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5話「怪人のいない世界」

鎧の話 37

 田辺家を出た直也はまず馴染みのあるバイク専門店に寄り、マニュアル車を1台レンタルした。シルバーを基調とした渋いデザインのものだ。欲をいえばレッドカラーのものが良かったのだが、そう贅沢も言っていられなかった。運転ができればそれでいい。

 これからいかなる行動を起こすにしても、まず足がなければ始まらない。直也は自分のバイクを喫茶店に放置したままだった。敵に顔を見られ、しかもその思惑にまで行き着いてしまった以上、迂闊な行動をとるわけにもいかなかった。あのバイクは大学時代から乗っているものであり、共に過ごした年月の分だけ思い出もたくさん積んでいたのだが、事態が事態だけに諦めるしかなかった。過去に執着するがあまり、今や未来を切り捨てるような真似だけはしたくない。

 店を出た時、まだ空は明るかったのだが、直也はこれ以上の散策は危険だと判断し、自宅に引き返すことにした。この時期は突然の夕立もあり得る。太陽が陰り、道に人影が減った瞬間、そこからは怪人たちの時間が幕を開ける。逸る気持ちもあったが、とりあえず今日は家で過ごし、明日の朝から活動を再開するのが得策に思えた。

「犯人、ってあの殺人事件の?」

 直也の部屋で扇風機が、カタカタと微かな音を立てながら首を振っている。その前にライは胡坐をかいていた。風呂上がりの彼女は頭からバスタオルを被り、水玉模様の青いパジャマを着ている。それは元々、あきらが直也のもとに置いていったものなのでライの体形には明らかに合っておらず、襟口や袖がぶかぶかなのであるが、本人はあまり気にしている様子はなかった。風に煽られ、ライの髪からふわりとシャンプーの匂いが舞う。ベッドの上に座り、壁に寄りかかった姿勢の直也は意識して目を瞬いた。左手には手帳を広げ、右手にはボールペンを握っている。

「ああ。あの犯人に俺は1週間前、あの埼玉の家で会った。お前が気を失っている間にな」

 あの爬虫類じみた男の目を思い出し、直也はたまらず顔を歪める。あの男の顔や声を思い出そうとするだけで、体に拒否反応が生じるようだ。

 12人目の被害者――氷漬けの死体が並ぶ洋館から直也が助け出したあの女性は、あの男によって殺され、そして直也の目の前で怪人に変えられてしまった。その怪人もすでにフェンリルによって惨殺されている。

彼女が最後に残した手紙は、まだバッグの中にしまったままだ。彼女を救えなかったことを、直也はいまでも悔んでいる。しかしその後悔は、もうこれ以上、誰かを見殺しにはすまいという決意を直也に与えていた。

 あの男がどこの誰なのか、直也には分からない。もう少し旧鉈橋邸を調べれば明らかになるかもしれなかったが、それをするだけの時間はどう勘定してもなかった。状況は想像する以上に逼迫している。

「怪人を生み出して操っているのも、あの男だ。奴が自分でそう言ってた。そして、多分、今回のことも……」

 人が蘇る。家族とまた会える。田辺老人は至極真剣な表情で、そんなことを言っていた。田辺は数日前に、家を訪問してきたある男によって黒い鳥の描かれたリーフレットを渡されたらしい。

 あの紙面にはでかでかとリリィ・ボーンという文字が記されていた。リリィとは百合の意だ。あのライとそっくりの少女は、首に百合の造花をぶら下げていた。それらを単なる偶然として処理することはできない。

 直也は手帳の開いていたページを破ってベッドの上に差し出した。ライがそれを手に取る。破ったページには黒い鳥のマークを即興で描いておいた。

「そのマークが、奴らのシンボルだ。黒い鳥。だから最初に見た時、これはなにか臭うとは思った。でもまさか、柳川さんが殺されているとは思わなかったけどな」

 ライはそのマークを食い入るように見つめている。その表情が徐々に強ばっていくのは見て明らかだった。

「一体、奴らが何をしようとしているのか、正直推測の域を出ない。だけど人を殺して喜んでいる連中が、慈善事業で人間を蘇らせてあげます、なんていっても信用できるわけがないよな」

 直也は深く息を吸い込んだ。体調不良のせいかどうにも呼吸が浅く、時々こうして意識して酸素を体内に取り入れなくては息苦しくなってしまう。直也は呼吸を少しの間整えてから、唾を呑みこんだ。

「お前、怪人がどうやって生まれるのか知ってるか?」

 直也の発した突然に問いかけに、ライはきょとんとした。やがてかぶりを降る。彼女の頭の両端からぶら下がる束ねた髪の毛が、ふわりと宙を浮いた。

「いや、私が知るわけないじゃん」

「そっか。じゃあ教えてやるよ。怪人はな、人間の死体から生まれるんだ」

 直也の示した解答に、ライは目を丸くし、え、と声をあげた。直也が頷くと、ライは前のめりになって、ベッドの上の直也に詰め寄った。

「なんだよそれ。そんなの、嘘だろ」

「嘘じゃない。残念なことにな。俺はそれを見せられたんだ。人間の生首が、怪人に変わるところを……あの男にな」

 直也の緊迫した様子が伝わったのか、それ以上、ライは真偽を問いかけてくることはしなかった。姿勢を元のように直すと俯き、それから決まり悪そうに扇風機の方に視線を移した。

「ここからは俺の推測だけど」

 ボールペンを親指でノックし、先端を出したりひっこめたりしながら、直也は目を細める。口にしようと思うだけで、舌に苦い味が広がった。

「奴らの目的は、田辺さんの死んだ家族を怪人に変えることだと思う。なんでいきなりそんな手段を取りにきたかは分からないけど……今の俺にはそこまでの推理しかできない。いかんせん材料が足りなすぎる」

「怪人を……」

「ああ。リリィ・ボーンってのは、おそらくその儀式かなんかの名前だ。奴らは、姿は人間でも中身は別人ってタイプの怪人も作り出せるらしいからな。多分、それを利用する気だ」

 グリフィン、という麦わら帽子を被った女性としての姿も持つ怪人のことを思い出す。あの男は、グリフィンが人間体を持つ理由をこう語っていた。

――この怪人は生前の記憶を色濃くもち、その容姿も引き継いでいる。

 それを活用すれば、文字通り額面通りの意味で、“死んだ人間を生き返らせる”ことは可能となる。ただしその中身はまったくの別人で、人間ですらないのだが。

「私、頭悪いからあんまりよく分からないけど」

 ライは顔をあげ、陰鬱そうな表情で直也を見上げた。理解は十分でなくとも、あの男が田辺に対してしようとしていることの残酷さには把握できているようだった。

「じゃあ、あの爺さんは騙されてるってこと?」

 眉を吊り上げ、憤怒を瞳に宿す。その声にも険呑なものが宿る。

「家族のみんなが蘇って、今までの生活が戻ってくるなんて嘘っぱち。そういうこと?」

 直也は彼女の怒りに同調して頷いた。

直也も先ほどから、胸がむかついてしかたがなかった。田辺に迫る悪意は人間の所業とは思えぬ、人の心を侮り、踏みにじる行為だ。しかしいかにも1週間前、旧鉈橋邸で出会ったあの男が好みそうな手口ではあった。自分の推理は、それほど大きく的を外れてはいないだろうという自負が直也にはあった。

「そんなの、酷過ぎるじゃないか」

「酷いんだよ、奴らは。少なくとも俺が出会ったあの殺人鬼に目的や理由なんかない。ただ人を傷つけて、怯えさせることに喜んでいる。……そんな感じだった」

 ぎりっ、とライが奥歯を噛みしめる音が直也のところまで聞こえてくる。直也もまた拳を固く握り、体内を駆け巡る感情をシーツから外に逃がそうとした。

「本来なら、リリィ・ボーンは人目に触れず勧められる予定だったんだろ。ばれないように、表ざたにならないようにこっそりと、水面下で怪人を増やしていくつもりだったんだ。だけど、誤算ができた。それを知ってしまった人間がいた」

「それがあのおまわり……それから私たち、ってわけか」

 おそらく柳川は知りすぎたのだろう。あと1日早ければ、自分が熱で寝込んでさえいなければ、彼の相談を聞くことができれば柳川を救うことができたかもしれないと思うと、直也は責任を感じずにはいられなかった。

 レイは舌を打ち、それから何かを考えるように視線を宙に踊らせたあとで、直也に焦点を合わせた。その瞳は先ほどの怒りを孕んだものから転じて、深い悲しみに揺らいでいた。

「私さ。正直、あの爺さんの気持ち、分かるんだ」

 彼女の言葉に、直也は目を丸くした。ライは皮肉っぽい笑みを口元に宿す。

「ほら、私、単純だからさ。ディッキーを生き返らせてくれるとか言われたら、あの爺さんみたいに喜んで話に食いついちゃうと思うし。好きな人とか、物とか、そういうのがある人ならさ、やっぱりなんだかんだ言っても、死んだ人を生き返らせてくれるなんて言われたら、心は揺らいじゃうよ。おっさんも、そうだろ?」

 ライのその純粋さに満ちた、陽光を映して輝く湖面のような瞳で問い質されると、直也の心はざわめいた。まるで心の内を見透かされるような気分に陥り、思わず目をそらした。

 ライの言う通りだった。もし何の事情も知らず、しかも咲の死に直面したばかりの直也であったならば、死者を蘇生させてくれるという話に何の疑いもなく飛びついていたかもしれない。

