55話 王国の要請、毒の町②
王都を出発した日――。
まだ朝靄の残る石畳の門前に、幾台もの馬車が整然と並んでいた。
行き先は、王国南部。
海岸沿いを領地として治めるコルヴァン伯爵領。
王都から馬車でおよそ一週間。
なだらかな丘陵と街道を越え、やがて潮風の届く地へと向かう長旅だ。
「いってきます」
小さくそう呟いて、私は馬車へと乗り込んだ。
向かいの席にはアメリアお姉さま。
その隣でカイルがそわそわと落ち着かずに窓の外を覗いている。
「エレノア、無理はしないでね」
「ミストルティン様に戦闘の神様、エレノアのことを頼みます」
お父様とお母様は、お見送りのため南門まで来ていた。
今日から約一か月間。
鉄砲魚の調査と、強力解毒ポーションを使用した治療のため、生まれて初めて王都以外の町へ向かう。
「エレノア・フォン・レーヴェン並びにミストルティン様に敬礼!」
馬車が進み始めると、両脇に控えていた騎士団が一斉に敬礼し、王都をゆっくりと離れていく。
私たちの馬車の周囲には、王国騎士団と近衛騎士団がアリ一匹通さぬと言わんばかりの厳重な警備を敷いており、強い安心感があった。
「ねぇねぇエレノア様! 海って本当に地平線の向こうまで水なんですか!?」
「そうだよ。前世で見たことがあるけど……とっても広いの」
「す、すごい……!」
目を輝かせるカイルの隣で、メルは静かに微笑む。
猫耳がぴくりと揺れた。
南へ向かうにつれて、空気はほんの少しずつ柔らかくなっているのかもしれない。
そして、私の隣には――
「別に馬車じゃなくて転移魔法を使えばよくない? あんま馬車で移動するの好きじゃないんだよねー」
足を投げ出してぐったりしているミストルティン様。
「こういうのは体裁が大事なんですからね?」
即答すると、彼女は大げさにため息をついた。
「一週間も馬車で移動って、それこそ罰ゲームだよねー!」
「それだと視察になりません」
「まじめだなぁ、エレノアは」
くすくすと笑う姿は、神というより年上のお姉さんのようだ。
けれど――
馬車の外では状況はまったく違う。
重厚な鎧に身を包んだ騎士たちが、馬車を囲むように進んでいる。
前後左右、隙間なく配置された護衛。
王国騎士団の精鋭たち。
そのさらに外側には、目に見えぬ守りもあるのだろう。
私はそっと胸元のペンダントに触れた。
あの日、大地の精霊王様から授かった証。
ほんのりと温かい。
(……大丈夫)
不思議と、不安はなかった。
むしろ胸の奥にあるのは、静かな高揚感。
新しい土地。
新しい人々。
そして、錬金術を必要としているかもしれない誰か。
「一週間、かぁ」
アメリアお姉さまが窓の外を眺めながら呟いた。
「長い旅になりそうね」
「うん。でも――」
私は小さく笑う。
「きっと、楽しいよ」
馬車はゆっくりと王都を離れ、南へ南へと進んでいく。
遠くの空はどこまでも青く、
まだ見ぬ海の気配が、物語の次の頁を静かにめくっていた。
王都を発ってから、早くも四日が過ぎた。
最初の数日は、見慣れた平原と穏やかな街道が続いていた。
中央部に位置する王都は冬でも比較的温暖で、出立の日も澄んだ空気とやわらかな陽射しに包まれていた。
馬車の窓から見える景色はどこか親しみがあり、安心感すら覚える。
昼は街道沿いの町へ立ち寄り、宿で温かい食事を取り、
翌日の道中で食べられる軽食を買い込む。
焼きたてのパンに、香草を効かせた肉の燻製。
保存のきくチーズや果実の砂糖漬け。
「南の町は香辛料が少し強いのですね」
そう言いながらアメリアお姉さまが微笑み、
メルは新しい味に目を輝かせる。
夜は宿の一室で休み、翌朝また出発。
単調ではあるが、穏やかで心地よい繰り返しだった。
馬車の外では、護衛の騎士たちが常に周囲を警戒しながら進む。
規律正しい足並みと鎧の擦れる音が、旅の安全を実感させてくれる。
四日目の夜、立ち寄った町の宿の窓からは、遠くにうっすらと地平線が霞んで見えた。
「少し、空気が変わってきましたね」
カイルの言葉に、私も小さく頷く。
確かに、風がわずかに湿り気を帯びている。
五日目。
朝の空気が、明らかに違っていた。
馬車が進むにつれて、陽射しが一段と強さを増していく。
窓から差し込む光は白く、じりじりと肌を温めた。
王都でも寒さは厳しくなかったが、
南へ進むにつれ、その暖かさは確かな熱へと変わりつつある。
「……少し暑くなってきましたね」
メルがぱたぱたと手で風を送り、アメリアお姉さまが小さく笑う。
街道沿いの景色も少しずつ変わっていった。
木々の葉は厚みを増し、色もより濃くなる。
遠くには低い丘陵と、乾いた色合いの大地が広がっている。
昼に立ち寄った町では、魚料理が並び始めていた。
