78話 進学の願い、そして制止
この国では、十歳になると進学や就労が可能となり、同時に公的な身分証も発行される。
私は九歳になった。
来年には、自分の進む道を決めなければならない。
それが、思っていたよりもずっと難しくて――
「ルーカスお兄様やアメリアお姉さまみたいに、魔法学院に行きたいなー……」
机の上には、入学願書と案内のパンフレット。
私はそれをじっと見つめていた。
王立魔法学院――
優秀な魔導士を育成するために設立された名門校。
四属性のうち、どれか一つでも適性があれば門は開かれる。
そして、実力さえあれば、身分に関係なく評価される場所。
だからこそ――
「行ってみたいな……」
小さく呟いたその言葉は、思っていた以上に胸の奥へと響いた。
しばらくパンフレットを眺めていた私は、やがてゆっくりと息を吐く。
「……うん」
迷ってばかりじゃ、何も変わらない。
そう思った瞬間、不思議と気持ちはすっと落ち着いた。
私は机の上に置かれていた願書を手に取り、ペンを握る。
名前、生年月日、家名――
一つ一つ、丁寧に書き込んでいく。
紙の上に走るインクの線は、どこか自分の未来へと繋がっているような気がした。
「これで……よし」
書き終えた願書を軽く見直し、問題がないことを確認する。
ほんの少しだけ、胸が高鳴った。
これで、第一歩だ。
椅子から立ち上がり、願書を大切に持ったまま部屋を出る。
廊下は静かで、窓から差し込む光が床を淡く照らしていた。
お父様は、この時間なら書斎にいるはず。
私はそのまま足を進め、書斎の前で立ち止まる。
――コンコン。
軽くノックをする。
「お父様、エレノアです」
「エレノアか。入っていいぞ」
中から落ち着いた声が返ってきた。
扉を開けると、机に向かって書類に目を通していたお父様が顔を上げる。
「どうした、エレノア?」
私は一歩前に進み、両手で願書を差し出した。
「……これを」
「……ん?」
お父様は受け取り、視線を落とす。
数秒の沈黙。
そして――
「……王立魔法学院の願書、か」
静かな声が、書斎に落ちた。
お父様はしばらくの間、手にした願書に目を通していた。
その表情は穏やかで――けれど、どこか考え込むようでもあった。
「……エレノア」
やがて顔を上げ、私を見る。
「本気なのだな?」
「……はい」
迷いはなかった。
何度も悩んで、それでも選んだ答えだ。
だから私は、まっすぐに頷く。
お父様はそんな私を見つめ――小さく息を吐いた。
「……そうか」
その声は、優しかった。
「お前がそう思う気持ちは、よく分かる」
「……!」
胸の奥が、少しだけ軽くなる。
けれど――
「……だが」
その一言で、空気がわずかに引き締まった。
「正直に言おう」
「エレノアの立場上、かなり難しいと思うぞ……?」
「……え?」
思わず声が漏れる。
「どうして……?」
問いかけると、お父様は少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「エレノアが魔法学院に通うということは、多くの関係者と調整が必要になる」
「ゆえに、希望が通る可能性はかなり低いだろう……」
静かに告げられるその言葉。
「セレスティア伯爵としての立場……そして、お前自身の価値」
「……」
「それらを考えれば、王城が簡単に許可を出すとは思えない」
淡々とした口調だったが、その奥には確かな重みがあった。
「……それでも」
お父様は続ける。
「お前の気持ちを無かったことにするつもりはない」
その言葉に、はっと顔を上げる。
「一度、陛下にお伺いを立てよう」
「……!」
「結果がどうなるかは分からん。だが、何もせずに諦めるべきではないだろう」
願書を手に取り、軽く叩く。
「これは、その意思の証だ」
「……はい」
小さく、でもはっきりと頷いた。
「願書は預かる。近いうちに王城へ向かう」
「その時に、話を通そう」
「……お願いします」
胸の奥に、不安と期待が入り混じる。
簡単にはいかない。
それは、もう分かっている。
それでも――
少しだけ、希望を持ってしまった。
――三日後。
私はお父様と共に、王城の応接間にいた。
扉の向こうに広がるその部屋は、以前訪れた謁見の間とは違い、落ち着いた空気に包まれている。
壁には控えめな装飾が施され、窓から差し込む柔らかな光が室内を穏やかに照らしていた。
応接間らしい、静かで整った空間。
けれど――
「……」
私は、どこか居心地の悪さを感じていた。
理由は、目の前にいる人物たちだ。
正面には、陛下。
その隣には、宰相。
そして、お父様。
……ここまではいい。
