神々
ケアルは机に座っていた。
手に持ったペンが、以前より速く鳴る。
カチ。
カチ。
カチ。
囁きはさらに大きくなっていた。
幾重にも重なり、思考を軋ませる。
彼は集中しようとする。
机に広げられた書類へ視線を落とす。
一枚のページが目に留まった。
S-001 ―「エンフォーサー」
階層の大部分が破壊されたときに発動する。
責任者を消去する。
裁きなし。
警告なし。
消去。
ケアルはその説明を見つめ、ゆっくりと椅子にもたれた。
「S-002もS-001も……エネルギーだろう。」
目を細める。
「エネルギーなら……吸収できる。」
その思考に、囁きが激しく渦巻く。
「こいつらは……ほぼ神だ。」
ゆっくりと息を吐く。
「なら、吸収すれば……俺が神になる。」
部屋が狭く感じる。
「神になれば……」
指が机に食い込む。
「俺はもう無力じゃない。」
声は耳鳴りのように響く。
悲鳴。懇願。断片化した意識。
彼は耳を押さえた。
「感情は無意味だ。」
声は揺らがない。
「感情が脳内の電気信号なら……それもエネルギーだ。」
エネルギー。
吸収可能。
排除可能。
彼はゆっくりと隣の黒いモニターへ向き直る。
暗い画面に映る自分。
だが――
目が違う。
遠い。
ひび割れている。
こめかみに指を当てる。
一瞬の躊躇。
わずかな揺らぎ。
そして――
吸収した。
鋭い脈動が頭蓋を走る。
何かが消えた。
静寂。
完全な静寂。
囁きは止まった。
罪悪感も。
後悔も。
恐怖も。
感情がなければ、声は縋る場所を失う。
ケアルは手を下ろす。
静けさは息苦しいほどだった。
映る自分を見る。
見慣れない。
空虚。
正確。
冷たい。
「神への昇華に失敗すれば……俺は死ぬ。」
思考は通り過ぎる。
重みはない。
恐れもない。
死は結果。
失敗はデータ。
神は――
躊躇しない。
デスクトップを埋め尽くす研究資料。
暗号化文書。
黒塗り報告書。
隠蔽された事件。
繰り返し現れる一つの名前。
ギフトを持つ個人。
希少な存在。
S-002を召喚できる者。
ケアルは椅子にもたれる。
召喚できるなら――
吸収できる。
問題はある。
所在不明。
最近の目撃情報なし。
生存不明。
正気かも不明。
協力の保証もない。
だがそれは問題ではない。
変数を締めるだけだ。
能力の詳細を読み直す。
召喚者はS-002を五秒間顕現させられる。
五秒。
その間――
使用者以外は完全に失明する。
感覚遮断。
絶対的な闇。
ケアルの指が一度机を叩く。
五秒あれば十分。
三秒でいい。
見えなくても吸収できる。
視覚は不要。
接触は必須。
だが記録に異常があった。
一度だけ――
盲目効果が無効化された。
環境不安定。
高い情動負荷。
未確認の外部エネルギー干渉。
再現確率は低い。
極めて低い。
「盲目が発動した場合――」
彼は計算する。
事前に十分な力を蓄える。
三秒耐える。
「発動しなければ――」
成功率は跳ね上がる。
位置を予測。
姿勢を調整。
接触効率を最大化。
どちらでも利用可能。
彼は静かに手を組む。
召喚者が鍵だ。
見つける。
制御する。
発動させる。
吸収する。
昇華する。
黒い画面を見る。
異質な自分。
「もうすぐだ。」
希望ではない。
興奮でもない。
確信。
再び映像を見る。
青白い光が顔を縁取る。
鋭い。
動かない。
目が焼けるように乾く。
気づく。
瞬きをしていない。
一分以上。
まぶたが重い。
遅い。
ゆっくり閉じる。
そして開く。
映像も同じ動きをする。
完璧に。
「なぜ人間は瞬きをする……」
臨床的な問い。
潤滑。
異物防止。
反射。
生体維持。
人間のための機能。
彼はまた見つめる。
「人間」という言葉が奇妙に響く。
定義は理解している。
生物。
感情。
制限。
脆弱性。
だが、何を意味するのかはもうわからない。
感情は削除済み。
恐怖は沈黙。
罪悪感は消去。
欲求は目的へ還元。
模倣はできる。
話せる。
動ける。
だが理解は――薄れている。
視線が硬化する。
再びリスクを確認。
失敗すれば――
S-001が発動する。
エンフォーサー。
違反者を消去する。
殺すのではない。
痕跡も残さない。
消去。
完全なる削除。
存在をゼロへ。
彼は内側を検査する。
恐怖反応なし。
心拍上昇なし。
躊躇なし。
「失敗すれば……」
反射像を見つめる。
「俺は死ぬ。」
事実。
瞬き。
今度は無意識。
わずかな残滓。
椅子にもたれる。
昇華か、消去か。
神か、無か。
中間はない。
そして久しぶりに――
頭の中の静寂は、完全だった。




