72話 王国の要請、毒の町⑲
別荘への襲撃事件から四日――。
黒鴉商会の本部から押収した取引先リストをもとに、王国騎士団は大規模な一斉拘束を実施した。
対象となったのは、闇商会と継続的に取引を行っていた者たちだ。
漁師、飲食店、港湾関係者。
そして――繰り返し商品を購入していた一般市民。
その数は、最終的に二千三百人にまでのぼった。
今回の拘束者の多くは、屋敷の前でデモ活動を行っていた市民だったことも判明している。
黒鴉商会によって扇動、あるいは利益で取り込まれていた可能性が高いと見られていた。
結果として、バレンシアで続いていた騒動は、ようやく沈静化へ向けて大きく前進した形となった。
「商会の幹部の証言では、鉄砲魚と似た毒素を意図的に生成し、市民を中毒状態にさせていたとのことです」
「似た毒素……?」
報告を受けていた騎士の一人が、眉をひそめた。
鉄砲魚の毒。
それは本来、自然界に存在する毒であり、簡単に再現できるものではない。
「はい」
報告を続けていた騎士は資料を一枚めくる。
「黒鴉商会の幹部の一人が錬金術師であり、その人物が鉄砲魚の毒素を参考に“模倣毒”を生成していたようです」
「錬金術師だと?」
別の騎士が低く呟く。
「はい」
「押収した実験器具や調合書からも、その事実は裏付けられています」
机の上には、押収品の目録が並べられていた。
毒の調合記録。
錬金器具。
そして――大量の素材。
報告書を見ていた騎士の一人が、低く呟く。
「漁師から購入した鉄砲魚の毒素を抽出していたとは……」
鉄砲魚は、この海域ではそれほど珍しい魚ではない。
だが、その毒を精製し、安定した毒素として利用するとなると話は別だった。
「販売予定だった鉄砲魚からも、エレノア様の鑑定により通常ではあり得ない毒素が確認されています」
その言葉に、室内の空気がわずかに変わる。
「……通常ではあり得ない?」
別の騎士が問い返す。
「はい」
報告役の騎士は資料をめくりながら続けた。
「黒鴉商会が販売していた鉄砲魚の一部には、自然の個体では確認されない濃度の毒素が含まれていました」
「おそらく錬金術によって毒素を強化したものと思われます」
静かな沈黙が落ちる。
やがて、一人の騎士が小さく息を吐いた。
「つまり……」
「魚そのものを毒の供給源として利用していた、ということか」
「その可能性が高いと考えられます」
報告役の騎士は静かに頷いた。
「また、販売されていた鉄砲魚にも差が確認されています」
資料をめくりながら続ける。
「価格が安いものには毒素が含まれており、逆に高価なものには毒素が含まれていませんでした」
その言葉に、部屋の空気がさらに重くなる。
「……つまり」
椅子に座っていた騎士の一人が、低く呟いた。
「市民の命をまな板の上に乗せていた、ということか」
誰もすぐには言葉を返さなかった。
安価な魚を買うのは、当然ながら裕福ではない市民が多い。
つまり黒鴉商会は――
貧しい者ほど毒に晒される仕組みを作っていたということになる。
やがて報告役の騎士が、重い声で続けた。
「……はい」
「意図的に中毒者を増やしていた可能性が高いと考えられます」
机の上に、重い沈黙が落ちた。
やがて、席の奥に座っていた騎士団幹部が口を開く。
「王都の商会との関係性は洗ったか?」
低い声だった。
報告役の騎士はすぐに答える。
「すでに捜査を行いました」
「ですが、王都の本店側が今回の件に関与していた証拠は確認されておりません」
「資金の流れ、取引記録、通信記録も確認しましたが……」
一度言葉を切る。
「いずれも関連性は見つかりませんでした」
部屋の空気がわずかに緩む。
だが同時に、別の重さが残る。
幹部の騎士はゆっくりと腕を組んだ。
「……なら」
短く言う。
「あの支店長が黒幕で間違いないようだな」
誰も反論しなかった。