 事実、もし奇跡でも起きて、あるいは何かの間違いでもあって、咲が蘇ってくれたらと考えたことは一度や二度ではなかった。3年経過した今でも咲への想いは募るばかりだ。彼女に再び会うことができるならば、どんな代償でも払ってしまえるかもしれない。ライの存在を知ってからは、彼女と咲を会わせてやれたら、という希望も加わって、さらにその感情は膨らんでいる。

 だが、色々なことを経験し、冷静になった直也はそんなことはあり得ないことを知っている。死んだ人間が蘇ることなどない。そうやって世界は廻っている。人は誰もが死に、そして、生まれるのだ。

悪魔は愛する者を喪い、悲しみに暮れ、弱った人々の心につけこんでくる。あまりにおぞましいその罠に踊らされたそんな人々を救うことができるのは、今の直也のような、事情を知っている周りだけだ。

「あぁ、そうだな」

 直也は橙色に滲んでいく空に目をやった。その空に咲の姿を浮かべる。胸に鈍い痛みが走り、ふと去来した寂しさが喉を詰まらせた。

「だから、許せないよ。そんな人の気持ちを利用するなんて、絶対に許せない」

 ライもまた窓の外に目をやりながら、眉間の皺を深くする。夕日に照らされたライの横顔を見つめながら、直也はその怒った顔が咲にひどく似ていることに感慨を覚えた。ライは確実に咲の魂を受け継いでいる。死者の蘇生という言葉に踊らされることなく、心が迷うこともなく、正気を保っていられるのは、時間の経過以上にライの存在が大きいのではないかと直也は不意に思った。

 ライを失いたくない。その気持ちは日を追うごとに、直也の胸の内で膨れ上がっていくようだった。

「なぁ、おっさん。あの爺さん、助けられないかな」

 こちらに顔を向けたライと、直也は視線を交わした。どうやら考えていることは一緒のようだ。ライは咲にも似ているが、直也自身ともまた少なからず似ている部分があった。

「今の俺たちじゃ無理だな。お前もみただろ? 田辺さんに俺たちの声は届かない。あの人を助けるには、リリィ・ボーンを阻止するしかない」

「そっか……」

「多分、誘われているのは田辺さんだけじゃないだろうしな。他にも家族や恋人や友達を亡くした人間のもとに奴らは出向いているはずだ。元を断たなきゃ、被害者はどんどん増えていく。それだけは、絶対に阻止したい」

 ライは下唇を噛み、表情に悔しさを滲ませる。直也は正面の壁に掛っているカレンダーに目をやった。数字を目で追っていき、21の上で止める。8/21――それがあのリーフレットに記されていたリリィ・ボーンの開催日だった。

「リリィ・ボーンまであと5日だ」

 直也は指を1本1本折りながら、生ぬるい空気に言葉を浮かべる。体調は相変わらず全快には程遠い状態だったが、直也の心はすでに最初から決まっていた。

「それまでに俺たちは、俺たちのできる方法で戦おう。ライ、お前も一緒に着いてきてくれるか?」

 ライは怒気を帯びた目で、力強く頷いた。頼もしく思えるほど、それは実に精悍な顔立ちだった。その表情には迷いなど少しも窺えず、やはりその雰囲気は、どんな困難な仕事にも臆せず立ち向かう咲の姿を直也に彷彿とさせた。

「それで、これからどうするの? あの爺さんの家でも見張る?」

「それもいいけどな。でも、時間はできるだけ有効に使いたい。まず相手の規模も把握できてない。そんなもんに立ち向かうには、俺たち2人だけじゃ心許ないだろ」

「じゃあ……」

「ああ」

 窓の外で茫洋と広がる空を視界に捉え、直也は目を眇めた。

「俺は仲間を集めようと思う。残る5日でできるだけ。大きな力に立ち向かうには、こちらもそれなりに戦力を用意しないとな。そんな人間といち早く接触したい。それが今の俺たちにできることだと思う」

 仲間、という響きに目を丸くするライを前に、直也は頭の中に2つの組織を思い浮かべる。怪人と戦う術を持った集団を、直也はその2つ以外に知らない。

 直也は自分がこれから何をすべきか、家に戻る道中ですでに決めていた。華永あきら率いる黄金の鳥の集団か、あるいはゴンザレス率いるマスカレイダーズか。どちらかに接触を果たし、その力を借りること。それが現時点で直也の思いつく、この状況を打破するための最良の方法だった。




サクリファイス 2

 2010年。8月17日。18時39分――18秒。夕暮れ。公園。ブランコの脇。サッカーボールが塀を叩く音。カラスの声。湿りを帯びた空気。

 橙色の空が地上を同じ色に染める。明りの遠くなった地面には、まるで版画のように陰影が深く彫りこまれていた。人から、物から伸びた長い影は、切り刻まれた傷口のようだ。夜が迫る夏の空気には独特の寂しさが漂っている。

 寂寥感に満ちた空の下。都内に存在するある公園に1人の少年の姿があった。彼はブランコの脇にあるスペースを用い、隣家を隔てる灰色の塀に向けて黙々とサッカーボールを蹴り込んでいた。

 頭を丸刈りにした、おそらく小学校低学年くらいの、男の子だ。彼は塀に向けてボールを放ち、跳ね返ってきたものを追いかけ、また必死に塀に蹴り込む、ということを繰り返していた。汗まみれ、泥まみれになった少年の体には疲労が見えたが、動くことを止める気配はない。橙の斜陽に照らされ、濃い影を帯びた少年からも、その空気と同じくらいの寂寥感が滲んでいる。しかしその横顔があまりに寂しそうにみえるのは、夕暮れのせいだけではない。少年の背負う影は空の色で片付けるにしては重く、黒く、深すぎた。

 少年は顔を歪ませ、遮二無二、必死の形相でボールを蹴り続ける。対面する壁は彼の打ち込んだボールを無感情に跳ね返していく。少し前まで、少年の前には壁ではなく、父親の姿があった。彼の父親は少年の放ったボールを軽々と受け止めると、彼の蹴りやすい位置にパスを送ってくれた。

 休みの日に父親とこの公園でサッカーをするのが、少年にとって何よりの楽しみだった。父親は小中高と部活を続け、社会人になってからも友人たちと汗を流すほどに、大のサッカー好きだった。だから少年にとってサッカーというスポーツは、幼い頃から非常に馴染みの深いものだった。

少年の夢はサッカー少年になり、プロとしてピッチに立つことだった。父親もそれを望み、彼の夢を大いに応援してくれていた。

 だがその父親の命は3日前、唐突に途絶えた。肺癌だった。半年前に自宅で倒れ、それから息絶えるまで病院のベッドで寝たきりになった。倒れる前日、この公園でいつものようにサッカーをしたことが、少年が父親と築いた最後の思い出となってしまった。

少年は待ち続けた。父親の代わりにこの塀を相手取って、ひたすらにボールを蹴り続けた。全ては父親に喜んでもらうため、自分の夢を現実にするため。

だが、結局その願いは叶わず、少年の放ったボールは二度と父親に届く事はなかった。少年がプロのサッカー選手になり、広大なフィールドを駆けまわって観客を沸かせる。そんな未来を見る事のないまま、父親はこの世から消えた。

少年がひときわ強く蹴りだしたボールはコントロールを失い、軌道を大きく逸れた。地面を跳ねたボールは少年の横を突っ切り、背後に抜けていく。少年はへとへとの足でそのボールを慌てて追った。彼の足もとに必ず返してくれた父親とは異なり、表情のない壁はそんな配慮を少しも持ち合わせていない。

日の沈んだ空の下をてんてんとボールは転がっていく。少年の追うボールの行く先を突然、通りがかりの足が遮った。少年は立ち止まる。一瞬、その長い足が父親のものに見えたのだろう。目を丸くした少年が顔を上げれば、そこにはもちろん父親ではなく、父親よりも少し年の若い、白髪の男が立っていた。

男はつま先でボールを蹴りあげると、膝でバウンドさせ、二度三度リフティングを披露してから、少年に蹴り返した。力加減、コントロールともそれは絶妙で、少年の足元にボールはうまく転がっていく。そのボールを足の裏で受け止め、この男は何者なのかと不思議そうな顔をする少年に、男は人のよさそうな笑みを返した。

「君、サッカー上手いな。さっきから見ていたけど、外したのはこの一回だけ。この年で、大したものだ」

 仕立てのいいスーツ姿。胸元には百合の造花を携えている。能面のように貼りつけられたその笑みに、少年は幼いながらに、幼いからこそ、不穏なものを嗅ぎ取ったに違いない。少年は軽く頭を下げると、ボールを両手で抱え、すぐさま踵を返そうとした。だがその少年の背中を、男の声が引きとめた。

「君。お父さんに、会いたくないかい?」

 少年は足を止め、訝しそうに振り返った。早くこの場から立ち去りたい。しかし男の言葉も気にかかる。不安と好奇心の狭間で揺れながら、それでも耳を傾けることに決めた――そんな逡巡が窺い知れる挙動だった。

 だが少年が振り返ったその瞬間、笑みを浮かべたままの男の掌から漆黒の光が発せられた。強烈な光を浴びた少年は、目を見開くと、それからぐったりと両膝を地面に付いた。彼の目は虚ろで、まるでこの世にある以外の物を見つめているかのようだった。

