46話 キャンプの魔法、友情の香り③
清流のせせらぎが、耳に心地よく響く。
木々の葉が揺れ、木漏れ日が川面にきらきらと反射する。
空は高く、雲はゆったりと流れ――まるで世界そのものが深呼吸しているみたいだった。
「まずはお昼にしよっか!」
私がそう言うと、
「待ってましたー!」
カイルが勢いよく手を挙げる。
「……テントより先に食事とは。さすがエレノアだな」
ルーカスお兄さまは呆れたように言うけれど、どこか楽しそうだ。
「正解。空腹は思考力を奪うからね」
いつの間にか私の隣に座っていたミストルティン様が、当然のように言った。
「……近いです」
「近くないと落ち着かないんだけど?」
にこり、と笑う。
その無邪気さはいつも通り。
――いつも通り、のはずなのに。
私は一瞬だけ、南東の森の方へ視線を向けてしまった。
ほんのわずか。無意識のうちに。
「エレノア?」
名前を呼ばれて、はっとする。
「な、なんでもないです」
急いで笑顔を作ると、ミストルティン様の視線が一瞬だけ鋭くなった。
けれどすぐに消え、何事もなかったかのようにバスケットへと手を伸ばす。
蓋を開けると、ふわりと香りが広がった。
焼き立てのパンに、ハーブチキン。
彩り野菜のマリネに、甘い果実のタルト。
「わぁ……すごい」
メルが嬉しそうに声を上げる。
「屋敷で少し遅めに作ったから、味は落ちてないはずだよ」
「落ちてないどころか最高だろ」
ルーカスお兄さまが即答する。
みんなで「いただきます」をして、賑やかな食事が始まった。
笑い声。
川の音。
木々のざわめき。
今は平和。
本当に、平和。
……なのに。
「エレノア」
静かに、アメリアお姉さまが呼ぶ。
その声は柔らかいのに、どこか確信を帯びていた。
「なんでさっきから森のほうを見ているの? それにここへ来る途中、ミストルティン様と一緒に止まっていたわよね?」
……やっぱり、気づいてた。
私は一瞬だけ言葉を探す。
ミストルティン様は何も言わない。
ただ、面白そうでもあり、少し困ったようでもある顔で私を見ている。
「え? 止まってたってどういうことだ?」
ルーカスお兄さまが首を傾げる。
「街道の途中よ。二人だけ、同時に」
アメリアお姉さまの視線はぶれない。
「そんなことないよー?」
ミストルティン様がそう言い、焼きたてのパンを頬張る。
もぐもぐと、いかにも“関係ありません”という顔。
「それ、誤魔化している時の反応だわね」
即答だった。
ルーカスが吹き出す。
「え、そうなのか?」
「ええ。視線を合わせないで食べ物に逃げるのは典型的よ」
ぴしゃり。
ミストルティン様の動きが一瞬止まる。
「……観察力が鋭すぎない?」
「褒め言葉として受け取っておきます」
にこり、と完璧な微笑み。
けれどその瞳は、まっすぐこちらを射抜いている。
「エレノア」
「しょうがない……これ以上隠し通すのも難しそうだし話すかー」
観念して肩をすくめると、ミストルティン様がくすっと笑った。
「みんなはさ、魔軍激突の原因ってわかる?」
突然の問いに、カイルが首を傾げる。
「魔物がいっぱい出てくるやつ!」
「それは結果だ」
ルーカスが即座に訂正する。
アメリアお姉さまは少し考えて答えた。
「上位種や亜種が他の魔物を統率して街や人々を襲う……だったかしら」
「うん、大体は合ってる」
そう言いながら、ポットのお茶をマグカップへ注ぐ。
とくとく、と静かな音が流れる。
「じゃあ、その魔軍激突の根本的な原因があるといったらどうする?」
空気が変わる。
ルーカスの眉が寄る。
「……根本?」
「上位種が突然凶暴化する理由。群れが異常な統率を見せる理由。発生地点に偏りがある理由」
私はゆっくりと言葉を選ぶ。
「魔軍激突の根本的な原因は、エングラムと呼ばれる“栄養みたいなもの”の流れが原因なの」
「栄養……?」
カイルが首を傾げる。
「世界を巡っている目に見えない流れ。大地にも、生き物にも、魔物にも、全部に染み込んでる」
マグカップを両手で包みながら続ける。
「エングラムは、少なすぎると大地や生命が維持できなくなるし、多すぎると逆に人間族が生きられなくなる。本来エングラムは、人間族にとっても魔物にとっても、ちょうどいい量が流れているんだ」
ルーカスがゆっくり息を吐く。
「均衡ってことか」
「うん。バランス」
「でも、それが崩れると?」
アメリアの問いは静かだ。
「少なすぎれば、最悪この世界は滅ぶ。――逆に多すぎても、人間族は生きられなくなる」
