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封魔 ―流浪巫女と赤い夜―  作者: 雪狐 ふゆ
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第壱話 〜牡丹〜




牡丹の花は見ていた。

人が人を呪うところを。


「おい、増援はまだか!? 増援を寄越せ!」


刀は血に赤く染まった。

まるで嘆く様に染まっていった。


「我々のみでは足りぬ! 半分以上が死んでしまったぞ!」


屍の上に咲いていた牡丹は、

雨に濡れ音を立てた後、


「退却だ! 奴は人間じゃない……っ まるでバケモ――」


花弁を散らしながら、崩れ落ちた。


「……チィッ、またハズレだ」


そして刀と一つになった。




――月は夜に浮かび、その下で桜が輝き散る。


人々は浮世を忘れ、ポツポツと灯る明かりに誘われ賑わっている。

談笑の声、客寄せの声、何かを焼く音に囃子や太鼓。香ばしい匂いや噎せ返る白い煙、線香の匂いまで立ちこもる。

いつもは静かな町の外れも、この日ばかりはお飾りや道行く浴衣に彩られて大層華やかだ。

山の向こうを目指すが如く、鳴り響く笛の音。


「今年も来たな、この祭りが。今の所、町は守られているようだ」

「春の知らせだ。……アヤカシはここらの土地には入っては来れまい。我々の張った結界のおかげだ」

「そうだ。アヤカシも、“アレ”も」


小屋の中でそう口にするのは、紙面によって目元を隠している中年の男性達だ。

同じような身なりの人物らがあちらこちらで待機している。


「まだまだ寒いがな。……さて。国の平和は我々陰陽師によって保たれている。神楽が終わったら持ち場に戻ろうか」

「そうしよう」


そう言うと、紙面の集団はぞろぞろと舞台近くに集まって行った。


「ゆり様、出番ですよ」

「はい、今すぐに」


服装や髪型を整え終わった私は、冷たい風の吹く外に出た。


ポポンと鼓が跳ね、緋の袴を身に付けた私は静かに、ゆっくりと舞う。

扇で風に波を起こし、真っ白な幣は獰猛な獣のように揺れる。それは古くから伝わる犬神を再現しているのだ。

恐ろしい脅威であったそれを見事、退治してみせた陰陽師を国は崇め讃えている。この神楽も、その為のもの。


「今日の巫女様は、いつにも増して美しい……」

「寒さに染まった頬が笹百合のようだ」


そのような声がどこからか飛び交う。


私は、この日が来るたびに何とも言い難い感触を胸の中で渦巻かせている。

その複雑な思いが自然と表情に現れ、人々はそれに見惚れていると聞く。

一本も遊ぶことなく腰まで伸びる黒髪が背の真ん中辺りで束ねられ、それをゆらりと揺らす。仄かな甘い香りを風に乗せて。


……、……?

