2話「この世界の生贄」
魔物の話 41
父親の入院している病室で2時間を過ごしたレイは、病院の前に立つと、日課であるパトロールに行動を移した。
パトロールといえば聞こえはいいが、その実は単なるそぞろ歩きである。うろうろと歩き、目の先の道が分かたれていれば、昨日とは別の道に足を踏み出す。そういった選択を繋げながら、陽炎の立ち昇る道を進むだけである。
この活動はベルゼバビーにも協力を仰いでいる。ただしレイに同行という形ではなく、彼女を解き放ち、好き勝手に動いてもらい、何か気になるものがあればレイに連絡をしてくれるように頼む、というような体制をとっていた。ベルゼバビーは怪人の姿になれば飛ぶことも可能であり、その小柄さも相まって人に見つかりにくい。その特性は、こういった索敵行動には最適だった。
彼女を単独行動させることに不安はあったし、寂しくもあったが、可愛い子には旅をさせろの精神でレイはベルゼバビーに昼の弁当を持たせると、無事と収穫を祈り、一時の別れを告げたのだった。
パトロールの目的は式原の所在に関する情報収集と、怪人の索敵、それからライの捜索だった。父親は彼女の居場所を知っている風な態度で放っておけと言うものの、レイはやはり妹のことが心配ではあった。しかし父親にあいつを信じろと言われ、さらにレイ自身もいまだに彼女と和解する手段が見つけられていない以上、それほど表立って探すことはできず、ベルゼバビーにこっそりと、事のついでのような形で頼むに至っている。
心配するな、あいつなら大丈夫だろう、と言う父親の言葉を今は支えにするしかなかった。荒唐無稽なことを言いはするが、これまで裏切られたことのない父の判断を信じるしかない。
幸い、昨日送ったメールは返ってきている。怒りを表す絵文字付きの、短い文章だった。まだレイに対する怒りは冷めやらぬらしいが、とりあえず今のところ無事である現状に安堵する。
スカートのポケットから携帯電話を取り出し、電話・メールともに着信がないことを確認しながら、レイは国道沿いを歩いていく。
毛虫に対してはいまだ本能的な恐怖が先立つものの、トラックへの恐怖心は当初に比べ、大分薄まっていた。これまでは意図的に避けていた交通量の多い表通りも、今では何の躊躇もなく通ることができる。
時折、人のいない場所を選んで立ち止まり、ふと瞼を閉じてみる。五感を鋭敏にし、体全体を目に変えるような気分で、深呼吸と共に己の心をも風の中に解放する。
そうしながら、湿気を帯びた空気の裏側に虎視眈眈と詰める、有象無象の気配を探ってみる。喧噪の中に紛れ込んだ悪意を検分する。排気ガス混じりの濁った臭いに乗じる不穏を嗅ぎ取ろうと試みる。
しかし、その気配は一向にレイの感覚に引っ掛かることはなかった。この1週間、ずっとそうだ。あの頭の奥の方から押し迫ってくるような、強烈な光と、鋭い痛みがすでに懐かしく感じるほどだった。少なくとも東京周辺ではここ最近、怪人の姿は全く見られていない。式原も行方知らずのままだった。
怪人だけではなく華永あきら率いる黄金の鳥の集団や、マスカレイダーズもまたここしばらく姿を見せないでいる。『ホテル クラーケン』前で起きたあの戦いで双方ともに力を消耗してしまったため、今は身を隠し、傷を癒しているのかもしれない。
感覚を研ぎ澄ましながら炎天下を歩いていると、すぐに昼時になった。レイは通りがかりのパン屋で簡単な食事を済ませると、携帯電話で時間を確かめた後で、今度は着実な足取りで道をたどった。
絶えずこめかみのあたりから滑り落ちてくる汗を、ハンドタオルで拭いながらしばらく歩くと、白い外装をもった洋風の一軒家の前にたどり着いた。固く閉め切られた門の脇にインターホンが備えられている。レイはそれを鳴らした。少しの時間、炎天下に放置され、しばらくしてから焦りを帯びた少女の声が返ってきた。
レイが自分の名前を伝えると今度はそれほど待たされることもなく、目の前で自動的に門がスライドしていった。門が完全に開ききったところで、レイはその家の敷地内に足を踏み入れる。人工芝を踏みしめ、道に点々と配置されたレンガ色のタイルをたどり、家の前にたどり着く。ちょうどそのタイミングで玄関のドアが内側から開かれた。
「ごめんねレイちゃん、時間かかっちゃった」
家の中から慌てふためいた様子でレイの親友、天村悠が姿を現した。彼女は花柄のワンピースを着ていた。量の多かった髪の毛は少し短くなっている。以前は髪の茂りの中に、両側で結った髪の縛り目が埋もれていたのだが、今は緑色のゴムがはっきりと見える。縛り目の位置は髪量を減らす前とは違い、耳の下で小さく纏めてあった。
「いいよ、気にしないで。悠、髪切ったんだ。凄く似あってる。可愛いよ」
「えへへ……ありがとう。暑かったから昨日切ってきちゃった。中は涼しくなってるよ。あがってあがって」
悠は表情をパッと明るくし、くるりと踵を返した。悠の嬉しそうな顔色をみると、自分の心も自然と明るくなるから不思議だった。だからレイは親友の笑顔が何よりも大好きだ。レイも笑みを浮かべ、それから「お邪魔します」と今更ながらに頭を下げた。
玄関に足を踏み入れ、靴を脱ぎ、悠の後を追う。家の中は彼女の言う通り、冷房で冷やされていた。肌の上を心地よい空気が滑る。体から熱気が失せ、細胞の1つ1つまで冷やされていくかのような感触を覚えた。
廊下を小走りで駆ける悠の痩せた背中を、レイは首筋の汗を指で拭いながら感慨深い思いで見つめる。こんなにも早く、親友と病室以外の場所で顔を合わせることができるとは想像だにしなかった。
悠が入院したのは今年の初めのことだ。それまでも調子を崩しては入退院を繰り返していたのだが、今回はその中でも長かった。3年生になってから1日だけ許可が降り、学校に登校したことがあるのだが、その翌日には高い熱を出してしまい、それ以来外にすら出られない生活が続いていた。どうやらひどく難しい病気らしく、いつ死んでもおかしくないという状況だったらしい。病気によってベッドに縛られ、学校生活はおろか、15歳の少女らしい生活を送ることのできない親友を見るたび、レイは哀しい気持ちになったものだった。そして親友の強さに励まされたこともあった。
だが、1週間前に悠は退院し、自宅に帰ってきた。
こうして向かい合い、顔色を見る限りでは、その後の経過も順調らしい。幼い頃に発症し、完治は非常に難しいと宣告されていた病気だけに、医者も驚いていた。しかもなぜ急激に良くなったのか原因が全く分からないらしい。画期的な治療法を実践したわけでもなく、特別な措置を施したわけでもない。しかし現に、なぜか、悠は治ってしまった。完治とまではいかないが、入院を強いられなくなるまでに体調が良くなったのは、紛れもない事実だった。
