表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら錬金術が得意な貴族家の女の子でした  作者: 双葉アリア
第一章 幼少期編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

45/99

40話 負けられない台所戦争③

翌朝。


窓を叩く雨音で目が覚めた。


しとしとと降り続く音が、屋敷全体を包んでいる。


今日は休息日。


とはいえ、屋敷の仕事が止まるわけではない。

使用人たちは当番制だ。

廊下の向こうからは、控えめな足音と食器の触れ合う音がかすかに聞こえる。


いつもより静か。

だが、屋敷内には新作メニュー開発コンテストの審査日のせいか、緊張感が漂っていた。


カーテンを開けると、灰色の空が広がっていた。

濡れた庭の緑が、しっとりと色を濃くしている。


昨日の熱気が、遠い出来事のように思える。


「……悪くないわね」


こういう雨の日は、嫌いじゃない。


身支度を整え、居間へ向かう。


けれど、いつもならこの時間にはいるはずのお父様とお母様の姿がなかった。


「お父様とお母様は?」


近くに控えていた侍女に尋ねると、彼女は一礼して答える。


「新作メニュー開発コンテストの試作をなさっております。まだ夜も明けきらぬ頃より、厨房にて」


……なるほど。


外は雨。

空もまだ薄暗い。


それでも火を入れ、味を確かめているということか。


本気だ。


「そう」


短く返しながら、窓の外へ視線を向ける。


雨音は変わらない。

けれど、屋敷の中には確かに熱がある。


厨房へ向かう気にはならなかった。

邪魔をするつもりも、する必要もない。


私は小さく息を吐き、居間の窓際の席に腰を下ろす。


「軽めの朝食をお願い」


「かしこまりました」


しばらくして運ばれてきたのは、温かい紅茶と、薄く焼いたパンに少量のバターと蜂蜜を添えたもの。

それから、季節の果実を少し。


豪華ではない。

だが、雨の日にはこれくらいがちょうどいい。


本を一冊手に取り、静かにページをめくる。


紙の擦れる音と、しとしとと降り続く雨。

時折、遠くで鍋の蓋が触れ合う小さな金属音が混ざる。


屋敷は静かに、しかし確実に動いている。


蜂蜜の甘さが舌に広がり、紅茶の湯気がゆるやかに立ち上る。


焦りはない。

昨日の勝負の味は、もう分かっている。


だから今は、ただこの静かな時間を味わえばいい。


雨は、まだ止みそうにない。


どれほど本を読んでいただろうか。

気づけば、雨音は先ほどよりも強くなっていた。


しとしと、ではない。

窓を打ちつける水音が、はっきりと耳に届く。


庭の緑は霞み、石畳には水が跳ねているのが見えた。

遠くで雷鳴が小さく転がる。


静かな朝は、いつの間にか荒天へと変わっていた。


そのとき、廊下の向こうから足早な気配が近づく。


「お嬢様。本日正午より、コンテストを開始いたします」


侍女が一礼する。


もうそんな時間か。


本を閉じ、紅茶の最後の一口を飲み干す。


外は豪雨。

けれど、この屋敷の中で交わされるのは味の勝負だ。

天候は関係ない。


「ええ、分かったわ」


静かに立ち上がる。


雨音が、まるで太鼓のように鳴り続けている。

その下で始まるのは、火と香りの戦い。


――いよいよ、審査の時間だ。


正午を告げる鐘が鳴り、屋敷の大広間へと人々が集まってくる。


外の雨はさらに勢いを増していた。

窓を叩く激しい水音が、これから始まるコンテストの荒れ模様を予感させる。


灰色の空。

揺れる木々。

石畳を打つ跳ね返り。


その一方で、大広間の中は異様な静けさに包まれていた。


並べられた長机。

整然と置かれた食器。

漂う、わずかな香り。


誰もが言葉少なだ。

張り詰めた空気が、肌を刺すように重い。


参加者たちの視線は交わらず、審査員席へと向けられている。

小さな物音ひとつでさえ、やけに大きく響いた。


気が気ではない――そんな心情が、この空間全体に滲んでいる。


だが、私は静かにその光景を見渡した。


雨がどれほど荒れようと、勝負は味で決まる。

嵐が外にあるのなら、ここにあるのは静かな戦場。

火と技術と、覚悟のぶつかり合い。


やがて、合図が出される。

コンテストが、始まった。


「今日までコンテストの準備、ご苦労だった! 今日は無礼講だ! 上も下も関係ない!

皆がいい成果を出せるよう期待している!」


お父様の開会宣言が大広間に響く。

そのまま、審査員の紹介へと移った。


「まずは、うちのシェフ!」


「どうも! 今日は無礼講とはいえ、厳しく審査しますぞ!」


場の緊張がわずかにほぐれる。


「次は、魔導士団長イグナーツ・クローディアス伯爵!」


「無礼講なのに爵位を言うのはダメだろ……」


静かなツッコミに、あちこちから小さな笑いが漏れる。


「次は、騎士団長ローデリック・シュタイン!」


「おいしいものを楽しみにしているぞ!」


低く響く声に、参加者の背筋が伸びた。


「次は、理を綴る者、ミストルティン様!」


「エレノア以外勝たせる気ないからよろしくー」


……身内ひいき、だめ! 絶対!