何だろうか。何だか不思議な気配を感じる。アヤカシでは無い、別の初めて感じる気配。

あちらか? いや、こちらだろうか。


檜扇の実のように黒いと言われる私の目は、ふと、とある人影を捉えた。

それは神楽を見る人々の後ろ、木々の集まりの中を歩いていた。

普段ならば特に気に掛けないいつもの風景なのだが、何か違う、不思議な感覚に困惑する。


できる限り表情を変えず視線も揺らめかせながら、それでも人影を微かに追い続けてみた。

その人影は立ち止まり暫くこちらを見ていたが、やがて飽きたように顔を逸らし、再び歩き始める。

神楽の終わり頃にはその姿を消していた。


シャン。シャララ。鈴の音を鳴らし、ただ何も知らず舞台の上をじいと見る人々の厄を祓っていく。

一通り祓い終わった後、私はもう一度、立ち並ぶ木々の向こうへ鈴を鳴らした。去っていった謎の人物に向けて、自然と身体が動いていた。


こうして幕は閉じられる。

人々は残りの時間を、再び騒ぎ楽しむのだろう。深い事など何も考えず、忘れ去るようにして。


「少し、風に当たってきます」


そう見張りの陰陽師達に伝え、私はそのまま鳥居の道へと駆ける。

何故だかそうしないといけない気がしたから。


――ザワワワ


風が邪魔をするのを無視して、ひたすらに土や石を踏み進める。

石の鳥居をくぐりながら、まるで誘われているかのように夢中になって。

長い階段を下って行き、祭りの会場を離れるほど道は暗くなっていく。ともる灯篭だけが唯一の印である。

視界が揺れて、足もジワジワと痛んでくるが、不思議な程に強くなった好奇心は止まらない。


……あれ? この感じ、どこかで。


思い出しそうで曖昧な、砕けてバラバラになった映像が頭の中を廻る。

出てきそうなのにどうしても見つからず、視界に映るものや音の全てが邪魔に思えてくる。


一旦足を止めた。髪の靡く音や服の擦れる音、階段を踏む音や風を切る音で騒がしかった周りが、嘘のように静まる。

感じるのは、辺りに咲く牡丹の香り。


――ふと暗闇にすっかり慣れた目が、先に佇む人物をとらえた。それでも暗くて見え難いが、灯篭の明かりで浮かび上がる。

赤い傘を差し、その下から覗く顔。……髪が白くて、何かのお面を被っている。


「……、あなたは」


口にして、そこで止めてしまった。何故かは私自身にも分からない。


数秒だろうか。少し長く感じたその時間。二人は互いを見つめていたが、面の人物の方から視線をずらし、暗闇の底へ走って消えていってしまった。

カッ、カッ……石階段をくだる下駄の音と、その影が闇に吸い込まれるまであっという間であった。


その様子を、私は何も考えることなくただ見ていた。残された牡丹の香りを感じながら――。




「――よし」


私はなるべく音を立てないよう荷物を抱え、社を去ろうとしていた。

祭りから一日が経ち、すっかり清掃された神社の周りは人通りもなく、静けさに包まれている。

相変わらず空気は冷たいが、雲一つ掛かっていない満月がとても綺麗だ。


いつもの緋袴ではなく、密かに隠し持っていた青色の袴を取り出す。

神に使える私ではない、鳥居の外の私。気持ちを入れ替える為に必要なものである。


巫女ともあろう者がこのような怪しい行動をしていては、神様もきっと呆れてしまうだろう。仕方の無いことだ。