 虚脱した少年を前に、白髪の男はその表情から笑みを消す。そして先ほど光を浮かべた手で少年の腕を掴むと、不機嫌そうに鼻を鳴らした。




鎧の話 38

 午後10時過ぎ。

外の景色はすっかり暗転を果たした。網戸から入ってくる夜風が心地よい。町は寝静まり、室内で稼働を続ける扇風機の音がやけに明瞭に聞こえる。

直也は床に直接座り込み、ベッドに寄りかかって、炬燵用テーブルの上でノートパソコンを開いていた。すでに室内の電気は消してあるので、パソコンの周囲だけぼんやりとした光が浮かび上がっている。

藍色の闇の中に、床に横たわるライの寝息が鳴り響いている。静かな時はいいのだが、時々、彼女は壊れたラジオのような雑音を吐きだす。初めはやかましく、その度に舌打ちを禁じ得なかったが、1時間もすると次第に慣れてきて、あまり気にならなくなってきた。

直也は自分の額に貼った冷却シートを指先で押しやり、肌に冷たい感触を伝わせる。発熱のためか体はまだ怠かった。全身の骨が軋んでいるような気さえする。直也は濁ったため息を吐くと、軽く伸びをしてから再びノートパソコンの画面に目を戻した。肩をもみほぐしながら、もう少しだと自分を励ます。

直也が見ているのは4年前の事件・事故を紹介したニュースサイトだった。鉈橋そらが亡くなったというバスの転落事故について改めて調べてみたくなったのだ。

記事によるとこの事件で鉈橋そらが死んでいるのは確からしい。そして彼女だけではなく、この事故で死亡した人々は皆、体のどこか一部を欠損しているという共通点があった。

「やっぱりこの事故にも、あいつが関与していたと考えるのが普通だよな……」

町外れの洋館の地下で眠っていた11の氷漬けの死体を思い出し、直也は背筋を凍えさせた。あの死体たちもそれぞれ、体のどこかしらを失っていた。そしてあそこに置かれていた死体の内の1人、滋野アヤメは“ナイン”と名乗る怪人と化し、生前の姿を携えたまま直也に襲いかかってきた。

 今回も理屈としては同じだろう、と直也はコップに注がれていた麦茶で口の中を湿らせながら思う。あのライとひどく酷似した容貌をもつ怪人のことを思い出すと、胸にざわめきが走る。あの怪人はライの前で腰を屈め、こんなことを口にしていた。

――その顔は、鉈橋そらのものであるはずですー。他の人間が持ってていいはずはないですー

 そのセリフは、鉈橋そらは他でもない、自分なのだと怪人が主張をしているように直也には聞こえた。そしておそらくその通りなのだろう。あの男は鉈橋そらの遺体の一部をどうにかして入手したに違いない。そして黒い鳥の力を使い、あのペンギン型の怪人を生み出したのだろう。その結論に矛盾はないように感じた。

 直也は画面右上のバツ印のボタンをクリックし、インターネットの画面を閉じると、立ち膝の姿勢になり、仕事机の引き出しを開けて中から1枚の写真を取り出した。

 それは鉈橋一家の記念写真だった。1週間前、旧鉈橋邸に家に住んでいた女性――今思えば、あの女性も殺人鬼の仲間だったのだろうか――から手渡されたものだ。その写真の中で鉈橋そらはライと全く同じ顔で笑っていた。髪の色が金ならば、ライと見分けはおそらくつかないだろう。

 その隣に立っているのが、彼女の姉である鉈橋きよかだった。鉈橋きよかは妹が事故で死んだ一か月後、失踪している。失踪する前には咲とよく会っていたという。彼女が咲の死に何らかの関わりがあることは明白だったが、彼女自身もまた行方不明になっている以上、追及できないのが痛いところだった。

 そらが死に、きよかが蒸発したあと父親もまた行方をくらまし、母親は心を病んで一家は完全に離散したと柳川から聞かされていた。その発端を作り出したのは間違いなく、あの男だ。直也は頭にカッと血が昇り、心が昂ぶるのを感じた。この一家の無念を思うと、悔しくてたまらなくなった。1人の男のあまりに身勝手な振る舞いによって、幸せな一家は一瞬で崩壊させられてしまった。

 あの男を止めなければ、鉈橋家のような家族はこれからも増え続けることだろう。あの男の陰謀は必ず止めなければならない。

「鉈橋そらの死体が怪人になったのはそれでいい。じゃあ、ライは……」

 独り、夜闇に呟く。タオルケット1枚だけをかけて熟睡しているライに目をやった。この金髪の少女が怪人であり、咲が彼女を生み出したことは直也の中で揺るぎようのない事実であるが、そこに至るまでの経緯にはいまだ謎が多い、

 咲はなぜライを作り出したのか。黒い鳥とどこで出会ったのか。その元となった死体は誰のものなのか。そしてなぜ、鉈橋そらとそっくりの外見を選んだのか。さらに不可解な点は尽きない。

「それに鉈橋きよかはどこへ消えたんだ。咲さんが死ぬ数日前、2人の身に一体何が起きたんだ? なぜ咲さんはフェンリルに殺されたんだ?」

 たまらず疑問を口に出すが、闇は何も答えてはくれない。直也の見ている側で、ライは大きく寝がえりを打ち、力強く炬燵用テーブルを蹴飛ばした。衝撃でノートパソコンが数ミリ飛び上がったため、直也は慌てた。床に落下しなかったことにまず深く胸を撫でおろし、それから、腹をぼりぼりと音をたてて掻くライの寝姿を、改めて見つめた。

 ライは旧鉈橋邸で隠れた場所に転がっていたゴムボールを見事に発見し、さらにあの家の間取りも完全に把握しているようだった。一体ライは何者なのだろう、と直也は想像を働かせる。腕組をし、唸りながらも、その一点だけは何となく直也に見当が付いている部分もあった。ただその答えが正しい場合、また新たな疑問が浮上する。

「だけど、鉈橋そらという言葉にこいつは、何の関心も示さなかった……」

 あの怪人が発した、鉈橋そらという人名をライも聞いたはずだ。だが彼女はそのことについて何も言及してこなかった。怪人の言うことを間に受けても仕方がないと彼女の中で割り切っているのだろうが、それにしても何だか奇妙だった。

 鉈橋きよか。鉈橋そら。離れ離れになった姉妹。生と死の境界線によって隔てられた絆。

写真の中でピースサインをする鉈橋きよかの顔を眺め、ライと見比べる。それからため息をつき、写真をメッセンジャーバッグの中にしまった。体調はけして良くない。こんなコンディションでいくら考えこもうとも、納得のいく答えは出ないだろう。

「ちゃんとかけないと、風邪ひくぞ」

 先ほどの寝返りで乱れたタオルケットをライにかけなおしてやると、直也はパソコンの電源を落とした。謎はまだまだ多いが、まずは目先のことから1つ1つ攻略をしていくしかないということは分かりきっていた。

 直也は腰をあげると窓に近づき、カーテンの隙間から外を窺った。あのペンギンの怪人は今も、直也とライのことを探しているのだろうか。田辺が言っていたデベスクリームというのは、ひょっとしたらあの怪人の名前なのかもしれない。

「俺は、ライを守れるのか?」

 直也の脳裏に、和室に安置された女性の生首の映像が瞬く。直也は彼女を救ってやることができなかった。

 自問自答をしながら、テーブルの上に置かれたメイルプレートに目をやる。傷に塗れたそれは夜の静けさの中ではあまりに心許なく映る。実際、オウガの力ではあの怪人に歯が立たなかった。ライの助太刀がなければ、自分は確実に殺されていただろうと思う。

直也には明らかに力が不足していた。オウガは咲の魂を背負い、共に戦ってきた相棒であったが、そろそろ限界が近いのかもしれない。7年という月日は兵器を錆びつかせるには、十分すぎる時間だった。そもそも対人用に作られたこの装甲服では、怪人に対抗するには無謀すぎる。これまで戦い、生き残ってこられたのが奇跡だと思えるくらいだった。

 しかし結局、他に打つ手がない以上、無力さを嘆きながらもこのオンボロな装甲服とともに戦っていくしかないのだろう。直也は腕を伸ばしてプレートを手に取ると、相棒の姿を夜闇に透かすようにする。

 プレートを見つめる直也の脳裏には、1週間前、フェンリルを撃退したあの不思議な力のことが過っていた。装甲服に電撃が走り、一瞬だけではあったが、爆発的なパワーを生み出すことができた。

 あれさえあれば何とかなるかもしれない、と思いつつ、発動条件ばかりかあの力の正体すら分からないことに気付き、直也は自分の能天気さに苦笑する。ライの手からその力が注がれたような覚えがあるが、先ほど喫茶店で戦った際に、ライに触れたにも関わらず装甲服は変化の片鱗すら見せることはなかった。

 きっと、あの強大な力を発動させるためには、何らかの条件を満たす必要があるのだろう。だがその引き金に全く見当が及ばぬ以上、そんな頼りない希望に縋るよりも、やはりライに表明した通り、仲間を探すことに尽力する方がずっと現実的だった。

「なんとかするしかないか……」

夜空に呟き、直也はプレートを元置いてあった場所に戻すと、カーテンをしっかりと閉め、それから明日に備えてベッドにもぐりこんだ。ライの地響きのようないびきが、部屋の空気を震わせる。しかし熱感と疲労のせいで朦朧としていた直也の意識は、すぐに夢の中へと吸い込まれていった。

“リリィ・ボーン”まであと5日。




2010年 8月18日


魔物の話 47

いつも通りベルゼバビーと一緒に朝ごはんを食べ、ライの残していったカブトムシに餌をやり、その後で顔を洗って歯磨きをしていると、携帯電話に着信があった。うがいをし、ベルゼバビーにトイレを促してから出てみると受話口の向こうにいたのは佑で、彼は挨拶も程ほどにいきなり用件を切り出してきた。

