64話 王族の要請、毒の町⑪
オスバルト伯爵が運営する病院の一角。
そこには、鉄砲魚に関する治療専用のスペースが設けられていた。
「鉄砲魚を食べた後に腹痛が酷くなったんですよね?」
「あ……あぁ、そうだ、いたたたたた……」
「状況を見る限り、鉄砲魚に当たった可能性が高いです。強力解毒ポーションを処置室で受け取って飲んでください」
「あぁ、助かるよ」
男はふらつきながら処置室へ向かった。
患者がいなくなると、横に立っていた騎士が声をかける。
「エレノア様、次を呼んでもよろしいでしょうか?」
「お願いします!」
「次の者! 入れ!」
騎士の声とともに、一人の女性が部屋へ入ってきた。
「今朝起きたら、お腹がものすごく痛くて……。
昨夜、鉄砲魚を食べたから、それかなと思って」
女性は不安そうに腹を押さえている。
「わかりました。少し鑑定させてください」
そう言うと、私は手をかざすこともなく女性の体に意識を集中させた。
――内部の状態が、まるで視覚のように浮かび上がる。
やがて私は頷いた。
「鉄砲魚による中毒ではないようです。
普通の腹痛の範囲ですね」
女性はほっとしたように胸を撫で下ろす。
その様子を、控えていた三人の騎士が静かに見守っていた。
「もし心配でしたら、念のため医師に診てもらってください」
「ありがとうございます」
女性は礼を言って退出する。
「エレノア様……強力解毒ポーションの在庫が、完全にゼロになりました!」
「……えっ、もうですか!? 結構な数を用意したはずですよね!?」
朝8時の開院と同時に診療を開始してから約二時間――
ヘルガーさんと協力して作った強力解毒ポーション、三百五十本がすべて消えてしまったのだ。
「予備もありませんので、今日の鉄砲魚に関する治療は終了した、と伝えてください!」
「かしこまりました!」
そんな日々が続いていた。
――四日後
「またですか……?」
「あぁ……仕事柄、漁で獲れた魚を昼食として食べるからな……」
私の目の前に座るのは、漁師のライゼンさん。
毎日のように鉄砲魚による中毒でやって来る。
「じゃあ、確認しますね」
ライゼンさんに意識を集中させると、やはり鉄砲魚による中毒が確認された。
「処置室で強力解毒ポーションを受け取って飲んでください。
あと、鉄砲魚はもう食べちゃダメですよ!?」
「わかってるって!」
そう言いながら、ライゼンさんは処置室へ向かっていった。
ここ最近、強力解毒ポーションがあれば鉄砲魚を食べても問題ないという噂が広がり、開院前には長蛇の列ができるほど患者が急増した。
中には、毎日のように訪れて鉄砲魚の中毒を起こす人が全体の七割を占めていた。
「このままだとマズいわね……」
「毎日見る顔が多い現状、何か対策を講じたほうがいいかもしれません」
「そうですね……後でオスバルト伯爵様に相談しましょう。とりあえず次の方をお願いします」
「了解しました!」
開院から約三十分――
「処置室で強力解毒ポーションを受け取って飲んでください」
目の前の患者を診断し終えた直後――
「エレノア様! 強力解毒ポーションの在庫が、もうなくなりました!」
「はい!?」
騎士が慌てた様子で知らせる。
「ちょっと待って!? 昨日よりも多い数を用意したはずなのに……」
驚くべきことに、その数千本のポーションが、たった三十分で消え去ったのだ。
「予備はまだありますか!? 二人の市民が診察後に在庫切れを知らされて困っておられます!」
「丁度二本予備があります。それを渡してください!」
騎士は空間収納から予備のポーションを取り出し、渡した。
「ありがとうございます! エレノア様は、オスバルト伯爵様の別荘へ戻る準備をお願いします!」
騎士に促され、私は重い足取りで別荘へ戻る準備を整えた。