巾着の中には最低限の身嗜み用品、薬草等を詰め、懐にしまう。準備には限界があった。

何せ神社の者にバレないよう、こっそりと進めていく必要があるのだから。


後は懐刀。刃物の扱いはあまり慣れていないしできれば使いたくない。だがもしもの為にと護身用に持ち歩く。

腰には小さな器を下げる。


取り敢えずはこの辺りだろう。遠出になる場合ごちゃごちゃと持ち歩いては、かえって不便である。

少ししたら身を置く場所も見つけなければ。


いつもは数人の見張りが辺りを彷徨いている。神社から脱走する者をすぐに捕らえるためだ。

それ程、かつては逃げ出そうとする者が多かったのだろう……。


しかし今、誰も外を歩いてはいないのだ。

町の陰陽師らは皆、一箇所に呼ばれ話し合いを始めている。これは年に一度あるかないかの出来事である。余程の事件、異変が起こらない限りはこのようなことは無い。

まさに絶好の機会だ。


無事、第一鳥居を過ぎる。そして長い石階段を下り、最後の鳥居も無事通り過ぎる。ここまでは何も無く順調だった。

乾いた土を踏みしめ、落ち葉の割れる音に少し驚く。暗い道は苦手だが、怖がっていては前に進めない。


「……? 何だろう」


地面に落ちている何かを見付ける。それは少し汚れた円柱のもの。濁った赤で、紐に巻かれていた。

拾い上げて更によく見てみる。長い長い紙をぐるぐると、芯のようなものを軸に巻いたものであった。所謂、巻物だ。


落とし物だろうか? 少し怪しい。地面に戻そうと思ったが、一度拾ってしまえばまた捨てるのも悪い感じがする。

念のために懐へしまっておいた。


私は一番近い町へと進む方向を変えた。外は更に冷えてきているし、せめて小さな宿にでも入れてもらって一度身体を温めようかとも考えた。


……否、それをするのはもう少し後の町が良いかもしれない。

こんな近くで大きな祭りが終わったばかりの今では、宿主が巫女の顔を覚えていてもおかしくはないからだ。

脱走がバレて陰陽師に伝わればまずい事になってしまう。


夜という時間帯に一人で出歩く無謀さは、神が見れば呆れるだろう。自殺行為に等しいものだ。

それはようく分かっている……それでも達成したいものがあれば、どうしても諦められない。


私は心を落ち着かせ、覚悟を決めてゆっくりゆっくりと先へ進む事を試みる。


――グウウ!


そうして、音が聞こえた。本当に突然であった。

一瞬、自分のお腹でも鳴ったのかと思い気にしないようにしてみたが、よくよく考えてそんな訳が無い。

しかし人間とは不思議なもので、焦るべき出来事がいざ目の前に現れると、逆に冷静になってしまうものだ。

その結果素早く行動に移れるか、現実逃避をしてしまうかは個人差が出てくるが。

とにかく私は深呼吸をして、おそるおそる振り返った。


その姿をしっかりと捉えた。


ヴルルルル……と唸っている何か。

四足歩行で、とても大きく黒い身体。赤くギラギラ光る目。それはまるで獣のような見た目。

……“アレ”のような見た目だ。


「……なんてこと」


なんて呑気に呟いている場合ではない。それは絶対に危険な存在だからだ。

ソレは暫く唸りながらこちらを見つめていたが、すぐにその目を鋭くし、口を大きく開けた。


――ウガアアアア!