「レイちゃん。今日、うちに泊りにきてくれない?」

 レイは携帯電話を耳にあてたまま数秒間、彼の発した言葉を頭の中で繰り返し、それから首を傾げた。

「今日は家に両親がいないから、とか続かないんですか」

「俺はそんな、朝っぱらからいきなり乙女チックなこと言い出すキャラじゃないよ」

 まぁ、両親どころか俺もいないんだけどさ、と佑は苦笑しながら付け加える。レイは洗面台の鏡の前に立ち、手で寝癖のある箇所を強く押し込んだ。

「あれ。どっか出かけるんですか?」

「うん。ちょっとバンドの集まりにどうしても行かなきゃならなくなってさ。悠を連れていくわけにもいかないし、うちでやるわけにもいかないんだ。夜遅くなるかも分からないから、ちょっと今日、1日、悠の側にいてやって欲しいんだよ」

「バイオリンは今日、ないんですか? 昨日楽しかったからこのまま続けたいって言ってましたけど」

「ところが今日は休みなんだよ。レッスンは火、金、日だけなんだとさ。先生から昨日レイちゃんが帰ったあとに、確認の電話がきたんだ。親切だよな本当に」

 レイは「なるほど」と返事をした。鏡の中に映るレイも得心の意を示す。いくら手櫛を使っても、寝癖は直ってくれず、レイは少しむっとする。

 佑は4人組のロックバンドに所属している。佑の役割はギターで、レイはタイミングが悪く、未だに聴かせてもらったことはないが、悠から聞いた話によると腕はなかなかのものらしい。

 レイは彼の左腕――包帯が巻かれ、複雑な指の動きを行うためにはしばらく時間がかかると医師から宣告されたあの腕を、頭に思い浮かべる。彼の陰の射した表情が脳裏に蘇る。

 ギターを演奏することができず、愛する妹を怪人に狙われ、信じていた組織には裏切られ、下宿先の人たちは消息を絶ち、彼の心はとっくに擦り切れ、荒んでいるはずだった。

 一時でもそれらの煩悶から解放され、友達と楽しい時間を過ごすことができたのならば、佑の表情も少しは明るくなるかもしれない。それはレイの望んでいることだった。

「……分かりました。楽しんで来てください。悠のことは、私に任せて羽を伸ばしてくるといいですよ」

「ありがとう、レイちゃん。頼りになるよ」

 佑の声が柔らかくなる。レイは心にスッと光が射しこんでくるのを感じながら、「いえいえ」と口元を綻ばせた。大事な妹を佑は自分に預けてくれた。佑に信頼されていることが、彼が自分を信じてくれていることがレイにはたまらなく嬉しい。くすぐったいものが胸を過り、レイは鏡から背を向けた。

「お兄さんは何時頃出るんですか?」

 トイレのドアを一瞥し、それから廊下を歩いて浴室の電気を点けながらレイは尋ねた。

「俺? 11時前には出ようかなって思ってるけど」

 腰を捩り、壁にかかった時計を確認する。シャワーを浴び、ゆっくり身支度を整えてからでも、時間は十分にあった。

「じゃあお父さんのところに行ってから、そっちに向かいます。ちょっとお兄さんと話したいことがあって」

 佑の緊張が電話越しにでも伝わってきた。どうやらレイの発したその一言だけで、話題を察したらしい。楽しい仲間との会合を前に、怪人関連のことを口に出すのは気が引けたが、昨日、あの白い家で体験した出来事はなるべく早く佑に話しておきたかった。

「……分かった、待ってるよ。そういえばお父さんの具合はどう?」

 佑が声を顰める。レイは病院の薬臭いベッドに収まった傲岸な父の姿を思い出し、その瞬間、胸にちくりと痛みを覚えた。

「まぁ、そこそこです。普段がうるさいから、今くらいがちょうどいいですよ。表に出てこない方が世のため人のためです」

 吐いたその言葉が自分を保つためのつよがりであることに、レイ自身、気が付いている。一日中天井をじっと見つめ、看護師に身の回りの世話を委ねている父親の姿を見ると、今目の前にいる男は本当に自分の父親、黒城和哉なのかと不思議な気持ちになる。怪人を相手に激しい戦いを演じ、全く敵を寄せ付けず、無双を展開していた頃が夢のようだ。

 今の父親の姿をみると、そのたび泣きたくなった。病室に入るとたまらない気持ちが胸に込み上げ、その度、涙を堪えるのに苦労しなければならない程だった。どれほど傍若無人でも、どれだけ無遠慮でも、どれだけうるさくても、やはり父親は厳しく、強く、堂々としていて欲しかった。

 会話に少しだけ間が空いた。己の虚勢が佑に通用したとはレイには到底思えなかった。おそらくつよがりも見透かされていることだろう。そして洗面所に引き返し、暗い自分の表情を鏡に映して見つめるレイの耳に、佑の声がようやく届いた。

「そう。そのうち、俺もお見舞いにいくよ」

 佑の言い放ったただそれだけの言葉に、レイは一瞬、虚を衝かれる。それからすぐに「ありがとうございます」と応じる。「お父さんも、きっと喜びます」

 佑の軽やかな笑い声が、受話口の向こうから聞こえる。その快活な声がレイの心の外側を優しく撫でていく。レイは耳に携帯電話を尚更強く押し当て、それからゆったりと壁に寄りかかった。

それから一言二言言葉を交わしてから、レイは通話を切った。そこでちょうど、廊下を走るたどたどしい足音が聞こえてきた。目を向けると、ベレー帽を被った小さな女の子、ベルゼバビーがこちらに駆け寄ってくるところだった。

「おかあちゃんー、絡まったー」

 見ればベルゼバビーの体にはまるでミイラ男のようにトイレットペーパーが幾重にも巻き付いていた。彼女はその隙間から覗き見える顔にべそを掻き、レイに縋りついてくる。

「あらあら」

 レイは彼女の前に屈みこむと、その体に纏わりついたペーパーを手で引きちぎり、床に適当にのけると、それから涙を指の腹で掬い、丸い頭を優しく撫でてやった。

「うん。これで大丈夫だよ。ちゃんと1人でできたんだ。偉いね」

 ベルゼバビーはその涙の滲んだ丸い目でじっとレイの顔を見つめている。その顔があまりに真剣なので不思議に思い、レイは首を傾げた。

「どうしたの。私の顔になんか付いてる?」

 するとベルゼバビーは「ううん」と頭を何度か横に振った。

「おかあちゃん、何か嬉しそうだなーって思って。なんかいいことでもあったの? ぶんぶーん」

 レイは彼女の指摘にハッとし、自分の顔を両手で包み込んだ。わずかに熱を帯びた感触が掌を伝う。自分の心に広がっていく感情に気づくと、レイの頬は自然に緩んでいった。

「本当だね。私、嬉しいんだ」

 声に出すと、沸き上がる感情が胸をくすぐった。レイはペーパーから完全に解き放たれたベルゼバビーをそっと抱き寄せると、驚く彼女を胸に軽く押しつけた。佑に会える。悠と一緒にいられる。胸を満たすこの気持ちの名前を、幸せと呼ぶのかもしれない。柔らかく、温かい、幼女の感触を全身で抱きしめながら、レイはそんなことを思った。



 それから3時間後、天村家にはほぼ定刻通りにたどり着くことができた。チャイムを押し、玄関のドアを開けるとすぐにリビングから悠が飛び出してきた。ひどく浮かれた様子で、「レイちゃん!」と叫び、廊下をこちらに向かって駆け、そして、躓いた。

 踏み出す足を滑らせ、足掻くもう一方のつま先も床に引っ掛からず、そのまま悠は前のめりに倒れていこうとする。レイは靴を脱ぎ捨てると、肘にかけていたバッグと逆の手に持っていた透明のケージを置き、廊下に飛び乗り、たたらを踏みつつも、悠の体を間一髪、両腕で受け止めた。

「大丈夫? まだ体が治りきってないんだから、無理しちゃダメだよ」

「うん。ちょっと、浮かれすぎちゃった。ありがとう、ごめんね」

 悠は顔をあげ、少し頬を赤らめながら申し訳なさそうに笑う。レイは彼女の体を起こしとてあげると、元気づけるようにその肩を数度、軽く叩いた。その時、レイの鼻に香るものがあった。甘たるく、それでいて嫌味な感じはしない、優しく、嗅ぐものを落ちつかせるような匂い。

「桃の匂い……」

 それは悠から漂ってくる。その匂いは昨日、彼女の通うバイオリン教室の講師が撒いていた香水のものに違いなかった。

 レイは悠の小さくたおやかな体を抱きすくめると、その首筋のあたりに鼻を寄せ、鼻をくんくんとさせた。レイの息が吹きかかってくすぐったいのか、悠は体をびくりと震わせ、身をよじらせた。

「レ、レイちゃん、くすぐったいよ……」

「悠、香水つけてるの? これ、昨日の先生と同じやつじゃない?」

 悠から離れ、レイは問いかける。悠は恥ずかしそうに俯くと、上目遣いでレイを見た。

「うん、先生がくれたの。私、あんまりこういうオシャレしたことなかったから……やっぱり、変だよね?」

 ため息を吐き、憂鬱を表情に顕す。そんな親友にレイは微笑みかけ、かぶりを降った。

「ううん、全然変じゃないよ。むしろそれが普通だよ。これからは部屋にこもりっきりの生活じゃないんだから、どんどんそういうこと、するべきだと思うけど」

 病室に閉じ込められた状況の中では、オシャレをする意味も薄く、張り合いもなかったことだろう。だが、今は違う。

悠はこうして自分の家で毎日を過ごすことができ、自由に外出も可能になり、新しい趣味に心を向ける余裕さえできた。無理はできないものの、もはや悠を縛るものはほとんどないと言ってよかった。

