閑話 職を授かる儀式のあとで
職業神から職を授かる儀式の後――。
エレノアはどこか様子がおかしかった。
いつも明るく元気いっぱいの娘なのに、今日は顔を俯けたまま何も言わない。
どこか、子供っぽくない――。きっと、なにかあったのだろう。
家に帰るなり、エレノアは自分の部屋に閉じこもってしまった。
声をかけたい――。何があったのか、聞きたい――。
しかし、私も妻も声を掛けることができず、ただ背中を見つめるしかなかった。
思えば、この一週間、儀式が近づくにつれて、娘の表情はどんどん硬くなっていた。
最初は「初めてのことで不安を感じているのか」と思っていた。
だが、儀式が終わった今、自室に閉じこもるということは――ただの緊張や不安ではない、別の何かがあるのだろうと二人は感じていた。
私はため息をつき、心の中で静かに呟く。
「……何があったのか、聞いてやれればいいのだが」
妻もそっと肩に手を置き、優しく微笑む。
「焦らなくてもいいわ。娘なりに整理する時間が必要なのかもしれない」
二人は黙って、部屋の扉の向こうにいる娘を見守った――。
夕食の時間になっても、エレノアは自室に閉じこもったままだ。
使用人たちはそっとため息を漏らし、家中で心配の声が上がった。
「エレノア様が体調を崩されることなんて、これまでなかったのに……」
ルーカスとアメリアも、いつもより落ち着かない様子で食事を取る。
二人は互いに顔を見合わせ、心配そうに小さく頷いた。
食後、エレノアの部屋に行こうとしたが、私と妻に「今はそっとしておきなさい」と諭され、じっと我慢した。
――きっと明日の朝には、元気な姿を見せてくれるだろう。
淡い期待を胸に抱きながらも、家中の使用人たちは慌ただしく動き回っているのに、屋敷全体に静けさが漂っているのを感じた。
エレノアの部屋の扉の向こうでは、まだ暗い空気が支配している――。
夜が更け、静けさが支配する頃、私も妻も眠れずにいた。
娘のことが心配で、何度も声を掛けようかと思った。
すると妻が小さな声でつぶやく。
「そういえば、エレノアは何の職を授かったのかしら……」
思えば、教会で何の職を授かったのか聞こうとしたときに騒ぎが起き、そこから娘に聞くタイミングを逃していた。
「うちは魔導師の家系なんだから、もちろん魔導師……」
と言いかけたとき、あることに気づいた。
――魔導師の家系なのに、魔導師ではない職を授かったのではないか――。
その可能性に、二人は小さな衝撃を感じる。
もしかしたら、それが原因で、エレノアは自室に閉じこもっているのかもしれない――。
「ねぇ、フィオナ……もしかしたら、エレノアは魔導師ではない職を授かったんじゃないか……?」
数秒の無言が続き、妻が口を開く。
「実は私もそれを考えていたのよね……。あの子、どこか大人っぽい考え方をするし、儀式の前から妙に落ち着いていて……。まるで、自分の中で何かを決めているみたいだったもの」
私はその言葉に小さく頷く。
「……それなら、余計に混乱しているのかもしれないな。家系や期待される職業と、授かった職業との間で」
妻はしばらく考え込むように黙り込み、やがて静かに言った。
「……でも、私たちには今、ただ見守ることしかできないわね。焦らず、あの子が自分の気持ちを整理する時間を持たせてあげましょう」
そう言いながらも、二人の胸の奥には、まだ小さな不安がくすぶっていた――。
その時――廊下から扉が開く音がした。
気づかれないように扉をそっと開け、隙間から覗くと、エレノアが居間の方に向かって歩いているのが見えた。
その姿は不安で押しつぶされそうになっていて、どこか元気がない――そんな姿だった。
妻にエレノアが居間に向かって歩いていることを告げ、二人で様子を見に行くと、テラスで花壇を眺めながら俯いている光景を目にした。
影から様子を見ていると、ため息混じりで何かを言っているようだった。
私と妻は目を合わせ、意を決してエレノアのいるテラスへと向かった。
扉を開けると、エレノアはすぐに気づいた――が、何も言わない。
私と妻でエレノアを挟むように並ぶも、沈黙は続く。
やはり、言いづらい何かがあるのだろう。
だが、親として、子が不安に思っていることを取り除く義務がある。
意を決し、私は話しかけた。
「なぁ、エレノア。なにかあったのかい?」
返事はすぐには返ってこなかった。
すると妻がエレノアの小さな手を包み込むように差し伸べた。
「エレノア。黙っていると、自分が余計に辛くなるだけよ。
大丈夫。絶対に怒ったりしないから、話してごらんなさい」
少しの沈黙のあと、エレノアはやっと口を開いた。
魔導師の家系なのに、授かった職は錬金術師――。
この家から追い出されたり、冷遇されるのではないかという不安が、娘には荷が重すぎたのだ。
娘の言葉一つ一つが、長い間の自問自答の重みを感じさせる。
だが私と妻は、錬金術師という職が、エレノアにとても似合っていることを知っていた。
思えば五歳にして読み書きができ、家中の本を読み漁り、新しい知識を得ることが好きだった。
五歳の子供にしては異常とも言える知識欲――その資質こそ、錬金術師に向いていたのだ。
確かに、世間的には錬金術師は貴族家にとってプラスにならない、あまり好まれない職業かもしれない。
だが、どんな職業であろうと、親が子を支え、手を差し伸べるのは当然の責務だ。
私と妻は、子のためならどんな困難も乗り越える覚悟で、そっと手を差し伸べた――。
すると今まで抱えいていたものがどんどんと溢れていく。
その様子を見て、とてもつらい思いをさせてしまったのだと感じた。
私と妻はエレノアを優しく抱きしめ、全てを受け入れる。
「エレノア。お前には、いつでも帰る場所がある」
そう言うとエレノアは泣き出してしまった。
普段あまり感情を剥き出しにすることのないエレノアが、泣くほどに重い荷を背負っていたのだ。
暫くの間抱きしめ合っていると、エレノアが花壇の方向に視線を移動したのに気づいた。
私は視線の先を追ったが、そこには何も見えない。
しかし、空気の奥から微かにざわめくような、目に見えない何かの気配が感じられた。
風でもなく、影でもない――けれど確かに、何かがそこにある。
妻もその気配に気づいたようだが、何も見えず、私の顔を見て小さく頷くばかりだった。
「……感じるかしら?」
妻の声に、私はうなずくしかなかった。
目には見えないけれど、確かにそこにある、神秘的で、世界の奥から漂う気配。
エレノアはその気配に目を向け、じっと見つめている。
涙で濡れた顔に光が差し込むように、ほんの少し安堵の色が混じっている――
彼女だけが見ている、言葉にできない何か。
エレノアはそっと手を伸ばすように花壇の方を見つめる。
花々は、まるで彼女が感じている気配に応えるかのように、微かに揺れている。
私たちにはただの花にしか見えないが、彼女には何かがそこにいる――世界の片隅に潜む神秘そのものが、ほんの一瞬だけ姿を現したようだった。
夜の風に乗って漂う、言葉にできない神秘的な気配。
それを感じ取りながら、エレノアは自分の足で前に進む力を、少しずつ取り戻しているように見えた。
私も妻も、ただその場に立ち尽くし、彼女が見つめる神秘の余韻を静かに感じるしかなかった――。
世界のどこかで、目には見えない何かが、彼女の未来をそっと照らしているような気配だった。




