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かわず、強さを求める


 早く、早く、早く。

 焦りが伝わっているのか、二頭の馬がいつにない速さで走ってくれている。危険とも言える速度だが、そんなこと言っていられなかった。幼いころに父から遊びで馬車の扱いを教えてもらっていて本当に良かった。御者台に座り、握った綱が汗ですべる。

 ワゴンにいる二人は、わたしからにじみ出る尋常ではない空気に、声を出すことはなかった。いや、この速さと振動に圧倒されて、動くことが出来ないだけかもしれない。目的地については、教えてもらったし、もう喋る必要もない。しかも、ほとんど一本道だから迷うこともないだろう。

 宿からおおよそ数十分行ったところに、小さな診療所があった。その数十分が永遠とも感じられるような地獄のときを終え、やっと辿りつけたことに一つ溜め息をついた。白い建物とその後ろにそびえ立つトルキオ山に、現実に引き戻されたかのような気分に陥る。診療所の外に何頭かの馬が繋がれていて、派遣されたのだろうか、王都騎士団の制服をまとった者もちらほらと見受けられた。


(ヴィクター……!)


 二人の静止を振り切って、御者台から飛び降りて診療所に駆け寄る。建物に入ると、たくさんの目がこちらに向けられた。物々しい院内の雰囲気にいやおうなく不安を煽られていると、その中に知った顔を見付けた。


「父上!」


「リアン!? 何でここにお前が……」


「そんなことはどうでもいいのです! ヴィクターはどこですか!」


 声を張り上げたわたしの異常な様子に息を呑んでしばし逡巡したあと、父は静かに廊下の向こう側を指さした。今にも駆けて行きたいわたしを遮って、言い聞かせるように前に立って話しかけてくる。


「待つんだリアン、落ち着け。あいつは今絶対安静だ。王都騎士団の軍医の一人であられるアイザック殿が執刀した。意識が不安定だし、無理を言うんじゃない。大体――」


 いつまでも父親然とした説教姿勢を直そうとしない父がわずらわしくて、わたしは父の話も途中に、横をすり抜けて廊下を早足で歩いた。後ろから父が呼びかける声が聞こえるが、無視する。そういえば大分久しぶりの会話だというのに、感慨深さのかけらもなかった。これもまた、彼がわたしと共に外に出ると発症する“似非父親病”のせいだ。

 すれ違う人々の緊張した面持ちを見ていられなかった。廊下の突きあたり、処置室と書かれた部屋の隣に位置する部屋の前に医師と看護師と思しき人が三名立っていた。わたしのたてる足音に気付いて、三人がこちらを振り向いた。


「申し訳ありませんが、こちらの患者様は現在絶対安静ということで、アイザック先生以外の方の入室をお断りしております。もうすぐミラコの街の大病院へと搬送いたしますので、それまでお待ちください」


 三人の前で止まったわたしに、まばらに白髪の混じった医師らしき男が話しかけてきた。横の看護師二人もこちらを見る。この人が軍医のアイザック先生でないとすると、この診療所の医師か。彼は処置室と病室を貸し渡したに過ぎないのだろう。


「入室を許可してください。彼に関係する者です。搬送用の馬車の持ち主でもあります」


「……失礼ながら、お名前は?」


「リアニール・フォンセスタと申します」


「フォンセスタ? もしや特務隊隊長の……?」


 確認するような目線にうなづいて答える。わずかな逡巡を見せる医師に、彼の両隣に立つ看護師二人が止めるように小さく声をかけた。いくら娘とはいえ、さすがに大手を振って中に入れるわけにはいかないのだろう。そのまま戸惑ったように目配せし合う三人がじれったくて、もう一度声をかけた。


「中に入れてください。早く」


 言外に憤りをにじませると、ようやく医師が道を空けた。看護師もそれにならって廊下の端へと寄る。「ご配慮感謝いたします」と告げて、彼のいる部屋の扉に近付いて、強く右側へと引いた。


 真っ白い壁に真っ白い床、そして大きな窓とその下に設置された大きなベッドが目に入る。今まで全く意識していなかった病院特有の無菌の匂いが、唐突に鼻についた。もう日も高く昇り始めている。

 ガラガラと大きな音を立てる扉に驚いたように、ベッドの枕元近くに座る白衣を着た男性が勢い良く振り返った。大柄な体格に、もさもさと口の周りに生えたひげが存在感を際立たせている。


「――ヴィクター?」


 医師の向こう側に、見慣れた濃い赤銅色の頭を見つけて思わず駆け寄った。

 そこには、胸元まで分厚く包帯を巻きつけて、たまのような汗をかき苦しそうな表情で横たわるヴィクター青年がいた。右腕からは点滴の管が伸び何種類かの液体がぽたぽたと彼の身体に注ぎ込まれている。ぜえぜえと肺から響くような絶え間ない呼吸を繰り返すその姿はとても痛々しくて、こちらの息まで詰まってしまいそうだ。薄緑の患者衣と包帯が、生々しく彼の状態を物語っている。


「ヴィ、ヴィクターは、大丈夫なのですか……」


 呆然と枕元で立ちすくんでいて、思わず漏れでた疑問に隣の医師が何だか疲れたような声音で静かに答えた。


「応急の処置は終わっています。大きな病院に移してあげられれば、医療設備も薬品も整いますし、おおよそ大丈夫でしょうな。ただし、そこに至るまでが試練となるやもしれません」


 ――そんな。


「な、なんとか、してください! 出来るんでしょう!?」


 目の前に横たわるヴィクター青年が信じられない。最後に見た彼は、あんなに普通で、いつも通りに皮肉を言い合っていつも通りに別れたっていうのに。こんなに弱り切った彼は知らない、見たことがない。常にない彼の状態が、とてつもなく恐ろしい。これは夢の続きなのか? 非現実ではないのか……?

