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かわず、拒否する

「一度、先生に診て頂いた方がいいと思うの」


「“みる”? 値踏みでもされるのですか?」


「とぼけないでちょうだい」


 渾身のボケが瞬殺された。少しでも重たい空気を払拭しようと努めたというのに。わたしの周りに冗談の通じない者の何と多いことか。息が詰まるから深刻な話題は嫌いだ。特に、この人とこういった話をするのは苦手だ。無意識に背筋をがピンと張ってしまう緊張感は、目の前の人があの扉を出て行くまで続くだろう。

 出てしまいそうになるため息をこらえて、どうしてもこの話題をつつかずにはいられないらしい母の願いを叶えるべく、口を開く。


「必要ありません。わたしは健康そのものです。今まで忙しく過ごしてきた分、この一年くらいはゆっくりと過ごしたいのです」


 正午も少しすぎた頃、母がわたしを訪ねてきた。険しい顔で話があると言われて、仕方なしに向かい合ってソファに座った。絶望的に弾まない会話ののち、重々しく本題に移る母の表情は青白かった。わたしよりもはるかに医者にかかるべき顔色だ。

 言い終わってからすぐにターニャの用意してくれた紅茶を口にする。いつもなら心を癒す香しい飲み物のそれも、この状況下ではただ口を潤す液体に過ぎなかった。ちらりと母をみやると、先程よりも更に眉を釣り上げていた。口を開く母を断罪を待つ被告人のような心持ちで見つめる。


「しかし、あまりにも過剰じゃなくて? せめてご飯のときくらい、下に降りてきなさいな。お父様もお待ちだわ」


 ついに、はあと大きなため息が漏れてしまった。わたしが井の中に引きこもるようになってから、この人はいつもこうだ。会うたびに小言を口にし、出来損ないの娘の扱いに困り果てているフリをする。


(本当は気にもしていないくせに)


 年甲斐もなく、尖った感情が顔を出す。幼子のようにわめくことはしないけれど、流石に面白くない。自身の親が自分をどう見ているかなんて、四則計算よりも容易に分かる。この人の場合は特に顕著だ。世間体に縛られた哀れな女性、いやその内面はレールの上に佇む少女のままだ。決められた道の上を歩くことが人生であり、それ以外の方法で歩む人生を認めない。母の中では社会不適合者のわたしを、これでは“娘”と呼べないから、“母”として更生させようとする。道の上を正確無比に歩むことだけを迫られるわたしは、さながら列車といったところか。運転席にいるのは、わたしではないけれど。

 ならば一体、わたしの人生とはどこにある。


「この間も伝えたけれど、もうひと月後には王宮で舞踏会なのよ。それくらいは出てもらわなくちゃ。身体の調子が優れないなら、お医者様の診断が必要になるでしょうし……」


「ですから、必要ありません。わたしのことはもう放っておいてください。一年後には王宮に勤める身、それまでの期間くらい、わたしの自由にさせてくださってもよいでしょう」


「そんな、いくら何でも限度というものがあるわ。仮にも貴族の娘なのだから、自覚は持ってちょうだい」


「やるべきことはやりました。社交の場も、しばらくの間はお休みさせて頂きます。……わたし、もう寝ますね」


 まだ話は終わっていないと吠える母を尻目に、わたしは立ち上がってベッドへと向かった。こうやって強引に話を切ると、母はそれ以上深追いしてくることも、叱責することもないと知っての行動だ。恐らく、自身には何かに対して反抗した経験がないからわたしの行動が理解できないのだろう。未知の存在へと近づく娘が恐ろしくて、常に一定距離をあけているのだ。

 それを寂しく思ったことがないと言ったら、嘘になる。その距離を詰められたら、きっとわずらわしいだろうけれど、だからといってその努力すらも放棄されるのは、ほんの少し、悲しいことだと思う。けれど、それを素直に吐くほど昔のわたしは強くなく、そして今のわたしは、歳を重ねた分だけわだかまりも膨らんで、結果、酷い臆病者になってしまった。自分がどんな存在なのか、理解できるくらいには大人だというのに。