多くの女子中学生が経験していたのと同じ生活を悠は手に入れた。身だしなみに気を使うのは、15歳の少女として当然のことだろう。異性の目も気になり、恋愛にも熱心になる年頃だから尚更だ。15歳相当の肉体を持ちながら、4年しかこの世に生きておらず、同時に30代の魂を内に秘めているレイでさえ、服装や髪型に気をつかっているのだから、女性として当たり前、と言い換えたほうがいいぐらいだった。

レイが断言すると、悠はおずおずと顔をあげた。彼女から少し離れていても、桃のかすかな香りは漂ってきた。不快には思わないので適量だと思う。日に日に変化を遂げていく親友の姿を目の当たりにすることは、嬉しくもあり、反面、寂しくもあった。

「そうかな……」

「悠は元が可愛いからね。もっともっと磨きがかかるかもしれないね。半年後には彼氏とかできてたりして」

 レイが言葉を言い終えるかどうかのタイミングで、頭上から物音が聞こえてきた。椅子から誰かが立ち上がり、勢いあまってその椅子が床に倒れたような、けたたましい音だった。レイと悠は顔を見合わせると、ほとんど同時に天井を振り仰いだ。記憶が正しければ、その天井の向こうには佑の部屋があるはずだった。

「……そういえば、お兄さんってまだいる?」

「たぁくんなら、お部屋にいるよ」

 レイは天井を見上げ、目を眇めた。ようやく覚えてきた天村家の内部構造を頭の中で展開し、この真上が佑の部屋であることを思い出す。

「ちょっとお兄さんに用事があるから、2階にあがらせてもらうよ。そんなに時間はかからないと思うから、悠は1階で待ってて」

「あ、うん。じゃあお昼の準備の途中だから、私はキッチンに行ってるね」

「うん。用事が終わったらすぐに手伝いにいくね」

 悠に言い置いて、レイは床に落としたままだったバッグを拾い上げる。ケージは悠に渡した。「なにそれ」と不審がる彼女に、「カブトムシ。死なない場所に置いといて」と言い置き、廊下を進んだ。

数日前、怪我と疲労によって寝込んだ佑を、悠と共に看病した経験のおかげで天村家の間取りはおおよそ把握できるようになっていた。豪邸と呼んでもけして大袈裟ではなく、その名に応じるように部屋の数もひどく多いこの家では目標とする場所にたどり着くのも一苦労だが、今では佑の部屋だけはたとえ、目を瞑っていたとしても行き着くことができる。

 階段を昇り、目的の部屋の前に立って、ノックをしてからドアノブを捻る。こんにちは、と挨拶を口にしながらドアを押し開くと、そこに佑が立っていた。心なしか、その表情は固い。まるで信じがたい事実を聞かされた後のような、緊張感に満ちた顔をしていた。

まさかドアを開けてすぐのところに待ち構えられているとは想像していなかったのでレイはその存在感に圧倒され、声をあげて後ずさった。

「なんでこんなところに立ってるんですか?」

 率直に尋ねると、佑は決まり悪そうに視線を逸らし、それからまるで何事もなかったかのような素振りで机の前に置かれたキャスター付きの椅子を引き寄せ、そこに腰掛けた。

「ほら、今座ったよ。アイアムシットダウン」

「それは見れば分かります。バカにしてるんですか。英語変だし」

「まぁまぁ、そう怒らないで。とにかくレイちゃんも座りなよ」

 煮え切らないものを覚えながらも、レイもまた壁際に置かれたキャスター付きの丸椅子を掴み、それに座った。1週間前はこの椅子に座って、よく佑の額に濡れタオルを置いていたので、その座り心地には妙な馴染みがあった。レイは椅子に腰を下ろしてからもどこか挙動不審な佑を前に、大きく嘆息した。

「……大丈夫ですよ、悠に彼氏はいませんから」

「そ、そうだよな!」

 椅子を蹴り倒す勢いで佑は立ち上がると、それから目に見えて安堵した。

「新しい生活を送るとはいってもさ、あ、あいつにはそんなことまだ早いよ。そうさ。まだ中3なんだし、15歳なんだし」

「なんでもいいですけど、とにかく座ってください。ユーアーシットダウン」

 呆れながら佑の間違いだらけの英文法を真似ると、彼はまだ興奮冷めやらぬ様子ではあったが、とにかく納得し、椅子に座った。

 こうして佑の部屋で椅子に腰かけ、2人で向かい合っているというのは何とも不思議なものだった。昨日のことや今朝の電話のこともあり、何だかそわそわとしてしまう。レイは落ち着かぬ心をごまかそうと、室内に視線を運んだ。

高価そうな音楽機器が壁に添うようにして並んでいる。レイのちょうど右手側にはケースに入ったギターが3本、立てかけられていた。

そのケースにはどれも埃が被っていて、レイは胸に軋むような痛みを覚える。思わず、彼の包帯の巻かれた左手を見てしまう。その手は日常生活における不自由はないものの、弦を奏でる能力はまだ損なわれたままだ。ギターを愛し、音を奏でることに生きがいを見出していた彼にとって、それはどれほどの地獄なのだろうと思った。

レイはふと、彼のちょうど背後の壁に白い紙袋が立てかけてあるのを見つけた。有名なデパートのもので、レイも父に連れられ、何度か行ったことのある店のものだった。

「そういえばそれ、昨日も持ってましたよね。何が入ってるんですか?」

 今まですっかり尋ねるタイミングを失っていたが、『しろうま』から出てきた佑が確かその紙袋を持っていた覚えがある。佑はレイの指摘に振り返り、「あぁ」と目を細めると、椅子から立ってその紙袋を掴んだ。

 袋の中に手を突き入れ、中に入っていたものを佑は取りだした。レイはわずかに前屈みになって、彼の手の上に置かれたそれを見つめた。

 それはブリキのおもちゃだった。ねじまき式のもので、塗装の剥げ具合からかなりの年代物であることが窺える。もともとはペンギンの形をしていたらしいが、目は削れ、片手は折れ、ネジは外れ、その全身は傷で塗れており、惨憺たる姿を晒していた。

「俺、あいつに頼まれたんだ。これを直してくれって」

 懐かしむかのように声を震わせ、そのおもちゃを佑は見つめる。佑があいつ、と呼ぶ者の正体を、レイは何となく察していた。

「もしかして、楓葉花……」

レイが口にした少女の名前に、佑は一瞬目を見開いたが、すぐに頬を緩めて頷いた。

「俺にとってはなんていうか、2人目の妹みたいなもんでさ。やかましいし、むかつくし、喧嘩もよくしたけど、どうしても放っておけない奴だったんだよ。あいつはなんだかんだいいながら、俺を頼ってくれて、このおもちゃも俺だったらきっと直してくれるだろうって見こんだから、渡したと思うんだ」

 おもちゃを手の中で包み込み、撫でまわす。まるで壊れ物を扱うような、そんな彼の仕草に、レイは彼の苦悩を察する。

「でも結局、何も手をつけないままあんなことになっちゃって……。だから、今のうちに直してやろうかなって思って。あいつがいつ帰ってきてもいいように。もう1回、あの生活が帰ってくるように」

 佑の目には遠い羨望が宿っている。その表情からは絶望から何とか這いあがろうとする強い意思が感じられた。巨大な悪意によって奪われてしまったものを取り返したい。その願いが、憎悪が、彼の心に一点の光を射し込ませている。それはレイの目に、確固たる姿として映った。

「そういえばさ、レイちゃん」

「はい?」

 その壊れたおもちゃを紙袋にしまいながら、佑は言った。

「前に言ってたよな。あの連続殺人事件。11人……いや、今は12人になったんだっけか。女の人が誘拐されて、殺されて、氷漬けにされてどっかの家の地下にしまわれていた、あの事件の犯人が、式原だって」

 佑の痛ましく歪んだ横顔を見つめながら、レイは小さく顎を引いた。町外れの巨大な洋館に、誘拐された11の女性の死体が氷漬けにされていたという事件だ。匿名の人物により通報があったため、その洋館の存在は周知のものとなったらしい。さらに生きて帰って来たという1人、俗に言うところの“12人目の被害者”も搬送先の病院で行方不明となり、その父親も死体で発見されたという話をレイは佑の看病をしながら聞いた。それら全てが式原の仕業であることをレイは知っており、佑にも伝えてある。事件に関することが耳に入る度、佑は悔しげに顔を歪ませていた。

 そして今の佑も同じように顔を歪め、その声音を震わせていた。レイを見つめる眼差しが怖いくらいに暗く淀んでいる。レイは無言で顎を引いた。彼は自分の拳の震えを抑えようとするかのように手首を掴み、下唇を噛みしめている。

「俺さ、怖いんだよ。もしあの時、あの病室で怪人を倒せなかったら、悠を救えなかったとしたら……悠もああやって殺されたんだろうなって。そうすると考えるだけで、怖くてたまらなくなるんだ。死体になった悠が夢の中まで出てくるんだ」

 彼のことを心配性だとは揶揄できない。実際、悠はこれまでに少なくとも3回、式原によって狙われている。1回目は3年前に二条裕美から。2回目は橘看護師に連れ去られて。3回目はあの九官鳥の怪人にだ。だから佑が神経質になるのも仕方がない、と思う。レイだって恐ろしい。悠が物言わぬ抜け殻と化し、青白い顔をして横たわる姿を思い浮かべるだけで気が遠くなるようだった。