悠は元気になったのだ。また一緒に学校にも行くこともできるし、色々な場所で遊ぶことだってできる。これは、今までずっと頑張ってきた悠に神様が与えてくれた奇跡なのではないか――レイは浮かれた気分に乗っ取られるがままに、そんなあまりに荒唐無稽な結論を見出していた。それほどまでに今、悠と彼女の自宅で会えるこの状況が、嘘でも夢でもないことが、たまらなく嬉しかった。
まるで西洋の美術館を思わせる絢爛な廊下を通り、広々としたリビングに通される。そこはレイの住んでいる安アパートとは、まるで世界が違っていた。天井が高く、見回すだけでも一般的な家庭にはまずないであろう物がちらちらと見える。部屋の隅に置かれた、ガラスケースの中に入れられた鹿のはく製がその最たるものだろう。
天井から吊り下がった豪奢なシャンデリアを見上げていると、悠が手近の椅子を勧めてきた。それもまた清廉な輝きを放っている。椅子自体の材質やクッションの素材からみて、おそらくこれも高級品に違いない。レイは室内を改めて見渡しながら、思わずため息を零した。
「相変わらず悠の家は凄いね。こんな家に住めるなんて、うらやましい」
「私はレイちゃんの家みたいな方がうらやましいなぁ。なんか、みんなの家って感じがするもん。それに今は私とたぁくんしかいないからこの家も広すぎるよ。お掃除だって大変だし……」
レイは勧められた席に腰を下ろした。悠もテーブルの向かいに座る。テーブルの上には籠の中にオレンジが積み上がっていた。レイはテーブルを指の先でこんこんと叩き、その音の響き具合を楽しんでから悠を見た。
「なにそのくらい。私の家なんか、歩くだけで床がぎしぎし鳴るからね。ぎしぎし。いつ底が抜けるのか、いつも恐る恐る歩いてるよ。死と隣り合わせの毎日だよ」
「レイちゃんは体細いし、体重も軽いから、大丈夫だよ」
「それに私も1人部屋が欲しいよ。ライは寝相悪いし。寝てても起きててもうるさいし」
「あ、そういえばライちゃんは元気? 今度、久しぶりに会いたいなぁ」
胸の前で手を組み合わせ、にこりと微笑む悠を前にレイは曖昧に笑った。悠にはライが家出をしたことは話していない。いらぬ心配をかけたくなかったからだ。病気の枷から外れ、悠はようやく新しい生活に踏み出そうとしている。そんな彼女の足を引っ張るようなことはしたくなかった。
「まぁ、そのうちね」
レイは言葉を濁すと、籠の中のオレンジを1つ手に取った。親指の爪を立て、固い皮に突き立てる。1週間前、ホテルの階段で華永あきらに踏み割られた爪は、とうの昔に完治していた。それだけでなく、レイの体には戦いの傷跡は今や何も残されていない。それはレイが人間ではなく、人の形をした怪物であることを示す、もっとも顕著な部分だった。
「私もね、今度、レイちゃんに会わせたい人がいるの」
悠はテーブルに両肘を付き、組み合わせた手の上に顎を置きながら言った。そののんびりとした様子は夏の暑さにうだる小犬を彷彿とさせる。こうして正面からその姿を眺めているだけで、心がなごんだ。
「ん。誰?」
「えへへ……あのね、お父さんと、お母さん」
レイはオレンジの皮を剥いていた手を止め、悠の顔をまじまじと見つめた。悠は手の上に頬を預け、首を傾げるようにしながら、照れくさそうに笑っている。そうすると今度は溶けかけたアイスのように見えた。
「悠のお父さんとお母さん、帰ってくるの?」
「うん。昨日、電話があったの。今度の金曜日に帰ってくるんだって」
レイは悠の背後の壁にかかったカレンダーを、反射的に見た。何もかもが優雅に彩られたこの部屋の中で、そのカレンダーだけは銀行等で無料でもらえるような至極一般的なもので、レイはその見慣れた景色に少しだけ安心する。
今度の金曜日は8月の20日だった。割合と日にちは近い。レイは悠の父親である天村氏とならば会ったことはあったが、彼女の母親と面識はなかった。悠や佑からも、父親以上にあまり日本にはいない人、以上の話はこれまで聞いたことがない。
「悠のお母さんって、どういう人なの?」
「えっとね、すごくかっこいいよ。デザイナーで世界中を飛び回ってるんだけど。あんまり他に女の人がいなくて、とにかく凄いんだって!」
「へぇ」
「私も久しぶりに会うんだけどね。最後に見たときは、背中にベース背負ってたの。こう、忍者みたいに」
「へぇ、野球でもするの?」
「そっちじゃないよ! 楽器の方だよ!」
「あぁ、そっち」
考えてみれば、たとえ野球を嗜む人でもホームベースを持ち歩くことはしないだろう。レイはベースという楽器を間近で見たことはなかったが、それでも何となく頭の中で形を思い描くことはできた。縦に長い形をした4つの弦がある弦楽器だ。テレビの音楽番組か何かでその楽器を演奏している人の姿を目にしたことがあった。髪を真っ赤に染めた、ビジュアル系ロックバンドのメンバーだった。もしかしたら佑のギターも母親から影響を受けたのかもしれないな、とぼんやりと思う。
「それはかっこよさそうだね。でも、デザイナーなのになんで楽器?」
「たぁくんと同じで、お母さんもバンド仲間がいるんだって。上手らしいんだけど、私は聞いたことないんだよね」
そう言って舌を出し、苦笑を浮かべる悠は、とても嬉しそうだった。本当に両親と会えることが楽しみで仕方がないのだろう。悠が喜んでいる姿を目にすると、こちらまで気持ちが弾んでくる。
「悠、本当にお母さんとお父さんのこと、好きなんだね」
レイもまた口元に笑みを携えながら言うと、悠は躊躇いもなく笑顔で頷いた。
「うん、大好き。あんまり帰ってきてくれないのはちょっと寂しいけど、仕事が大変なのも分かってるから。そうやって頑張ってるお母さんもお父さんも、すごく偉いと思う」
「悠は両親思いなんだね」
「私がこうやって今元気になったのも、お父さんたちがいい病院に入れてくれたおかげだから。だから、今度会った時にありがとう、ってそう言いたいの」
「うん。元気になった悠を見たら、きっと喜んでくれると思うよ」
赤の他人である自分でさえ、悠が元気になったことがこれ程までに嬉しいのだから、両親であれば尚更に違いない。悠と彼女の両親が顔を合わせ、楽しげに会話を交わす姿を想像すると、それだけで心に温かい風が吹き込むようだった。
その時、部屋の奥にあるドアが音を立てて開いた。悠がそちらを振り返り、レイもドアの方に視線を移す。すると開かれたドアの先から、Tシャツにハーフパンツ姿の天村佑が姿を現した。彼の左腕には、手首から肘まで固く包帯が巻かれている。レイはその腕に視線を向けぬよう注意を払いながら、表情を綻ばせ、佑に向けて軽く手をあげた。
「お兄さん、お邪魔してます」
「誰か来たと思ったら、やっぱりレイちゃんだったんだ。ようこそ」
佑は小さく笑むと、レイの隣の椅子に腰を下ろした。彼の髪からふわりと整髪料の甘い香りが漂ってくる。レイはしばらく呆然と佑の顔を見つめたあとで口元を緩めた。