 ひと月後の舞踏会にはてこでも参加させようと息巻いているようだが、お生憎さま、本人にその意思がないのだから最終的にはどうにもならないだろう。


(こんな無駄なこと、もうやめてくれればいいのに)


 心の奥の声になんて気付けないくらい、馬鹿でいたかった。こんな中途半端なことをされると、その隙に甘えたくなってしまうじゃないか。母がわたしに対してどう思っているのか分かっているけれど、それでも心を共有したいと。わたしにとって彼女は、何がどう転んでもただ一人の“母”なのだから。

 こんな話をした後は、さっさと寝てしまって、彼に会うに限る。夢の中には、決して裏切ることのない穏やかなときが流れている。あそこでなら、心を全部明けわたせる。

 そんな場所を現実世界に求められないことに、わたしの弱さがあるのだと分かっていても、もう止めることはできそうにない。


 いまだソファに座る母に背を向け壁側を向いて目を閉じるが、なかなか眠りは訪れなかった。反応のないわたしに業を煮やして母が出て行く気配はあったが、それでも何だか落ち着かない。わたしだけが存在する、快適な井の中を荒らされて感覚が敏感になっているみたいだ。チクチクと神経を刺激して、胸をぎゅっと締め付けるような不快な感覚は、最近あまり感じなくなっていた代物だ。

 こうなることが分かっているから、母と話をするのは嫌なのだ。イヤなコトは、遠ざけておけば考える必要もない。




「おい、入るぞ」


 突如ゴンゴンという荒々しいノックが響き、間髪いれずに扉が開く。ノックの意味をこの方は理解しているのだろうか。もそりと振り返ると、案の定、最近お馴染みの不機嫌顔をみとめた。ため息をひとつついて、また壁側を向く。


「何の用だヴィクター青年。わたしはそなたに用はないぞ」


「また寝ようとしてたのか……。まあいい。お前、奥さんに何言ったんだ? あんな死にそうな顔してんの、初めて見たぞ」


「それは流石に不敬ではないか? ……別に特別なことは何も言っていない。自由にさせてくれと伝えただけだ」


 しぶしぶベッドから身を起こすと、いぶかしむような目をしたヴィクター青年と目が合った。一日に二度も会うことになるとは、彼もよっぽど暇らしい。

 呆れたようにため息を吐かれ、少しむっとする。母とわたしの複雑な距離については、ヴィクター青年には関係ないというのに。


「……ちゃんと話をした方がいいと思うぞ俺は。お互いに、誤解しあってるんだ」


「話などない。母上の願いは、わたしが昔のように模範的に生きることなのだから」


「そんなわけねえだろ。奥さんのことも少しは分かってやれよ、心配してるだけだろうが。仮にも貴族の、しかも可愛い一人娘なんだし」


「母上も貴族だなんだと言っていたな。父上の功績により与えられた一時的な貴族ではないか。成り上がりがそれをおごるべきではないだろう」


 父は、この国きっての騎士である。出身はこの国の西はずれの地方で、そこの農家の次男坊として生を受けた。ただの庶民であった彼は、二十一歳のとき、故郷の北地区にばっこしていた魔を退ける功績を成した。退魔の功は周囲の助けと運の良さの賜物だと父は言ったが、国中から父の名は英雄としてまつりあげられたそうだ。

 最終的に、その功績によって父は国王陛下から男爵位を賜った。こういった名誉による爵位は一代で廃位となることが通例で、言うなれば少し箔が付いた肩書きを手に入れられる程度である。しかしながら、それが周囲へ与える影響は絶大だ。


「そんな卑下すんなよ、名誉なことだろ。貴族の娘であることには変わりねえんだし、最低限のことはやっぱりしなくちゃなんねえだろ」


「今までもう十分にやってきた」


「今だってまだお世話になってるんだから、そんくらいはやれって。来月の舞踏会には出席するんだろうな?」


「するわけなかろう」


「え、本気かよ? 俺ですら出るのにか?」


ヴィクター青年が出席するとは意外だ。わたしよりもはるかに社交の場を嫌がっていた覚えがある。仕方ないからわたしが引っ張って行ったこともあるくらいだ。確かに、どこまでいっても無礼なほどに正直者の彼が、ああいった陰謀やら虚偽やら甘言やらがうずまくような場所が苦手なのも無理はない。

