第ニ歌 ニュー・ディール(一)
よく聞く話で恐縮ですが、死線をくぐり抜けたり、日常ありえないような珍しい体験をしたことで、思いがけない発見や収穫をすることがあります。それは試練を乗り越えたことに対してのご褒美のように、ぽん、と手に入るような感触がします。
僕の場合、生まれ変わったことがまず一つ。
それから、幸福な幼年期を過ごせたことがもう一つです。
◇◇◇
僕が新しく生まれた場所は、山間の小さな村でした。
主な産業は林業で、戸数は200くらい。三方を山に囲まれた扇状地で、真ん中を川が流れていました。ごつごつした山肌は11月には雪に覆われて、3月くらいまではそのままです。
川をさかのぼって一日ほど行くと支流への分岐に出まして、そこからさらに一日で鉱山があります。何やら耳慣れない名前の鉱石を掘っていたようですが、思い出せません。ただ村の製材所で加工された木材は大部分が鉱山へ納められていました。
言うなれば企業城下町、あるいは鉱山における川中産業でしょうか。パイプライン事業における資材業者のようなもので、採掘量にも消費量にも大きな影響を受けず安定的に収入が見込めるような、おいしい立場にある村でした。僕や友人たちのような子どもがあまり働かされず、毎日遊び暮らせたのも経済的ゆとりがあったればこそです。
とはいえ、そういう周辺の事情なんかがわかるまでにはずいぶんな時間が必要でした。
目が覚めてみればいやに視点が低くなっており、視界もぼやけていて、体のうごきも鈍くなっていました。おまけに、耳。耳が猛烈にむずがゆいです。
たまらず大声でがなろうとして、喉からきちんと声が出ないことに気が付きました。これは、まさか。
そのまさかでした。
僕はいまや、生まれてまもない赤ちゃんとなって、両親とおぼしき見知らぬ大人に見下されていたのです。できることといえば泣くか、短い手足をふりまわすくらい。
空腹になっては泣き、おむつが濡れては泣き、産着のセンイがちくちくしては泣きました。
その都度両親のどちらかが何かしらの面倒をみようとはしてくれるのですが、どうもうまくありません。僕はお腹が空いているのに、替えのおむつを取りにいくような、そんな伝達の齟齬があります。こうなるともう、泣きやもうにも泣きやめません。泣くのも体力を使うのですが。
何日かたつと、母親は少しずつですが僕の世話にも慣れ、泣き出すかな、という気配を察知して動けるようになっていました。一方で父親はだめですね。いっこうに勘が働かないようです。それならそれで、だいたいの時間をはかって決め打ちで対応するとか、やりようがありそうなものですが。
もはやあまり不思議なこととも思いませんが、言葉ははじめから理解できていました。いかんせん赤ちゃんの身の上ですので発言はできませんけれど、何を言われているのかはわかります。とはいえ
「見て、この子、笑ったわ」
「おっ、ほんとだ。ごきげんさんだねえー、ぷるぷるぷるー」
といったような他愛もない話が多いのですが、断片的な情報をつなぎ合わせると、この家のことが少しずつわかってきました。
新鮮な木の香り漂う素朴なログハウスに暮らすこの一家の、父の名はアル。
フルネームだとアルフレード・ジョスト。年の頃なら30手前か、もう少し若いかもしれません。かなり頑健な体をしており、若い頃から肉体労働をしてきたのをうかがわせます。各指の付け根にいくつか大きなタコがありました。何か棒状のものを振り続けてこしらえたものでしょう。膝かどこかに障害があるらしく、すこし引きずって歩きます。僕が泣き出すと途端におろおろし始めますが、普段は落ち着いた物腰の人物のようです。
母はリジー。ブリジット・ジョスト。ふしぎなグリーンの髪の毛をひっつめ髪にしています。話し方がやわらかく、また体つきが緩んでいることからして、あまり力いっぱい若いとも見えません。だいぶ姉さん女房なのだろうと思っていましたので、のちにこの二人が同い年だと知って驚いたものです。授乳中は外していましたが、エプロンには嗅ぎ慣れないスパイスのにおいが染み付いていました。
大方の日本人の常として僕には区別がつきませんが、二人とも大雑把にコーカソイドなのはわかります。どこか北方系の顔立ちをしています。体格は背が高く骨太で、腰の位置が高い。彫りが深く、額が突き出ていて、肌には金色の産毛が生えています。おそらく僕もそのうちにそうなるんじゃないでしょうか。
乳幼児生活も慣れてくると、だんだん暇になってきました。
まだまだ手指機能の発達もおぼつきませんから、おもちゃでも遊べませんし、父がせっせとこしらえた木馬だの、ソリだの、モビールだのも、ぼんやり見ているくらいがせいぜいです。僕もむかしは木工は相当やらされたほうですが、アル氏の腕前はまあ、手慰み程度のものですね。でも赤ちゃんが触っても怪我をしないように丹念にヤスリをかけているのは頭が下がります。
感謝するのはやぶさかではないので、そろそろ耳かきすることを思いついてほしいところですが……。赤ちゃんの新陳代謝は成人よりも速いはずですし。
それにしても暇です。考え事くらいしかする事がありません。いい機会ですので、今後の方針など考えてみようと思います。
この家は高地にあり、また一帯は針葉樹林のようで、いつも素晴らしく良い空気が流れてまいります。赤ちゃんを外気に長いこと触れさせるのはあまり褒められたことではないと思いますが、新鮮な空気を吸うと良い考えが浮かびそうな気がしてきます。
僕をここに送り込んだ存在の思惑はとんと知れませんが、まあ、人生は往々にしてそういうものです。顔も見たことのないような上部団体のお偉いさんの気まぐれで、十中九まで死ぬような鉄火場に送り込まれる。やったこともない犯罪で、年単位の懲役をブたれる。耳かきを探していて死ぬ。そんなもんです。
つまりどうしてこうなったかではなく、これからどうするべきかを考えるべきでしょう。これから、というのは、このおまけのように与えられた人生の方針についてです。覚えていることを振り返り、改善点を探り、よりよい人生を選びとる参考にしましょう。
思い出すのはあんまり世間様に胸を張れないようなことばかりです。
せっかくやり直すのだから、せめて他人やシガラミにとらわれない、すっきりした人生を送りたいですね。もう自分を騙して欲望にフタをするような生き方は沢山です。職業として犯罪者を選んだような人間が、何が悲しくて人に頭を下げ続けていたのでしょう。
わが身可愛さのために、かえって欲望を貫けていなかったのではないか。もっとずっとシンプルに、気持よく生きていくことはできなかったのか。金。暴力。セックス。そんなことを考えます。
考え事をしながらも通常業務にはげみます。僕は泣き出しました。
「あらー、うんちなのね」
「うんちなのにあんまり臭くないんだなあ」
「おっぱいの間は、そうね。離乳食が始まると違うらしいわよ」
両親は僕をまんぐり返しの体勢にしてにこにこと笑い合っています。
そうか、離乳食……食べたことがあるような、ないような。ちょっと楽しみです。
一日に何度も食事する身の上ですが、母乳ばっかりで飽き気味でしたからね。
離乳食がはじまるのはだいたい生後6ヶ月ごろだと聞かされてがっかりするのは、この後すぐです。