49話 キャンプの魔法、友情の香り⑥
ひとしきり遊び終え、テントへ戻ってきた私たち六人――
空は鮮やかなオレンジに染まっていた。
「もう少し遊びたかったなー」
カイルは、遊び足りないようで唇を尖らせながら呟いた。
「もう夕方よ。暗くなったら危ないでしょ」
アメリアお姉さまが、少し呆れたように微笑む。
川のせせらぎは、さっきまでの賑やかさが嘘のように静かになっていた。
オレンジ色に染まった空が、ゆっくりと群青へと変わり始めている。
びしょ濡れだった服も、だいぶ乾いてきた。
けれど体にはまだ、ひんやりとした水の感触が残っている。
「でも、楽しかったね」
メルがにこっと笑うと、自然と私も頷いていた。
本当に、楽しかった。
何も考えず、ただ笑って、水をかけ合って。
こんな時間が、ずっと続けばいいのに――
そんなことを思いながら、私は茜色の空を見上げた。
完全に日が暮れる前に、私たちは焚き火の準備を始めた。
乾いた枝を集め、少し太めの薪を組み上げる。
川辺の空気はすでに少し冷たくなり始めていて、焚き火の温もりが恋しくなる時間帯だった。
「火、つけるね」
小さな炎がぱちりと弾け、やがて赤く揺らめく。
その光に照らされて、みんなの顔がほのかに染まった。
「さてと……夕食どうする?」
カイルが腕をぐるぐる回す。
「せっかくだし、何か狩る?」
ルーカスの一言に、私とメルも顔を見合わせる。
キャンプといえば現地調達。
その辺の森に入れば、小型の魔物くらいはいるはずだ。
「じゃあ、手分けして――」
そう言いかけた、そのとき。
「必要ないよ」
穏やかな声とともに、空間がふわりと揺れた。
振り向くと、そこには当然のような顔をしたミストルティン様。
その足元には、見覚えのある箱と袋がいくつも並んでいる。
「え……それ、何ですか?」
「バーベキューセット一式。それと、ちょっといいお肉」
さらりと言ってのける。
箱を開けると――
網、炭、着火剤、紙皿、紙コップ。
そして――
霜降りの、とんでもなく上質そうなお肉が、整然とパック詰めされていた。
「…………」
私たちは無言で顔を見合わせる。
「え、狩りに行かなくていいの?」
カイルの問いに、ミストルティン様はにこりと笑った。
「スーパーで全部揃う時代だからね」
いや、ここ異世界なんだけど。
「すーぱー?」
アメリアお姉さまが首を傾げる。
私だけが、頭を抱えた。
「この世界だと、お肉はお肉屋さんで買うよね? エレノアの世界には“スーパー”っていうお店があって、そこだとお肉から野菜に調味料まで何でも売っているんだよ!」
「エレノアの前世は、色々と便利なんだな」
感心したように、ルーカスお兄様が頷く。
「……どこで買ってきたんですか」
「ちょっと向こうの世界まで。エレノアの前世の家の近く、地下鉄と直結していた西友だよ」
「なんでそんな具体的なんですか!?」
さらっととんでもないことを言う。
「ちょうど特売日でね。霜降りが安かった」
「見なくていい記憶まで見てませんよね!?」
「はい、というわけで今日は安全・安心・高級肉のバーベキューです」
夕暮れの川辺に、歓声が響いた。
……この人、絶対どうでもいい記憶も覗いている気がする。
そしてミストルティン様は、前世では特別な日じゃないと食べない霜が降ったサーロインステーキから焼こうとしているのが目に入った。
「ちょっと待って! お肉は焼く順番があるんだけど!」
「えー、いいじゃん!」
「よくありません! 物によっては網の汚れでお肉の味が落ちます!!」
そう言ってスーパーのレジ袋を漁ると、案の定、先に焼くべきお肉が出てきた。
「やっぱりあるじゃないですか! 仙台牛タン!!」
「せんだいぎゅうたん?」
メルが首をかしげる。
「仙台は、私が住んでいた街の名前。牛タンは牛の舌だね……私の住んでいた街の名物なの」
「舌?」
「うん。でも、変な味はしないよ。むしろさっぱりしてて、最初にぴったりなんだから」
半信半疑の視線を受けながら、私は網の上に牛タンを並べる。
じゅっ――と、軽やかな音が弾けた。
薄切りの肉がくるりと反り、炭火の上で小さく震える。
「わ……いい匂い」
メルが目を輝かせる。
「焦がしすぎないのがコツなんだよ。さっと焼いて、ひっくり返して、もう一度さっと」
気づけば、私は真剣な顔でトングを握っていた。
「結局エレノアが焼くんだな」
ルーカスお兄様が苦笑する。
「だって任せると、いきなりサーロイン乗せる人がいるんですもん」
「聞こえているよ?」
ミストルティン様は楽しそうに笑いながら、どこからともなく籠を取り出した。
中には、川の水で冷やしていたらしい瓶入りのジュースが入っている。
表面には細かな水滴がびっしりとついていた。
「はい、こちらも向こうの世界産。よく冷えているよ」
「準備が良すぎません?」
「キャンプは段取りが大事だからね」
あなたがそれを言いますか。
そんなやり取りをしているうちに、牛タンがちょうどいい焼き色になった。
「はい、どうぞ」
まずは一枚、アメリアお姉さまに差し出す。
恐る恐る口に運び――
「……!」
目が大きく見開かれた。
「やわらかい……それに、さっぱりしているのに旨味があるわ」
