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封魔 ―流浪巫女と赤い夜―  作者: 雪狐 ふゆ
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第弍話 〜赤刀〜




鮮血が牡丹の香りと混ざり、地を染めていく。硬い土に赤が染み込む。

傍の提灯がそれを鮮やかに照らしている。


どうやら『音』が何かしらの攻撃術を繰り出したのだと気付く。私達を本気で傷付ける為にか。

だがそれは私には当たっていない。明らかに狙っていたはずなのに。血を被ってしまっているが、それは他人のものだった。

誰のなのかは、ふと視線を上げた際に分かってしまう。


後ろで眠っていたはずの青年が、彼がいつの間にかそこに居たのだ。先程治療をした左腕が、また深く斬られている。

だが青年は呻くこともなく、私の前に立つ。


『音』は待ってましたとでも言いたげに、喉の奥を鳴らして歯を見せる。とても楽しそうに。


「眠ってくれていた方が、楽だったのですが。お目覚めですか」


右手を軽く上げる。他の陰陽師達が、刀を構える。

青年は怪我をしている方の手で、刀を握っている。それは“赤い方”のものだった。傷口から流れ落ちるものによって染められた部分もあるが、刃そのものが赤い光沢を放っている。


「アンタらが、うるせぇからな」


青年は言った。『音』は鼻で笑う。


「まあいいでしょう。どうせなら面白くしてくださいよ」


陰陽師達が一斉に、青年へ向かって走り出す。刀を振り上げて、斬り掛かろうと。

私は怖くなって思わず立ち上がった。


「あぶなっ や、やめ……!」


だが青年は全く動かない……と思っていたのだが、いつの間にか目の前から姿を消す。


「!?」


そして、次々と鈍い音が聞こえてくる。

ザシュ、ザシュッと。

つい先程まで刀を振りかぶっていた陰陽師達が――脇腹から真っ二つになっていく。


戦闘というものをあまり間近で見ることのなかった私は、その動きに目が追いつけない。

青年は別に瞬間移動等をしている訳ではなく、ただ、ただ早い動きで斬り掛かっていた。

土を蹴る音も目立たず、本当に一瞬で陰陽師が斬り捨てられていく。

その左腕、動かしにくくはないのか。そのような素振りは全く見せずに、赤い残像が鞭の様にしなる。


私が驚いたのはその事だけではなかった。真っ二つになった陰陽師達をよく見てみると……血が出ていない。

断面を見てみると、赤いモヤのようなものが詰まっているように見えた。


それは、マモノを斬った際の傷口ととてもよく似ていた。


「ははは! 素晴らしいですねぇ! 封魔師(ふうまし)の腕は伊達じゃないようです。改めて見直しましたよ。……まーぁ、噂によればその仕事はあまり上手いこといってないようですがね?」


