58話 王国の要請、毒の街⑤
月明かりが廊下を照らす頃、
オスバルト伯爵様主催の歓迎パーティーが開かれていた。
大広間には数多くの料理が並び、きらびやかなシャンデリアが天井から輝きを放っている。弦楽器や管楽器が美しい音色を奏で、優雅な旋律が空気を震わせていた。
だが、この場に集っているのは、ただの社交好きな貴族だけではない。
この地に本店を置く商会の会頭。
王都に本店を構え、この国でトップ3と称される大商会の支店長。
冒険者ギルドと商業ギルドの支部長。
名を挙げればきりがないほどの“重鎮”たちが一堂に会している。
(……これは歓迎というより、査定の場ですね)
集まっている人々の視線は、オスバルト伯爵様や神族の方々を除き――
ほぼ例外なく、私へと向けられていた。
品定めするような目。
値踏みするような目。
利用価値を測るような目。
王都から派遣された錬金術師。
王家が絶大な信頼を置く若き錬金術師。
王族が関与する案件の中心人物。
その肩書きだけが、一人歩きしている。
(……随分と大きくなりましたね、私)
手にしているのは、淡い果実水。
薄く色づいた液体の向こうに、揺れる灯りが映り込む。
彼らが見ているのは“結果”だ。
王城への納品実績。
精霊王との繋がり。
そして、王家との信頼関係。
けれど――
失敗もする。
迷いもする。
万能ではない。
それでも。
(逃げるわけにはいきません)
軽くグラスを持ち直す。
周囲ではワインや蒸留酒が交わされているが、私の手元にあるのはあくまでノンアルコールの果実水だ。
年齢を理由に舐められる気はない。
だが、無理をして背伸びをする必要もない。
その瞬間、王都大商会の支店長と目が合った。
にこやかな笑みを浮かべたまま、彼は一歩踏み出す。
「エレノア様。ぜひ後ほど、ゆっくりと――」
「当商会も支援を――」
「我々としては専属契約を――」
一人が動けば、次々と距離が詰まる。
柔らかな声。
洗練された言葉。
だが、その足取りは獲物を囲むそれに近い。
(……来ましたね)
そのとき。
カツン、と鋭い足音が響いた。
「――そこまでだ」
低く、冷えた声。
次の瞬間、私の前に白銀の鎧が割り込む。
近衛騎士が、完全に進路を遮断した。
その動きは一瞬だった。
「王命である」
空気が凍る。
「エレノア様への無断接触、私的契約の打診、勧誘行為は一切禁じられている」
笑みを浮かべていた支店長の表情が、わずかに強張る。
「違反と見なした場合――王家への敵対行為として扱う」
ざわり、と広間が揺れた。
音楽が止まる。
「本件は王家直轄の特命案件である。関与を望むならば、オスバルト伯爵閣下を通し、正式な書面で申し出よ」
騎士の視線が、一人ひとりを射抜く。
「次に距離を詰めた者は、退場してもらう」
完全な排除宣言。
社交の場には似つかわしくない、戦場のような空気が張り詰める。
先ほどまで優雅だった重鎮たちは、一歩、また一歩と距離を取っていった。
(……徹底的ですね)
守られている。
だが同時に――
私は“王家の管理下”にある存在であることも、明確に示された。
私は静かに一礼する。
「皆様のお気遣い、感謝いたします。ですが今は、治療と調査に専念いたします」
柔らかく。
だが、はっきりと線を引く。
音楽が恐る恐る再開される。
しかし、もう先ほどのような軽やかさはない。
王家は宣言したのだ。
――この錬金術師は、誰にも渡さないと。
騎士団の宣言の後、周囲の視線は露骨な接触から、機会を窺うようなものへと変わっていた。
いかにして王族との縁を作るか――それだけを計算しているかのような目に、思わずうんざりする。
(はぁ……本当はこの歓迎会に出たくなかったんだけどな……)
だが、私個人の感情で欠席できる立場ではないと理解しているからこそ、こうして参加している。
今は、ただ静かに時間が過ぎるのを待つしかない。
やがて歓迎会が終わり、客室へ向かう。
先ほどの出来事の影響か、私たちを囲むように護衛が配置されていた。
大広間を退場する際も、誰一人として接触の機会を与えない徹底ぶりだ。
「我々は近くにおりますので、何かありましたらお申し付けください」
部屋の前で騎士たちと別れ、私は客室へと入る。
――そして、気持ちを切り替える。
ここからは社交ではない。
治療の時間だ。
静かに、準備を進め始めた。
部屋に入ると相変わらずソファでスヤスヤと眠るクロノア様がいた。
「お前まだ寝てたのかよ……」
呆れた口調で起こそうとする戦闘の神様に思わず笑いそうになる。
だが、戦闘の神様がいくら揺すっても起きる気配は全くない。
「すまない、エレノア嬢もミストルティンも起こすの手伝ってくれ」
「え、私もですか!?」
「こいつは、こうなるとちょっとやそっとじゃ起きないんだよ」
「わかりました……」
クロノア様が眠るソファへ近づきゆさゆさと揺らし始める。
「クロノア様ー! 治療始めますよー!」
「ほらクロノー! 起きなさい!!」
「ほら起きんか!!」
今度は三人がかりで起こそうとするが相変わらずスヤスヤと寝息を出し続けている。
そして――
「この手暖かい……」
「クロノア様!?」
私の手を握り、さらに気持ちよさそうに寝始めた。
「こうなったら……」
そう言い、ミストルティン様が空間収納から何かを取り出し始めた。
そして現れたのは――あまりにも大きすぎる銅鑼。
……嫌な予感しかしない。
「ミストルティン様……それって……」
「みんな耳をふさいで!!」
「待て! お前、少しは加減しろよ!?」
「ちょっと待って! 私、耳ふさげな――」
言い終わるより早く。
ボワーーーーーーーーーン!!!