「でしょ?」
次々に手が伸び、網の上の牛タンはあっという間になくなっていく。
川辺に、笑い声と炭のはぜる音が重なった。
前世の街の名物を、まさか異世界の川辺で焼くことになるなんて。
でも――
悪くない。
そんなことを思いながら、私は次の一枚を網に乗せた。
「よし! 牛タン終わったし次は、カルビかな?」
値下げシールの貼ってあるパックを開け、一枚一枚網の上へと乗せる。
じゅう、と脂が落ちる。
「値下げシール……これ、夜に行けば半額になってるのに……」
何気ない呟き。
ミストルティンはその横顔を見つめ、ふっと微笑んだ。
「……変わらないね」
「え?」
「損をしないように、誰かの負担を減らそうとしてた」
からかいはない。
ただ、優しく懐かしむ声音。
「前世でもそうだった」
エレノアの手が、ほんのわずかに止まった。
「……見てたんですか」
「ずっと」
静かな一言。
炭が弾ける音だけが響く。
「でも今日は気にしなくていい」
視線が肉ではなく、エレノアへ向く。
「私が選んだ。エレノアに美味しいって言ってほしくて」
大袈裟でもなく、茶化しでもない。
ただ真っ直ぐ。
エレノアは少しだけ視線を逸らし、カルビを返す。
「……ずるいですよ、そういう言い方」
「知ってる」
柔らかく笑う。
自由奔放だけど、空気は壊さない。
好きだけど、騒がない。
神だけど、距離は近い。
カルビの焼ける匂いが、ふわりと広がった。
皿の上には、すでに焼き上げた肉がいくつも重なっている。
牛タンの皿は半分ほど空き、カルビの甘い脂の余韻がまだ香る。
ハラミも、ロースも、きちんと役目を果たした。
空はすっかり茜から群青へと変わり、川面には星が映りはじめている。
焚き火の明かりがなければ、互いの表情もはっきりとは見えない時間だ。
それでも――
「……最後はこれですね」
エレノアが取り出したのは、厚みのあるサーロイン。
今までの肉とは、少しだけ扱いが違う。
「主役は遅れて来るものだ」
ミストルティンが、どこか楽しげに言う。
エレノアは塩を振りながら、じとりと視線を向けた。
「……最初に焼こうとしてたの、誰でしたっけ?」
「確認だよ」
「網の中央に置きかけてましたよね?」
「主役の立ち位置を把握していただけだ」
「完全に焼く流れでした」
一拍。
ミストルティンは肩をすくめ、素直に笑う。
「でも最後に回したのは正解だった」
さらりと認める。
「エレノアが決めた順番なら、それが一番いい」
その一言で、空気が柔らかく落ち着いた。
じゅわああ……。
厚みのある音が、夜に溶ける。
脂が落ちるが、炎は暴れない。
これまで焼いてきた積み重ねが、火を整えている。
「今までの積み重ねがあって、最後が上手くいく」
ミストルティンがぽつりと呟く。
エレノアは肉を返す。
完璧な焼き色。
少し休ませ、ナイフを入れる。
すっと刃が通る。
断面は、淡い桜色。
肉汁がじわりと滲む。
「……これは」
メルが思わず息を呑む。
皿に並べる。
夜の空の下、最後の一皿。
「いただきます」
エレノアが一切れ口に運ぶ。
噛んだ瞬間――
「……っ」
じゅわ、と肉汁が溢れる。
「なにこれ……すごい……!」
「口の中で溶けます……!」
メルが目を見開く。
「こんなお肉、食べたことない……!」
アメリアも珍しく声を上げる。
「脂が重くない……甘い……」
エレノアは、ほんの少しだけ胸を張った。
「だって、そのお肉……私の故郷だと、特別なお店で出されるくらいの品質なんです」
「特別なお店?」
「目の前の鉄板で、熟練の料理人さんが一番美味しい焼き加減に仕上げてくれるようなお店です」
メルとアメリアが目を丸くする。
「そんな場所で出るお肉……」
「簡単には食べられませんよ?」
エレノアは小さく頷く。
「私の住んでいた街の名を冠した牛なんです。お祝い事とか、特別な日に食べるような」
少しだけ懐かしさが混じる声音。
ミストルティンはゆっくりと一切れ口へ運ぶ。
静かに噛む。
目を細める。
「……うん」
それだけだったが、次の瞬間、小さく息を吐く。
「エレノア」
「はい?」
「肉は確かに格が違う。だが――」
もう一口。
「焼きが完璧だ」
まっすぐな視線。
「肉汁を閉じ込めたまま、余計な水分は飛ばしている。火の入り方も均一だ」
神の分析は的確だ。
「つまり?」
エレノアが少しだけ挑むように聞く。
「つまり、最高だ」
素直な結論。
エレノアは視線を逸らしながら、もう一切れ口へ。
「……良かった。高いお肉を台無しにしなくて」
「高いのか」
「とても」
「なるほど。ならば尚更、今この場で食べる価値がある」
静かな笑み。
「特別な肉を、特別な時間に使う。理にかなっている」
夜の気配が濃くなる。
川の音と、炭のはぜる音。
「まだ他にも焼いたけど」
メルが笑う。
「でも、やっぱり締めはこれですね」
誰も否定しない。
満腹なのに、最後の一切れは特別だった。
ミストルティンが静かに言う。
「またやろう」
「……はい」
短い返事。
夜はすっかり深まり、炭はゆっくりと白くなっていく。
一日の締めくくりは、穏やかに、満ち足りて終わっていった。




