54話 王国の要請、毒の町①
色々な出来事があったキャンプを終え、またいつもの日常に戻った。
実験室に漂う薬草の香り。
毎日のお茶会――
すべてが、何一つ変わらない日常に思えた。
だが、その平穏そのものの時間は、突如として崩れ去る。
書物に囲まれた部屋で調べ物をしていると、不意に扉がノックされた。
振り返ると、お父様が立っている。
その表情は、いつもよりわずかに硬い。
「エレノア。陛下がお前に話があるそうだ。急で悪いが、王城へ一緒に来てほしい」
「わかりました……」
お父様の表情に小さな疑問を抱きつつ、侍女に着替えを手伝ってもらい、馬車へと乗り込む。
車窓から流れる風景は、いつもと変わらない。
それでも、突然の呼び出しに胸の鼓動は早まっていた。
――何か、やらかしたのかしら。
そんな考えが頭をよぎる。
だが答えは出ないまま、私は王城の門をくぐった。
そして、重厚な扉の向こうへと歩みを進めるしかなかった。
私たちが通されたのは、以前ポーションの商談で使った部屋ではない。
豪奢ではあるが、どこか落ち着いた雰囲気の応接室だった。
「陛下はただいま所用で席を外しております。少々お待ちください」
案内してくれた者はそう告げると、静かに退出する。
部屋には、お父様と私だけが残された。
沈黙が、やけに長く感じる。
「お父様は、何かご存じなのですか……?」
思い切って尋ねると、お父様は小さく首を振った。
「すまない……何も聞いていないんだ」
その言葉に、胸の奥がひやりと冷える。
不安は、確かな形を持って膨らんでいった。
三十分ほどが経過しただろうか。
扉が静かに開き、宰相様と陛下、そして見知らぬ男性が入室された。
陛下の姿を認め、私とお父様は立ち上がろうとする。
「そのままでよい。それより、急に呼び出してすまなかった」
低く落ち着いた声が、私たちの動きを止めた。
陛下の一言で、私たちは再び腰を下ろす。
やがて陛下と宰相様、そして初めて見る男性も、それぞれ向かいのソファへと腰を落ち着けた。
「先日は助かった。本来であれば褒美を与えるところだが……少々、厄介なことが起きていてな」
陛下はそう切り出す。
「厄介なこと……ですか?」
思わず問い返してしまう。
すると、隣に座っていた見知らぬ男性が、にこやかに口を開いた。
「お初にお目にかかります、エレノア嬢。私はこの国で農林水産大臣を務めております、リヒャルト・フォン・エルフェンと申します。以後、お見知りおきを」
丁寧な物腰だが、その目は笑っていない。
「先日、鉄砲魚の流通および食用を禁ずる王命が出されたことは、ご存じですね?」
「えぇ……聞いております」
「ならば話は早い」
大臣は一呼吸置き、再び口を開く。
「実は、鉄砲魚の主な産地であるコルヴァン伯爵領――とくに港湾都市バレンシアにて、王命を守らず口にした者が、毒により命を落とす事例が後を絶ちません」
その言葉に、お父様の表情がさらに険しくなる。
そして陛下が静かに口を開いた。
「今回、エレノア嬢に頼みたいのは二つ。鉄砲魚の調査への協力、そして港湾都市バレンシアに赴き、強力解毒ポーションを現地で製作し、治療にあたってもらうことだ」
「ちょっと待ってください!!」
突然、お父様が立ち上がった。
「いくら何でも、まだ六歳のエレノアを港湾都市バレンシアへ向かわせるのは反対です! 現地で何かあった場合、いったいどうなさるおつもりですか!」