「体調、よさそうですね。安心しました」
「レイちゃんと悠のおかげだよ。2人とも病み上がりなのに世話かけちゃって。本当に感謝してるよ……ありがとう」
包帯のしてある左手の指で、佑は頬を掻く。レイは佑から視線を逸らし、そして正面の悠と笑みを交わした。
「レイちゃんが毎日来てくれるおかげで、色々助かってるよ。俺、ぶきっちょだからさ。あんまり家事うまくできないし」
「気にしないでください。勝手に入り込んでるだけですから。悠があまりに可愛すぎるから、気付くと毎日来ちゃいます」
「レ、レイちゃん!」
レイが真顔で言うと、悠は顔を耳まで赤くして照れた。佑はレイと悠を交互に見つめ、それから顔をくしゃりとしかめるようにして笑う。
「そっかー、まぁ、悠は世界一可愛いからそれも仕方ないな」
「たぁくんまで! 恥ずかしいよ……」
畳みかけるような絶賛の嵐に、悠はすっかり照れて顔を俯かせている。レイは得意げに頷く佑の顔に目をやり、不敵に言い放った。
「まぁ、私の方が悠のことを好きですけどね」
レイの放った言葉に、佑は一瞬虚を衝かれたような様子を見せ、その後ですぐさま反論した。
「いいや、俺の方が好きだな。こればかりはレイちゃんにも譲れない。俺が世界一、悠の事が大好きなんだ」
「あー。じゃあ、あれやりましょうよ。悠の体を2人で両方から引っ張って、先に千切った方が勝ちっていう」
「嫌だ! 体千切れたら死んじゃう!」
「というか悠、こんなにゆっくりしてていいのかよ。まさかレッスン、初回から遅刻する気か?」
「あっ!」
佑が指摘すると、悠は弾かれるように椅子から立ち上がり、勢い余って椅子ごと床に転げ落ちた。広いリビングに椅子の倒れる、けたたましい音が反響する。
レイは慌てて、同じく血相を変えた佑と一緒に悠を抱き起こした。悠は恥ずかしそうに笑いながら、ごめんね、と尻をさすっている。
「大丈夫、悠?」
「悠、痛くないか! 俺が悪かったよ、焦らせちゃって。大丈夫、安心しろ! 今から準備すれば余裕で間に合うよ。間に合わなくてもその時は、俺がチャリで時速60キロで送ってやるから!」
「お兄さん、それは逆に危険です」
冗談ならばまだしも、そのセリフを真顔で、本気で言っている風なのが佑の厄介なところだ。心配をするレイと佑の視線を受けながら、悠は笑顔をみせた。
「うん、全然大丈夫、痛くない痛くない! レイちゃんせっかく来てくれたのにごめんね。今日からレッスンだから、準備してくる」
まだお尻に手を触れながら、悠はぴょこぴょことリビングを歩いて横切り、廊下に出ていった。
レイは佑と顔を見合わせ、苦笑いを浮かべてから先ほどと同じ椅子に腰を下ろした。
「そっか。今日からバイオリンでしたっけ。すっかり明日だと勘違いしてました」
「あぁ。うん、そう。さっきまで、あいつでかける準備してたんだけど。レイちゃんが来て、頭から吹っ飛んじゃったのかも。うっかりものだしな。今みたいなことなんてしょっちゅうだから、目を離せないよ」
「でもそういうところが可愛いんですけどね」
「まぁね」
佑はレイの正面に座った。先ほどまで悠のいた場所だった。それから籠の中のオレンジを手に取り、皮を剥き始める。レイもまた皮向きが途中であったことを思い出し、テーブルの上に転がったオレンジを掴み上げた。
「でもまさか悠がバイオリンを始めたいだなんて言い出すなんて、びっくりですよね」
包帯の巻かれた左手を添え、右手で器用に皮を剥く佑の手元を見つめながらレイは尋ねる。まるで紙を千切るように、彼の手に皮がさらわれ、オレンジの身が少しずつ顕わになっていく。佑は顔をあげると、同感という風に軽く顎を引いた。
「本当だよ。あいつそんなこと、今まで一度も言いだしたことなかったのに。いつから考えてたんだろうな」
悠がバイオリンをやりたいと突然言い出した時、レイは己の耳を疑った。これまでレイは、そして佑でさえも、悠が楽器に興味を持っているという話を聞いた覚えがなかった。
さらに入院中にレイや佑に相談もなく、レッスン・スクールに話を取りつけていたということも、さらに驚愕を後押しさせた。聞く話によると、そこのスクールにはお試し期間というものが存在するらしく、2週間は無料でレッスンを受けられるらしい。楽器や本も貸してもらえることや、家からそれほど離れていない立地条件にも引かれ、悠はとりあえずそこに通ってみることに決めたらしかった。
正直レイは、悠がそれほどまでに積極的な性格だとは思わなかった。どこか甘えん坊で、臆病とも慎重ともいえるその性質こそが、悠の本分だと思い込んでいた。
しかしその一方で、悠の気持ちも理解できる。これまで悠は病気のせいで好きなことを自由にやらせてもらえることができなかった。しかし病気が波を引くように快調に向かったことであらゆる制約からようやく解き放たれ、悠はこれから新たに始まる人生を精一杯に謳歌しようとしているのだろう。その気持ちはこれからを生きる上で大切なことであるし、尊重してあげるべきことだろう。そして親友として応援してあげたいと素直に思った。そしてそれは、佑も同様に違いない。
「ま、俺は悠が楽しく毎日を過ごしてくれればそれでいいよ。ちょっと寂しいけど。あいつも、前に進むんだよな。俺の知らない友達作って、知らない生活送って、そうやって成長していくんだよな」
裸のオレンジを手の中で転がしながらそう言葉を浮かべる佑は、寂寥感と喜びを同席させた――実に複雑な表情をしていた。レイもまた同じ気持ちを抱えている。悠が新しい生活を歩むことを歓迎する反面、彼女が手の届かない場所に行ってしまうかのようで、少しだけ寂しかった。だが、この痛みを受け入れなくてはならないのだと思う。人は、前に進むべきなのだ。
「はい……そうですね」
レイは頷いた。佑が微笑む。前に進もうとする悠の邪魔をする権利は誰にもない。自分たちにできることは、悠を守り、その未来を切り開くことだ。レイは佑と視線を交わし、自分たちの役目を言葉に出さぬままに認め合った。
「そういえば両親が金曜日に帰ってくるそうじゃないですか。悠が嬉しそうに話してましたよ」
悠との会話を思い出しながらレイが何気なく言うと、佑は表情を途端に曇らせた。そんな彼の顔を見て、レイはハッとなる。佑と天村氏との折り合いがひどく悪いことを不意に思い出し、口を噤むが、もはや後の祭りだった。
佑はオレンジを片手に席を立った。ぶらぶらとリビングの中央あたりまで移動し、それからレイを背後に、大きな窓の外を見つめる。
「悠はあいつらと会えること、喜んでるから、俺あまり言えないんだけどさ」
レイの場所からでは彼の表情を窺うことはできない。だがその語調には確かな怒りが滲んでいた。