問題は――
「……」
視線を横に向ける。
そこには、見覚えのない人物が一人座っていた。
年の頃は中年ほど。
落ち着いたローブを纏い、静かにこちらを見ている。
ただの貴族というよりは――
「(……魔導士?)」
そんな印象を受けた。
「――では、揃ったようだな」
やがて、陛下が静かに口を開いた。
その一言で、室内の空気がすっと引き締まる。
「本日は、セレスティア伯爵――エレノア嬢の進路について話をするために集まってもらった」
「……!」
思わず背筋を伸ばす。
やっぱり、この話なんだ。
胸の奥で、鼓動が少しだけ速くなる。
陛下は私へと視線を向けた。
「願書の件は聞いている」
「王立魔法学院への入学を希望しているそうだな」
「……はい」
しっかりと頷く。
ここで迷うわけにはいかない。
「そうか」
短い返答。
その表情からは、感情が読み取れない。
「……」
沈黙が落ちる。
そして、その沈黙を破ったのは宰相様だった。
「エレノア嬢の入学についてですが、現状、国としては認めることがかなり難しい状況です」
「どうしてですか……?」
その疑問に答えたのは、初めて会う中年の男性だった。
「お初にお目にかかります。
私は王立魔法学院の学長を務めております、ラウル・フォン・ベルクレインと申します。
入学が難しい理由についてですが、大きく分けて四つございます」
「――一つ目は、エレノア様ご自身の重要性についてです」
ラウル様は静かに言葉を紡ぐ。
「既にご存知の通り、エレノア様は国家にとって極めて重要な存在です」
「その価値は、一個人の枠を大きく超えております」
「いわば――国家機密に準ずる存在、と言っても差し支えありません」
「……国家機密?」
思わず小さく復唱する。
「はい」
「そのような人物を、不特定多数が出入りする学院という場に置くこと自体が、極めて高いリスクを伴います」
一拍置いて、続ける。
「二つ目は、安全の保証についてです」
「先ほども申し上げた通り、学院は完全な安全が担保された場所ではありません」
「事故、対人トラブル、外部からの干渉――それらを完全に排除することは不可能です」
「ですがエレノア様の場合、“万が一”が許されない」
その言葉は、重く、静かに落ちた。
「護衛を増やすことである程度の対策は可能でしょう」
「しかし、それは同時に学院という環境を大きく歪めることになります」
「……たしかに」
誰にともなく、小さく呟いた。
ラウル様はそのまま続ける。
「三つ目は、神族との関係性です」
空気が、わずかに張り詰めた。
「エレノア様は、神族との繋がりをお持ちであると認識しております」
否定は入らない。
それ自体が、肯定の証だった。
「これは単なる個人の特性ではありません」
「国家の根幹、ひいては国益に直結する極めて重要な要素です」
「そのような存在が学院に在籍するということは――」
言葉を区切る。
「他国に対し、“接触可能な窓口”を与えることと同義になります」
静かな声だった。
だが、その意味はあまりにも重い。
「そしてエレノア様の身に万が一が発生した場合外交問題や戦争の火種になりかねません。
王立魔法学院は、身分を問わず優秀な魔法を使える者を育成する機関ですのでそのような場所にエレノア様がご入学された場合大きなリスクが生じます。」
ラウル様が三つ目の説明を終えると――
コンコン。
扉をノックする音が応接室に響いた。
「入れ」
陛下が短く返事をすると、鑑定官が入室した。
「エレノア様、お久しぶりでございます」
「えっと……鑑定官さん?」
私は少し首をかしげた。
「エレノア様、お久しぶりでございます」
「……あれ? 前に会ったことありますよね?」
首をかしげながら問いかける。
鑑定官は穏やかに微笑んだ。
「はい。以前、一度だけ鑑定を担当させていただきました」
「やっぱり」
小さく頷くエレノアを見て、陛下が口を開いた。
「今回、鑑定官を呼んだ理由は一つだ」
軽く背もたれに体を預けながら続ける。
「エレノアの“現時点での実力”を、改めて確認するためだ」
「……実力?」
「そうだ」
短く答える。
「学院の話をする以上、そこを曖昧にするわけにはいかんからな」
視線が鑑定官へと向けられる。
「報告を」
「かしこまりました」
鑑定官は一歩前へ出ると、静かに告げた。
「結論から申し上げます」
応接室の空気が、わずかに引き締まる。
「エレノア様は、既に四属性すべてにおいて――」
一拍置き、
「王立魔法学院の卒業段階と同等の技量に到達しております」
沈黙。
その言葉は、あまりにもさらりと告げられた。
「……え?」