「海が近いのでしょうか」
皿に盛られた白身魚の香草焼きからは、ほのかな塩の香りが漂う。
王都ではあまり見かけない味付けだ。
夜に買い込んだのは、塩漬け肉と硬めのパン。
気温を考え、保存性の高いものが中心になる。
六日目。
朝から空気は完全に変わっていた。
馬車の窓を開けると、はっきりとした潮の匂いが流れ込む。
遠く――
かすかに、青が見えた。
「海……」
メルが思わず身を乗り出す。
地平線の向こうに、きらめく光の帯。
陽光を受けて、ゆらゆらと揺れている。
風は強く、どこか解放的だった。
騎士たちの外套も、潮風に揺れる。
ミストルティンは窓辺に肘をつき、楽しげに目を細めている。
「ふふ、いい風ね。南は好きよ」
その声音は軽やかで、けれどどこか満足そうだった。
街道には荷馬車の数も増えていた。
商人たちが行き交い、海産物や香辛料を積んでいる。
港湾都市が近いことを、誰もが感じていた。
王都から一週間。
明日には、目的地――バレンシアへ到着するだろう。
馬車は、南の光に包まれながら進み続ける。
七日目。
陽が高くなり始めた頃、馬車はゆるやかな坂を下り――視界が開けた。
眼下に広がるのは、碧。
どこまでも続く海と、幾重にも並ぶ帆船。
白い帆が風を受け、波間でゆったりと揺れている。
陽光が水面に砕け、無数の光となって瞬いていた。
「……すごい」
メルが思わず呟く。
港湾都市バレンシア。
城壁は白く、陽を受けて眩しいほどに輝いている。
赤茶の屋根が連なり、石畳の大通りには荷車と人の波。
魚を積んだ樽。
香辛料の袋。
異国の布を広げる商人。
潮の匂いと、熱気と、喧騒。
南の都市の鼓動が、そこにあった。
だが――
城門をくぐった瞬間、その喧騒が一瞬揺らぐ。
馬車を囲む騎士の数が、あまりにも多い。
重装の騎士が隙間なく周囲を固め、隊列は乱れない。
紋章入りの旗が風をはらみ、陽光を反射する鎧がまばゆく光る。
市井の人々が、はっと足を止める。
「なんだ……あの警備は」
「王都の騎士団だぞ……」
「誰が来たんだ?」
ざわめきが波のように広がる。
子どもが母親の裾を掴み、商人が荷を持ったまま固まる。
私は窓越しにその様子を見て、わずかに眉を下げた。
「……やはり、目立ちますね」
「当然です」
カイルは静かに答える。
「貴女様をお守りするのが、我々の務めですから」
淡々とした声音。だが一切の隙がない。
ミストルティンはくすりと笑い、窓の外を楽しげに眺めている。
「ふふ、まるで凱旋ね。悪くないわ」
その横顔はどこか誇らしげで、けれど飄々としている。
馬車は港の大通りを抜け、徐々に喧騒から離れていく。
やがて辿り着いたのは、海を見下ろす高台。
白壁と赤屋根の瀟洒な邸宅。
手入れの行き届いた庭園。
潮風に揺れる背の高い椰子の木。
門前には、整然と並ぶ使用人たち。
その中央に、一人の男が立っていた。
深い紺の礼装。
年は四十代半ばほどか。
落ち着いた威厳と、柔らかな微笑みを併せ持つ瞳。
馬車が止まる。
扉が開き、私が降り立つ。
男は一歩進み、優雅に一礼した。
「ようこそ、港湾都市バレンシアへ」
低く、よく通る声。
「私はオスバルト・フォン・コルヴァン。
この南部を預かる者にございます」
視線が、まっすぐにエレノアへ向けられる。
「陛下とは長き友誼を結んでおりましてな。
貴女様のことは、かねてより何度も伺っております」
口元に穏やかな笑み。
「聡明で、慈悲深く――
そして、我が国の未来を担う方であると」
周囲の使用人たちが一斉に頭を下げる。
風が吹き抜け、潮の香りが庭を満たした。
「長旅でお疲れでしょう。
この別荘を、どうかご自分の家と思ってお過ごしください」
その言葉に、打算は感じられない。
歓迎と、敬意。
南の陽光の下、
私たちのバレンシア滞在が、静かに幕を開けた。
門での挨拶を終え私たちは海が見える大きな窓がある応接間へ通された。
大きな窓の向こうには、青い海と港が広がっている。
白い帆船が行き交い、積み荷を下ろす様子まで見えた。
「改めまして、歓迎いたします」
オスバルト・フォン・コルヴァンは穏やかに微笑む。
「早速ですが、現在のバレンシアの状況をお話しさせていただきます。」
そう言うとオスバルト伯爵様は、執事に目配せをしテーブルの上に分厚い資料が置かれた。
「まず初めにですが、現在バレンシアに限った話ではないのですが王命により鉄砲魚の流通や口にすることを禁止されています」
「えぇ、知ってます。」
私が頷くと
「でしたら話が早いですね。
では、王命により禁止されているのにも関わらずなぜ流通しているのかについてご説明します。」
オスバルト伯爵様は資料を捲り私たちに見えるように向きを変えた。