「今更なんなんだよ、とは思うよ。母さんなんかしばらく連絡もよこさなかったくせに。親父も悠が危ないってときに来てくれなかったくせに。今更になって、来るんだなんて。遅ぇよって感じだよ」
病気の妹を残して仕事に明け暮れる両親を、佑は許せないのだろう。彼が悠を溺愛するのも、妹を守れるのは自分しかいないと考えているからに違いない。彼は両親を信頼していない。天村氏を悪い人だとは到底思えなかっただけに、レイは佑とその両親のすれ違いに悲しさを覚えるが、こればかりはどうにもならなかった。家族の問題は家族の中で決着を付けるべきだ。少なくとも部外者が軽々しく口を出していい問題とは思えなかった。
「俺はあいつらを許さない。今頃母親、父親面するなってんだ。悠は俺が守る。俺が……」
空を睨みながら、佑はうわごとのように呟く。だがレイの存在を思い出したのか、びくりと1度肩を震わせ、それから振り返り、弱弱しい笑みを浮かべた。その彼の表情に、レイは少しだけ安心する。
「……ごめん、レイちゃん。ちょっと自分の世界に入り込んじゃった」
「いえ。まぁ、お兄さんの言うことも分からないでもないですから」
「まぁ、何にせよ。悠が喜んでくれるのはいいことだよ。……そうだ、レイちゃんも悠を一緒に送っていく?」
佑からの提案に、レイはオレンジを剥きながら目を丸くした。
「いいんですか?」
「大歓迎だよ。レイちゃんがいたほうが、心強いし。それに……」
言って、佑は僅かに目を細めた。レイは彼の表情にぐっと濃い影が射したのを目の当たりにして、思わず閉口する。目が爛々とぎらついた光を帯び、その声音に憎悪が混じる。
「……怪人だって、出るかもしれないからな」
レイは息を詰まらせた。
自分を見つめる佑の黒々と濁った瞳の奥には、悠の病室に忍び込み、悠の傍らに立つ怪人の姿が映し出されているに違いない。
その視線から逃れたくて、レイはつい、彼の左腕に目線を移した。まるで雁字搦めに結んだ鎖のように彼の腕を封じた包帯は、あまりにも痛々しくレイの目には映った
結局、佑はライブに参加しなかった。人間をはるかに超越した回復能力を備え、1日たらずで全快したレイとは異なり、装甲服を纏っても結局は人間にしか過ぎない佑は、この1週間まともに動くことすらままならなかった。
病院で治療を受け、家に戻ってからはレイと悠の2人で看病をし、2、3日前に何とか日常生活を送れるまでに回復はしたものの、左手の傷は深く、舞台に立ち、ギターを掻き鳴らすことは現実的に不可能だった。
レイは悠の笑顔と同じくらい、佑の笑顔が好きだった。彼の表情から底抜けに明るい色が消えて久しい。特に最近の佑は、腕のけがを負ったこともあるだろうが、目に見えて元気がない。装甲服を纏い、茨の道に足を踏み出して以降、佑に纏わりつく影は色濃さを増すばかりだった。
佑は“オウガ”と戦いに行った先々であったことに対し、一向に口を閉ざし続けている。なぜ、どこで、どうやって彼は怪我を負ったのか。戦いの最中に何を聞き、何を見て、何が彼の身に降りかかったのか。その全てが謎に包まれていた。
彼が沈黙を守り続ける理由は、そこにわだかまりがあるからだ。佑の心が沈んでいるのは、ギターが弾けないということ以上に、口を噤んだその場所にこそ本当の原因があるのではないかとレイは睨んでいた。
窓の外に視線を戻す佑の後姿を見つめながら、レイは切ない思いに駆られる。佑が少しでも元気になるように、その影を少しでも払うために、自分は何ができるだろうか。いくら思い悩もうとも、いいアイディアはまったく浮かんではこない。
ため息を零し、ようやく皮を剥き終えたオレンジを口に運んだ。一口サイズに切り取ったそれを奥歯ですり潰す。果肉が口の中で弾け、酸っぱい味が舌の上に広がった。
鎧の話 32
ノートパソコンを起動し、寝ている間に起こったニュースを確認したが、7月の初めより世間を騒がせている連続女性猟奇殺人事件の捜査は、あれから進展していないようだった。
冷凍保存された11の死体を拓也と共に発見したあの洋館は、いまだ警察の手が入っている。SINエージェンシーの事件の時でも実感したが、警察はこういった非現実的な要素の介在する事件にはどうも弱いような気がしている。
捜査の進展はなかったが、同時に怪人が新たな行動を起こした様子もなかった。マスカレイダーズやあきらたちが戦ったらしき跡もない。そのことに安堵する一方でなぜここにきてぴたりと非現実の猛威が止んだのか、不穏なものも感じた。
1週間前、直也は怪人たちの創造主であり、殺人事件の犯人でもある男と遭遇したが、あの男は自分の欲望を簡単に曲げるような人物には見えなかった。今が台風の前の静けさなのだと考えると、それだけでゾッとする。あの男が一体何を企んでいるのか、直也には予想さえつかない。
だからこそ、柳川から送られてきた広告は直也の興味と期待を誘った。あの鳥のマークは間違いなく、怪人と通じているだろうと思う。咲のこととは少し遠ざかるかもしれないが、SINエージェンシーの事件と同じくらい、あの男が起こしている殺人事件にも直也は大きなウェイトを置いていたので、柳川の話に収穫はあるだろうと判断した。
柳川と待ち合わせをした喫茶店は当然のことながら、以前に訪れた時とまったく同じ佇まいで直也を迎えてくれた。茶色を基調としたシックな装いの外観で、こぢんまりとしているがなかなかおしゃれな店だった。チェーン店ではなく、知る人ぞ知るという類の個人経営店で、密談を交わすにはもってこいの場所だった。
直也は店のドアの脇にバイクを停めると、ヘルメットを取り去り、脇に抱えた。ライもまた座席から降りて、頭をヘルメットから抜く。その頬はわずかに紅潮しており、額に髪がぴったりと張り付いていた。
「それにしても、あっちいなー。汗びっしょりだよ。髪ぼさぼさ!」
「もう8月も終わるんだから、もう少し涼しくなるといいんだけどな。ま、明日から雨だっていうし、少しは楽になるだろ」
「でもすげぇよなぁ。喫茶店でおまわりと待ち合わせだなんて。おっさんまるで探偵みたいだな」
「みたいじゃなくて、これでも一応本職だ」
「おいおい、おっさん。ニートは職業じゃないだろ」
「誰が無職だって言った! 俺は探偵だって言ってんだよ!」
声を荒らげ、それからふぅと深く息を吐きだしながら、直也は手を庇がわりにして空を見上げた。抜けるような青空の中で、太陽が猛威を振るっている。もう少し手加減してくれと、額に浮いた汗を拭いながら悪態を吐く。病み上がりの体にこの暑さは響いた。
柳川が何の意図をもってあのリーフレットを直也に託したのかは検討がつかなかった。一体どこで手に入れたものなのだろうとメッセンジャーバッグの中に入れた封筒に意識を向けながら、不思議に思う。あの紙面に描かれていたのは間違いなく、怪人を生み出す権化、黒い鳥と呼ばれる物体の姿だった。