黒鴉商会の本部を仕切り、毒の流通を指示していた人物。
そして――エレノアを囲い込もうとした男。
そのすべてが、一人の男へと繋がっていた。
「エレノア様を狙った目的は判明したか?」
オスバルト伯爵が、静かな声で問いかける。
報告役の騎士は一歩前へ出た。
「はい」
そして手元の書類を一枚取り出す。
「こちらも、押収した計画書および拘束した幹部の証言により裏付けが取れています」
騎士はその書類を机の上へ差し出した。
「詳細は――こちらをご覧ください」
机の中央に置かれた書類には、黒鴉商会が立てていた計画の一部が記されていた。
その中には、はっきりと書かれている。
『錬金術師エレノアの確保』
会議室の空気が、わずかに凍りついた。
計画書には、その後の利用方法まで記されていた。
強力解毒ポーションや各種ポーションの独占。
そして――利用価値がなくなった場合は奴隷として売却。
さらに、その下には別の一文が書かれていた。
報告役の騎士が静かに続ける。
「幹部の証言によると……人体錬成用の素材として売却することも視野に入れていたとのことです」
その言葉が落ちた瞬間――
部屋に、重い沈黙が落ちた。
オスバルト伯爵はしばらく何も言わず、机の上の書類を見つめていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……愚かな」
低く、押し殺した声だった。
「支店長は自殺したのだったな?」
「はい……」
騎士は一礼して答える。
「毒生成の術式を事前に仕込んでいたようで、拘束される直前に自ら発動させたとのことです」
伯爵はわずかに眉を寄せた。
「そうか……」
そして騎士は続ける。
「もう一つ、幹部の証言で気になる点があります」
「言ってみろ」
「……恐らくですが、去年のエレノア様誘拐事件以降、裏社会ではエレノア様の存在が広く知られているようです」
伯爵の視線がゆっくりと騎士へ向く。
「どういうことだ?」
騎士は静かに答えた。
「幹部の証言では――我々が失敗しても、第二、第三の組織がエレノア様を狙うだろうと供述しています」
その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気がわずかに重く沈んだ。
伯爵はしばらく何も言わなかった。
やがて、静かに口を開く。
「……なるほど」
低い声だった。
「つまり、エレノア様は裏社会にとって“金の鉱脈”というわけか」
騎士は黙って頷く。
伯爵は小さく息を吐いた。
「厄介な話だな」
「警備をさらに増強しますか?」
騎士が問いかける。
「そうだな……」
伯爵はゆっくり頷いた。
「エレノア様に何かあっては、陛下に顔向けが出来ん」
「了解しました!」
騎士は力強く一礼する。
だが、報告はまだ終わっていなかった。
「……もう一つ、報告があります」
「なんだ?」
「黒鴉商会の地下から押収した資料の中に、気になる記録がありました」
騎士はもう一枚の書類を差し出す。
そこにはいくつかの商会名と数字が並んでいた。
「裏取引の記録です」
騎士は続ける。
「その中に――“王都”への資金の流れが確認されています」
部屋の空気が、わずかに張り詰めた。
「……王都の商会との関係は無いのではなかったか?」
「はい。黒鴉商会が関係していた形跡はありません」
騎士は言葉を続ける。
「ですが、資金の行き先はまだ特定できていません」
伯爵は背もたれに身体を預け、小さく呟いた。
「……なるほど」
「つまり、裏で動いている者が他にもいる可能性がある、ということか」
騎士は静かに頷く。
窓の外では、穏やかな海風が吹いている。
港町バレンシアは、今日も変わらぬ静けさに包まれていた。
だが――
エレノアという存在が裏社会に知られた以上。
この騒動は、まだ終わったとは言えないのかもしれない。