 佑は勉強机のほうを一瞥した。レイもその視線を追い、そして心を切りつけられるような感触を得た。机のうえに置かれていたのは、フェンリルのメイルプレートだった。

「俺には、力がある」

 包帯の巻かれた腕を撫でつけ、自分自身に言い聞かせるように、呟く。レイは下唇を舌で湿らせ、彼を前に逃げ出そうとする臆病な心をしっかりと抱きしめながら彼と対峙しなければならなかった。

「悠だけじゃない。俺は俺の周りの人たちを、救いたい、守りたい。怪人のいない世界を、俺は作りたい」

 佑の発した決意は、レイの心を揺らした。昨日の駅での会話以降、彼に対して抱いていた淡い気持ちが、栓を引き抜かれ排水溝に吸い込まれていく風呂の水のように、消えていく。胸の内に再び浮き出てきたのは、佑に対する恐怖、そして正体を隠していることへの罪悪感だった。

――怪人のいない世界。彼の宣言したその世界に、レイはいない。自分が怪人であるという事実が揺るぎない以上、いつまでも佑や悠の側にいることはできないのだ。寂しくもある。悲しくもある。しかし崩れそうなその心を支えているのもまた、佑が口にしてくれた言葉の存在なのだった。

「フェンリルの力と、レイちゃんの力があれば、それができる。だから、一緒に作ろう。悠が安心して生きられる、そんな世界を」

 新たな未来に向けて一歩を踏み出した悠が、安心して生きられる環境。それはレイにとっても、実現させたい願いだった。レイはふぅ、と吐息を零し、気持ちを落ち着かせてから、彼と改めて向き合った。ともかく現状で一番大事なのは、式原を止め、悠の身を脅かす存在を断ち切ることだ。

「お兄さんに、伝えておきたいことがあるんです」

 レイは昨日の夕方、天村家を出たあと、あの家に足を向けたことを話した。そこで巻き込まれたあまりに異様な光景――羽毛の山が一斉に白く枯れていく様――のことを伝えると、佑は眉間に皺を寄せた。

 佑はレイの独断専行を軽くたしなめながらも、その無事を安堵し、それから声を低めた。

「やっぱり。俺も昨日レイちゃんが帰って、悠が寝た後にさ、あの羽根をちょっと調べてみようと思ったんだ。それでポケットから出そうとしたら、羽がさ、なくなってたんだよ。代わりに灰みたいなのがいっぱい入ってて」

 レイはやはりか、と顎を指先で撫でつけた。レイが持ち帰った羽根もあの部屋にあったものと同様に全て灰化してしまった。もはや黒い鳥が存在していたという痕跡すら、塵ひとつなく消え失せてしまった。

「私の生まれつきの感覚が、知らせてるんです」

 レイは1つ身震いをした。その言葉の続きを口にするのは躊躇いがあった。それはおそらく、レイもまた、黒い鳥から生まれた怪人だからだろう。レイの体内にある怪人としての本能が、親の死に衝撃を受けている。血液が冷え、脈が激しく皮膚の裏側を叩く。

 だがレイは意を決し、声を喉の奥から絞り出した。

「……黒い鳥が、死んだってことを」

「死んだ?」

 佑は瞠目した。信じがたい単語を耳にしてしまい、驚く以外にどう反応していいのか分からない、といった様子だった。それも当然だろうとレイは思う。レイもいまだに信じられない。だが、この感覚に直接訴えかけてくる情報の渦は何よりも雄弁に、それが真実であることを伝えていた。

「死んだって、え、まさか、そんな」

「一体どういうことなのかは私にも分からないです。私も信じられません。だけど、これは、多分事実です。鳥は多分もう……この世にはいません」

「だって」

 佑の声は動揺のためか、少し裏返っていた。

「黒い鳥って、怪人を生み出す源なんだろ? それが死んだってことはつまり……」

「楽観はけしてできませんけどね」

 突然舞い込んだ吉報に淡い期待を寄せている佑にレイはぴしゃりと言う。佑は我に返ったようにびくりと体を引きつらせ、それから眉をひそめた。

「そうだけどさ。でも、もう怪人は作られないって、そういうことだろ?」

「まあ。でもこれ以上作られなくなっただけで、今いる怪人がいなくなるわけではないですから。まだ怪人がいる事実に何も変わりはないですよ」

 そう――自分の存在がまだ許されているように。レイは心の中で自嘲気味に付け加える。自分ほど人の社会に溶け込み、周囲を欺き、まるで人間のような顔をしてのうのうと過ごしている怪人もいないだろう。昨日、佑に惨殺された怪人の悲鳴が、人に守られながら生きる、卑怯な怪人に対する恨みがましい眼差しが、レイの脳裏を過ぎる。思い出すだけで胸が締め付けられるようだ。

「それに黒い鳥が死んでも、人の悪意は消えません。だから、私たちの目的もなんら変わりないです」

「……式原、明」

 怪人の創造主である男の名前を呟き、佑は奥歯を噛み締める。自分の欲を満たすために、多くの人間の命や魂を弄び、怪人というあまりにも悲しい存在を、呼吸をするように生み出している悪の権化。あの男の居場所を突き止め、追い詰めることが、レイがマスカレイダーズに望んでいた最終目的であり、そして今は佑と共に目指すべき到着点だった。

 黒い鳥を失ったとしてもあの男なら、良くないことを仕掛けてくるに違いなかった。

 むしろレイは、黒い鳥を殺したのは式原なのでは、と睨んでさえいる。黒い鳥は怪人を生産する憎むべき存在であるのと同時に、レイにとっては生みの親でもあった。娘としての感性が、あの鳥がそんな簡単に、こんななし崩し的に死ぬのだろうか、と疑問の声をあげている。

 何かが始まろうとしている。それも、最悪の事態が足音を偲ばせて近づいてくる。怪人察知の技能ではなく、胸騒ぎとしてレイはその感覚を捉えていた。『しろうま』の側で起こったあの一連の出来事もまた、不安を喚起させている。レイたちを監視している風だった首のない男の死体。そしてその男たちを殺害し、連れ去った小動物の白い影。何かが狂い始めている。そんな予感があった。

「何か、嫌な予感がする」

 そしてそれは佑も同様のようだ。包帯の巻かれた左手を握り締め、彼はぽつりと呟く。レイは身震いのようなものを感じながら、心の拠り所を探るようにして、気付けば佑を見つめていた。その頭に、再び白い影が過ぎる。ディッキーによく似た、しかしそんなはずはない、小動物の白い影。その小動物を惨殺する佑の後姿。レイは軽く頭を振り、そのイメージを振り払った。

「とりあえず用事が終わったら、俺もまたあの家に行ってみるよ。まだ見落としているところがるかもしれないし」

 彼に同行したい気持ちはあったが、レイには悠を守る務めがある。歯がゆさを抑えながら「無茶はしないで下さい」とだけ伝えると、「レイちゃんもね」と彼は軽く笑った。その笑顔が、言葉が、レイの心に優しく沁み渡る。まるで飴と鞭だ、と思った。佑とこうして対峙していると、恐怖と安心とがひっきりなしに入れ替わって、実に忙しなく感じる。しかし二度と佑と会いたくない、とは考えたこともなかった。なんだかんだと言っても、やはり佑と一緒にいると心が安らぐのは事実だった。だからこそ心に射す後ろめたさが、レイの気持ちを重くさせる。

 レイと佑の会話が途絶えた。鬱屈とした何かが2人の間に横たわって、そこに流れる空気を淀ませているかのようだ。

足の下で物音が途切れ途切れに聞こえてくる。悠が食事の準備をしている音だ。皿同士の擦れ合う音、椅子を引きずる音、食器をテーブルの上に置く音。それらの日常的な響きがなぜか、この空間の中では場違いのもののように浸透していく。

黒い鳥がいなくなっても、少しも安堵の気持ちは生まれなかった。まったく理由の分からず、現実感をひどく欠いたこの出来事はレイたちを絶望へと誘う悲劇の幕開けのように思えてならなかった。




鎧の話 39

 早起きをしようと考えていたのに結局、直也が目覚めたのは昼前だった。頭が芯の方からずきりずきりと痛み、体もひどく重い。関節の動きもぎこちなく、まるで骨の継ぎ目に油粘土でも注がれたかのようだ。

 体温計を使わずとも熱が上がっているのは明白で、直也はベッドから這いだすと同時に重苦しいため息を零した。こんな状態で本当に怪人たちと戦うことができるのか、不安が胸を曇らせる。だが休むわけにはいかなかった。“リリィ・ボーン”が始まる日は刻々と近づき、怪人の魔の手は着実に直也とライに迫っている。

 テレビのニュース番組やインターネットの情報を確認したが、昨日の喫茶店での一件はどこにも報じられていなかった。どうやら怪人が4人もの人間を殺害したことは、公になってはいないらしい。あの客や柳川の存在が現在、社会的にどう取り扱われているかが気になったが、それを悠長に調べ上げることができるほどの余裕は直也にない。

 ライの作ったむせ返るほど味の濃いチャーハンを麦茶で胃に流し込むと、12時近くになって直也とライはようやく家を出た。直也はいつも持ち歩いているメッセンジャーバッグ。ライは家から持ち出してきたのであろうモスグリーンの小さなリュックサックを背負って、バイクにまたがった。長年連れ添ってきたものとは違い、レンタル品は乗り心地としてはあまり良くはなかったが、足としての役目は十分に発揮してくれた。