「レオンハルト、落ち着きなさい!」
宰相様が制止に入ろうとするが、陛下は静かに手を上げてそれを止めた。
「止めなくてよい。レオンハルトの言は当然だ」
陛下は、真正面からお父様の怒りを受け止める。
「余も本来であれば、エレノア嬢を派遣することには消極的であった。ましてや、王命に背いた者へ慈悲を与えるべきではないという理も理解している」
一瞬、室内が重く沈む。
「だが――患者は増え続けている。このままでは、港湾都市のみならず周辺領地にまで混乱が広がりかねぬ」
王の声は低い。だが、その響きに迷いはなかった。
「これはもはや、王命違反者の問題ではない。国の問題だ」
「しかし、あまりにもリスクが大きすぎます!」
お父様の声が、はっきりと震える。
「それこそ、またエレノアが誘拐でもされたら……! 我が国にとって計り知れない損失となりましょう!」
部屋の空気が一変する。
誘拐――その言葉に、宰相様の表情もわずかに強張った。
お父様は、もはや貴族としてではない。
父として立っている。
「レオンハルト……」
陛下が静かに名を呼ぶ。
怒りでも威圧でもない。ただ、重く、深い響きだった。
「余の個人的な私情を挟めば、エレノア嬢に危険な橋を渡らせたくないし、両親の元から短期間で引きはがすべきでもないと思っている。
だが、レオンハルトが言ったように、エレノア嬢はもはやこの国にとって、最も大切な宝なのだ」
そう言うと陛下はゆっくりとソファから立ち上がり、お父様に向かって深々と頭を下げた。
「レオンハルトよ、頼む! エレノア嬢は余の名に懸けて必ず守り抜く。どうか、今回の依頼を引き受けてもらえないだろうか」
その光景に、宰相様と大臣も立ち上がり、深々と頭を下げた。
「エレノア嬢に指一本触れさせぬよう、厳重警護をつけることを約束する! どうかよろしく頼む!」
「わかりました……ですが、一度この話は自宅に持ち帰ってもよろしいでしょうか。家族で話し合ってからお答えいたします」
その言葉に、陛下や宰相様たちはゆっくりと頭を上げた。
「本当にすまない……返事は、ゆっくりで構わない」
王城を後にした私は、お父様と共に馬車に乗り込み、屋敷へと戻った。
車窓から流れる景色はいつもと変わらないのに、心の中は先ほどの会話で少しざわついていた。
屋敷に着くと、使用人たちも集まり、さっそく話し合いの準備が始まった。
家族で今回の王国からの依頼の内容を整理し、リスクや安全策を確認する必要があった。
お父様は慎重に意見を述べ、母上も耳を傾けながら、私の安全を第一に考えていた。
私は自分の考えを伝えつつ、どこまで現場で動くべきかを思案する。
「いくら王命ではないと言えど、了承した方がいいんじゃないかしら……」
母上が静かに口を開いた。
「そうなんだよな……陛下には頭まで下げられたし、断りづらい……」
お父様が重い声で答える。
「だが、エレノアの安全を考えると、どうしても素直には承諾できない」
屋敷中の人間が解決の糸口を探して静まり返っていると、場の雰囲気にそぐわない明るい声が響いた。
「あー! エレノア、いつの間に帰ってきたの?」
ミストルティン様だった。
「ミストルティン様……いらっしゃっていたのですね」
静かにお父様はミストルティン様を歓迎した。
「お茶会しようと思って来たら、エレノアがいないからびっくりしちゃったよ!
