がっていた。力尽くで押すしかない。頭を武器に突っ込もうと、身体を前に倒して思い切り走った。
数人の手が腕や衣を引っ捕まえる。振り払えない。男達の力に叶うわけが無い。だが抵抗する。
「離して!」
――バシッ!
「!」
視界が思い切り揺れ、身体が吹っ飛んだ。畳に背を打ち付ける。
左頬がジリジリと熱い。打たれたのだろう。
「顔には手を出したくなかったんじゃが……」
頭がくらくらする。逃げなければ、逃げなければ。
しかし立てない。横たえた身体をくねらせる事しかできない。
巨体が覆い被さってくる。
「手間取らせるなよぅ。わしに身を委ねておけ。飽きるまでしっかりとわしが育ててやる」
そんなの絶対に嫌だ。
何か言ってやろうと言葉を探る。キッと相手を強く睨みつけて。震える声を押し出す。
「こんなのおかしい……っ 貴方達はおかしい!」
「脱走者に言われてしまうとは。神聖な巫女という役割を与えられていながら結界を越え、シラチゴの男を庇い、我々陰陽師に歯向かうお前さんに言われてしまうとは。これこそおかしいと思わんかね?」
全て話は渡っている。完全に私は悪役だ。罪人なのだ。
「……私も、きっとおかしくなってしまったのでしょう……! いつからか、いいえ、最初から。貴方達の“計画”が正義のものとは、一切思わなかったのですから……!」
「計画……? そうか。お前さんは知っておるのか」
「『アヤカシ殲滅計画』……知っています。私は既に。……貴方達はそうやって軽々と、自然の一部を壊そうとしている。それがどれだけ大変な事か、神様に逆らう事なのか分かっていますか……!?」
「」
※修正中
……!?
「……。なぁ、何ぃ……?」
「……、えっ?」
酷い罵りを口走ったのは、もちろんゆりではない。
襖に立つ若陰陽師でもないようで、その声に戸惑っている。
『鳴』もゆりから離れて襖の方へ振り向き、困惑していた。
「誰じゃ……何処の無礼者じゃ!?」
「我々では御座いませんっ 正体不明です!」
「ならば探せ! 何をボーッとして……」
――ブシャアァッ
襖の前に立っていた若陰陽師たちが、一斉に首から血を吹き出し崩れ落ちていった。
……『鳴』とゆりは固まる。目の前の状況に顔を青くし、口をぱくぱくさせながら。
「な……んじゃとぉ? 何者じゃ!? 何処にいっ……ガフッ」
突然体制を崩し変な声を上げる『鳴』の方を見て、ゆりはあっと驚く。