『音』はさも愉快そうに笑っている。大量の“陰陽師”が目の前でやられているというのに焦りが見られない。

掛かってくる者全てを斬り捨て終えた青年は、笑う『音』の方に視線を向けた。左腕の傷口からダラダラと血液が垂れている。


「ねぇお嬢さん。見ました? 凄いでしょう彼の動き」


『音』は楽しげに、唖然と立ち尽くす恐らく間抜けな顔の私を見やった。

自分を置いて進んでいく展開に私は反応する余裕が無い。

恐る恐る青年の方に視線を移す。表情はもちろん分からない。


「おや封魔師さん、どうしましたか? 先程の話、よく聞いていたのでしょう? 気に食わないですか? 腹が立ちましたか?」

「……さあな」

「ああ。こう呼んだ方がしっくりきそうです。……犬神の子。『シラチゴ』さん。それとも?」

「……」

「嫌そうですね。どうでもいいですか。まあ言う事を聞いてくれれば話が早いので。大人しく速やかに、捕まってくれますか」

「……アンタ、ちょっと間違ってんぜ。そんな言葉をやすやすと、掛けられる相手に見えるかい」

「何と。どういう意味でしょうね」


『音』が、少しだけその冷淡な声色を困惑に変えた。

青年の方は、低く、静かに、相手に確実に伝えるかの如く一文一文を紡いでいく。


「アンタは只の人間で、オレはバケモン。そうだろ。飽くほどアンタらが言っていたことだ」

「ええ。そうですね」


青年は封魔と呼ばれた赤い刀を、背負っていた傘の中に収めた。


「そりゃ確かに、間違いねぇと思うぜ。でもよ。だったら尚更だ。アンタらはそうやって、生身でオレの目ん前に現れる。それが一体どういう事なのか。分からねぇのかい」


私はそろりと、話す青年の横顔を伺った。口を開けるたびにチラチラと、尖った犬歯が見え隠れする。ニィと笑っているようにも見える。


「人間は化物を捕らえるものです。そういう世の中なのです。だから私達は貴方の目の前に立つ。それだけでしょう?」


『音』が再び数珠を取り出し何かを唱えようとする。


「いいや――」


青年も動く。

右腰に差した銀色の刀を握って。


――ズブッ

「……ッ!?」


口元を歪めたのは……『音』の方だった。

術の集中が途切れ、息が乱れる。前に翳した手の指が自然と丸められ、繰り出そうとした術が止められた。

ポタ。ポタ。草地に玉が落ちる。『音』の両足が浮き、樹木に背を打ち付けられていた。胸部は貫かれ、そこから垂れる液体がまるで血管のように広がりながら刀を伝う。


「バケモンが人間を捕らえるんだよ。……昔からずっと、そうだったろうが」


『音』は項垂れたまま、動かなくなった。先程までそこに立ち、青年と、私と会話をしていたというのに。

呆気ない。あっという間であった。

いとも簡単に人の命が途切れる瞬間を見てしまった。


青年は力失くしたソレを軽く揺らし、右膝で木に押し付けながら刺さっている刃を引き抜く。

ズルリ。そんな音が響いた。


樹木から背が離れ、重力に従って落ちたそれを見つめながら、青年は血濡れた刃を白布で丁寧に拭っている。


「あ、あの……」


そっと声を掛けながら近付いてみる。

青年は返事をせずに刀を収め、呆れたような溜息を小さくついて、私の方へ振り向く。


「……余計な事しやがって」

「えっ」


何に対してなのか分からず戸惑う。

すると青年は徐に、袖を捲って包帯が巻かれた部分を見せ付けてくる。


「あっそれはっ、あのまま放っておくなんて何だか悪い気がしたんです! 助けて頂いたしそれにその……あっ、熱は! 熱はもう大丈夫ですか!?」

「……」


青年は気に入らないとでも言いたげにそっぽを向いた。問い掛けも無視である。

怒っただろうか。刀を向けては来ないが、あまり不機嫌にすると危ない気がする。


「余計なお世話だったのならごめんなさい……。でもあのままはやっぱり、酷いと思って」