鉄砲魚中毒患者が絶えず押し寄せ、強力解毒ポーションがあっという間に消え去る日々――
これまでの診療の疲れと、患者が次々にやってくる緊張感が体にずっしりと重くのしかかっていた。
外は雲一つない青空。
だが病院前の長蛇の列に私たちが出たことに気づくと、不満の声が巻き起こった。
「おい! 開始三十分で在庫切れってどういう管理をしたらそうなるんだ!!」
「ふざけんな! 昨日も一昨日も在庫切れで今日も在庫切れはおかしいだろ!」
「王都から来た凄腕の錬金術師なんだったらもっと用意しなさいよ!」
中には列から飛び掛かろうとする人もいた。
「なんか言えよこの野郎!!!」
騎士たちは次々に市民を制止し、暴れようとする人々を取り押さえる。
しかし怒号は収まらず、混乱はさらに拡大した。
「止まれ!! これ以上近づいたら拘束する!!」
「上等だよ! やれるもんならやってみな!!」
一人の男の声をきっかけに、群衆は瞬く間に暴徒化した。
騎士たちは即座に動いた。
両脇から腕を掴まれ、怒声をあげる市民の中に押し込まれる。
逃げる隙間はなく、周囲は怒号と足踏みで騒然としていた。
「離せ……!」
男の力強い抵抗も、二人がかりの騎士に押さえつけられ、あっという間に膝をつかされた。
泣き叫ぶ子どもや怒鳴る大人も、次々に押さえつけられ、その数はすでに二十人を超えていた。
「第三小隊、エレノア様を護衛せよ! 転移魔法で大至急別荘まで! 残りは暴徒を取り押さえろ!」
小隊10人が即座に動く。私の周囲には三人の騎士がぴったりと付き、腕を固く掴んで前後左右から守る。
振り返ると、取り押さえられた市民たちは怒りと諦めが混ざった表情で呻き、混乱の渦の中に閉じ込められていた。
「エレノア様、行きます!」
低い声で指示が飛ぶ。次の瞬間――
周囲の景色が光に包まれ、眩い白光が瞬時に広がり、足元がふわりと浮く。
風のように流れる感覚と同時に、病院前の混乱も一瞬で遠ざかった。
目を開けると、私たちはすでにオスバルト伯爵の別荘の庭に立っていた。
空気は穏やかで、鳥のさえずりがかすかに聞こえる。
騎士たちは警戒を解かず、私を囲む形のまま辺りを確認する。
「到着しました、エレノア様。これで安全です」
ふわりと浮いた感覚から地面にしっかり足をつけ、深く息を吐く。
病院前の混乱がまるで別世界の出来事のように、今は静けさだけが広がっていた。
青空は変わらず穏やかに広がっている。
だが、体にはまだあの市民たちの怒号や拘束される感覚が微かに残っていた。
ーー王城・影の諜報機関本部
王城の地下深くにある広間。
影の諜報機関、本部と呼ばれる場所には、数人の男たちが緊張した面持ちで立っていた。
「陛下、こちらの映像をご覧ください」
黒い壁を目掛け、魔道具が映像を映し出す。
これは影の諜報機関がスパイ活動で使用する七つ道具のひとつだった。
「これは……」
映像には、長蛇の列、叫び声をあげる市民、そして騎士に取り押さえられる人々の姿が映し出されていた。
その光景に、陛下は言葉を失った。
「ここまで酷い状況とは……思わなかった」
「同じ患者が複数回、鉄砲魚による中毒で治療を受けています」
影の諜報機関の長が報告を続ける。
「処置後は回復しますが、鉄砲魚を再摂取することで症状が再発しており、事態は繰り返されています」
スクリーンは次々と切り替わり、飛びかかろうとする中年男性、列の中で怒号をあげる女性――混乱の様子が克明に映し出された。
「今回の報告は、エレノア様の安全確保のため非常に重要です。
現場では騎士が護衛にあたり、暴徒化した市民から保護しております」
影の諜報機関の長が強調するように付け加えた。
「以上の件を陛下に直報いたします。
