41話 毒を抱く宴、少女の秘策
連日の雨が王都を包み込んでいた。
石畳に跳ね返る水滴、軒先から落ちる雫の規則正しい音。窓を叩く雨音は、しとしとではなく、次第に強さを増している。庭の緑は濡れ、灰色の空が重く垂れ込めていた。
「……今日も雨か」
小さく呟き、私は肩をすくめる。
今日はポーションの納品日――
こんな雨の中、近いとはいえ、王城へ行くのは気が重い……
「でも、やらなきゃいけないことに変わりはないし、準備するか……」
私は小さく息をつき、雨の音を耳にしながら、納品の準備に手を伸ばした。
ーー王城・謁見の間
雨が降り続く中、王城に一人の面会希望者が現れた。
オスバルト・フォン・コルヴァン伯爵――
海沿いの領地を統治し、交易や水産業で栄える街を抱える。
「陛下、お久しぶりでございます」
「顔を上げろ、オスバルト。お前にそんなに畏まられると、こっちがやりづらいわい」
「では失礼して……久しぶりだな、セドリック」
一見すると王族に対する不敬なやり取りのように思えるかもしれないが、オスバルトとセドリックは王立学院で主席を争った間柄で、最も親しい友人だった。
王族と伯爵という身分の違いがあれど、国王となった今も度々やり取りを交わし、互いの屋敷へ遊びに行くほどの間柄である。
「今日はどうして王都に?」
「いや、北部の温泉地で少し休養を取ろうと思ってね。そのついでさ」
「温泉か……いいなあ。もう何年も行ってないわい」
「お前もたまには休んだらどうだ? 働きすぎは体に毒だぞ?」
「そうしたいのは山々だが、今は仕事が立て込んでいてな……」
そう言い、どこか遠い目をする。
「相変わらず仕事熱心だな……まあお前がいる限り、この国は安泰だな!」
そう言い、空間収納から箱を取り出した。
「これ! 土産な! 生魚の方は今日中に食べたほうがいいが、他は一週間くらいなら余裕で持つ。
最近、東の国の文化が入ってきてな。その東の国で用いられている保存方法を施してある。ヒモノというらしいが……」
「これまた美味しそうな魚だな! 見てるだけで涎が出そうだ!」
「生魚の方は鉄砲魚、繊細で本当に美味しいけど、たまに食あたりを起こすのが難点だな……
ヒモノの方は、ルミアスとオルヴァーンを二つずつだ」
「では、早速昼食にでも食べさせてもらうよ!」
「おう! 下で妻を待たせているから、そろそろお暇するわ。じゃあな!」
オスバルトが立ち去ると、王城の大広間には静けさが戻った。
しとしとと降る雨音の中、王は宰相を呼び寄せる。
「宰相、先ほどの手土産を調理場に回しておくように」
「承知いたしました、陛下」
宰相は箱を丁寧に抱え、厨房へと足早に向かう。
王の目は、料理人たちが作業する様子を静かに追っていた。
箱の中には、鉄砲魚とヒモノのルミアス・オルヴァーンが入っている。
鉄砲魚は繊細で、取り扱いを誤れば食あたりを起こす可能性がある。
ヒモノは保存が利くが、火を入れすぎると香りや食感が損なわれる。
「……気をつけろよ」
宰相が厨房に到着し、箱をシェフに手渡す。
「陛下より。生魚は今日中に、ヒモノは保存期間内で調理するように、と」
シェフは頭を下げ、慎重に箱を開く。
鉄砲魚の身は淡く光り、手に取るだけでその繊細さが伝わる。
ヒモノは香ばしい干し魚の香りを漂わせ、調理への期待感を煽る。
「了解です。王と家族の膳に、注意深く料理します」
厨房の音が雨音に混ざり、静かな昼食の準備が始まった。
王は再び席につき、窓の外の灰色の景色を眺める。
雨は連日降り続いている。
だが、これから交わされるのは、火と技術の静かな戦い――味の勝負だった。
ーー王城・王族専用食堂
午前の執務を終え、食堂に入ると、すでにバターや香草の香りが充満していた。
私や妻、そして息子たちが席につき、昼食が開始された。