ぺこっと頭を下げて謝ってみる。青年はそれを見て暫く何も言わず、やがて面倒臭そうに何処かへ立ち去ろうとする。


「あ、待ってっ」

「……満足したんなら、どっか行ってくれ」

「先程また斬られた傷、それも治さないと酷くなっ……」


――シュンッ


……とうとう鼻先に刃が向けられてしまった。この状況はとても慣れない。


「耳、聞こえねえの」

「あう、き、聞こえます……」

「じゃあ言った通りにしろ。……それとも、本当に聞こえなくしてやろうか」


青年の声に再び殺気が込められる。刃先を私の右耳付近へズラしていきながら。

恐ろしくて仕方ない。


「う……えと、えっと、」


青年の低い声に怯えつつ、気に障らないよう一生懸命言葉を探した。


「私は、貴方が悪い人には見えません……っ だ、だからせめて、助けてくれたお礼としても、何かお力になりたいと、少しでもなりたいと……っ」

「……」


冷えた刃が今にも皮膚に当たりそうで、出会ったばかりの時と同じ恐怖が襲い掛かる。

何とか分かり合えないだろうか、それは無謀だろうか。そう思いつつ。


「私は貴方を傷付けたり、捕まえたりする気なんて全く無いのです。寧ろその逆で……」

「……自分の得になんねえ事を、わざわざする必要なんてねえだろ」

「損とか、得とか、そうじゃないんです! 私は……」


あまりにも押し付けがましいだろうか。彼にはそう思われているだろう。

自分がどうしてここまで必死に説得をしているのか、自分でもよく分からない。私はただの綺麗事を並べたがっているだけなのだろうか。


「と、とにかくその出血を止めないと、大事な腕が使えなくなっちゃいますよ。刀を扱うなら、尚更に……! すぐ、終わりますから!」


必死に頼み込む。

この青年について知りたい、話がしたい。そんな興味も勿論否定できないが、もし本当に殺されてしまったら、私自身がとても強く後悔してしまう気がした。


「だ、駄目でしょうか」

「断ったら素直に帰ってくれんの」

「あー……」

「……、はぁ」


断るのが面倒になったのだろう。青年は諦めたように溜息をついて刀を収め、その場にドカッと座り込んだ。

その様子をただ見ていた私に、青年は乱暴に左腕を差し出した。


「終わったらどっか行けよ」


やっと理解した私は嬉しくなって、薬と包帯を取り出して青年の傍にいそいそと座り込んだ。

まだ警戒しているのかこちらをジーッと見てくるが、なるべく目は合わせない。


着物の袖を捲り、傷の広がった腕を露出させる。少し腫れていた。血濡れた古い包帯をゆっくり外し、青年の肌に滲む血を拭き取る。

布を当てるたびに手が少し動いた。痛いかと聞いても答えてくれない。白い肌に直接触れると、まだ少し熱かった。


そういえば『音』は青年のことを“シラチゴ”と呼んでいたなと、ふと思い出す。

その前には……犬神の子。

あの恐ろしい存在が子を生み落としていっただなんて聞いたこともないが。青年はどうしてそう呼ばれているのだろうか。

気にはなるが、気軽に聞ける問題では流石に無いだろうと思い、それは私の心の中に留めておくことにする。


……暫くして青年が口を開いた。


「怖くねえの」

「え?」


突然の質問で思わず戸惑ったが、今は別に怖いとは思わない。

私は返した。


「普通ですよ。刀向けられた時は流石に怖かったですけど……」


青年は沈黙する。

視線を何度か移して、考え込んでいるようだ。


ふと青年の顔を見れば、――やはりお面で目元は見えないものの、先程の殺意やイライラ等は感じられなくなっていた。

逆に少し……悲しさや寂しさに似たようなものを、感じる気もした。


静か過ぎる空間に少し緊張してきて、私は会話をしようと試みる。


「私は陰陽師が嫌いなんです。だから……貴方をあのまま引き渡すなんてこともしたくなかった。納得がどうしてもいかなかったんです。結果的には貴方に助けられたんですけどね」