それでみんな、なんだか暗い顔して……何かあったの?」
ミストルティン様の問いに顔を合わせるお父様とお母様。
「実は……」
お父様は、今日の王城での出来事や依頼内容を全てミストルティン様に伝えた。
港湾都市バレンシアへの派遣、その地で強力解毒ポーションを作り、患者を治療してほしいこと――すべてだ。
話を聞き終えたミストルティン様は、静かに口を開いた。
「なるほどねー! ならちょっと待ってて」
そう言うと、ミストルティン様は軽やかに転移魔法を使い、どこかへと姿を消した。
その様子に屋敷中がポカンとする中、家族は気を取り直して話し合いを続ける。
「仮にバレンシアへエレノアを派遣するとして、誰を従者として連れていくかだな……」
「そこも問題よね……現状、エレノアの従者はカイルとメルとアンナの三人。
護衛は王城が用意してくれるにしても、少し心もとないわ」
お母様が零すその言葉に、お父様も深く頷く。
「かといって、ミストルティン様や大地の精霊王にお願いするわけにもいかないしな……」
話し合いは完全に暗礁に乗り上げ、解決の糸口は見つからず、ただ時間だけが過ぎていった。
「もう、陛下にお断りした方がいいんじゃないかな……」
「私も、そう思ってきたわ……」
しばらくの沈黙の後、私はそっと口を開いた。
「私は、バレンシアへ行ってもいいんだけど……」
その言葉に、お父様とお母様は顔を上げ、私を見つめた。
「エレノアはまだ六歳なのよ? いくら本人が希望したとしても、簡単に解決する話ではないのよ」
「そうだな……」
お父様は重い息をつき、私の肩に手を置いた。
「……気持ちはわかる。だが、今はまだ無理だ。君の安全を守るのが第一だ」
「……うん、わかってる」
お母様も頷き、私を抱きしめた。
「あなたがどれだけ強くても、まだ六歳なのよ。私たちが送り出すことはできないわ」
私は少し寂しさを感じながらも、二人の決意の強さを理解した。
今回の話は、家族の安全を最優先に考え、送り出すことはできない──それが現実だった。
「ただいまー! ちょーっとだけ王城に行って話を聞いてきたよー!」
方針が決まりかけたその瞬間、明るい声とともにミストルティン様が再び現れた。
「色々話を聞いてきたけど、その話、私が引き受けてもいいわよ?」
その言葉に、お父様もお母様も一瞬目を見開き、場の空気がふっと和らいだ。
「しかし、ミストルティン様の手を煩わせるわけには……
それに、先日キャンプにルーカス達をお願いしたのに、頼りっぱなしになるのは……」
お父様の言葉に、ミストルティン様はにこやかに微笑み、ゆっくりとお父様の近くまで歩み寄った。
「私たち神族の今の最重要任務は、エレノアをしっかり守りサポートすることです。
その任務を遂行できるなら、やるまでですよ。
まぁ、ついでにバレンシアの方に用事もあるから、別に構わないってのもあるけどねー」
少し真面目な表情に変わり、ミストルティン様は続けた。
「ついでに、人間の王から伝言も預かってきたわ。
エレノアを王国騎士団と近衛騎士団を護衛に回すそうよ。
それに加えて、私たち神族が常に二人以上で護衛する。
もしエレノアになにかあっても、私たちなら蘇生だってできる。
だから、そこまで不安にならなくて大丈夫じゃないかしら?」
お父様とお母様は、ミストルティン様の言葉に少しずつ安心した様子を見せた。
「なるほど……それなら危険は最小限に抑えられそうだな」とお父様。
「エレノアの安全が確保されるのなら、少し考え直してもいいかもしれませんね」とお母様も頷く。
私は少し胸をなでおろした。
「それなら、バレンシアへ行っても……」
「えぇ、エレノアが行くなら私もついていく!」
そう、アメリアお姉さまが自然に口を挟んだ。
お姉さまにとって私は妹であり、守るべき存在。従者ではないけれど、行けるならついていく──その意志は揺るがなかった。
お母様は少し驚きつつも微笑む。
「アメリア……行くのね。妹思いなのはありがたいけれど、無理はしないでね」
「大丈夫よ、お母様。エレノアと一緒ならどこへでも行けるわ!」
話し合いは、次第に具体的な同行者の選定へと進む。
従者としては、いつも私を支えてくれるメル、錬金術の補助としてカイルが選ばれた。
アメリアお姉さまは妹として同行することを決意。
ミストルティン様はにこやかに頷き、同行する全員の安全を確認しながら、神族としての護衛も配置することを約束してくれた。
こうして、私たちのバレンシア派遣は正式に決まった。
王国騎士団、近衛騎士団、神族──そして家族も含めた最強の布陣で、危険に備えることができる。
少しの不安はあったけれど、家族と神族、そして従者たちと一緒なら――きっと大丈夫。
私は深く息を吸い込み、心を落ち着けた。