「最後に、大地の精霊王!」


「左と同じく」


……だからだめだからね!?


会場の緊張感は、いつの間にか妙な空気へと変わっていた。

嵐は外。

中は――混沌。


だが、それでも。

料理の勝負は、始まっている。

一番手は、お父様とお母様。


二人が持ってきたお皿には、静かな威圧感があった。


白磁の大皿の中央に置かれたのは、《森と海の重ね蒸し 〜長時間低温仕立て〜》。


琥珀色のジュレが薄く表面を覆い、光を受けて静かに揺れる。飾りは最小限。若葉のハーブが一枝、そっと添えられているだけだ。


ナイフが入る。


ほろり、と崩れる感触。


断面が現れた。


下層は艶やかな牛肉。

中層はなめらかな白身魚のムース。

上層には茸と魚介の旨味を含んだ層。


三色が静かに重なり、湯気とともに赤ワインと出汁の香りが広がった。


「……これは強いな」


ローデリック・シュタインが低く唸る。


一口。


肉の旨味が広がり、すぐに魚の柔らかさが包み込む。最後に出汁が余韻を引く。


「温度管理が完璧だ。低温を保ち続けたな」


イグナーツ・クローディアスが淡々と告げる。


「層の意味も明確。味が喧嘩していない。理に適っている」


「美しいですねぇ」


うちのシェフが目を細める。


「火入れの見極め、熟練の技ですな」


ミストルティンが頬に手を当てる。


「森と海が喧嘩してないの、すごいね。調和だね」


大地の精霊王は満足そうに頷いた。


「時間を味に変えた一皿か」


大広間に、静かな感嘆が広がる。


派手さはない。

だが、隙もない。


完成された、大人の料理だった。


そして私は、静かにそれを見つめる。


……強い。


けれど。


まだ、届く。


続いて二番手は、執事と庭師、そして馬丁の三人組。


運ばれてきた瞬間、大広間がどよめいた。


「……でかいな」


ローデリックが思わず漏らす。


銀盆いっぱいに鎮座するのは、超巨大ミートパイ。


直径は優に腕の長さほど。こんがりと焼けた表面には格子状の切れ目。湯気がもくもくと立ちのぼり、肉と香辛料の匂いが一気に広がる。


「力作です」


執事が胸を張る。


ナイフが入れられると――


ざくり。


次の瞬間、溢れ出す肉汁。


「おおっ!」


歓声が上がる。


切り分けられた断面には、粗挽き肉がぎっしり。玉ねぎと茸も混ざり、見るからにボリューム満点だ。


ローデリックが豪快に一口。


「……うむ! 旨い! これは戦の後に食べたい!」


庭師と馬丁が顔を輝かせる。


シェフも頷く。


「味付けは素朴ですが、肉の火入れは悪くないですな」


だが。


ミストルティンがフォークを止めた。


「……大きいね」


静かな一言。


「でも、重ねる意味は? 皮の厚みと具材の比率がやや単調。構成美は感じないかな」


精霊王も口をもぐもぐさせながら首を傾げる。


「森の声がしない」


「いや森の肉やろがい」と誰かが小声で突っ込む。


「肉の力はあるけど、繊細さがないね。優勝料理ではない」


ばっさり。


会場が微妙な空気に包まれる。


執事は咳払いをした。


「……量では勝っております」


「そこは評価できる」


イグナーツが真顔で言う。


笑いが起きた。


豪快。力強い。だが荒削り。


嵐のような一皿だった。


三番手は、侍女たちのグループ。


運ばれてきた瞬間、大広間に小さなどよめきが広がった。


白い小皿の上に置かれているのは、《雨雫のレアチーズ》。


淡雪のように滑らかなチーズの上に、透明なゼリーが薄くかけられている。

光を受けて、まるで本物の雨粒のようにきらめいていた。


縁には青い花弁が一枚。

装飾は控えめだが、完成度が高い。


「……綺麗だ」


ローデリックが思わず呟く。


スプーンが入る。


抵抗はほとんどない。

すっと沈み、なめらかにすくい上がる。


一口。


爽やかな酸味。

濃厚なのに重くない。

ゼリーの層が舌の上でほどけ、余韻をすっと流していく。


「ほう」


イグナーツが無言で二口目をすくう。


精霊王も、何も言わず三口目。


……あれ?