 取り繕うのが面倒くさい者同士、ペアを組んで踊ったことだって一度や二度ではなかった。青年と踊るのは何だかふざけあっているみたいで楽しかったな。


「せいぜいわたしの分も楽しんできてくれ」


「その間何してるつもりなんだ?」


「最近、自由に睡眠時間を操れるようになってきてな、とみに寝ているのが楽しくなってきたのだ。彼に会う時間も長く取れるなんて素敵だろう? その気になれば数日間寝ることも可能だろうから、ずっと寝ていてもいいなと思っている」


「おいおいおい、お前そのままぽっくり逝っちまうんじゃねえのか? 本当に大丈夫かよ」


 目を見開いて声を荒げるヴィクター青年が不思議だ。抗議に熱が入ってきて、無意識なんだろうが顔が近づいている。間近でまたたく茶色い瞳に、本気の色を感じ取って少なからず驚いた。一応わたしを心配してくれているらしい。


「失礼だなあ、大丈夫だと言うに。なかなか楽しいぞ」


「おい、それが長くなってきたら本格的にまずいんだからな。それ、永眠っつーんだからな! 何度も何度も言ってっけど、本気で現実に生きろよ、お前。死にてえのか」


「顔が近いぞヴィクター青年。だからわたしは大丈夫だ。死ぬ気など毛頭ない」


 青年は、弾かれたように近付いていた身体を遠ざけた。しかしいつの間にか両手が握られていた。こっちを離す気はないらしく、更に力をこめて握ってくる。熱いからやめて欲しい。


「……そういえば、ヴィクター青年は何をしにきたんだ? 小言を言いにきたのか? 案外暇なのだな」


「うるせえ! 特に用なんかねえよ!」


 照れ隠しか、妙に赤らんだ顔をぷいとそむけて怒鳴る。幼子の癇癪のようで可愛らしい。

 くすりと笑って握られた手をぎゅっと握り返すと、彼は驚いたようにこっちを見て、更に顔を赤くした。彼はこんなに表情豊かな人間だっただろうか。


「お、俺もう午後休憩終わっちまうから行くわ! 寝てばっかいると本気で身体壊すぞ、たまには外出ろよな! あとあんま奥さんに心配かけんなよ!」


 そう早口でまくしたてると、自分から握ってきた手を振り払うようにして青年は部屋から転がり出ていった。忙しいことだ。相変わらず、嵐のように来ては去っていく。

 ヴィクター青年はわたしと同い年で、騎士学校を飛び級して卒業した優秀な騎士だ。わたしとは義務教育時代からの旧知の仲である。彼もまた貴族の末席に連なる者なので、何かと接点があった。と、言っても特段仲が良かったわけでもなく、関わりが密になったのは最近のこと、彼がこの屋敷に来てからだ。

 既に来年から王宮で王都騎士団第一隊、通称近衛騎士団の一員として勤めることが決まっており、この一年間はわたしと同じく自由の身である。

 わたしとは違い、彼は騎士としての自分を磨こうと父の元へ一年間弟子入りしている。元々、屋敷の片隅に道場を建てて近所の子供達に剣術を教えていた父は、彼を快く受け入れた。我流を貫く父の教えは騎士学校にはない絶対実践主義で、いい刺激になっているそうだ。

 ときには山にこもり何だか怪しいこともしているようだが、わたしは我関せずを貫いているのでよくは分からない。最近では、父に舞い込んだ依頼にヴィクター青年が助手としてついて行っていることも少なくないようだ。

 そんな未来明るいヴィクター青年の特徴をひとつあげるとすれば、あの口の悪さだろう。わたしも口調が変だと言われることはあるが彼ほど酷くはないと思う。あれで貴族だなんて到底考えられないが、一度だけ、学生時代に彼が先生と会話しているのを聞いて驚いたことがある。あの年齢で敬語を使いこなせていた人間を、彼以外に見たことがない。


(ヴィクター青年がここに住むようになってから、色々と変わった)


 屋敷の空気も父も母も、そして、わたしも。

 母の残していった重たい空気が、いつの間にかわたしの部屋から取り去られていたことに、わたしは気付かなかった。

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