鉄砲魚中毒の急増、同一患者の繰り返し治療、及び市民の暴徒化の現状を、エレノア様の安全を最優先に考えた上でご報告いたします」
陛下は玉座の背もたれに深くもたれ、映像をじっと見つめていた。
眉間に寄せられた皺から、心配の色が伺える。
「……なるほど、事態は想像以上に深刻のようだな」
陛下の声には、怒りよりも深い懸念が滲んでいた。
「エレノア・フォン・レーヴェンについては、まず第一に安全を最優先とせねばならん。
よって、当面の間、鉄砲魚中毒に関する診療及び外出を控えるように――三日間は休止させよ」
側近たちが小さく息をのむ。
休止命令は強い措置だが、陛下の言葉には苛立ちや制裁の意図はなく、深い心配が込められていた。
「さらに、同一患者による繰り返しの治療は拒否してよい。
悪質な者は王命違反として即時拘束せよ」
「はい、陛下」
諜報員たちは静かに頷き、指示の重みを受け止めた。
「港湾都市バレンシアの治安維持のため、第四騎士団を派遣せよ。
暴徒化の恐れがある者への対応も万全にせねばならん」
「承知いたしました」
影の諜報機関の長も深く頭を下げた。
「エレノア・フォン・レーヴェンは、港町の混乱の中で極めて重要な存在だ。
彼女の安全を確保することが、全てに優先する」
その言葉に、場にいた全員が沈黙のうちに頷いた。
ーー王城からの指示は直ちに現地へ伝えられ、
エレノアは安全な別荘に留まることとなる。
同時に、第四騎士団が港町バレンシアへ派遣され、治安維持とエレノアの護衛にあたることが決定された。
影の諜報機関は、これらの指示を即座に実行する準備を整えた。
港町の人々にとっては不便な措置かもしれないが、すべては天才錬金術師――エレノアの安全のためである。
ーーオスバルト伯爵別荘・客室
昼下がり、柔らかな光が窓から差し込む客室。
部屋には私――エレノア、アメリアお姉さま、メル、カイル、ミストルティン様、アル様、ソファでぐっすり眠るクロノア様、そして二日前に鉄砲魚中毒で治療を受けたエルフが控えていた。
ノックの音とともに、騎士団の一員が静かに入室する。
「失礼します、エレノア様、アメリア様、メル様」
私は顔を上げ、騎士を見つめる。
騎士は部屋の隅にいるエルフに目をやり、思わず一歩後退した。
「……あの、こちらの方は……?」
騎士は初めて見る異種族に驚きを隠せない。
「安心してください」
ミストルティン様が静かに言った。
「これは二日前、鉄砲魚中毒で治療を行った患者です。
散歩中に怪我をしているのを私が見つけて保護しました」
騎士は少し肩をすくめ、納得したように頷く。
「承知しました……失礼いたしました」
騎士は私たちに目を向け直し、落ち着いた声で告げる。
「先ほどの暴動を踏まえて、陛下よりお願いがあります。
港町バレンシアでの鉄砲魚中毒による混乱や、同一患者の繰り返し治療、エレノア様を襲おうとする行為など、現場は非常に危険な状況でした」
私は先ほど目の前で見た暴徒化の光景を思い出す――市民が叫び、騎士に取り押さえられる様子が頭に浮かぶ。
騎士は慎重に続けた。
「そのため、明日から三日間は鉄砲魚中毒に関する診療および外出を控えてください。
同一患者の治療は控え、悪質な者は王命違反として即時拘束されます。
併せて、治安維持のため第四騎士団がバレンシアに派遣されます」
部屋の空気が少し重くなる。
安全のための配慮――理解はしている。
けれど三日間の外出自粛は、やはり心に重くのしかかる。
ミストルティン様が私の肩に軽く手を置き、落ち着いた声で言った。
「心配はいらないよ、エレノア。君の安全が最優先だからね」
騎士は静かに深く一礼して部屋を後にした。
窓の外には青空が広がるが、港町バレンシアの騒動の余韻が頭の中に残っていた。




