アニキとのお別れ
・家に帰りたくはなかった。
・ボクはブランコに腰掛けて、一人小学校の校舎を眺めていた。
・夏休み前の放課後の小学校は、夕映えに映えて窓ガラスがオレンジ色に輝き、あんなことさえなければ、ボクも素直にきれいな夕焼けに感動出来ただろう。
(アニキ、なんで死んじゃったんだよ・・・)
・ボクはそう思って、大きなため息を吐いた。
・ボクが家に帰りたくない理由ーーそれは、家にはアニキとの思い出がたくさんあって、どうしてもアニキのことをたくさん思い出してしまうからだった。
・ボクが生まれた時、アニキは八歳だった。
・母さんはアニキに言った。
「今日からあんたは、本当の『アニキ』になったんだよ。『アニキ』は弟を守らなければならない。弟を頼んだよ、アニキ」
・アニキは母さんの言いつけを守って、赤ん坊のボクの世話をしてくれた。
・ボクの側にいつも寄り添い、ボクが泣けば母さんに知らせに行き、ボクが手持ち無沙汰の時はお気に入りのオモチャを貸してくれた。
・ボクが家の近所の幼稚園に通い始めると、アニキはよほど弟のボクのことが心配とみえて、わざわざ幼稚園まで歩いて来て、ボクの様子を眺めていた。
・そして、昼過ぎに母さんがボクを迎えに来ると、決まってボクらと並んで帰って行った。
「アニキは本当に弟思いだなぁ。どうせなら、アニキも一緒に幼稚園に通うか?」
・母さんにからかわれても、アニキは澄ました顔のままだった。
・そんなアニキだったけど、ボクが小学生になると、さすがに一緒に登校するわけにはいかなくて、家でおとなしく留守番をしていた。
「今日もアニキは、あんたが学校から帰ってくるのを今か今かと待っていたよ。学校での様子を、アニキに話して聞かせな」
・母さんにそう言われた日から、ボクはその日学校であったことを、アニキに話して聞かせた。
・そんな時のアニキは、普段のやんちゃな様子とはちがって、丸い大きな瞳をキラキラ輝かしながら、おとなしくボクの話を聞いているのだった。
・もうじき、日が暮れる。初夏のこの季節は、日が暮れて寒くなることはないけれど、暗くなるにつれて、ボクの心の中に寂しさがつのってきた。
「隣に腰掛けてもいいかな」
・気がつくと、誰も腰掛けていない隣のブランコの側に、見知らぬおじいさんが立っていた。
「隣に腰掛けてもいいかな」
・オレンジ色の上下のスーツを着こなしたおじいさんは、ふたたび、やさしい声で聞いてきた。
「はい」
・人見知りのボクにはめずらしく、初対面のこのおじいさんに親しみを感じて、ボクは「どうぞ」と隣のブランコをすすめていた。
「わたしにはね、今年十二歳になる弟がいるんですよ」
・おじいさんは隣のブランコに腰掛けると、夕暮れが映る小学校の校舎を眺めながら、そう話し出した。
「弟が幼稚園に通っていた頃は、わたしも幼稚園に弟の様子を見に出かけていけたのですが、弟が小学生になると追いかけて行くわけにもいかず、わたしは家でお留守番でした」
・おじいさんは、だれに聞かせるともなく、静かな声で話続ける。
「でもね、やさしい弟は、家でお留守番のわたしに、その日学校であった出来事を話して聞かせるんです。そのおかげで、わたしもいつしか、弟と一緒に小学校に通っている気になっていました」
・おじいさんはそう言うと、しばらくの間、黙って暮れ行く夜空を映した小学校の校舎を眺めていた。
・ボクは隣のブランコに腰掛けているおじいさんの横顔を眺めた。見覚えのないおじいさんだけど、どこか懐かしい、親しみのある横顔。それと、陽だまりのような、特有の香ばしい匂い。それと・・・。
・ボクは思わず、おじいさんから目をそらして、ふたたび小学校の校舎を見つめた。
・再び、おじいさんは語り始める。
「ああ、弟はここで勉強したり、遊んだりしているのですね。一度来てみたかったんです。
わたしももう二十歳。人間でいうと九十歳以上です。弟とお別れの年齢になりました。
だから、わたしは弟に言いたいんです。『弟よ。お前も来年は中学生だろ!いつまでもメソメソしてるなよ! 』ってね」
・おじいさんから漂ってくる懐かしい匂いーーそれは、陽だまりのような、猫特有の香ばしい匂い。それと・・・。
「もしかして、おじいさんは『アニキ』! 」
・ボクがもう一度横を向くと、おじいさんの姿は消えていて、誰もいないブランコが風に揺れていた。
(そうだよな。ボクも来年、中学生だもんな・・・)
・ボクはブランコから立ち上がって、横に置いていたランドセルを背負い直すと、家に帰るために歩きだした。
・ボクは歩きながら、思わず笑いだしていた。なぜって、アニキは最後まで、おっちょこちょいのアニキのままだったのだから。
(ねえ、アニキ。人間に化けるなら、しっかりとしっぽは隠さなくっちゃダメだよ)
・ボクはだれも座ってないブランコを振り返って、そう思った。《おわり》