皿が空いた。


「……おかわりある?」


精霊王。


「あるなら出してほしい」


イグナーツ。


侍女たちが慌てて追加を運ぶ。


その様子を見て、ミストルティンがくすりと笑った。


「相変わらず甘いもの好きね」


「甘味は正義だよ」


精霊王が真顔で返す。


「……理論的にも、砂糖は幸福度を上げる」


イグナーツが淡々と補足する。


「言い訳にしか聞こえないけど?」


ミストルティンは肩をすくめた。


会場の空気が、ふっと緩む。


豪快でも、重厚でもない。


だが、心を掴む一皿だった。


侍女たちは顔を見合わせ、ほっと息をつく。


甘やかな雨が、広間に静かに降りた。


四番手は、厨房で働く者たち。


日々、屋敷の食卓を支える料理人たちだ。


運ばれてきた瞬間、空気が変わった。


皿に置かれていたのは、《七層仕立てのテリーヌ 〜森の恵み〜》。


長方形に美しく整えられた断面。

七つの層が、寸分の狂いもなく重なっている。


深緑のほうれん草。

琥珀色の茸ペースト。

淡い鶏のムース。

赤みを帯びた鹿肉。

木の実の層。

香草のジュレ。

そして再び、旨味を閉じ込めた層。


色彩が、森そのものを切り取ったかのようだった。


「……美しい」


ローデリックが低く呟く。


ナイフが入る。


崩れない。


切り口は鏡のように滑らかだ。


一口。


段階的に味が変わる。

最初は軽やか。

次第に深みが増し、最後に肉の力強さが残る。


「構築が完璧だな」


イグナーツが静かに言う。


「層の意味が明確。計算され尽くしている」


ローデリックも頷く。


「酒と合わせたい……いや、単体で完成している」


シェフが腕を組む。


「これは店に出せますな。いや、もう出せるレベルです」


会場にざわめきが走る。


イグナーツが小さく息を吐いた。


「……優勝候補だな」


「間違いない」


ローデリックも同意する。


派手さはない。


だが、完成度が違う。


職人の積み重ねが、そのまま形になった一皿だった。


そして私は、それを静かに見つめる。


……なるほど。


強敵だ。


最後は――エレノアたち、子供グループ。


運ばれてきた瞬間、大広間の空気がわずかに揺れた。


深鉢に盛られた料理。

黄金色に揚がった鶏肉。艶やかな甘辛のタレ。刻み葱の緑。中央には温泉卵。


横には、湯気を立てる淡い色の汁物。


「東の国の食材を使った料理です」


私は静かに告げる。


「下に敷いてある白い粒は、東の国で主食とされる穀物。

汁物は同じく東の国の発酵調味料を使っています」


「……米か」


ローデリックが興味深そうに呟く。


「では、いただこう」


箸が伸びる。


温泉卵を割ると、黄金色がとろりと流れ、甘辛ダレと絡み合う。


一口。


衣が軽く弾ける音。


肉汁が広がり、甘辛さが追いかけ、葱の香味が抜ける。そこへ卵のまろやかさが重なり、味を一段引き上げる。


……止まらない。


二口目は米とともに。


粒はふっくらと立ち、タレを受け止めながらも重くならない。


イグナーツは無言で食べ進める。

ローデリックの箸も止まらない。


やがてシェフが汁物に口をつけた。


一口。


ふわりと広がる豊かな香り。

発酵の旨味が柔らかく、塩味は穏やか。

甘辛の余韻を整え、次の一口を自然に呼び込む。


「……香りが良い。味の均衡も見事だ」


小さく、だがはっきりとした評価。


イグナーツが息を吐く。


「主役は鶏肉だが、この汁が全体を完成させている。重さを残さない」


ローデリックが頷く。


「豪快だが荒くない。異国の素材を使いながら、我が国の味覚に合わせている」


ミストルティンが静かに箸を置いた。


「東の食材なのに、異物感がないね」


大地の精霊王はすでに皿を空にしている。


誰も大げさな称賛はしない。


だが――全員の皿が空だ。


ミストルティンが腕を組む。


「ひいき抜きで言うよ」


視線が集まる。


「優勝だね」


精霊王が頷く。


「同意。味の調和が一段上」


イグナーツが静かに告げる。


「理を超えている」


ローデリックが低く笑った。


「参った。これは他の料理は勝てんな」


ざわめきが広間を満たす。


豪華でも、奇抜でもない。


だが、誰よりも食べさせた。


それが答えだった。


私は静かに一礼する。


嵐は外にある。


けれど今、この場を制したのは――


異国の食材を宿した、温かな一皿だった。


鐘が鳴り、静まり返る大広間。


シェフが前に出る。

重厚な声で告げる。


「皆の者、今回のコンテスト――

どの料理も素晴らしく、技術と創意に溢れていた。

だが、味の調和、構成、発想。総合的に最も優れていたのは――

エレノア嬢率いる、子供グループだ」


満場がざわめく。

ミストルティンが笑みを浮かべ、大地の精霊王も頷く。


「うん。素直に一番おいしかった」


さらに、シェフは続ける。


「本日優勝した料理は、正式に屋敷の定番メニューとして採用する。

今後、食卓に並び、この屋敷の看板料理となるだろう」


拍手が広間を包む。

雨音はまだ降るが、嵐には聞こえない。


今日、この屋敷に生まれたのは――

新しい味。

そして、新しい誇りだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