継承
あの雨は、ニュースにもならなかった。
報道、書類、沈黙の中に埋もれていった。
数日後――
ケイルは、磨かれた木製の机を挟んで硬く座っていた。
オフィスには古い紙とコロンの匂いが漂っている。
曇った空からの鈍い光が窓越しに差し込んでいた。
弁護士が眼鏡を直す。
「でさ、」ケイルは無理に笑いながら言った。
「ついにあのジジイ、くたばったんだな……」
弁護士は表情を変えない。
「はい。あなたに一つだけ遺しました……彼の会社です。」
ケイルの笑みが消える。
椅子の上で身じろぎする。
顔に不安げなしかめ面が浮かび、ゆっくりと爪を噛み始めた。
「……あの、ずーっと秘密にしてたやつ?」
「それって、いったい何なんだよ。」
部屋が急に狭く感じる。
弁護士は手を組んだ。
「ウェストブリッジ研究財団。私も詳細は知りません。」
ケイルは瞬きをした。
「冗談だろ。」
「いいえ。」
弁護士はブリーフケースから厚い封筒を取り出す。
ロゴも差出人もない。
ただ、きれいに印字されたケイルの名前。
それを机の上に滑らせた。
ケイルはそれを見つめる。
「これ、何だよ。」
「私にも分かりません。」
「あなた自身で確かめるしかないでしょう。」
ケイルはしばらくためらった。
そして封を破る。
中には一枚の紙。
住所。
そして、六桁の暗証番号。
それだけ。
説明も、署名もない。
ただ、どこかへ導く情報だけが書かれていた。
ケイルは、部屋の空気が冷たくなるのを感じた。
弁護士が軽く咳払いをした。
「……もう一つあります。」
ケイルは顔を上げる。
弁護士は机の引き出しから、小さな金属の鍵を取り出した。
見た目より重い。冷たい。古い。
「これも、あなたに。」
ケイルはゆっくり受け取った。
刻印もない。
ラベルもない。
ただ、重みだけがあった。
翌日。
建物は広い敷地の奥に、孤立するように立っていた。
コンクリートの壁。暗い窓。看板はない。
ケイルは車を降り、見上げる。
「ウェストブリッジ研究財団……」
正面の扉が、彼が近づく前に開いた。
武装した警備員が二人、無言で立っている。
挨拶はない。
笑顔もない。
「ウェストブリッジ様。」
平坦な声。
「……ああ。」
彼は中へ案内される。
廊下は無機質だった。
白い照明が低く唸る。
カメラが彼の動きを追っている。
誰も話さない。
やがて、重厚な金属扉の前で止まった。
横にはキーパッド。
警備員たちは一歩下がる。
「この部屋は、あなたのものです。」
ケイルはポケットから鍵を取り出した。
鍵穴に差し込む。
重い音と共に回る。
扉が軋みながら開いた。
中は広いオフィスだった。
最小限の家具。薄暗い照明。
机の向こうに、黒いモニターが並ぶ。
父の椅子が、そのまま置かれている。
待っていたかのように。
警備員は外に残る。
扉が閉まる。
ケイルはしばらく静寂を聞いていた。
そして机に向かい、古い革張りの椅子に座る。
軋む音。
目の前のコンピューターを見つめる。
「……よし。」
電源を押す。
機械が起動する。
ログイン画面。
封筒にあった六桁の番号を入力する。
画面が一瞬ちらつく。
アクセス承認。
デスクトップは、空だった。
ただ一つのフォルダだけがある。
黒いアイコン。
白い文字。
「The Dead Space」
ケイルはわずかに身を引いた。
「……デッドスペース。」
小さく繰り返す。
言葉が、妙に重い。
彼はマウスに手を伸ばす。
そして――
クリックした。