「本日は陛下のご指示により鉄砲魚を使用した料理をご用意いたしました。」
そうシェフが告げるとテーブルの上にサラダ、鉄砲魚の香草焼き、鉄砲魚の肝のソテー、スープにパンが並べられた。
皿が並ぶと、空気はわずかに張り詰めた。
鉄砲魚は見た目こそ鮮やかで美しいが、その繊細さゆえに、調理のわずかな差が結果を左右する。
「……香りも良いな」
私はナイフを入れ、鉄砲魚の身をそっと切り分ける。
黄身のソースが光を受けて艶めく。
私は慎重に一口。ふんわりとした身の食感に、香草の爽やかさが重なる。
「……美味しい」
自然に呟く。だが、どこか緊張も残る。
肝のソテーにフォークを伸ばす妻。
「濃厚ね……」
口に含むと舌にコクが広がる。だが、少しの違和感が心をざわつかせる。
スープをすする息子たちの表情も、どこか慎重だ。
まだ誰も症状は出ていない。だが、この魚の特性を知る者なら、油断できないことはわかる。
シェフは背筋を伸ばし、微かに息をついた。
「……あとは体調次第です」
その言葉が、食卓に小さな緊張を漂わせた。
ーー王城・王の執務室
昼食後、陛下は机に向かい書類を確認していたが、次第に顔色が悪くなる。腹部に手を当て、唸るような声を漏らす。
「……宰相……」
すぐに駆けつけた宰相は、手元の常備解毒薬を差し出す。陛下はそれを口にするが、苦痛は収まらない。
「……効かぬか……」
ーー王城・王妃の自室
王妃は昼食後、寝室に戻っていた。だが食事の数時間後、ふと胸や腹に違和感を覚える。顔をしかめ、布団に身を横たえる。
「……なんだかお腹が……」
侍女が慌てて駆け寄るが、王妃は冷や汗をかきながら苦しむばかり。
ーー王城・訓練場
王子たちは食後の鍛錬に励んでいたが、突然膝をつき、手で腹を抱える。
「うっ……お腹が痛い......」
師範が駆け寄るも、王子たちは苦しそうに床に座り込む。
ーー王城・執務室
陛下は宰相に向かって弱々しく言う。
「……どうやら、通常の解毒薬では……」
宰相は顔を曇らせる。
「陛下、王妃殿下、王子殿下……この毒には、常備薬では効果が足りません」
陛下は重く息を吐き、机に額をつける。宰相は決意を固める。
「……子爵家のエレノア嬢に、強力な解毒薬の調合をお願いするしかありません!」
こうして、陛下と家族を救うため、エレノアへの依頼が走る――王城の各所で、まだ残る痛みに苦しむ家族を救うために。
ーー王都・実験室
昼食を終え、私は納品の準備を再開した。
今回は通常の納品に加え、ローポーションの納品も依頼されていたため、合計で九百本ものポーションを届けねばならない。
そのため、品質チェックにも時間がかかり、午前中の時点で半分にも届かない量だった。
「早くチェックを終わらせないと、納品に間に合わない……」
カイルに手伝ってもらいながら作業を進め、ようやくチェックを終えたのはおやつの時間を過ぎたころだった。
納品予定のポーションをすべて空間収納にしまい、出かけようとした――その時だった。
ノックもせず、侍女のアンナがいきなり入ってきた。
「エレノア様! 至急、応接室へお願いします!」
「今からポーションの納品に行くところだけど……緊急なの?」
「はい......宰相様がエレノア様に至急の依頼があると......」
「わかりました......今行きます。」
エプロンを机に置き応接室に入ると、宰相がいつも通りの落ち着いた姿勢で立っていた。
だが、その目はいつもより少し険しく、手元の書類を何度も確認している。
「エレノア嬢、すまぬ、急なお願いだ」
「はい、どのようなご用件でしょうか」
宰相は短く息をつき、事態の深刻さを告げる。
「陛下が体調を崩され、王妃殿下、王子たちも腹痛を訴えておられる。通常の解毒薬では効果が乏しく、困っておる」