「……。嫌いでも、ああやって反抗する奴はそう居ないな」


「やっぱり怖いですからね。力を持った存在ですから。でも私は……それでもあの気持ちを譲れなかった」


「恨みでもあんの」


「……」


思わず、私は薬を塗る手を止めた。

何かを察したのか、青年は「……やっぱいい」と続けた。

ついでに私の方からも質問をしてみる。


「貴方はどうして追われていたのでしょう?」

「……」

「……何でもないです」


同じく答えられない質問だったのだろう。


私は何となく青年をよく見つめた。髪の色、肌の色、そしてそのお面。

ジロジロと見てしまい、青年は少し困って視線を逸らす。


「変な奴だ」


そう呟かれた。


「そ、そうでしょうか……」

「そう。会った時からそんな気はしてた、けど」

「あ、会った時……?」

「あのデカい社の、階段んとこで会った時から」


それは、祭りの日の夜のことだろう。石階段でのこと。

正しくは舞の時に見掛け、走って追ったのだが。


「あの時の事、覚えていたのですか?」

「……そりゃ、あんな変な女が、暗闇から追ってきたらよ」


まるで怪談話みたいな言い方をされてしまい、恥ずかしくなる。確かに普通は驚くだろう。変な形で印象に残ってしまったのだな。


「それはあの、私が舞をしている時に見ていたから……」

「舞……? ……あー。あれか。お前、あの舞台の奴だったのか……」


そこには気付いていなかったようだ。見えなかったのか、気にもとめてなかったのか。

包帯を巻き終えると、青年はその部分をまじまじと見つめ出す。


「そうですよ。ええっと、その犬のようなお面が目立っていて不思議で」

「……あー」

「どうしてそれをずっと着けているのですか? 視界が狭まるように思うのだけれど」

「……、目立たない為」


青年は小さく答える。

それは逆効果だと思うのだが。着けておかなければならない理由があるのだろうか。

視線を落とす青年を見て、これ以上は探らない方が良さそうだと思った。


「話し過ぎた。そろそろまずいか……」


青年はふと月を見て、そう呟いた。


「じゃあ、お前がその、巫女さん? なんだったら……あるだろ、帰るとこ。とっとと戻った方が、いいんじゃねえの」

「あーええとその、まだ帰りたくないというか帰り時では無いと言うか」

「……?」

「い、いろいろありまして今、帰れないんですよ……。だから探していたんです。何処か泊まれるところ。そしてあんな目に」


そういえばそうだったと、私は話しながら思い出す。そろそろ留まれる所を見つけなければ。もう丑三つが近い。


「……お前。そんな状態で、外を彷徨くつもりなの」

「えっ」


話を聞いた青年は唖然として問い掛ける。


「あまりにも、無防備な」

「あ、ほら! 懐刀はちゃんと持ってますし! 体力には自信あるんですよ!」

「……」

「う。その」


呆れてものも言えない様子の青年に、恥ずかしいという意味で顔が赤くなる。


確かに。あまり考えていなかった気がする。町と町を渡るのにその間の森や山を通らなければならない。山賊の類や獣に遭遇したら、果たして懐刀のみで耐えうるのか。

考えていたようで考えてない。外の事を知らないが故に。いや、それにしてもか。


「……お前さあ、自分の意思で家出したんだろ。だったらそれ諦めて、帰っちまった方がいい」

「それは……」

「そろそろ、本当のバケモンが大量に湧いてくる。ただのアヤカシじゃなく、お前を追っかけてたような、マモノがだ。そうしたらお前、どうすんだ。山ん中で走り続けて、夜を明かすのか」


……言葉が出てこない。

青年の言う通り、これからは普通のアヤカシよりも狂暴なマモノが活発的に活動し始める時間である。

それは積極的に人間を喰らおうと、本能だけで動く。纏う妖力もかなり強くて、本当に危険な存在。

夜になると覚醒し、徘徊する。陽が顔を出すと居なくなる。まだまだ日の出までは長い。


……青年はマモノを斬ることができる。封魔と呼ばれた刀を使って。

しかも同じもので『音』以外の陰陽師達を斬っていた。

アレらもまたマモノと同じような呪いの塊だということを、青年は知っていてそうしたのだろう。

陰陽師について、私でさえ知らない事を彼は知っている。一体何故?