腹の底まで響く、凄まじい衝撃音。
空気が震え、窓ガラスがびりびりと鳴る。
「きゃああああ!?」
「なになに!?」
「うわぁぁぁ!?」
私とアメリアお姉さま、そしてカイルは思わずしゃがみ込んだ。
――その直後。
ドタドタドタドタ!!
廊下を駆ける複数の足音。
「何事ですか!?」
「敵襲か!?」
勢いよく扉が叩かれる。
アル様が額を押さえた。
「ほら来た……」
ミストルティン様は銅鑼を静かに空間収納へ戻す。
「想定内」
「想定するな!!」
扉の外から再び声が響く。
「エレノア様! ご無事ですか!? 扉を開けます!」
「ま、待ってください! 大丈夫です!」
私が慌てて返事をすると、外の緊張がわずかに緩む。
それでも警戒は解けない。
「本当に問題はありませんか!? 先ほどの衝撃音は――」
「ミストルティンが、クロノアを起こそうとして鳴らした音だから問題ない!」
アル様が扉越しにそう告げると、
「本当に問題がないのであればよいのですが……念のため、周辺の警戒レベルを引き上げます」
外から緊張を帯びた声が返る。
「ご配慮に感謝します。ですが、こちらは本当に問題ありません」
アル様が落ち着いた声音で応じると、扉の向こうで「はっ」という短い返事が響いた。
やがて規律正しい足音が遠ざかっていく。
廊下の気配が薄れ、ようやく室内に静けさが戻った。
――そして。
振り返った瞬間。
アメリアお姉さまとアル様の視線が、同時にミストルティン様へ向けられる。
「お前な! 手加減しろと言っただろうが!」
「なんでミストルティン様は、いつもこう大ざっぱなんですか!!」
ぴしり、と空気が張りつめる。
ミストルティン様は悪びれる様子もなく腕を組み、
「起きた。解決した。問題なし」
「問題大ありだ!!」
「問題だらけです!!」
声が重なった。
「じゃあ、次からもっと小さい銅鑼にでもする?」
「「サイズの問題じゃなーーい!!!!!!」」
私は思わず苦笑した。
さっきまで神々しい雰囲気だったはずなのに、どうしてこうなるのだろう。
「あれ? そういえばメルは……?」
メルとカイルがいた方向へ視線を向ける。
――メルは、見事に気絶していた。
ぴくりとも動かない。
「メルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!?」
思わず叫ぶ。
今日、治療しなければいけない人が――
もう一人、増えてしまったのだった。
ミストルティン様へのお説教が終わり、ようやく治療を開始する。
私は大きく息を吸い込んだ。
……まずは落ち着こう。
エルフの治療は急ぎたい。
でも、目の前で倒れているメルを放置するわけにはいかない。
「メルごめんね、ちょっと触るよ」
そっとメルの身体を仰向けにする。呼吸はある。脈も正常。
外傷は……ない。
それでも念のために鑑定することにした。
【鑑定結果】
名前:メル
種族:獣人族(猫耳族)
職業:調理師
HP:500
MP:400
スキル:火属性(4/10)、調理(6/10)
称号:ミストルティンのお気に入り第二号(笑)
状態異常:急激な衝撃音による一過性失神
危険度は低く自然回復するが安静を推奨
私は思わず脱力した。
「……びっくりさせないでよ、もう」
命に別状はないらしい。
ただ単に、神様たちのやりすぎでショックを受けただけ。
……本当に加減してほしい。
「とりあえず、ベッドに運ぼう」
アル様にお願いし、メルをベッドへ寝かせた。
「じゃあ……気を取り直してエルフの治療をしましょうか」
その言葉に、ミストルティン様が一歩前へ出た。
「じゃあ出すわよ」
さらりと言って、空間に手をかざす。
次の瞬間、淡い光が揺らめいた。
空間が静かに歪み、ソファの上に一人のエルフが横たわる。
長い銀髪が広がり、白磁のような肌が灯りを受けて淡く輝く。
「……え?」