 空には薄い雲がかかり、昨日ほど気温は高くなかったが、それでも体調不良の身にこの蒸し暑さは響いた。何度も意識が遠くなり、その度に、背中に伝わるライの存在を思い出して、何とか持ち直すということを繰り返しながらバイクを走らせる。早く目的地にたどり着いて、ヘルメットを脱ぎ去り、新鮮な空気を体中に取り入れたかった。

 華永あきら率いる黄金の鳥の集団と、ゴンザレス率いる鎧の集団、マスカレイダーズ。

 直也はそのどちらとも明確な敵対関係になかったが、その一方でどちらとも良好な関係を築いているわけでもなかった。

 ゴンザレスとは互いに互いを嫌悪している間柄であったし、あきらとは別れを切り出したばかりで気まずい関係にある。正直、こんな窮地に置かれてさえいなければどちらの組織とも積極的に関わりたくなかったが、今はそんなことを言ってはいられないのは承知していた。怪人と戦おうという事態に直面している現状において、これほど頼りになる組織を直也は他に知らない。ライという守るべき対象がある以上、彼ら彼女らに協力を仰ぐことは直也にとって急務だった。

 組織は果たして怪人の思惑について知っているのだろうか、と直也は信号待ちをしながら想像する。どちらの可能性もあるような気がした。一個人である直也が気づいているのだから、ネットワークの確立したあのような組織らが把握していないはずはない。だがその一方で、ある程度の規模をもつ組織だからこそ、怪人たちの密行を見逃している可能性もある。考えてみれば柳川が情報を入手したことも単なる偶然なのだ。

 とりあえず先に摂食するのはどちらでも良かったが、まずは『ホテル クラーケン』よりも自宅から近い船見家に向かうことにした。

 船見家。それはマスカレイダーズのアジトだ。

 確かに組織のリーダーであるゴンザレスとは険悪な関係にあるが、マスカレイダーズのトップであり、船見家の家主である船見トヨならば直也からの申し出に快く耳を傾けてくれるだろうと直也は算段をつけていた。少なくともあの老婆は直也に対し、敵意を向けている風ではなかった。直也に有益な情報を話してくれたこともある。力を貸してくれるだろうという根拠は十分にあった。

 船見家は民家の連なった場所の少し奥まったところに建てられている。見掛けは古びた一軒家であるが、その正体こそ、怪人を討伐するための組織、マスカレイダーズの本拠地だった。

 夏休みも終わりに近づく中、船見家の前に伸びる一方通行の道路は活気に満ちていた。日に焼けた小学生や、ベビーカーを連れた女性の姿など、実に平和な景色が広がっていた。その光景を前にすると、まるで自分たちの巻き込まれていることが遠い、別の世界の出来事のように感じられるのだった。

 門の前にバイクを停め、座席から降りた。脱ぎ去ったヘルメットを胸の前で抱く。日の光を直接浴びると途端に目眩がやってきて、直也は塀に寄りかかった。髪は汗で濡れ、額から透明の滴が滝のように溢れだす

 ライもまた直也の前でヘルメットを脱いだ。そして船見家を見上げるなり不満げに眉を寄せた。

「なんだアジトっていうから、もっとそれっぽいところかと思ったのに、普通の家じゃないか。つまんないの。盛り上がりに欠けるよなぁ」

「無茶言うな。そんなに大々的に公表してたら、アジトとしての役割を果たせないだろうが」

「わかってないなぁ。秘密基地ってのはロマンなんだよ。大事なのは外見だよ外見。役割とか常識とか、そんなものいらないんだよ」

 ライは持論を一方的に振りかざすと、直也に自分のヘルメットを押しつけ、家に向かう。直也は肩をすくめ、受け取ったヘルメットを座席脇のフックに引っかけ、自分のものもハンドルに掛けると、それからライの後を追う。

 開け放された門をくぐり、敷地内に足を踏み入れる。様々な植物が植えられ、大きな陰を落とした庭は先日訪ねた田辺家を彷彿とさせた。さすがにあの家と比べれば、船見家の外観はまだ新しい。少なくとも10年後もちゃんとここに建っているという確信は持てるだけいくらかましだった。

「おい……おっさん」

 ライが立ち止まり、困惑した顔で直也を振り返る。その言葉を聞かずとも、彼女が何を言いたいのかは理解できた。直也もまた茫然と立ち尽くす。胸の奥で淀みが広がり、泡を立てながら体の中で膨らんでいくのを感じた。

「こいつは……」

 玄関の前には真っ赤な2つのコーンが、3メートルほど距離を取って置かれている。2本は黄色のロープで繋がれており、家に侵入しようとする人間をあからさまに阻んでいた。深く考えずとも、それが立ち入り禁止を示していることは、子どもでも分かる。

 直也は踏み割られたタイルが足元に転がっているのを見つけ、そこでようやく、この家が怪人による襲撃を受けたことを思い出した。

 情報を提供した見返りにとトヨから依頼され、数日前、直也はこの家の地下室で馬の怪人と戦った。しかし怪人の力は圧倒的でオウガでは全く歯が立たず、その部屋の中で治療を受けていた二条浩美は連れ去られ、その怪人もまた天井を突き破って行方をくらませてしまった。その一連の出来事を、直也はすっかり忘れていた。

容赦なく立ちふさがった現実を前に、直也は危うく地面に膝を付きかけた。一瞬、視界が混濁し、周りの世界が遠ざかる。

 この家が襲撃を受けた。それはすなわち、この民家がマスカレイダーズの隠れ家であることが、すでに怪人に知られていることを意味する。そんな場所をゴンザレスとトヨがいつまでもアジトにしているとは考えにくかった。そればかりでなく、ここにいれば直也たちも危険に晒される恐れがある。船見家がすでに怪人の手に落ちている可能性は限りなく高い。

「……マジかよ!」

 直也は額の汗を拭う余裕すらなくコーンを迂回すると、玄関のドアの前に立ち、チャイムを何度か鳴らした。田辺家のものとは異なり、それは呼び出し音を家の中に響かせてくれたが、誰も応じることはなかった。念のためドアに手をかけて横に引いてみるが、施錠が成されているらしく、びくともしない。田辺家の時と同様にドアを叩き、数度叫んでみたがやはり反応はなかった。

ふと気配を感じ、背後に視線をやれば、自転車で門の前を通りがかった年配の女性が不審者でも見るような目でこちらを睨んでいる。その手に携帯電話が握られているのを認め、直也はゾッとした。

「あ、どうも」

 直也は引きつった笑みを浮かべ、女性に軽く会釈した。「船見さん、留守なんですかね」と首だけで振り返った姿勢のままたどたどしく尋ねると、女性は表情を強張らせたまま、家を顎でしゃくり、「船見さんなら、1週間前に引越したよ」と真相を告げた。

「引っ越した?」

「突然だったけどね。奥さんが挨拶に回ってたよ」

「そんな……あの、行き先とか、ご存じですか?」

 問いかけると女性は目を細め、額の皺をさらに深く刻んだ。明らかに直也を怪しんでいる様子だ。面食らう直也の前で女性は鼻を鳴らすと、「さぁ、なにも言ってなかったよ」といかにも不機嫌そうに吐き捨てた。

「そうですか、ありがとうございます」

 慎重に言葉を口にする直也に、女性は最後まで警戒を解くことはなく、だがやがて立ち去っていった。緊張から解放され、直也は胸を撫で下ろす。あまり派手なことはここでは避けたほうが良さそうだった。無用な騒ぎを起こして、怪人たちに場所を特定されでもしたら目も当てられない。

 さてこれからどうするかと、打ちひしがれる思いで立ちつくしていると、庭の奥からライが戻ってきた。どこに行っていたのかと直也が問いかける前に、彼女は息を荒らげたまま直也を見上げ、言った。

「全然ダメだよおっさん。窓とかドアとか片っ端から調べてみたけど、どこも開いてない。誰かいるようでもないし。どうする? おっさん、窓でも叩き割る?」

「物騒だなおい。あまり目立つことはここでは止めておこう。一応俺たちが、追われている身であることを忘れんな」

 素早く周囲に視線を走らせ、すでに手ごろな石を持ち上げかけていたライは、直也からの忠告に唇を尖らせた。

「ここに仲間の手がかりがあるかもしれないんだろ? 追われてるのは分かってるよ。でもだからこそ、中に入らなきゃいけないんじゃないの?」

「さっき近所の人が言ってたんだよ、この家に住んでいる人たちは引越したってな。入っても多分もぬけの殻だろ。試してみるにはあまりにリスクが高すぎる」

「じゃあ、ここは何もしないですごすごと引き返すっていうのかよ。せっかくきたのに、それでいいの?」

 ライが眉間に皺を寄せ、反論する。直也は言葉を詰まらせた。敵に見つかるという危険を犯してまでここに来たのだから、確かに何か収穫を得て帰りたいという気持ちは理解できる。しかし、これ以上どうするのかと問われると、いい考えは浮かばなかった。庭を眺めてみるが、これといって目ぼしいものはない。頭上に張り巡らされた電線を見つめながら唸っていると、突然、ライが手を叩き合わせた。

「そうだ! こんなときのために」

「なんだよ」

「いいもの持ってきたんだ。私の秘密兵器」

 戸惑う直也に視線をよそに、ライは背負っていたリュックを地べたに下ろすとファスナーを開け、中から1枚の画用紙を引っ張り出した。A4サイズで、片面いっぱいに何か書かれている。ライはその紙面を返し、両端を持って、直也に見せ付けるようにした。