柳川は3年前の事件に関することで連絡をしてきたのだろうと半ば確信に近い思いで考えていたが、あのリーフレットを見た後では、その確信も揺らいでいる。もしや柳川は一連の“怪人”絡みの事件について、情報を手に入れた可能性もあった。
病み上がりのせいかあまり頭が働かない。直也はため息をついた。どうせ柳川にあって話せば疑問は氷解するのだ。強い陽射しを浴びながらこんなところで突っ立っていても、何の得もないことに気付き、直也は顔をあげ、喫茶店に向けてよろよろと足を進めた。
「おい、おっさん早く来いよ! 中は涼しいよ!」
茹で蛸になった気分でアスファルトに立ち昇る陽炎と一緒によろめいていると、ライが喫茶店のドアを少し開けて直也に呼びかけているのが見えた。直也はぼんやりと返事をし、ふらふらと喫茶店に近づいて行ったが、店の前まで来たところで違和感を覚えた。ハッとし、腕を伸ばしてライの手首を力強く掴む。
「いや、待て。なに普通にくつろごうとしてんだ。お前は外にいろよ。そういう約束だろうが。プライバシーのプロはどこにいった」
「だってあっちぃじゃん。暑さの前ではプロも休業だよ。大丈夫。少しエアコン浴びたら出ていくからさ。ちょっとだけ、な?」
ライは肩をすくめ、親指と人差し指でコの字を作り、「ちょっと」を表現する。暑さと体調不良のせいで声を荒らげる気力も沸かず、直也は落胆した。
「分かったよ。だけど話が始まったら出て行けよ。すぐ近くに本屋があるから、涼むならそこでやってろ」
「さっすが、母さんの元彼氏! 話が分かるなぁ。じゃあさっさと中入ろうぜ!」
用件のある直也よりも先に、ライはドアの間に体を滑り込ませ、店内に入っていく。納得のいかないものを覚えながら、直也も後を続いた。
前回来た時と同様に、店内は薄暗く、そして閑散としていた。ライの言う通り、クーラーで程良く冷やされた店内は居心地がいい。扇風機のモーター音が低く鳴っている。聴覚が捉えるのは店内に流れる軽やかなジャズだ。店の壁は戸棚と一体化しており、そこに外国の酒瓶が整然と並べられていた。
直也は入口の近くで立ち止まり、ざっと狭い店内を見渡す。しかしそこに柳川の姿はなかった。直也は左腕に目を落とし、それからそこに腕時計をはめていなかったことに気付く。あきらとお揃いで買い、ついこの間まで左手首に巻いていたそれは、今や自宅の机の奥深くに沈んでいた。
「おい、ライ。今何時だよ」
「え? うーんと、1時35分だけど」
「約束の時間は過ぎてる、よな……」
怪訝に思い、直也は改めて店内に視線を巡らす。白々しく店内を過る音楽。温度を失ったコーヒーの香り。淡々と冷えた空気。直也たちの入店を知らせるベルの音が、虚しく空気の上を滑っていく。
カウンターの方を見やる。しかしそこにあの無愛想な店主の姿はなかった。柳川ばかりでなく、店内には誰1人として客がいない。店内は無人だった。
「おい、いらっしゃいませーとかないのかよ。礼儀の知らない店だなー。おっさん怒ってくれよ」
「店もお前にだけは言われたくないだろうな」
ライは騒がしく店内を奥へ奥へと進んでいく。直也は入口付近に立ち、内装を素早く観察した。
元よりあまり繁盛しておらず、常連客だけで持っているような店だった。今はあまり客の来る時間帯ではなく、だから店主は奥に引っ込んでこっそりと私用を済ませているのかもしれない。そこにちょうど直也たちが来店した。そう考えるのが、おそらく妥当だろう。
だが、直也の探偵としての嗅覚はどこかこの状況に不穏なものを捉えていた。どこか平穏な考えに帰結させるのには違和感がある。店内を進み、そしてテーブルの上に目を向けたとき、直也はその違和感の正体を知った。
テーブルの上に置かれたコーヒーカップから湯気が立ち昇っていた。それも1つではない。隣のテーブルに1つ。背後のテーブルに2つ。湯気の濃さや入っている飲み物の量や種類こそ異なるものの、そのどれもが明らかに飲みかけであり、そこには人の体温の残滓のようなものが残されているようだった。
何かがおかしい、と思った。
1つならトイレのために席を立ったのだろうかと考える事ができるが、その数が複数となると、異様な状況としか思えなかった。この店で何かが起きている。尋常ではない何かが。暗く、重く、深沈とした、何か。それはこの昼下がりの住宅街で、けしてあってはならぬことのような気がした。
「おっさん!」
ライが上擦った声をあげた。直也を振り返るその表情は、先ほどの明朗としたものから一転して、恐怖に歪んでいるように見える。彼女の様子にただならぬものを感じ、直也は店の奥に立つライのもとに駆け付けた。
「どうした!」
直也の発したその声は、宙に弾けて溶けた。手から力が抜け、指をすり抜けたヘルメットが音を立てて床に落ちる。
直也は瞠目し、そして、目の前の光景をまず疑った。そして徐々にその意識が、視線が、床に横たわる大柄な男の存在に引き寄せられていく。
それは改めて確認するまでもなく、直也が待ち合わせをしていた相手、柳川の変わり果てた姿だった。
「柳川さん!」
柳川は手足を投げだした状態で、仰向けに倒れていた。目は見開かれたまま、口もぽかんと空洞を形作っており、唇の端から涎が垂れている。直也は屈みこむと、名前を呼び掛けながらその頬を叩いた。だが、柳川から反応が返ってくることはなかった。そのただひたすらに空虚な目は、じっと天井を見つめていた。直也は手の中が店に入る前とは別の種類の汗で湿っていくのを感じた。
直也は柳川の鼻と口を手で覆った。掌はじっとりとした汗に塗れている。そこに風の当たる感触がない事を確認すると、直也の背中に寒気が走った。
「息をしてない……」
小声で呟くと、縋るように柳川の手首を掴んだ。親指で脈の場所を探り当てようとするが、意に反して、その指先に鼓動が跳ね返ってくることはなかった。さらに柳川の胸元をはだけさせ、そこに耳を当ててみることもしたが、結果は変わらなかった。
頭から一斉に血が引いていく。頬がひやりと冷たくなる。直也は信じられない思いで、柳川の顔を見た。彼は死んでいた。先ほどと比べると、彼の頬から弾力が失せ、冷たく凝っていっているような気がする。
柳川の体を簡単に検めたが、胸に青い痣がある以外に目立った外傷は見受けられなかった。
直也は彼の傍らに屈みこんだまま、しばらく動けなかった。ただ、あらゆる疑問が際限なく、頭の中で渦巻いていた。
ふと、直也は柳川の履くスラックスのポケットに目をやった。そこがひどく乱れているのが気になった。まるで何かを慌ててポケットの中から引っ張り出したかのように、裏返っている。中の白い布が飛び出していた。
だが、一体何を取り出したのだろうと考え、そして柳川の強く握られた右の拳に目が行き着いた。まだ死後硬直が発生するまで時間が経っていないようだったのが幸いだった。直也は心の中で柳川に謝りながら、2本の指で彼の拳を無理やり押し開いた。