 責めるように医師をみやると、彼は冷静な目でわたしをひたと見据え、「落ち着いて」とつぶやいた。わたしの肩をぽんと叩きながら彼も立ち上がり、ヴィクター青年を同じように見下ろして話し始める。


「彼のことを一番に信じてあげなければいけない人が、彼の強さを疑ってはいけませんな。大丈夫、本来の彼はあなたがよく知っている通り、身体的にも精神的にも、とてつもなく強い人だ。彼が弱ってしまった今、その欠けた部分を、他の何かでもって補ってあげなくてはなりません。身体は医療が、そして彼の心はそばにいる者の強さでもって埋めてやりなさい。彼にとって、一番自身に力を与えてくれるのは、一体どなたなのでしょうな?」


(……わたし、は)

 

 だからって、どうすればいいのか分からないじゃないか。この姿を恐ろしいと思ってしまうわたしに、どうしろと?

 ためらいがちに、汗でおでこに張り付いた彼の髪をそっと払い、顔に手を触れた。その頬は熱く上気していて、彼の吐息は熱くわたしの手首に触れた。その感覚に手の震えが止まらなくなり手を離そうとすると、ふいに彼のまぶたが震え、透き通った茶色い瞳がのぞいた。


「――リ、リア……リアンか……?」


「ヴィ、ヴィクター……!」


 驚いてベッドの横に膝をつき彼の顔をのぞき込むと、焦点がゆっくりとわたしに合って彼はゆるく微笑んだ。今にも壊れてしまいそうなその笑顔に、胸が締め付けられる。


「リアン……来て、くれたんだな。ごめん、俺、ヘマしちまって……。かっこわりぃな……」


 熱い息もそのままに、彼は小さく言葉をつむいだ。麻酔の影響か、少しだけろれつがまわっていないたどたどしい喋り方だ。苦しそうな呼吸がこちらまで伝わったかのように、わたしの身体も小刻みに震えた。


「ヴィクター……、大丈夫、なのか……?」


「平気にきまってんだろ、こんくらい……。心配してくれんのかよ……?」


 彼の安心させるような軽口も、どこか浮ついて悲しいものに感じられた。素直にコクコクとうなづくと、彼は少し目を見開いて、そしてごまかすように再び笑った。


「お前が、ね……。病人になって、いいことも、あるもんだな……」


 彼はゆっくりと喋った。冗談を言っているつもりだろうが、こんな状況下では、皮肉の一つも返せやしない。口だけは達者なのに、それ以外は常にない彼の状態がただいたずらにわたしの恐怖を煽るだけだった。何だか、喋るたびに彼の命が少しずつ削り取られていくような感覚におちいってしまう。


「ヴィクター、もういい。喋るな……お願いだ……」


 すがりつくように彼のうでを掴んだ。抑えきれないわたしの震えが彼に伝わってしまうだろうか。彼の身体は、どこもかしこも熱い。彼の熱がわたしの手を通して胸まで這い上がってきて、胸の痛みをじくじくと強くした。

 ふいにそうっと彼の右腕が伸びてきて、わたしの頬左頬を包んだ。熱と優しさを内包した目線が、わたしにひたと向けられている。熱い手は、なぜだか元気なわたしよりも強い彼の意思を感じさせてくれた。

 彼の親指がわたしの左目の下をなぞる。


「泣く、なよ。お前に泣かれると、どうしていいか分かんなくなるだろ……」


「え……」


 気付かない内に、わたしは泣いていたらしい。もう随分と長い間泣いていなかったから、その感覚すら忘れていた。彼の熱がわたしの目に宿りでもしたのか、そこがとても熱く感じる。そこで、視界がぼやけているのにようやく気付いた。

 彼はわたしの右の頬に親指をそわせて涙を拭ってくれた。そしてまた、熱い手で顔を包まれると、なぜだか涙がせきを切ったように溢れだした。

 流れる涙をそのままに目を閉じて、頬を包む彼の手に自分の手を重ね、ぎゅうっと握った。熱い、熱い、彼の体温が、掌からも頬からも間近に伝わってくる。――彼は、ちゃんと生きてる。

 しばらくそうして彼の確かな体温をしっかりと感じ取って、そしてゆっくりと目を開けた。もう視界は滲んでいない。彼はまだわたしの方を見ていて、ゆるく微笑んでいた。


「――ヴィクター、生きて。わたしがここにいるんだから……必ず元気になって」


 わたしはあなたに救われたから、次はわたしがあなたを助ける番だ。あなたが弱っているのなら――わたしがあなたの強さになろう。


(だから、今は休んでいいよ)


「……リアン」


 小さくわたしの名前を呼ぶ声。遠くでさまよっていた心が、わたしの元にきちんと戻ってきたみたいだった。わたしを呼び戻すのは、いつもあなたの声なんだ。


「元気になったら、そしたらさ……話したいことがいっぱいあるんだ。たくさん、たくさん」


 彼にわたしの胸の内を知ってほしい。わたし、変われる気がするんだ。もう夢の世界とは決別することにしたんだよ。これからのことも聞いてほしいし、一緒に考えてほしい。彼がいつもの彼に戻って、そしたら、話させてほしい。いつもの毒舌だって何だって聞きたい。


「……分かった、聞いてやるよ。必ずまた、元気になるから」


 彼の答えに満足して、わたしは力強くうなづいた。


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