「実は、流通そのものは一般の市場やレストランでは止まっています。
ですがーー」
「闇取引によって裏で流通している」
私がそう言うとオスバルト伯爵様は驚いた顔をしつつもにこやかに微笑んだ。
「陛下からお聞きした通りとても聡明な方ですね
まさしくその通りです。
元々鉄砲魚は、この街では昔からよく食べられてきた魚でそこまで値段がするものではありませんでした。」
「ですが、王命が出て以降——状況が一変しました」
オスバルト伯爵様は資料の一枚を指先で叩いた。
「禁じられたことで“幻の魚”となり、価格が高騰。現在では以前の五倍以上で取引されています」
「……なるほど」
禁止は、時に価値を吊り上げる。
「主な購入者は富裕層や一部の商人たち。
『自分は当たらない』『昔から食べてきた』という慢心があるようです」
港町の誇り。
それを王都が禁じた。
反発が出るのも理解はできる。
「捕獲は?」
「捕獲は浅瀬から沖まで幅広い範囲で捕獲しています。」
「そうですか……」
浅瀬から沖まで。
範囲が広いということは、群れごと無差別に獲っているということ。
つまり——選別なし。
私は窓の向こうの海を見た。
穏やかで、何事もないように見える青。
けれどその下には、種類の違う鉄砲魚が混在しているはずだ。
「捕獲した後の扱いは?」
「すぐに締め、氷詰めにして保管。その後、裏の料理人へ」
「解体は誰が?」
「専門ではありません。元漁師や料理人が自己流で」
やはり。
私は小さく息を吐いた。
「オスバルト伯爵様。この街の方々は——鉄砲魚が“当たる魚”である理由をご存じですか?」
「……体質の問題だと。あるいは鮮度」
予想通りの答え。
私は静かに首を横に振った。
「違います」
部屋の空気がわずかに変わる。
「鉄砲魚は毒を持つ魚です」
執事の手が止まる。
オスバルト伯爵様も、わずかに目を細めた。
「毒、ですか」
「ええ。しかも種類によって強さが違う」
私はテーブルに置かれた資料を指で押さえた。
「浅瀬にも沖にもいる、ということは——複数種が混ざっている可能性が高い」
「……つまり?」
「安全な個体と、極めて危険な個体が同じように並んでいるということです」
静寂。
遠くでカモメの鳴き声が聞こえた。
「さらに言えば、毒は全身に均等ではありません」
私は視線を上げる。
「強毒種は、肝や卵巣に特に強い毒を持ちます。例え少量であったとしても命に関わります
中には身であっても食べること自体危険な種類もいます。」
「……」
「今倒れている方々は、肝を食していませんか?」
オスバルト伯爵様は資料を捲る。
「……はい。重症者の多くが、珍味として肝を口にしています」
やはり。
「昔から食べてきた、という慢心があるのでしょう。
ですが——」
私は静かに告げた。
「昔と同じ個体とは限らない」
無差別捕獲。
種類不明。
部位無視。
それは賭けではない。
自殺行為に近い。
「押収された個体とかはありますか?」
私の問いに、オスバルト伯爵様は静かに首を横に振った。
「ありません。裏取引ゆえ、現物が残らないのです。
摘発に入った時には、すでに解体済みか廃棄されています」
「……なるほど」
実物がなければ種類の特定もできない。
だから“当たり外れ”のような扱いになる。
毒の存在すら正しく理解されないまま。
数秒の沈黙のあと、オスバルト伯爵様は資料を閉じた。
「そこで、お願いがございます」
「はい」
「明後日の朝、調査船を出します」
私は視線を上げた。
「調査、ですか?」
「表向きは通常の海域資源調査です。しかし実際は——」
一瞬、声を落とす。
「鉄砲魚の生息状況と捕獲実態の確認」
なるほど。
正式な理由を用意しなければ、街の反発を招く。
「浅瀬から沖まで広範囲を回ります。
その際、エレノア様に同乗していただき、実物の確認と鑑定をお願いしたいのです」
ようやく核心。
私はゆっくりと窓の外の海を見た。
青い水面。
静かな波。
あの下に、種類の異なる個体が混在している。
この世界の誰も知らない違い。
「捕獲は無差別?」
「現在はその通りです。群れごと網を入れています」
「……なら、調査は必要ね」
種類を分類。
毒性の確認。
危険種の特定。
それができなければ、禁止は続く。
そして裏流通も止まらない。
「明後日の朝、何刻に出航ですか?」
「日の出と同時に」
「分かりました。同行します」
オスバルト伯爵様は深く頭を下げた。
「感謝いたします」
私は静かに頷く。
治療だけでは終わらない。
根本を断たなければ、また倒れる者が出る。
静かな応接間で交わされた約束は、
明後日の海へと繋がっていくのだった。