緩んだ拳のすき間から、くしゃくしゃに丸まった小さな紙が転がり出てきた。直也は眉根を寄せ、それを拾い上げる。
「お、おっさん……」
震え、今にも砕けてなくなってしまいそうなほどにか細い声が届いた。直也は慌ててその紙を自分のポケットに入れると、それから振り返った。
直也の背後でライが立ち尽くし、その身を震わせていた。直也を見る目も弱弱しく、その瞳は救済を請うような切迫さに満ちている。
「お前……」
「おっさん、一体、どうなってるんだよ。その人、まさか」
その普段は勝気な少女がふとみせた、恐怖に塗れた顔を直也はしばし見つめてから立ち上がると、彼女の肩を正面から掴んだ。早くこの場からライを逃がさなければ、と本能が命じている。この店内には、よくないものが蔓延している。いつまでもこんなところにいたら、直也はライまで魂を引かれてしまう。そんな発想が頭を過った。
「ライ、落ち着け。とりあえずここから出ろ。それで、警察に電話するんだ。そのへんの人に助けを求めてもいい。いいか、分かったか?」
「この人、死んでるのか? だって、おまわりじゃないの? この町の、平和を、守ってくれてるんだろ?」
「落ち着け! いいか、この場ではお前だけが頼りなんだ。早く行け!」
声を荒らげる直也の前で、ライの目が再び見開かれた。直也は振り返り、自分の背後に注がれたライの視線の先を追う。そして息を止めた。首をよじった姿勢のまま、硬直する。
直也の背中側には4人掛けのテーブルが据えてある。その陰から人間の足が伸びていた。それも2人分。1人はスカート、もう1人はジーンズを履いている。
直也は慌てて踵を返すと、身を乗り出してカウンターの内側を覗き込んだ。すると直也の予想通り、そこにはこの店のマスターが仰向けで倒れていた。確認をとるまでもなく、死んでいることが分かった。直也は朦朧としながら、カウンターから後ずさる。
まるで死体の巣窟だ、と直也は呆然と店内を眺め、思う。今、自分の身に起きている事態を頭の中で整理しようとすると、目眩がした。先ほどまで自分は確かに日常の中にいたはずなのに、いつから悪夢に足を踏み入れてしまったのか。いくら悩みを重ねようとも答えは出なかった。
直也はこの凄惨たる光景に戸惑い、動揺に支配されていたが、それでもライをここから逃さなくてはという気持ちだけは先ほどよりもさらに強く働いていた。闇は光によって剥がされるが、その逆もまたあり得る。光が闇によって塗りつぶされてしまうほうが、むしろ、容易であるような気がした。
自分を深い暗がりから救ってくれたこの光を失ってはなるものか。怯え、なかなか店から出る踏ん切りのつかぬ様子のライの背中を、直也はドアに向けて強く押した。ライに乱暴だと罵られ、力尽くだと叱られようとも、彼女を失うよりははるかにマシだった。早く行け、と叫ぶ直也を、ライはゆるゆると振り返る。次の瞬間、彼女は大声をあげた。
「おっさん!」
全身でぶつかられ、ライによって直也の体は横に押しやられる。風に傾ぐ細木のようによろめき、椅子に腰をぶつける直也の肩にちりっと熱が過ぎり、その部分のシャツが引き裂かれた。焦げを伴って宙に枯葉のように散る衣類の残骸を目にしながら、直也は咄嗟に背後を窺う。そこに半袖で黒のパーカーを着た小柄な少女が立っており、直也を見つめていた。
一体いつからそこにいたのか、直也には判断がつかなかった。つい数秒前までは人の気配など微塵も感じられなかった。その少女は何の前触れもなく、あまりに突然に、当たり前のように、直也たちの背後に出現していた。
少女の顔は深く被ったフードによって隠され、その顔立ちを窺い知ることはできない。ただ、薄い唇と白皙の頬だけが外気に晒されている。少女が首から提げた茶色の紐には、白い百合の花が通してあり、それが胸元で小さく揺れている。
直也は少女と対峙したその瞬間、この少女に対してデジャブのようなものを感じた。この人物に会ったことがないのは確かなはずなのに、どこか記憶の奥底で見覚えがある。自分の中に過ぎるその影は、直也の記憶に精細を施してはくれない。
「まったく、運のない奴らですー」
少女はその覇気のない唇に笑みを宿した。それは対峙する者の精神を炙るような、悪意で形作られた笑みだった。その瞬間、直也はこの少女が人間でないことを察した。
直也が言葉を発し、または何らかの行動を起こす、その前に少女の姿は変容を始めた。少女の人間としての輪郭がうっすらと空気に溶けていき、代わりに、その内側からおどろおどろしいシルエットが浮き出てくる。頭の先からつまさきまで、撫でまわすような速度で少女の体を食らい尽くしたその影は両足を床に着け、椅子の背もたれに寄りかかり、確かな実体をもってこの世界に顕現した。
胸部にペンギンの絵が装飾された怪人だ。顔には深紅の単眼が光り、黄金色をした金属がまるで包帯のように巻き付いている。
「怪人……」
直也は目の前の異形を強く睨む。
体の右半身は肉食の獣のような、左半身は牙を持ち、血を啜る魚類のようなイメージをそれぞれ顕著に表している。どちらも鋭角的なデザインが下地にあり、そのため、ひどく凶暴な印象を全体像としていた。直也はこのタイプの怪人と何度か遭遇したことがある。人の姿を持ち、死体となる前の生前の記憶を色濃く宿す、あらゆる意味で厄介な怪人だ。直也はこれまでナインとグリフィンという2体の怪人に出会ったことがあった。
怪人は左手で手近のテーブルに触れた。異変はすぐに視認できる形で現れた。もうもうと白煙が沸き起こり、水滴が次第に浮き始めると、次第にテーブルは軋むような音をあげながら凍結されていった。
凍る。あらゆる物質がその動きを止め、沈黙を強制されていく。怪人の左手から広がった凍結の波はテーブルを侵し終えると、さらにテーブルの足から床に下り、徐々に板張りの床を浸食していった。
それは徐々に直也の元にも近づいてくる。目視できる速度で、まるでドミノ倒しのように目の前のあらゆる物が凍り付いていく様は、現実から明らかに浮いていて、どこか愉快でもあった。
氷点下を易々と下回る温度が、店内に漂う熱気を舐め尽くしていく。直也は歯を鳴らして凍えた。白い煙が怪人の体より生み出され、店の天井や電灯をも有無をいわせず凍りつかせていった。
直也は足先に迫ってくる氷結の波を認め、後ろに下がった。だが視界の端に青白い光が灯るのに気づき、すぐさま顔をあげる。すると青白い閃光に包まれた怪人の右の掌が、直也を迎えていた。
空気が破裂した。怪人の手から閃光が放たれ、直也と怪人との間にある空間を稲妻が切り裂いた。直也は反射的に横に転がり、その攻撃を回避する。ライフル銃が発砲されたかのような爆音が宙を轟き、続いて爆発が床を破片とともに打ち抜いた。