アメリアお姉さまが小さく声を漏らす。
「い、今……どこから出てきたの?」
カイルも目を見開いていた。
「……空間収納、ってやつか?」
「うん」
ミストルティン様はあっさり頷く。
「時間停止もかけてある。状態は搬送時のままだから問題ないわよ」
さらっと言う内容が、さらっとしていない。
私は一瞬だけ苦笑し、すぐに意識を切り替えた。
「では、まず鑑定からしますね」
意識を集中し、鑑定を開始する。
淡い光がエルフの身体を包み込む。
【鑑定結果】
名前:鑑定不能
種族:エルフ
職業:鑑定不能
HP:鑑定不能
MP:鑑定不能
スキル:鑑定不能
状態異常:長期間にわたる拘束および魔法干渉の影響により、
著しい精神破壊および肉体損壊が発生している
光が消えた瞬間。
――言葉を失った。
ミストルティン様から話は聞いていた。
けれど、それでも。
予想を遥かに上回る――あまりにも酷い状態だった。
喉が、わずかに張りつく。
「……鑑定不能です」
自分でも驚くほど、声がかすれていた。
「ただ、長期間の拘束と魔法干渉によって……精神と肉体が破壊されていることだけは、特定できました……」
室内の空気が、重く沈む。
「何もわからないよりはマシ……と言うべきだろうか……」
誰の言葉だったのか、はっきりとは分からない。
だが、その場の全員が黙り込むほどの衝撃だった。
やがて、アル様が低く問う。
「一応聞くが……クロノの魔法で復元はできないのか?」
「できるとは思うよ。でも、期間による」
静かな声。
「アルの話だと……何千万年前らしいんだけど……」
その言葉に、クロノ様はゆっくりと首を横に振った。
「残念だけど、そこまで昔のものを完全に復元するのは無理」
はっきりとした否定。
「……だよね」
神族ですらお手上げ。
その事実が、胸に重くのしかかる。
けれど――
ミストルティン様が一歩前に出た。
「なら、打ち合わせ通りいきましょう。精神を復元する魔法で、少しずつ戻していくしかないわね」
逃げ道はない。
だからこそ、進むしかない。
「じゃあ、いくよ……! 魂識再編!」
「魂識再編!」
ミストルティン様に続き、私も魔法を発動させた。
頭の中に、彼女の断片的な記憶が流れ込む。
何とかつなぎ合わせようと必死に集中する――だが、
「……ダメですね……」
「なにこれ……記憶領域まで壊されているってこと……?」
流れ込んでくる記憶は、驚くほど少なく、繋ぎ合わせようにも繋ぎ合わせられなかった。
そして流れ込んできた記憶の断片は、想像を絶する内容だった。
――これは、手に負えない。
私は深く息を吐き、魔法の手を止める。
「……精神の修復は、今回は諦めましょう」
私の言葉に、ミストルティン様も静かに頷く。
「無理に繋ごうとすると、逆に傷つけることになりかねません」
ならば、できることは一つ。
――肉体の安定化に集中するしかない。
私は手を差し伸べ、クロノア様とミストルティン様の補助を受けながら、魔力を集中させる。
「では……肉体の回復魔法、開始。肉躯再生!」
柔らかな光が空間に満ち、エルフの身体を包み込む。
光は傷ついた細胞や神経組織を修復するのではなく、理から外れて停止していた生命活動を自然な循環に戻すように流れ込む。
呼吸のリズムが整い、微細な体温の差も均される。
長く抑えられていた生命の営みが、静かに再び息を吹き返す。
アル様がそっと手を添え、経過を確認する。
「この分なら、安静にさえしていれば問題ないだろう」
私も肩の力を抜き、深く息をつく。
精神はまだ深層で保護されたまま。
だが、肉体は確実に安定した――生死の危険はなくなったのだ。
静かに光景を見守りながら、私は次の段取りを考える。
まずはこの子を安全な場所に保護し、安定した状態で意識を戻す準備を進めねばならない。
――ひとまずは、これで守れた。
今はそれだけで、充分だった。