それについても問い質してみたかったのだが、私が何か言い始める前に青年に遮られてしまう。


「言っとくが、オレはここでサヨナラだ。ちょっとは話を聞いてやったけど、協力するつもりは更々無い。面倒な事に、関わりたくねえから」

「私、何も言って……!」

「そう。じゃあ、大人しく帰りな。オレも探しもんがあるんで」

「う……」


踵を返し左手をヒラヒラと振る青年。全く冷たい人だ、と思いつつ。

何とかしてついて行くことはできないだろうかと、また無謀な考えが頭を過ぎる。


「な、何を探しているのですか? 二人で探せば早く見つか……」

「お前に教える必要は無え。協力もいらねえ。斬られたくなけりゃ、もう帰れ」


引き留めようとも失敗する。流石に、また刀を向けられるのはとても避けたい。


「す、すみません。一人で先に行きます」

「……聞いてたか。帰れと」

「いえ、帰ることはできません……。帰ったら捕まるかもしれませんから」

「捕まる?」


青年に少し怯えながらも、私は深呼吸をして話を続けた。


「先程も舞台に立ってたと言いましたが、私は巫女でした。神様に使える存在でした。鳥居の外に出ることは禁じられていたのです。……上手いこと脱走できたものの、もう見張りの陰陽師達は持ち場についていることでしょう。先程の追手達を斬った情報も回っているかもしれない。私が居ないことに気付かれてるかもしれません。……進むしかないんです!」