つい数刻前まで自分のいた場所に巨大な焦げ穴が空き、そこから黒い煙が絶えず吐き出されている様を見やると、直也は自分の身を案じるよりも先にライの姿を探した。
ライは床に倒れ、呻いていた。
先ほどの衝撃で吹き飛ばされたのか、横たわったまま苦悶に顔を歪めている。その膝は擦りむけ、血が滴り落ちている。再び怪人の掌に青白い光が灯った。直也は頭に血が昇るのを感じ、気づけば姿勢を正すのもおざなりに、ライのもとに飛び込んでいた。
「ライ!」
直也の悲痛の叫びをかき消すように、無情な爆音が空気を劈いた。直也はライの体をかき抱き、しかし、そのまま爆風に呑まれて壁に背中を叩きつけられた。肺が押し潰され、直也は血を吐くような痛みを覚える。
あまりの衝撃に直也の手からライは離れ、彼女自身もまた椅子を巻き込んで床を跳ねた。朦朧とする意識の中で、それでも直也は必死にライの姿を目で追う。無意識のうちに腕を伸ばし、彼女のもとに這って行こうとしている。
ここで彼女の存在を取り零したら、もう二度とその体温が還ってくることはないだろうという気がした。3年という月日を越えてようやく、咲の魂を知る人に出会うことができたのだ。こんなところで、彼女を失うわけにはいかなかった。
だが、満身創痍の体は昂ぶる意識に反して言うことを聞いてはくれず、空回るばかりで、そうしてもがいているうちに直也の体に異形の影が重なった。
「まずは、お前のほうから始末してやるですー」
怪人は左手を直也に向けて突き出した。その掌から冷気が白い霞となって噴出される。直也は重たい体を揺さぶるように、咄嗟に身を起こすと、前方に飛び込むようにして冷気をかわした。凍える空気は床や壁を一瞬で凍結させ、さらに執拗に直也の足に絡みついてきた。履いているスニーカーの踵に霞が触れ、それは足首に、またはつまさきに向けてさらに浸食しようとしてくる。
直也は遮二無二足を動かし、スニーカーを力任せに脱ぎ捨てた。体まで凍結が及ぶことはなかったが、切り捨てられ、宙を舞うスニーカーは床に着地をした時には、まるで冷凍庫に保存した野菜のように凍りついていた。
「このっ……!」
直也は立ち上がろうとするが、背中に強い衝撃を受け、そのまま腹を強く床に押し付けられた。胃を圧迫され、酸っぱいものが喉元まで昇ってくる。
首を捩るまでもなく、怪人に背を踏みつけられたのだと分かった。すかさずポケットの中のプレートに手を伸ばそうとするが間に合わず、その手首ももう一方の足で踏みにじられる。骨をへし折られたかのような激痛が走り、直也はたまらず絶叫した。
「凍え死ぬのと、焼け死ぬのと、どちらがいいですかー?」
その行為自体を愉しむかのように直也の背中につま先を埋め込みながら、怪人は両手をかざし、おどけた。右手は電撃を帯びて青白く輝き、左手は噴きだした冷気で白く包まれていた。どちらにせよ、まともに浴びれば命はない。しかし、体の自由が利かず、そして逃れるための手段を持たぬ直也は、仰向けの姿勢のまま顔を引き攣らせて、楽しそうに両手を近づけたり、遠ざけたりしている怪人を視界の端に捉えるほかない。
そのうち、怪人は攻撃を焦らすのにも飽きたらしく、直也の背中に殊更体重をかけると、一気に両腕で掴みかかりに迫った。
「両方お見舞いしてやるですー」
「止めろ!」
乱雑と転がった椅子や机を跳ね飛ばしてライは駆けると、そのまま床を踏み切り、怪人の体にドロップキックを喰らわした。
だが怪人といえども、外見上はただの人間の少女と変わらないライの蹴りが通じるはずもなく、ペンギンの怪人の足が直也の体から外れることさえなかった。怪人は首を捩ると、ライをじっと見つめた。
「この野郎! おっさんからどきやがれ!」
威勢よく怒鳴り散らし、ライはさらに怪人を殴りつける。くぐもった音が静寂の室内に反響するが、怪人は体に這う蟻でも払うかのような様子で、殴りつけられた箇所を掌で撫でるだけだった
さらに拳を振り上げるライを怪人は手の甲を用いて軽くはね飛ばすと、直也の体を踏みつけていた足をどけ、体を完全にライの方に向けた。
その殺意の権化とも呼ぶべき荒々しい体躯をもつ怪人に見つめられ、ライは慄く。
直也は視界に飛び込んできたその光景にまず、目を見開いた。心臓が凍り、ざわめきが血流に乗って全身の肌をむらなく粟立たせる。その直也を傷つけた右腕を胸の高さまで持ち上げ、その掌をライ目がけてゆらりと突き出そうとする。
「ライ!」
床に爪を立て、焦燥感に乗っ取られるがままに直也は上半身を起こす。自分にこの後起こるであろう事態を予測してか、ライは怯えた目で怪人を見つめている。直也の体はこの窮地にも関わらず、思い通りに動いてはくれなかった。立ち上がろうとも足がもつれ、内臓が軋むように痛み、それ以上の動きを封じてくる。
だが、結果的には怪人の掌から電撃が迸ることも、その手がライの首をねじ切ることもなかった。
代わりに怪人は「なるほどー」と素っ頓狂な声をあげた。「妹たちには聞いていましたが、こんなところで会うなんて、驚きですー」とさらに感嘆の声をあげる。それから構えを解き、それから食い入るようにその単眼でライの全身を嘗め回すように見つめた。
呆気にとられる直也とライの前で怪人の体は萎み始めた。先ほど少女の姿から変質したのと全く逆の工程をたどって、そのシルエットは人間のものに成り代わっていく。
そうして少女の姿に戻った怪人は、表情を隠していたフードを片手で取り去った。そうして少女自身が自ら明かしたその顔形を前に、直也は息を止める。ライが後ずさりながらひっ、と声を漏らした。
怪人から変貌を果たした少女の相好は、1つの狂いもなく、だが狂っていなければおかしいほどに正確だった。
少女は――ライと、まったく同じ顔をしていた。
目も鼻も口も同じ形で、その全容はまるで鏡映しのようにそっくりだった。異なる点といえばライの髪が燃えるような金であるのに対し、少女は艶のある黒髪であることくらいだった。そして意識して聴いてみれば、その声も声質から声調から、全てがライと一致した。この少女と出会った時に感じていたデジャブはこれだったのかと、直也は今更ながらに気付いた。
「馬鹿な……」
驚愕に声が裏返る。体を硬直させたまま、ライと少女とを思わず見比べてしまう。
2人の姿は何度見ても、まったくの写し身だった。見れば見るほど違いがない。直也はこのあまりに現実離れした光景を前に、熱に浮かされていた時と同じように、自分の実体が遠ざかっていくような感覚にとりこまれていた。
サクリファイス 1
橋の欄干にもたれかかり、彼女は虚ろな目で恋人のいない世界を眺めていた。
彼女がこの場所に座り込んでから、すでに3日が経過していた。初日こそ下心をぶらさげながら声をかけてくる浮ついた男たちや、同情をあけ広げて近づいてくる人々の姿があったが、今ではそれもない。通りがかる人々は死んだように俯く彼女のことを奇異の目で見つめた。