……逃げなければ。

ようやく私の身体は危機を察知し、動く。踵を返して走る。とにかくがむしゃらに走る。

ソレももう一度大きく鳴き、後ろ脚で土を蹴った。


「ひっ、だ、誰かぁ!」


声を上げても誰も来ない。本当に人が通らない。最初こそ絶好の機会だと思ってはいたが、大きく後悔した。

脱走は確かに上手くいくが、命の危機となればそうは言っていられない。とにかくこの状況から脱さなければならない。


私は肺が壊れるほど走り続けた。

しかしこの状態で町へ向かっては逆に大変だ。大勢の人を巻き込んでしまう。

人に対して敵対心を抱き襲い掛かる、『マモノ』の被害に。


走りながらふと思い出す。この辺は陰陽師が強い結界を張っているはずであった。そう簡単にマモノが現れるはずがない。

気を緩めていたのはその為でもあった。しかし、考えが甘過ぎたようだ。

とにかく巻くしかない。巻いて身を隠さなければ。


「――あ、あれ?」


もう一度振り返るとマモノの姿は無かった。どうやらいつの間にか逃げ切れていたようだ。

ホッと安心した私はジワジワ痛む脚を引き摺る。

久々にこれだけ走った。


あまりにも脚に力が入らずフラフラ歩いていたために、少し出っ張った石に躓き勢いよく転んでしまう。

ドシャアッ、と


「いたぁ!」


最早ボロボロである。

脱走とは本当に難しいものだ。精神的にも追いやられていく。

災難続きですっかり気分も落ち、大きく溜息をつきながら私は立ち上がろうとした。


――ぬるり。


……手に、何かが付いた。嫌な感触であった。


生暖かい何か。それは草地に広がっていた。

更にジワジワと、広がってきている。

そして何かが転がっていた。それから同じような液体が垂れている。


暗くてよく見えないが……鼻につく、鉄錆びたニオイ。本能的に危機感を感じるニオイだ。

近くの灯りに照らされたそれをよく見ると、赤いような。

地面に広がる液体が一体何なのか、私は完全に想像がつき、少し身体を震わせる。空気がより冷えたように感じた。


「な、何が……」


地に伏せた身体を起こすことも忘れ、その光景から目を離せない。

恐る恐る視線を上げ、瞳は何かをとらえる。


それは人影であった。


ギラリと金属光沢を放つ長いものを左手に持ち、転がる物体を踏みつける存在。

灯りで薄らと色を認識する。その姿に見覚えがある。


黒い羽織に、背負っているのは赤い傘。白い獣の顔をかたどった面を身に付け、白い髪の毛を靡かせる青年……。


私は息を呑んだ。

確かにあの祭りの日に、石階段で見掛けた不思議な青年に違いなかった。

ここでまた会ってしまうとは思いもせず、「あっ」と思わず声に出してしまう。


「――誰だ」


しかし、それをかき消すかの如く。

唸るように低く、空気を震わせる青年の声。彼はこちらを向いた。面越しで見られないが……恐らく私を睨んでいる気がする。

まるで酷く警戒している様だった。伝わってくる殺気に言葉を詰まらせる。

今、彼を怒らせれば、その左手のもので私は斬られてしまうのだろう。

恐怖で掠れた声を絞り出す。


「わたし、あのっ」

――ヒュッ


青年は左手を素早く動かし、血の滴る切先を鼻先に向けてきた。

ピタと止まった先端からぽたりと落ちる玉。より近付いた鉄のニオイに呼吸さえ詰まる。


「テメェもコイツらの仲間か」


表情は分からない。声色は先程より落ち着いているが、下手なことをすればすぐにでも首を落としにかかるだろう。それ程の殺気が伝わる。

コイツら、とは、この転がるものたちのことだろうか。


「えと、そ、そのっ」


刃は微動だにしない。斬り掛かることも無ければ、下ろされることも無い。

汗がじんわりと額に滲む。少しでも変な事をすれば殺されてしまう。その恐怖と緊張が、心臓を強く鳴らす。

青年の面の奥にある瞳を見つめる。どうやら相手もこちらの様子を伺っているようだ。……目元の小さな穴が、赤く光ったような気がする。

伏せたままの身体を支える腕が痺れてきて、肘もいたむ。だが少しでも動けば、何かすれば……その思考の繰り返しで、沈黙のまま数秒経ってゆく。


「あっ、あの――!?」


もう一度口を開くと、鼻先に向けられた刃が勢いよく風を斬る。

き、斬られる!

咄嗟のことで逃げられず目をぎゅっと瞑り、額を地面に付け反射的に両手で頭を守った。


――ギャァアッ!


「!?」


瞬間に、背後から悲鳴が聞こえた。人のそれではない。ケモノのような声。

何が起こったか分からずゆっくりと頭を起こし、振り返る。一番最初に目に付いたのは、青年の姿だった。

そして次に、黒い獣が横たえ、その傷口から赤い煙の様なものが空気中を漂っていることに気付く。

先程追ってきたマモノだ。

赤い煙は細かく散り散りになり、空気と一体化して何処かへ飛んでいく。マモノの身体も同じようにして消える。


「……チッ」


舌打ちをした青年が握っているもの。先程こちらに向けてきたものとは違う、色のついた金属光沢を放つもの。

……赤い、刀だった。いつの間に持ち替えていたのだろう。

物珍しくて、私はそれを見つめる。


あのマモノを、それで斬ったのだろうか?