言葉には焦りはあるものの、態度は崩さず丁寧だ。
しかし、急ぎの空気は確実に伝わってくる。
「……強力な解毒薬を、調合していただけませんか」
私は少し驚く。未知のポーションだ。
「承知しました。これまで作ったことはありませんが、作れるか試してみます」
宰相は頷き、手元の書類を置いた。
「頼む。急ぎではあるが、無理はせぬよう」
緊急事態だが、言葉の端々に相手を思いやる気遣いもある。
私は深く息を吸い込み、調合の準備に取りかかるのだった。
実験室へと戻り、机の上に置かれている錬金術の本を手に取る。
「確かこの本に強力解毒ポーションの作り方が書いてあったはず……」
ページをパラパラと捲っていると、作り方が書かれた場所を見つけた――
だが、手持ちの素材ではどうしても作れそうになかった。
「解毒草は育てているけど、ミドリハコベはないわね……」
代用できる素材はないかと畑を調べるが、解毒作用のある薬草や図鑑で調べたミドリハコベと同じ効能を持つ植物はなかった
「どうしよう......」
実験室で本とにらめっこしていると、精霊さんが首をかしげながら近づいてきた。
「エレノア、どうしたの? 本とずっと睨めっこして……」
私はため息をつきながら事情を説明した。
「強力解毒ポーションを作らなきゃいけないんだけど……材料が足りなくて。手持ちの薬草だけじゃどうしても作れないの」
精霊さんが心配そうに眉を寄せると、扉の向こうから楽しげな声が聞こえた。
「エレノアー! マンドラゴラさんが余分な根っことか葉っぱあげるってー!」
後ろには、ぽてんとした小さなマンドラゴラたちが、両手で小さな束を抱えてついてくる。
「それなら僕らの根は万能だから使えるよ!」
「万能……?」
「うん! この根も葉も、だいたいの薬草の代わりになるんだ! だから大丈夫!」
そう言って、マンドラゴラさんは誇らしげに小さな束を差し出した。
根っこや葉っぱは土の香りをほんのり残していて、見た目は普通の薬草と大差ない。
「……ありがとう、これなら作れそうね」
精霊さんはにこにこと手を振り、マンドラゴラたちもぴょこぴょこと飛び跳ねる。
机の上に広げてみると、今まで持っていた材料だけでは足りなかった成分を補えるものがいくつかあった。
「よし……これで作ってみるしかないわね」
小さな仲間たちが差し出してくれた薬草を手に取り、私は再び調合に向き合った。
少し心強さを感じながらも、未知のポーション作りに緊張が走る。
マンドラゴラさんの差し出してくれた根や葉を受け取り、私は早速調合を開始した。
錬金術の本を確認すると、強力解毒ポーションの作り方はこう書かれている。
まず、各成分を十分に煮出し、成分が溶け出した状態の液体をひとつのビーカーにまとめる。その後、魔石を入れ、魔力を注ぐ――。
そして重要な注意書きもあった。
「解毒草は熱を加えると組織が壊れ、効果が失われる」
……なるほど。これを見落とすと、せっかくのポーションも意味をなさない。
慎重に作業を進める必要がある。
マンドラゴラの根を細かく刻み、蒸留水に入れて加熱しながら撹拌する。
その間、解毒草も同様に細かく刻み、別の蒸留水に入れて撹拌する。
十分に成分が抽出された溶液を二つのビーカーにまとめ、魔石を投入。慎重に魔力を注ぐと、光を帯びた透明な液体がゆらゆらと揺れ、独特の香りが実験室に広がった。
完成したポーションを手に取り、鑑定する。手のひらに魔力の感触を感じながら慎重に分析すると、結果が分かった。
【鑑定結果】
名前:強力解毒ポーション
品質:高品質+
備考:毒の症状であればこれを飲めば完全に完治する
毒に侵された部分の回復効果はない為、ポーションと併用することを推奨
ほのかな苦みがある
「完成した……」