「じゃっじゃん!」

 口でそんな効果音を付けられながら発表されたその文面に、直也は手で庇を作り、降り注ぐ陽光を遮りながら目を走らせる。そこにはライのお世辞にも丁寧とはいえない、しかし必死さは伝わってくる字面で、こう書かれていた。

『SOS! 黒い鳥に狙われている! ペンギンもやってくる!  21日に何かが起こる。気付いた人は頑張れ! みんなも頑張れ! ――ニートのおっさんより』

「……なるほどな」

 その内容を読み終えた直也は、気付けばにやりと笑みを浮かべていた。続けて「なるほど」と口にしている。それを聞いてライも嬉しそうに胸を張った。

「これならいいだろ? たとえば私たちがいない間に、この家に人が帰ってきてもさ、大変なことが起きてるんだってことは伝わるじゃん。そうすれば、みんな気付いてくれるよ。きっと。いや、絶対!」

 直也は顎を撫でながら、「そうだな」と心の底から感心した。この発想は直也の中にはなかったものだった。確かにこの程度なら、たとえ船見家の存在を怪人に知られていたとしても、リスクは少ないし、何も知らない人々を危険に駆り立ててしまう恐れもない。一般人が見れば悪戯としか思えないこの文面も、マスカレイダーズが見ればその意味を察してくれるはずだ。

 もとよりダメ元だった。今はライの用意した秘密兵器が誰かに届くことを祈るしかない。

 直也は、力強い眼差しで見上げてくるライから画用紙を受け取ると、ポケットから手帳に挿してあったボールペンを取り出し、画用紙の一番下に、ある記号を書き足した。長方形を書き、その中に3と羽のマークを記す。書き終え、ボールペンをポケットに入れると同時にライが「なにこれ?」と瞬きをした。

「オウガのマークだろ。これも一般人ならただの落書きだけど、知る人からしてみりゃ分かる記号だ」

 直也は家を振り返り、そして縁側の窓に目を留めた。

「あそこに貼っておくか。この中に入れば目立つだろ。剥がされたら、それはそれだ。やってみなきゃわからないもんな」

「あいよ!」

 どんな逆境に置かれても、希望を抱き続ける気持ち。それをライから教わった気がした。また助けられたな、と直也は苦笑を浮かべ、画用紙を持って縁側に走っていくライの後姿を見つめる。しかしそこでふと思い出し、彼女の背に声を投げた。

「おい、ライ」

 ライのセンスや行動について、今は文句をつけたくはないが、1つだけあの文章には訂正するべき点がある。縁側の上に片足で乗り上げ、ガラス窓に画用紙を押し付けた姿勢で首をよじるライに、直也は再びボールペンを取り出して指摘した。

「何度も言うけど、俺はニートのおっさんじゃねぇ。俺は、探偵だ」




魔物の話 48

 悠と一緒に作ったオムライスとシーチキンサラダはとても美味しかった。

レイはいつも通りケチャップやドレッシングをその料理に使わなかったが、それでも元の味付けがかなりしっかりしていて、米粒1つ残さず完食することができた。悠に料理の才能があるのは驚きだったが、前から手先は器用なほうだったので、家事には秀でているのかもしれない。

 一緒に洗い物をし、後片付けを終えて、会話を楽しみながらカーペットの上に座り込んで、洗濯物を畳んだ。それが終わったら、一緒にデパートまで買い物に出かける予定だった。学校に向けて色々買い揃えておきたいものがあるらしい。

悠は病み上がりだ。怪人の脅威もある。この家に留まっていることが最も安全であることは分かっていたが、それでも今は悠の気持ちを尊重してあげたいと思った。

悠にとって、友達とショッピングを楽しむというのは実に数年ぶりのことらしい。うきうきと声を弾ませ、買いたいものや行きたい場所を列挙する彼女に、家で大人しくてしていたほうがいいなどとは、とてもじゃないが言えなかった。悠がもし体調を悪くして倒れたり、怪人に狙われたりしたら、その時は自分が必死に守ればいいだけのことだ。そう自分に言い聞かせながら、レイは浮かれた彼女の話に相槌を打った。

悠がトイレに立ったのを見計らい、レイは手に持っていた佑のトランクスを手際よく畳んだあとで、腰を上げた。庭に面したガラス戸のクレセント錠を開き、顔が1つ入るくらいのすき間を開ける。すると外にベレー帽を被った小さな女の子が立っていた。

 彼女は丸い頬を膨らまし、不満げに口を尖らせている。

「やっと開けてくれたねー。ずっと待ってたのに、ちっとも出てきてくれないから、見捨てられたかと思ったよー。ぶんぶーん」

「ごめんね。ご苦労様」

 詫びながらレイは、ポケットからオムライスをおにぎりにしたものを3つ、スカートのポケットから取り出した。ベルゼバビーはそれを素早く掻っ攫うと、ラッピングを剥がし、大きな口を開けてそれを夢中で喰らった。

「それで。何か、気付いたこととかあった?」

 レイは背後をちらちらと気にしながら、成果を尋ねる。彼女にはいつものパトロールに加え、黒い羽が散らばっていた白い家と、『しろうま』周辺の探索を任せていた。地上を進めばそれなりに距離はあり、手間もかかるが、飛行能力のあるベルゼバビーならばそれも関係ない。ベルゼバビーはケチャップで口の周りを真っ赤に染めながら、つまらなそうな顔を作った。

「ぶんぶーん。特に何にもないみたいだよー。羽はないし、ネズミもいないし、世界は平和だよー。またこれから行ってみるけど、あんまり期待しないほうがいいかもねー」

「そう……」

 ベルゼバビーはそれだけを言って、再び食事に戻った。余程腹が減っていたのか、無我夢中でおにぎりを口の中に放り込んでいる。ゆっくり食べようね、と声をかけるがまったく聞き入れる様子はなく、気づいた時には彼女は3つのおにぎりを完食してしまった。最後にげっぷをよこすのも忘れない。

「お腹いっぱい! じゃあ続き行ってくるねー」

 ベルゼバビーは食べるだけ食べると、レイに小さく手を振り、踵を返した。彼女のその浮ついた背姿を見ると、本当にちゃんと調査を行っているのか疑問が生まれるが、頼んでいる立場である以上、あまり厳しいことはいえなかった。辛い顔をして帰ってこられるよりも、多少遊んでいても笑顔を向けられるほうがずっと気持ちとしては楽だ。

「6時までにはちゃんと帰ってくるんだよ」

 レイが言うと、ベルゼバビーは「あいあいさー」と軽い調子で返事をする。その瞳を金に輝かせ、体を蠅の怪人に変えて、背中の小さな翅を振動させながら飛び去っていった。

 レイは雲の多い空に消えていった娘の姿を見送ると、ガラス戸を閉め、膝にぎりぎり被るくらいのスカートの裾を内側に折り畳むようにしながら、先ほどまでいた位置に腰を下ろした。

 座ると透明のケージに入ったカブトムシがちょうど目に入る。ライが残していき、そして彼女がいない間に死なせてしまったら決まりが悪いと思い、レイがこの家に持ってきたものだ。ライは元気だろうか、とふと不安に思う。電話は一向にかかってこないが、メールは昨日一言だけ「うるさい」と返事があったので無事であることは確かだが、それでも姉という身である以上、心配するのは当然だった。

「世界は平和だよ、か……」

 ケージの中でかさかさと音をたてるカブトムシを見つめながら、ベルゼバビーの言葉を思い出す。

 人は死に、死んだ人は戻らず、今もレイがいるのと同じ空の下で式原が悪行をもくろんでいるかもしれないというのに、窓の外は実に長閑な風景が広がっていた。確かに平和だな、と蝉の声や家の前を通り過ぎる自転車の音を耳にしながら思う。マスカレイダーズに殺されかけたことも、父親が腕を失ったことも、ライが出て行ったことも、佑が怪人を屠ったことも、この雲の多い空を見つめていると全てが嘘だったように感じられる。

ため息を零し、それから改めて洗濯物に臨んだ。もはやほとんど残っておらず、2人がかりならば5分とかからず終わる量だった。とりあえず、一番手近にある桃色のバスタオルに手をかける。鷲づかみにして持ち上げると、その下から1冊の本が出てきた。どうやら洗濯物の山の中に埋もれていたらしい。

 本のタイトルは『星座のなまえ』だった。表紙では手足の生えた星が夜空を泳いでいる絵が描かれている。いかにも対象年齢が低そうな本で、手に取り、開いてみると、予想通り大きな文字と平仮名の多い文章が目に飛び込んできた。

 佑のものではないだろうと思う。そうなると必然的にこの本の持ち主は悠ということになるのだが、悠が星に興味があるとはこれまで聞いたこともなかった。ただ、バイオリンの件もあるので、入院中に何かのきっかけで興味が引かれたという可能性はある。ベッドの上で小説や雑誌を読みふけっていた親友の姿が、レイの頭に思い出された。

「悠、こんなの読むんだ……」

 特に目的もなくページを捲っていると、本の隙間からはらりとしおりがこぼれ落ちた。

 レイはそれが挿してあったページに指を挟み、もう一方の手でしおりを拾い上げた。もう1度、元通りに挟み直し、そのページを眺める。紙面の上部には、Mの両端を短くしたような、奇妙な記号が描かれていた。

そこに紹介されていた星座は牡羊座だった。レイは壁にかかったカレンダーに目をやり、悠の誕生日が4月であることを思い出した。



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