アヤカシとは違いマモノの身体はとても特殊で、普通の武器では倒す事が出来ないはずだった。


私はハッとしてその場から起き上がる。服についた土をはらい、青年に声を掛けようと試みた。


「あ……あの!」


裏返った声を何とか振り絞る。

しかし青年は“無表情”で、冷たく言い放つ。


「……追手じゃないなら、用は無い。とっとと帰んな」


まるでもう興味が無い、とでも言いたげに。

人に危ないものを向けておいてそれはないのでは? と微かに思ったが、余計なこと言うとまた何をされるか分からない。


青年の様子を何とか伺いながら、恐る恐る距離を置く。

しかし帰るつもりは無い。何とかこの青年と、詳しく話ができないものか……。


踏み込もうとも恐怖が勝りオドオドする私を他所に、青年は赤い刀を、背負っている傘……の形をした鞘に収めた。普通の刀と赤い刀、どうやら二振りを所持しているようだ。


ふと青年の左手を見ると、何かが垂れていることに気付く。

恐らく、血だ。


「あっ、怪我してる!」


そう言ってつい青年に駆け寄る。いつもの癖だ。

青年はそれに驚いたのか一瞬固まった。だがすぐに掴まれた手を振りほどき、背を向ける。


「あ、あの! 先程のお礼だけでもさせてください!」

「構うな」

「その怪我だけでも……っ」


もしかしたら傷が深いのかもしれない。放っておいては大変だ。

立ち止まることのない青年の背を私は追い掛けようとする。

風が吹くと、牡丹の香りを微かに感じた。


「お願いです、少し話を――!」


――ドサッ


「!? ……、えっ」


急に、視界から彼の姿が消えた。

何が起こったのだ。

視線を下げると、倒れている青年の姿が目に映る。


「なんてこと……っ」


私は慌てて駆け寄った。もしかして、もしかして死んでしまったのではないか!?

