4話 運命の天啓と家族の影
今日は教会で“職業神様”から職を授かる日。
白い石畳の参道には朝から子どもたちの笑い声が響き、色とりどりの晴れ着が春の光に揺れていた。
「僕は王宮書記官になるんだ。父上みたいに王城で働くんだって決めてる!」
胸を張る男の子の声に、周りの大人たちが優しく頷く。
「私は医者になりたいの。けがをした人をいっぱい助けるんだ」
少し照れながらも、真っ直ぐ前を見つめる女の子。
みんなが希望に満ちた顔で、大きな教会の扉をくぐっていく。
未来が祝福される日――本来なら、私もそう思っていたはずなのに。
――けれど、私は違った。
大地の精霊王様から「錬金術師になる」と告げられてから、胸の奥がずっとざわついている。
本当に……決まっているのだろうか。
もしかしたら――。
神様の気まぐれで、別の職業が与えられるかもしれない。
家の伝統どおり、魔導師になれるかもしれない。
そうすれば、お父様もお母様も……きっと安心してくれる。
――そんな淡い期待が、どうしても心のどこかに残っていた。
けれど同時に、精霊王様の言葉が何度も胸の中で繰り返される。
「君には、未来を託す役目がある」
期待と不安が入り混じったまま、私はゆっくりと教会の大扉へと足を踏み出した――。
中へ入ると、子どもたちは爵位の順に席へ案内された。
長い木の椅子に腰掛けながら順番を待っていると、周りの子たちから「早く呼ばれないかな」「どんな職かな」と弾んだ声が聞こえてくる。
胸を躍らせている空気が、ひしひしと伝わってきた。
――けれど、私は違う。
大地の精霊王様から聞いた言葉。
「親が望まない職業を与えられた子は捨てられることがある」
その恐ろしい慣習が、何度も頭の中で繰り返される。
前世で経験した高校受験なんて比べものにならないほどの不安が、胸の奥をぎゅっと締め付けていた。
手のひらには、じんわりと冷たい汗が滲む。
――もし、本当に錬金術師だったら……。
――お父様やお母様は、どう思うんだろう。
押し潰されそうな思いを必死に飲み込みながら、私は視線を足元に落とした。
やがて全員が揃ったのか、祭壇の前に立っていた教会の高位司祭が一歩前へ進み出る。
静まり返った礼拝堂に、厳かでよく通る声が響いた。
「本日、諸君は職業神より“職”を賜る。
それは神からの祝福であり、世界に生きる役目を示す尊き贈り物である」
司祭はゆっくりと会場を見渡し、言葉を続ける。
「そして――どのような職を授かったとしても、決して子を捨ててはならぬ。
冷遇することも許されない。
神より授かった命と役目は、すべて等しく尊いのだから」
その言葉に、ざわりと空気が揺れた。
貴族席の大人たちの中には、わずかに視線を逸らす者もいる。
……でも私は、ほんの少しだけ救われた気がした。
――もしかしたら。
――本当に、捨てられたりはしないのかもしれない。
そんな小さな希望が芽生えた瞬間――。
「では、これより職業付与の儀を開始する」
司祭の宣言と同時に、大聖堂の奥で鐘の音が静かに鳴り響いた――。
爵位の高い者から順に名前が呼ばれ、子どもたちは壇上へ進む。
水晶に手をかざすと光が満ち、天啓が降りるらしい。
希望通りの職を授かり歓声を上げる子。
“ハズレ職”と囁かれる職を授かり、その場で崩れ落ちる子。
喜びと絶望が交錯する光景に、私の不安はすでに限界だった。
――逃げたい。
――いっそ、このまま抜け出してしまおうか。
そう思い始めた、そのとき。
「エレノア・フォン・レーヴェン子爵家令嬢、前へ!」
……ついに、私の番が来てしまった。
震える足で壇上へ進み、透明な水晶の前に立つ。
礼拝堂中の視線が、私に突き刺さっている気がした。
恐る恐る――手を伸ばす。
指先が水晶に触れた瞬間、眩い光が弾けた。
――そして。
《職業:錬金術師》
頭の奥に、確かな声が響いた。
同時に、見たこともない知識と感覚が、波のように押し寄せてくる。
何をどうすればいいのか――言葉にできないのに、なぜか“分かってしまう”。
息が詰まりそうになる、その瞬間。
「……この世界を、頼んだよ」
あのとき、私の職業を授けた神さまは、確かにそう言って私に未来を委ねた。
誰かの、かすかな囁きが耳元を撫でた。
それが誰の声だったのか――
私はまだ、知らない。
司祭に一礼し、私はふらつく足取りで席へ戻った。
胸の奥がまだざわざわしている。
震える指先で、そっと鑑定を発動する。
【鑑定結果】
名前:エレノア・フォン・レーヴェン
種族:人間(子爵家貴族)
職業:錬金術師
HP:50
MP:300
スキル:
・鑑定(4/10)
・大地の精霊魔法(2/10)
・錬金魔法(1/10)
称号:
・大地の精霊王の加護
・未来を託されし者
……やっぱり。
精霊王様の言葉は、本当だったんだ。
新しく増えた“錬金魔法”の文字を見つめながら、胸がきゅっと縮む。
(……これから、どうしよう……)
考えがまとまらないまま時間だけが過ぎ、やがてすべての子どもたちの職業付与が終わった。
「――以上をもって、本日の儀を終了とする」
司祭の宣言が響き、礼拝堂の空気が一気にほどける。
喜び合う声、泣き出す子ども、ざわめく大人たち。
私は深呼吸を一つして――両親の待つ貴族席へ向かった。
お父様とお母様が、こちらを見ている。
表情は……読み取れない。
「エレノア」
静かな声で、お父様が名を呼んだ。
「……何の職を授かった?」
期待とも、不安ともつかない沈んだ声。
お母様も、かすかに息を呑んで私を見つめている。
代々魔導師の家系。
――その言葉が、頭の中で重く響いた。
喉が乾く。
声が出ない。
けれど――逃げられない。
「……あの……わ、私は……」
拳をぎゅっと握りしめ、私は口を開いた。
その時――外の方で騒ぎが起きた。
お父様とお母様と一緒に外へ行くと、貴族の令嬢と、その両親が騒ぎを起こしていた。
「医者だなんてなんて恥さらしだ!
