AI小説排除ではなく、手創り小説のブランド化を!!
AI生成作品にはタグをつけるべきだ。
AIを使った作品は、読者に分かるように表示するべきだ。
最近、WEB小説の世界では、そういう声をよく見る。
気持ちは分かる。
だが、私は少し違う角度から考えている。
本当にタグをつけるべきなのは、「AI使用作品」ではなく、むしろ「AI完全不使用作品」の方ではないだろうか。
たとえば、うどんやそばを考えてみればよい。
普通の店で、わざわざ「これは機械製麺です」と大きく掲げることは少ない。むしろ別枠の価値として掲げられるのは、「手打ち」「手造り」「自家製麺」の方である。
……なぜか (。´・ω・)?
それは、手間そのものがブランド価値になるからだ。
機械で作ったうどんが悪いわけではない。
工場で作られたそばが食べ物として劣っているわけでもない。むしろ品質は安定しているし、値段も手頃で、ほとんどの人にとっては十分にうまい。
それでも人は、「手打ち」という言葉に惹かれる。
そこには、職人が粉を選び、水を合わせ、こね、寝かせ、切るという工程がある。
その非効率さ、手間、失敗の可能性まで含めて、ひとつの付加価値になっている。
……ならば、小説も同じではないか?
AI生成作品を分けろという声が大きくなる背景には、ある皮肉な事実がある。
それは、AIと人間の差が、読者から見て、ほぼ分からなってきたということだ。
もしAI生成作品が明らかに低品質で、誰が見ても機械的で、人間の作品とは比べ物にならないほどつまらないなら、そもそも大問題にはならない。
読者は自然に離れる。ランキングにも残らない。話題にもならない。
つまり、「AI作品を区別しろ」という主張は、裏を返せばこう認めていることになる。
……読者から見れば、AI作品と人間作品の差が分からなくなってきている。
むしろ、AI作品はランキング上位を占めるほどに人気である。
これはかなり重要なポイントである。
読者が読んで面白ければ、AIか人間かは気にしない。そういう読者も当然いる。
文章が整っていて、展開が早く、ストレスなく読めるなら、それで十分という考え方もあるだろう。
だからこそ、区分の考え方を変えるべきなのだ。
AI作品に赤札を貼るのではない。
人間が手で作った作品に、黄金の札を貼るべきなのである。
ただし、その金札は曖昧な「AI不使用」では駄目だ。
「AI不使用」という言葉は、あまりにも逃げ道が多い。
本文生成には使っていないが、プロット相談には使った。
本文は自分で書いたが、キャラクター名の案は出してもらった。
タイトルだけ考えてもらった。
あらすじだけ整えてもらった。
誤字脱字チェックだけ使った。
こういうものを一つ一つ分類し始めると、区分がごにゃごにゃになる。
「AI支援あり」「AI一部使用」「AI補助」「AI生成主体」などと分け始めても、読者からすれば分かりにくいだけだ。
作者側にも、いくらでも言い訳ができてしまう。
だから、分類は単純でいい。
「AI完全不使用」か。
「それ以外」か……。
この二つである。
「AI完全不使用」を名乗るなら、些細なAI利用も許さない。
厳しすぎると思う人もいるだろう。
……だが、厳しいからこそ価値が生まれる ( ˘ω˘ )
「手打ちそば」と掲げる店が、実はほとんど機械で作っていて、最後に少しだけ手を添えただけだったらどうだろうか。
客は、騙された気分になるはずだ。
それと同じである。
「AI完全不使用」という札は、便利な道具を使わなかったことを示す札である。
人間だけで書いたという特別なブランド区分なのである。
AIを道具として使い、読みやすく、面白い作品を作る作者もいるだろう。
それも創作のひとつである。
いやむしろ、これからはそちらが主流になるに違いない。
蕎麦や饂飩が今やほぼ機械で製麺されているように……(´・ω・`)
AIを少しでも使ったなら、全部「それ以外」でいい。
ただ特別枠にするのは「完全AI不使用」タグをつけた方であり、丁寧な職人として造り手による「完全手創り」という、これから希少となる一部の作品だけである ( ˘ω˘ )
◇◇追記◇◇
我々は機械化により、いろいろな商品を廉価化し、安く楽しめるようにしてきた。
それは技術革新であり、後戻りできない人間の英知でもある。
だが、希少な手つくりワイン等を楽しむ好事家もいる。
それは良いワインと言うより、失敗を含めた人々の営みを、高額なお金を払ってでも味わう一部の人々である。
……それはやはり、専門店で扱われ、我々庶民の目の届かない棚にある特別なモノなのだ。
現在、SF戦記「星間覇道 ――没落貴族と女海賊、銀河帝位争乱――」を連載中です~♪
良かったら是非読みに来てやってください (*´▽`*)
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