更に近付いて様子を伺ってみる。呼吸はしているが、早い。地面にじわりと広がっていく血液。この怪我に先程からずっと耐えていたのだろうか。

このまま放っておいて良いわけが無い。応急処置だけでもしなくては。


うつ伏せに倒れた青年をゆっくりと仰向けにする。

そして小さく謝りつつ、左側から恐る恐る黒い羽織を脱がす。


思ったより酷い……どうしてこんな。

左二の腕に、深い傷が数カ所もあった。刃物で斬られたかのようなそれが、灰色の袖の下から覗く。炎症を起こしてしまっては大変だ。

腰に下げてた小さな器の蓋を開け、液状のものを手に取った。もしもの時の為の薬である。

袖部分を捲り傷口にそれを塗る。出血が酷いので優しく拭う。

……きっとしみるだろうな。


骨は大丈夫そうなので、包帯を巻き取り敢えずの処置を済ませる。

他にもところどころ切り傷を見付けたので同じように処置していく。


肌に触れた感じでは熱も出ているようだった。首元に汗が滲んでいたので拭き取ってあげる。

身体が冷えきらないよう、先程脱がせた羽織をそっと被せる。


暫くは安静にした方が良いが、ここで寝かせても大丈夫なのだろうか……。またマモノが襲い掛かってきたらどうしよう。

私は辺りを警戒しつつ青年を心配した。


改めて見ると、青年の肌はとても白い。何となく私の腕と比べてみた。彼の方が白かった。

柔らかなその髪も本当に真っ白である。途中から色が抜けてきたような中途半端は染まり具合ではなく、元からそうであったように。


ふと、外して横に置いておいた刀と傘に目をやる。

傘の持ち手部分に布が巻かれている。よく見ると……少し雑に文字が書いてあった。『つるぎ』と『よる』。


……『剣夜』? もしかして、この青年の名前だろうか。


まだ目を覚まさない青年の顔を見つめる。お面で目元は隠れたままだ。

赤い目がこちらを睨みつける、白犬のお面。


……自然と手が、その犬面に伸びていた。外してみようと、恐る恐る。

額の汗を拭う為だと自分自身に言い聞かせるが、本当は……気になったから。このような行動は許されないだろうか。

勝手に外したら怒られるだろうなと恐れつつ、眠っている間だけ、少しだけと――。


「――見付けました」

「!?」


犬面に触れる直前、聞き慣れない声が遠くから聞こえた。


「……あ」

「そこのお嬢さん、そいつから離れなさい」


私が何かを言う間もなく、いつの間に、紫の狩衣を着た男達に囲まれていた。

それぞれの顔は紙面で隠されていて分からないが、全員がこちらに刀を向け、明らかに敵意を示している。

だが、私の正体には誰も気付いていないように思えた。


「怖がっているのでしょうか。離れるだけで良いのです。他には何も求めません。そいつは眠っているのですから、安心でしょう」


うち一人がそう言い切り、右手を軽く上げる。急いでいるのか淡々としていた。

他の男達は一斉に刀を下ろす。すぐに攻撃をするつもりは無いようだ。

しかし、私は言う通りに動こうと思わなかった。逆に相手を睨みつけてしまう。


「……陰陽師」


とうとう見つかってしまった。

今は私自身よりもこの青年に注目をしているようで気付かれていないが、どちらにしろややこしそうだ。

不安に駆られながらも青年の傍を離れず、私達を囲む男達を睨み続けた。


私が脱走を試みた原因の一つでもある、“正義”を語る英雄達。そしてこの国を統べる組織。


「ええ。そうですよお嬢さん。陰陽師で御座います」


陰陽師達が身に付ける紙面には、それぞれ文字が書かれているようだった。

じっくりとそれらを見渡す。身体は震えるが、気付かれないよう平静を装って。


「うむむ。お嬢さんのその目付き。どうやら私達を“ただ知っているだけ”というわけでは無さそうですね」


先程から話しているのは、『音』に似た文字が書かれている紙面の男だった。否、男、のように見えるのだが、その声は中性的にも捉えられる。

それ以外の紙面はまた別の文字が書かれていて、どうやらこの人物以外みな同じものが書かれているようだった。


「その男の味方、ということでしょうか?」


『音』は静かに優しく、だがどこか冷たさを感じさせる声色で問い掛けてくる。


「ま、待って。私からも質問をさせてください」

「何でしょう」

「い、いきなりだったので、目的が分かりません。この、この倒れてる人が、どうしてあなた方に追われなくてはならないのでしょう」


吃りつつも、一生懸命言葉を紡いでいく。

素直に疑問であった。もしかしたらこの青年の正体を知ることができるのかもしれない。……知ったところでどうするかなど、何も考えてはいないが。

すると数秒ほど、沈黙が起こった。風の音がよく聞こえる。


「……なるほど。どうやらお嬢さんは……失礼ですが、よほどの世間知らずと見える」


その言葉が少し胸に刺さる。その通りだからだ。


「町で暮らしているのならば、嫌でも耳に入るはずですがねぇ……。周りの人々の話し声、その内容。例えば……そうですね。噂、というものなど」

「噂?」


私は町で暮らしていたわけではなく、外れの神社に住んでいる。人通りが少なく、参りにはあまり集団で来ないもの。

買い物に出る事さえそうそう無かった私が、その町での噂など耳にするはずもない。

町、どころか、神社の外のことをあまり知らない。教える人も居なかったのだ。


「どうやら、お嬢さんは町に住む者では無いようですね。まぁそこまで詳しく追求する理由もないので、ここで止めておきましょう。ですが、追求しなくてはならないものもあります。本題に戻りましょうか」


話すのは『音』だけだ。他の陰陽師はただ、私達を囲むようにして立ち続けている。一言も声を発さず。

顔が隠れているので表情も全く読めず、不気味に感じる。


「お嬢さんは、その男を庇うのですか?」

「……」


すぐに答える事ができなかった。

正直、先程会ったばかりだ。興味を持ってしまったとはいえ、マトモに話した訳でもなく素性が謎。もっと言えば、一度刃物を向けられている。

普通に考えて助ける意味は特に無いのだろう。普通の人ならば、己の身の方が大切である。

己の命の為に危険な人物とサヨナラをするのは、当たり前の事である。


当たり前の事、のはずだ。なのに。

どうしてか、それはできない。


「彼はどうして追われているのですか? 理由を教えてください」

「それを知ってどうします」

「知りたいのです!」

「……やれやれ。困りましたね」


『音』は軽く溜息をつく。相変わらず、周りに立つ者達は動かない。


「彼は何をしたというのです……?」


『音』は困ったように腕を組む。


「さあ、何をしたかと言われればねぇ。陰陽頭(おんみょうのかみ)がそう命じたので私達は動いているのですが。強いて言えばこれから何かをするかもしれませんし、しないかもしれませんね」


それは、どういう意味だ?