肌は荒れ、髪は乱れ、目は隈で窪み、唇は割れ、全身から鼻を突くような臭いを生んでいたが、彼女は全く気に掛けなかった。炎天下の中、水一滴さえも口に含んでいない。飢えも渇きもあったが、心の軋みの前ではその苦痛も微々たるものだった。
以前、自分で手首を切り、いまはようやくかさぶたになった跡が無性に痒かった。気がつけば傷口を爪で毟っており、いまやかさぶたは完全に剥がれ、彼女の手首からは血が滴り落ちている。止まってもすぐに自分で毟ってしまうため、この3日間、流血が絶えなかった。
およそ1週間前、彼女の恋人はいつも通りの快活な笑顔を残し、彼女の前から去っていった。お気に入りのバンダナを頭に巻き、彼女に挨拶を言い放って、後ろ手にドアを閉める。実は彼女はその朝から、嫌な予感を覚えてはいた。今日離れたら、もう二度とその姿を見ることは叶わないような、そんな気はしていた。
だが、彼を引きとめることはできなかった。一緒に連れて行って欲しいとも言ったが、「大事な仲間とのパーティーなんだ」と柔らかに断られた。
そして彼女の予感は的中した。彼は帰ってこなかった。きっと、ひょっこりと帰ってくるに違いない、と彼の家で待っていたが、日に日に絶望は積もるばかりだった。
4日経ち、彼女は恋人が死んだことを確信した。彼はもうこの世にいない。あの笑顔をもう二度と見ることはできない、あの大きな手で頭を撫でてもらうこともできないのだと理解すると、そこで初めて涙が出た。そして彼の痕跡の残る家にいることが居たたまれなくなり、また彼をみすみす危険な場所に行かせてしまった自分が許せず、彼女は家を飛び出した。
彼女には家族がいなかった。家を宛てにできるような友人もいない。恋人は彼女の全てだった。彼女の存在を一切の見返りなく、認めてくれたたった1人の存在だった。だから彼のいないこの世界に彼女の居場所があるはずはなく、彼女は自分の落ちゆく場所も見失った。
いつしか彼女の中で昼夜は混ざり、そのうち時間の概念すらも消失した。ひたすらに泣き叫び、気を失うようにして眠り、夢と区別のつかないおぼつかぬ意識を時に委ねる。彼女は確実に、ゆっくりと死に近づいていた。そして彼女自身、それを望んでいた。この世に彼女のいていい場所など、少しもなかった。
もう少しで、彼の待つ世界にいくことができる。困憊した意識の中でそれを考えると、彼女は幸福だとさえ思った。あとは時に身を任せればいい。そうなればこの痛みからも、悲しみからも解放され、自由になれる。
濁った彼女の視界を、近づいてくる足音が明瞭に灯した。沈んだ意識を現実に引き戻され、彼女は弾かれるように顔をあげた。なぜかその足音が恋人のもののように聞こえた。彼女は恋人を愛するがあまり、その全てを知っていると自負していた。理屈ではなく、本能的に体が彼の気配に反応してしまう。そんな自分を、彼女は好きでたまらない。彼女は彼がいなければ生きていけない自分に酔い、彼に支配されていることに快感を見出していた。
だから、彼に違いない、と顔をあげるまでの間、彼女は信じてやまなかった。彼が帰ってきたのだ、と淡い期待に取りつかれた。
「……秋護!」
安堵が滲み、彼女は恋人の名前を懇願に近い気持ちで叫ぶ。しかし仰いだ視線の先に恋人の姿があるはずもなく、そこには彼女の見知らぬ男性が立っていた。頭を白一色に染め、睫毛の長い、鼻筋の通った顔立ちの男だった。
その髪の色と真逆の色をした喪服を着こみ、背広の胸ポケットからは百合の造花が覗いている。首からはロケットを2つぶら下げていた。陽光を背にした男はやつれた彼女の表情をじっと見下ろし、それから人の良い笑みを浮かべた。
「こんなところで、どうしたんです? 悲しい目をしている。美しい顔が台無しだ」
彼女は男の言葉を、表情を凍らせたまま、空虚な気分で聞いていた。無念さが胸にこびりつくようで、まだ甘い期待を寄せていた自分自身に絶望し、そのせいで彼女の心はなおさら深く抉られていく。一層自分が憐れに思え、彼女は口をぽかんを開けたまま涙を流した。
「突然申し訳ない。私の名前は後藤田といいます。あなたは春見、ゆきのさん、でよろしいですよね?」
男の背後には青い縁の眼鏡をかけた女性が立っていた。彼女はアタッシェケースを両手で持っていた。その頭にも、百合の造花が花飾りにされている。
ゆきのはまるでお湯に溶かれた氷のように、じわじわと表情を変化させる。今だ輪郭のはっきりしない頭の隅で、なぜこの男が自分の名前を知っているのかと不審に思った。やはりどこかで会ったことがあるのだろうかと男の顔を凝視するが、やはり思い至らない。
首を傾げるゆきのの前で、後藤田は快活に笑った。
「安心していい、初体面です。しかしあなたの顔を見れば、どれだけ恋人のことを愛していたのか、よく分かります。心情お察しいたします。本当に辛かったでしょう。突然拠り所を失ってしまって、いま、あなたは絶望の淵に立たされているのかと思うと、まことに不憫だ」
後藤田はゆきのの前に屈みこんだ。その体からは線香の匂いがした。彼はゆきのに顔を寄せ、内緒話をするかのように声を潜めた。
「……どうです、また彼に会いたくは、ありませんか?」
ゆきのは茫然と、この男のひどく整った顔立ちを眺めていた。会いたいに決まっている、と胸の中で叫んだ。もはや口は息を吸い、吐くだけの器官に落ちぶれていたので、声は出なかった。それでもゆきのは、現実感の伴わぬ頭で強く思った。また秋護と会いたい。そのためだったら、どんな罪でも犯すし、どんな罰でも受ける覚悟だった。秋護を救うことは、彼女にとって世界の秩序を取り戻すことと同義だった。
だが、それがありえないことなのは承知している。
ゆきのの心中に滾るものを読みとったのか、後藤田は心の底から嬉しそうな――しかし、ひどく歪んだ笑顔をみせた。
「ありえますよ。ありえないことなど、この世にはない」
後藤田の酷く落ち着いた声に、ゆきのは少しだけ、自分が動揺するのを感じた。しかしずっと疼いていた手首の痒みが、男の言葉で急に止んだのは妙だった。ゆきのは男の優しげな笑みに引きこまれた。
「奇跡は起こります。願いは叶います。そのために、我々はあなたのもとに参りました。あなたを、この地獄のような世界から救うために」
後藤田の両目の虹彩が金に変わる。驚くための気力さえないゆきのは、その男の変貌を当然のように見つめている。元より夢心地だった。あぁ、こういうこともあるんだなと、それだけを思った。
「“リリィ・ボーン”にようこそ」
後藤田が掌をゆきのの顔にかざす。そこからまるで間近でカメラのフラッシュを焚かれたかのような、強烈な光が発せられた。そしてゆきのは白々と照る光を目に捉えながら、落ちていくような目眩の中で気を失っていった。