「……そうなるって分かってて何で出てきたんだ」


「……耐えられなかったから……。陰陽師と深く関わりを持つことが嫌で、抜け出したかったのです。それだけではなく、その……変えたいと思ったから」


私は、陰陽師が密かに立てている計画を耳にしていた。

『アヤカシ殲滅計画』。

陰陽頭が突然打ち出した計画だ。この国からアヤカシと呼ばれるものを消し去り、人間に対しての脅威を無くしてしまおうという試みである。

最近になって数を増やしてきたマモノも、陰陽頭によればアヤカシが関係しているそうだ。ならばアヤカシを減らせば、無くせば、マモノも必然的に消えるだろうと。


でもそんな考えが本当に上手くいくとは思えない。

逆に、自然に近い存在であるアヤカシを殲滅させるなんてことは、やってはならない事だと私は思っている。

そんなことが実現してしまったら、きっとこの国の環境は壊れてしまう。そんな気がしてならないのだ。


私はそのようなことをなるべく短めに伝えてみる。

だがそれを聞く青年は途中から飽きたかのような素振りを見せ、私の声は小さくなっていく。


「と、とにかく、私はこのような理由で鳥居を越えました。出てしまった以上、これを達成するまでは、決して帰りはしません」


青年の目をまっすぐ見つめて、私は言い切った。しかし、


「くだらないな」


すぐにバッサリと切り捨てられた。あまりにも無慈悲に。


「く、くだらないことでしょうか……!?」

「あまりにも幻想だ」

「でも、誰かが動かなければ何も変わりません! みんなが怖がって言いなりになるなら、私だけでもっ」

「お前が動いても、何も変わらねえよ」


ぐさぐさと心に突き刺さる鋭い刃。

私のような小さな巫女崩れが、どうやって陰陽師のような権力者に立ち向かうというのか。

それは何度も何度も自分自身の中で葛藤してきた。答えは出なかった。

動かなければ見つからないと思った。


「そんな未来の事は、分からないじゃないですか。少しでも可能性があるならば、私はそちらに賭けたいのです」

「可能性がゼロだから言ってる」

「それは貴方の思い込みです! いつ神様が味方してくれるかなんて分からないですから!」

「その神さんからお前は逃げたんだろ」

「……!」


とうとう言い返す言葉が思いつかなかった。

そうだ。確かにその通りだ。

逃げ出したのにどうして味方してくれるなんて思ったのだ。


「お前には無理」


黙り込んでしまった私に、青年はそう言った。

トドメを刺されたような気分だった。


「貴方はどうしてそこまで……」

「さあ。オレはバケモンらしいから。普通の人間のお前とは分かり合えねぇんだろーな」

「そんなこと!」

「まあでもお前がこのまま捕まろうと喰われようと、オレには関係の無ぇことだし。そこまで言うんなら好きに死ねば良い」

「そ、そんな言い方は無いじゃないですか……っ」


青年の言葉に私はついカッとする。

そこまで否定してこなくても良いじゃないかと。


「わ、私の好きにやります。貴方に言われなくとも! なのでもう放っておいてください……!」

「……あっそ。せいぜい無様にどうぞ」


「貴方にお話をした私が間違いでした……っ」

「そうだな。せめて楽に死ねるよう祈っとく」


私が両手拳を握り震えている間に、青年は姿を消していた。


気持ちが落ち着かない。あまりにも悔しい。

こんな調子で、本当に国を変えられるというのか。

目に涙が薄らと滲む。すぐ泣くのも癖だ。直さなければ。


……やってみせる。どうにか、何か方法を考えて。


両頬をぱちぱちと叩き、気合を入れる。

今のことは忘れてしまおう。そして前へ進むのだ。歩いて、足を動かしながら頭を動かそう。


私は地に転がるものへ身体を向け、両手を合わせた。

いくら憎んだ存在とはいえ、目もくれず去るのは何だか冷酷なように思えたからだ。


さて、道は暗くて、正直一人で歩くには恐ろし過ぎる。

最悪襲われても、短刀で逃げる隙くらいは作れるはずだ。

倒せなくても、逃げられれば大丈夫。……多分。


私は懐刀を取り出そうとする――と、何かが懐から落っこちた。

おや、これは……。ああ、拾った巻物だ。

そう言えば持ったままであった。これも一体どうしようか。あの時に拾わなければ良かったのだが、落ちているままというのはどうしても気になってしまう。

常に神社の周りを掃除していたからか、捨てられたゴミや落し物等には敏感なのだ。

少し悩んでいると、留めていた紐が緩かったのか巻物がするすると開かれてしまい、地面にまで垂れていってしまった。

転がっていく端を追って拾おうとするが、そこであることに気付く。


何も書かれていないではないか。


そう。何も綴られていなかった。文字も絵も、染みさえ無い。

しかし外側はボロボロなのに、何だか不自然だと感じる。一体誰が何のために持っていたのだろうか?


……変に考え過ぎかもしれない。

もしかしたら落とした際に、獣が蹴っ飛ばしたり鳥がつついたりして傷付いた可能性があるではないか。


巻物を巻き直し、紐を留めて懐にしまう。


……次の日になればあの死体が誰かに見つかる。そして私の捜索もより力を入れられるだろう。

陰陽師殺しの犯人と脱走者を探しに、沢山の人がぞろぞろ動き出す。賞金でも掛けられるだろうか。

その前に離れなくては。どこかへ隠れなくてはならない。


“お前には無理”


あの青年の言葉が脳内を過ぎる。

いけない。忘れなくては。

私だからこそできることが、何かあるはずだ。

それを成し遂げなければ。


「――お嬢さん? どちらへ?」

「!?」


え。


声だ。

中年の男性の声。


私はドキリとした。背後に気配を感じる。

嘘でしょう……?


振り向いた先には、予想通り。


「おや。見たことある顔だ。君はまさか……?」


別の陰陽師が立っていた。

こんなに近付いてくるまで、本当に気付かなかった。

まずい。まずい。

今度こそまずい!


「……っ、さ、さようなら!」

「待ちなさい」

「あっ、離して!」


ガシッ、と、大きな手に腕を掴まれる。力が強く、振り解けない。

とにかくもがくが、相手の腕はビクともしなかった。


「お願い離して!」


逃げられない。

嘘だ、こんなに早く捕まるだなんて。

無理矢理手を引かれ、陰陽師の隠れた顔が近付く。


「それ以上抵抗したら、どうなるか分かるね」


彼もまた、『埜』と綴られた紙面を身に付けていた。




〜弍話・完〜

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