より混乱する。全く理解が追いつかない。先程から頭がこんがらがっている。

この青年がこれから、何か罪を犯すかもしれないということか?

……確かに彼が斬ったであろう人間たちは皆、あまりにも無残な姿で転がっている。追手と彼に言われた者達が。

殺人鬼とかその類いなのであろうか。納得出来ないことは……正直無い。


……だが、彼はマモノを斬ることができる。先程判明した事だ。

それはとても特殊だ。恐らくは唯一と言っても良い程だ。そんな貴重な人物が、殺人鬼だなんて。


「まあこの男がどうなろうと私達には関係の無いこと。もちろんお嬢さんにとってもです。陰陽師に捕えられるというのは只事で済む話では無いと、きっとみな認識されてると思います。それで良いのです。所詮彼が死んだところでね、誰も損しませんから」


損をしない。その言葉に私は大きく違和感を感じた。

人の命を、そのような基準で奪おうというのか。

青年が何者かは全く分からないが、今の私にとっては貴重で、尚且つ命を助けてくれた恩人に変わりない。

彼がこのまま殺されて誰も損をしないだなんて、そんなことはきっと無い。


「時間をください。私は彼に用があります」

「認められません。今すぐに離れなさい。時間が無いのですから」

「……、断ります。あなた方の考えには納得がいきません」

「……と、言いますと?」


立ったまま固まっていた陰陽師達が、一斉に一歩踏み出し、囲んでいる私達の方へジリジリと距離を詰めていく。


この人達はそういう集団だ。最近は特にそう。人の命を簡単に潰そうとする、あまりにも冷酷で残忍な組織だ。

そんな人達の言葉を、素直に受け取れるわけがない。

私の胸に、何かが渦巻くような感覚を覚える。耐えられない感情が。

私が間違っているのかは知り用がない。今は自分を信じるしか……。

私は震える肩を深呼吸して落ち着かせ、声を絞り出した。


「私はあなた方に、全力で抵抗します……!」


……思ったよりも、周りにこだましてしまった気がした。


「そうですか。それは仕方ないですね」


『音』は今までよりも冷たい声でそう言い放ち、数珠を鳴らす。

そして囲む陰陽師達に、命令を下した。


「二人を捕らえたら刀も回収しなさい。赤い方のですよ。……呪いを斬る特別な力を持つ、『封魔(ふうま)』を」


そして小声で何かを唱えだす。


……このままだとどうなる?

心臓が大きく鳴り、恐怖で気が遠くなる。

捕まるのか、ここで終わるのか。そのあと、倒れている彼も捕まるのだろう。

捕まったら一体どうなる? この人達は、陰陽師は、何をしようとしている……?


それを知らなきゃいけない。この、陰陽師というものを――!

そう思った、


――ザシュッ……

「……!」


その瞬間。


赤い液体が目の前を飛び散った。

それは私の服、顔にも掛かる。

今日だけで何度も見た、液体が。


……だが陰陽師達の身には何も起こっていないようだ。

そして私は、鉄の匂いよりも先に別の匂いを感じていた。

牡丹の花の匂い。

匂いと混ざり飛び散る赤は、まるで花弁のようにも見える。


……あっ!


私は目を見開いたまま、驚きで身体を動かせずに居た。

『音』は――口角を微かに上げる。目を見ずともハッキリと分かる、嫌な笑みだった。




〜壱話・完〜

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