達成感と共に、私は直ぐに完成品を瓶に詰め、宰相から渡された書類を確認する。
そこには六本の納品が必要と記されていたため、同じ手順で再び調合を開始する。
机の上には再び薬草、ビーカー、魔石が並び、蒸留水の入った鍋が静かに沸騰する音だけが響く。
時間との戦いだが、確実に作らねばならない――そう自分に言い聞かせ、二度目の調合に集中する。
必要数である六本の強力解毒ポーションを作り終え、私は慎重に瓶に詰め、宰相の元へ持っていった。
「宰相様、こちらがご依頼の強力解毒ポーションです」
宰相は手に取り、重さや光沢を確かめるようにじっと見つめる。やがて、安心したように軽く頷いた。
「なるほど……よくぞ作ってくれたな、エレノア嬢。後日、改めて礼を言わせてもらう」
そう言って一歩踏み出す宰相だったが、ふと立ち止まり、笑みを浮かべた。
「ところで、せっかく来たついでだ。今日の納品分のポーション持っていこう」
私は瓶に詰めた納品分を手渡す。だが、ひとつだけ念を押す。
「これ、初めて作った物ですから。念のため、鑑定官に鑑定してもらってからお使いください。それと、通常のポーションと併用することも忘れずに」
宰相は小さく笑いながら、頷く。
「ポーションとの併用は分かった。鑑定は……エレノア嬢の作った物なら、大丈夫だろうしそのまま使うとしよう」
その言葉に少し安心しながらも、私は心の中で「念のためだよ」と自分に言い聞かせる。
宰相は感謝の言葉を残し、納品分を持って静かに帰っていった。
ーー王城・医務室
重苦しい空気が部屋を満たしていた。
陛下は額に汗を浮かべ、王妃は苦しそうに身を丸めている。
四人の王子たちもそれぞれのベッドで腹部を押さえ、顔色は蒼白だ。
医師たちは既に通常の解毒薬を投与していたが、効果はほとんど見られない。
「脈は安定しておりますが……毒の反応が消えません」
「このままでは……」
焦燥がにじむその時――
扉が勢いよく開いた。
「道を開けよ!」
宰相が駆け込んでくる。息はわずかに荒れているが、その目は冷静だ。
手には、透明な液体が入った瓶が六本。
「強力解毒ポーションだ。直ちに服用させる」
医師たちが一瞬息を呑む。
聞いたことのない名の薬。しかし、宰相の判断に迷いはなかった。
まず陛下へ。
慎重に口元へ運ばれ、液体が喉を通る。
数秒――
陛下の険しい表情が、わずかに緩んだ。
「……胸の重さが、消えた」
続いて王妃、王子たちへと次々に飲ませていく。
苦しげに乱れていた呼吸が整い、青白かった顔色に血の気が戻る。
医師が慌てて状態を確認する。
「毒反応が……消えています……!」
部屋にざわめきが走る。
しかし、王子の一人が顔をしかめた。
「でも……まだお腹が痛い……」
毒は消えた。
だが、体力の消耗と内臓への負担は残っている。
宰相は即座に指示を出す。
「通常のポーションを併用せよ」
追加でポーションが飲まれる。
すると今度こそ、六人の表情が完全に穏やかになった。
力が抜けるように、王妃はゆっくりと息を吐く。
「……助かりましたわ」
王子たちは顔を見合わせる。
「さっきまで立てなかったのに……」
「すごい薬だ……!」
陛下はゆっくりと上体を起こし、全員の無事を確認する。
その視線は強く、威厳に満ちていた。
「このポーションを作ったのは……エレノア嬢であったな」
「はい、陛下。彼女が一から調合いたしました」
宰相の言葉に、陛下は深く頷く。
「王家の命を救ったに等しい働きだ。最大限の褒美を与えねばならぬ」
王妃も静かに微笑む。
「ええ。必ず、きちんと感謝をお伝えしなければ」
宰相は改めて一礼した。
「しかと手配いたします」
先ほどまでの死の気配は消え、医務室には安堵の空気が広がっていく。
王家を救ったその名は、今、確かに重みを持って語られていた。