その言葉に、みんな黙った。
川のせせらぎ、風のざわめき。
いつもの午後なのに、空気だけが少し重い。
ミストルティン様は静かに微笑む。
「みんなはさ、古代魔法って知ってる?」
沈黙の中、ぽつりと投げかけられた問い。
軽やかな口調に、少しだけ緊張がほぐれる――けれど、問いの重みは消えない。
「古代魔法って、昔使われていた魔法体系のことだろ? エレノアが誘拐されたときにも使われたって聞いたが……」
ルーカスの声には、疑問と驚き、そして少しの畏怖が混じっている。
アメリアお姉さまは眉をひそめ、じっと私を見つめた。
ミストルティン様は小さく頷く。
「じゃあ、なんで古代魔法は使われなくなったと思う?」
アメリアお姉さまが考え込む。
「今の魔法のほうが、無詠唱で発動できるから……かしら?」
ミストルティン様は柔らかい笑みを浮かべつつも、瞳の奥には鋭い光が宿っている。
「実はね、古代魔法が原因で、一度この世界は滅んでいるの」
その言葉に、みんなの目が一瞬でミストルティン様に吸い寄せられた。
ルーカスは眉を寄せ、メルとカイルは小さく息を呑む。
アメリアお姉さまは微動だにせず見つめる。
「それって、どういう意味ですか……?」
メルは不安そうに、じっとミストルティン様を見つめる。
「古代魔法は、現代魔法とは違い、詠唱と術式が必要だ。
そして、術者の知識や技量によっては、世界を壊すことさえ可能な規模の魔法を行使できる」
その言葉には軽さはなく、淡々としているのに重みがある。
「それじゃあ……」
メルが不安そうにぽつりと口を開く。
ミストルティン様は微笑み、落ち着いた声で答える。
「そういうこと。長い年月をかけて世界を元に戻した時、古代魔法とは違う『現代魔法』と呼ばれる体系を人間に授けたの。
ただし、古代魔法に関する書物を完全に回収することはできなかったから、今でも多くの古代魔法に関する文献は残っている」
ルーカスとアメリアは真剣な表情で聞き入り、メルとカイルも身を乗り出して耳を傾けた。
「話を戻すけど、さっき私とエレノアが立ち止まったのは、エングラムの流れがおかしいことを感知したからだよ」
私はゆっくりと視線を巡らせる。
「俺には、何にも感じなかったけど……」
カイルが少し不安そうに肩をすくめる。
「普通の人間は、エングラムの流れなんて感知できないと思うよ。
それこそ、私や他の神族から加護を受けて能力が開花しないかぎり」
「加護を授かったからと言って、エングラムの流れを感知できるわけではないんですか……?」
私の疑問に、ミストルティン様は頭を撫でて答えた。
「そうだね、エレノアは他の人とは少し違うからね」
ミストルティン様の手が私の頭を優しく撫でる。
その温かさに、張り詰めていた空気が少しだけ緩む。
ルーカスもアメリアも、深刻な顔から少し表情を和らげる。
メルとカイルはまだ目を丸くしているけれど、肩の力が抜けてきたのが分かる。
「……さて、暗い話はここまでにしようか」
ミストルティン様がにこりと笑うと、空気がぱっと明るくなる。
「お昼も少し遅くなっちゃったし、まずはみんなで食べよう。それからキャンプの準備だよ」
私たちは互いに顔を見合わせ、ほっと息をつく。
川沿いの風が心地よく頬を撫で、今日の午後は穏やかに流れている。
昼食を終え、私たちはキャンプの準備を始めた。
「さて、テントからだね」
ミストルティン様がにこりと笑うと、空間収納から組み立て済みの二つの大き目なテントを取り出した。
「テント初めて見たけどこんなに大きいのね!」
「布製と違ってものすごく丈夫そうです!!」
アメリアお姉さまとメルは感動の声を上げる。
「こんな素材見たことないぞ……?」
「それに、かなり高そうなものだけど……」
ルーカスお兄さまとカイルは困惑していた。
「固定はみんなで手伝ってね」
ミストルティン様が言うと、私たちはペグを打ち込み、ロープを張る準備を始めた。
ルーカスとカイルは慣れない手つきでペグを差し込み、少し困惑気味。
アメリアとメルはテントの布地を広げながら、軽さと丈夫さに感動している。
私も手を動かしながら、ふと気づく。
……これ、絶対あっちの世界のものよね。
小学生や中学生の合宿で使ったキャンプ用のテントと同じ感触。
布の薄さ、骨組みの軽さ、丈夫さ……すべてが懐かしい。
「まさかね……」
そうつぶやく私に、ミストルティン様はくすりと笑った。
「折角キャンプをやるなら快適にしたいじゃん?」
その言葉で嫌な予感が、少しだけ的中する私だった。