エレノアが、きょとんとする。
だが周囲の反応は違った。
父は目を見開き、
宰相は静かに目を伏せ、
そして――ラウル様は小さく息を吐いた。
「……やはり、そうでしたか」
低く呟く。
「加えて申し上げます」
鑑定官は続ける。
「四属性すべてにおいて、魔力量・精度・発動速度ともに極めて高水準」
「既に体系的な教育を必要とする段階は過ぎているものと判断いたします」
「――っ」
誰かが息を呑む気配がした。
それを受け、ラウル様が静かに口を開く。
「……以上を踏まえ、申し上げます」
視線をエレノアへ向ける。
「エレノア様の実力は、既に“教育を受ける側”の域を逸脱しております」
ラウル様は一度、ゆっくりと息を整えた。
そして――静かに口を開く。
「……それでは、四つ目の理由について申し上げます」
応接室の視線が、自然と彼に集まる。
「先ほどの鑑定結果を踏まえた上での結論となります」
一拍。
「エレノア様に対し、王立魔法学院が提供できる教育は――存在しません」
はっきりと言い切った。
「四属性すべてが卒業水準に達している時点で、既に基礎から応用に至るまで修得済み」
「これは“学ぶ側”ではなく、“指導する側”に近い領域です」
静かな声だったが、否定の余地はない。
「加えて――これは既に知られていることではありますが」
わずかに視線を落とし、
すぐにエレノアへと戻す。
「エレノア様は、神聖魔法の行使が可能である」
その事実を、あえて淡々と置く。
「これは本来、人間族が到達し得る領域ではありません」
空気が、わずかに重くなる。
「つまり――」
言葉を区切る。
「既存の教育体系そのものが、エレノア様には適合しない」
ゆっくりと、しかし確実に。
「王立魔法学院は“人材を育成する場”です」
「しかしエレノア様は、その枠組みの外にいらっしゃる」
そして。
最後の一線を越える。
「極めて率直に申し上げるならば――」
ほんのわずかに苦笑を浮かべた。
「現役の魔導士団と比較しても、同等、あるいはそれ以上の水準に達している可能性が高い」
「そのような方に対し、“学ぶ場”として学院を用意することは――」
首を横に振る。
「成立いたしません」
ラウル様の言葉が、静かに応接室へ落ちた。
誰も、すぐには口を開かない。
理屈はすべて揃っている。
否定する余地は、どこにもなかった。
だからこそ――
沈黙が続く。
その中で。
「……でも」
ぽつりと、エレノアが呟いた。
視線が、一斉に集まる。
エレノアは少しだけ考えて――
それから、いつもの調子で言った。
「やっぱり、通ってみたいです」
「……」
空気が、止まる。
今、何を言われたのか。
理解はできている。
だが、受け止めきれない。
そんな沈黙だった。
「……理由を聞いてもいいか?」
ややあって、陛下が静かに問う。
「はい」
エレノアはこくりと頷く。
「お友達、できるかなって」
「……」
誰も、言葉を返せなかった。
あまりにも。
あまりにも、普通すぎる理由だった。
国家。
機密。
危険。
均衡。
そんなものをすべて並べた後に出てくるには――
あまりにも、ささやかで。
「……そうか」
陛下が、小さく息を吐いた。
そして、わずかに笑う。
「それは、確かに大事なことだな」
空気が、ほんの少しだけ緩む。
ラウル様様も、困ったように目を伏せた。
宰相は額に手を当て、
父は苦笑を浮かべる。
「……だがな、エレノア」
陛下は姿勢を正し、改めて告げる。
「今のままでは、お前を学院に通わせることはできん」
その言葉は、やはり変わらない。
けれど――
「ただし」
続く一言に、全員の視線が上がる。
「方法が“ない”とは言っていない」
「……え?」
エレノアが目を瞬かせる。
「通常の学生としては不可能だ」
「ならば、“通常ではない形”を用意すればいい」
軽く肩をすくめる。
「見学、短期滞在、あるいは個別の研究参加――やりようはいくらでもある」
「その範囲であれば、調整してやろう」
ラウル様様が小さく目を見開き、
宰相が深くため息をついた。
「……陛下、それは」
「安心しろ。線は引く」
軽く手を振る。
「完全な通学は認めん。それは変わらん」
そして、エレノアへと視線を戻す。
「それでもいいか?」
少しだけ、考えて。
エレノアは――
「はい!」
ぱっと顔を明るくした。
「行けるなら、なんでもいいです!」
「……そうか」
陛下は、どこか楽しそうに笑った。
「では、そういうことにしよう」
こうして。
“普通に通う”という夢は叶わなかった。
けれど――
少しだけ、違う形で。
その扉は、確かに開かれたのだった。




