閑話 バレンシアの夜、酒場の片隅で
満月が海面を鏡のように映し出し、心地よい波の音と、酒で気分が良くなった人々の笑い声があたりを満たしていた。
「今回の依頼を無事完了させたことを祝して乾杯!!」
「「「「乾杯!!!!」」」」
一か月にわたる隣国アルセリア王国までの護衛任務を終え、今日ようやく拠点のバレンシアへ戻ってきた。
「久々にまともな食事を摂れたよ……」
「この一か月間、保存食しか食えなかったからな」
テーブルに並べられたエールにタコのマリネ、エビの塩焼き――。
彼らにとって温かい食事は、最高のご褒美のように感じられていた。
「そういえばさ、ここに戻ってくるとき、やけに騎士の人たちが多かったような気がするんだけど、気のせい?」
エールを飲みながら、一人の女性が口にした。
「そうだな。街に入るときの身分証確認もかなり厳重だった」
「それよりも、伯爵家の別荘からとんでもねぇ量の騎士が歩いてたよな!?」
「こんな海しか取り柄のない街なのに、一体何があったんだか……」
普段の街の様子とは違う光景を目にした彼ら。
思いつく理由といえば、大きな事件が起きたということくらいしかなかった。
「こんな平和な街に大事件でもあったんかねー?」
「だとしたら、伯爵家の別荘からあんな量の騎士が歩いてくるか?」
「だよね……それこそ王族がやってこない限り、あんな量の騎士は来ないわね」
そんな話をしていると――
「よぉ! 久しぶりだなお前ら!」
不意に背後から声をかけられた。
振り返ると、そこには蒼狼の牙のメンバーが立っていた。
「あっ、久しぶり! 今日この街に戻ったところだよ!」
「そうか。ならお前ら、久しぶりの街の様子に驚いたんじゃないか?」
「驚いたレベルの話じゃないわよ! 一体何があったの!?」
「知りたければエール一杯な!」
蒼狼の牙の男は、空になったジョッキを軽く振ってみせる。
「相変わらずこすい商売してるな……」
「情報がタダの時代は終わったんだよ!」
「わかった、わかった! 奢ってやるから教えろ!」
「毎度あり!!」
そう言い蒼狼の牙の男は、空いている席へと座り語りだした。
「お前らがいない間、鉄砲魚が王命によって流通させることも、口にすることも禁じられた」
「はぁ? 鉄砲魚なんざ俺らのふるさとの味じゃないか!」
「なんでも、王族が鉄砲魚に当たったらしい」
「だからって王命で禁じるのはおかしくない!?」
「当然、守ってる奴なんていないさ。
ほぼ全員、隠れて食っているさ。
だが、なぜかここ最近、鉄砲魚に当たるやつらが王命が出される前と比べて倍以上に増えたんだ」
「それとあの騎士の量に関係あるようには思えないんだが?」
「関係あるさ。三日前に突如、王国騎士団と複数の馬車がこの街にやってきた。
それも王族を守っていると言っても過言ではないほどの厳戒態勢だ」
「じゃあ取り締まりでこの街にやってきたってこと?」
「違う。なんなら王国騎士団が守っているのは四人の子供と二人の大人だ」
「国王の子供、四人もいたっけ?」
「三人だな……」
「守っているのは王族じゃないぜ? どうもありゃ錬金術師だ。
俺のメンバーが魔物に襲われて酷い傷を負ったんだが、その子の作ったポーションを使ったら、本来ハイポーション級じゃないと治らない傷が、一個下のポーションで全回復した」
「……は?」
酒場のざわめきが、一瞬だけ止まった。
「しかも、それを作ったのは――まだ子供だ」
「おいおい、タダ酒が飲みたかっただけじゃないだろうな?」
「そう思うかい? ちなみにだが、たまたま見かけて礼を言おうと近づいたら騎士団に拘束された。
あれだけの厳戒態勢を敷くわけだ。相当、国にとって重要な人物らしいな」
「何歳くらいの子なのよ?」
「十歳はいってなさそうだな」
「そんな子供がポーションを作れるかな?」
「婆さんもびっくりしているくらいだ……相当優秀な錬金術師だな。
あと、これは俺の推測だが……最近、王都で凄腕の錬金術師が台頭して、王城のポーションの大半を置き換えたって話があるんだ。
恐らく、エレノアと呼ばれていたあの少女だな」
その名が出た瞬間、酒場の空気がざわりと揺れた。
「なんだなんだ、この街に来ている嬢ちゃん達の話かい?」
「夜更かしカラス!」
酒場の隅で飲んでいた、黒い外套の男たちがこちらを見ていた。
「俺らも昼頃にギルドへ行こうとしたら騎士に声をかけられてよ。
今から護衛対象が通るから即刻退去しろって言われたぜ?
たかが凄腕の錬金術師ごときで、あんな警備するとは思えねーな」
「そもそも、昼近くに一気に騎士の数が増えたんだ。
王城の依頼を受けて動いているらしいし、何かしらの指示があって騎士が厳重に警護しているのは間違いないだろうな」
「凄腕の錬金術師ね……」
「“ハズレ職”と囁かれる錬金術師が、十歳にもなっていないのに才能を開花させるとは……まさに天才だな」
「ま、俺から言えるのは、あの少女には近づかないほうがいい。
騎士が相当目を光らせているうえ、少し近づいただけで拘束されるくらいだ。
それこそ、存在するだけの法律として名高い――王冠案件が発令されていると言われても、驚かない自信があるな」
その言葉が落ちた瞬間――
酒場の空気が、はっきりとざわめいた。
「おい……今、王冠案件って言ったか?」
「冗談だろ……あれは王族絡みか、国が最重要人物と認めないと出ねぇはずだ」
「ただの錬金術師のガキだろ? なんでそんなもんが……」
あちこちの卓から、ざわめきが広がっていく。
「……何者なんだよ、その嬢ちゃん」
誰かの呟きが、静まり返った酒場にぽつりと落ちた。
蒼狼の牙の男はエールを一口あおり、肩をすくめる。
「さあな。だが少なくとも――」
ジョッキをテーブルに置き、低く言った。
「俺たちみたいな冒険者が、気軽に関わっていい相手じゃないってことだけは確かだ」
再び酒場がざわめきに包まれる。
満月は静かな海を照らし、
その夜、港町バレンシアでは“天才錬金術師の少女”の噂がさらに広がっていった。