我がクロムウェル家は騎士の家系だとあれほど言ったのになんだこれは!
もうお前は家系図から外す!孤児院なり冒険者なり好きにしろ!」
周囲の人々がざわめく。
令嬢は青ざめた顔で俯き、必死に涙をこらえていた。
「……ち、違います……私……」
震える声は父親の怒声にかき消される。
誰も口を挟めず、空気が重く張り詰めた、その時だった。
――コン、と硬い杖の音が石畳に響いた。
「そこまでにしなさい」
低く、それでいてよく通る声。
人垣が自然と割れ、純白と金の法衣をまとった一人の老人が姿を現した。
教会の高位司祭様だった。
「ここは神の御前。授けられた職業を侮辱し、子を貶める言葉は許されません」
静かな声なのに、不思議と逆らえない重みがあった。
怒鳴っていた父親も言葉を失う。
「し、しかし司祭様……騎士の家系に医者など……」
司祭様の視線が、すっと鋭くなる。
「職業は神の導き。家の都合で歪めるものではない」
「……それとも、あなたは神のご意思に逆らうと?」
その一言で、周囲の空気が凍りついた。
父親の顔から血の気が引き、言葉が完全に止まる。
司祭様は令嬢の前に立ち、そっと肩に手を置いた。
「医者は命を救う尊き職です。恥ではありません。
……むしろ、誇りなさい」
その一言で、令嬢の瞳から堰を切ったように涙が溢れた。
周囲の空気が少しずつ落ち着きを取り戻していく。
怒りに満ちていた父親も、何も言えず拳を握るだけだった。
「これ以上の騒ぎは儀式の妨げになります。
――皆、持ち場へ戻りなさい」
司祭様の言葉で人々は散り始める。
私はその光景を見つめながら、胸の奥がざわつくのを感じていた。
(……もし、私の職が望まれないものだったら……?)
(……両親は、どう思うんだろう……?)
期待と不安が、胸の中で静かに揺れていた。
その光景を見てしまったせいで――
私は「錬金術師」と言い出すことが、どうしてもできなかった。
屋敷へ戻る馬車の中では沈黙が支配しており、とても居心地が悪かった。
屋敷へ帰ると私は自室に閉じこもりこの家から追い出されたり冷遇される未来に怯えていた。
そんな姿を見ていたのか大地の精霊王様がやってきてそっと肩に手を置いた
「何も不安に思うことはないよ
もし追い出されたり冷遇されても必ず私が助けに行くから....
気持ちに整理がついたらご両親に相談しなさい」
そう言うと頭を優しく撫でいなくなってしまった。
静まり返った部屋の中。
撫でられた場所の温もりだけが、まだ残っている。
(……ちゃんと、話さなきゃ)
そう思ったのに――足は動かなかった。
扉の向こうからは、使用人たちの足音や食器の触れ合う音が微かに聞こえてくる。
きっと、もうすぐ夕食の時間だ。
けれど私は、立ち上がることができなかった。
結局その日は「体調が優れない」と侍女に伝え、食事も取らずベッドに潜り込んだ。
目を閉じても眠れるはずもなく、昼間の出来事が何度も頭の中で繰り返される。
水晶の光。
頭に響いた《錬金術師》の文字。
そして――医者の職を授かった令嬢の、泣き叫ぶ声。
気づけば、屋敷の中はすっかり静まり返っていた。
廊下を行き交う気配もなく、遠くの時計の音だけが夜を刻んでいる。
(……少し、外の空気を吸いたい)
胸の奥が重くて、息が詰まりそうだった。
私はそっとベッドから起き上がり、音を立てないように扉を開ける。
人気のない廊下を抜け、花壇を眺めることができるテラスへと足を向けた――。
満月が花壇を白く照らし、夜風が静かに草花を揺らしている。
淡く光る花びらが、まるで小さな星のように瞬いていた。
私は手すりに寄りかかりながら、ぼんやりとその光景を見つめていた。
胸の奥では、不安がゆっくりと渦を巻いている。
――もし、嫌われたら。
――もし、期待外れだと思われたら。
そんな考えが、何度も頭をよぎった。
今日、職業神様から授かったのは――《錬金術師》。
魔導師の名門であるこの家で、私は違う道を示された。
(……両親は、どう思うんだろう……)
昼間の光景が、脳裏に浮かぶ。
医者の家の子が、望まれない職を授かったと泣き崩れ、
周囲の大人たちが困った顔で言葉を濁していた。
その光景を見てしまったせいで――
私は「錬金術師」と言い出すことが、どうしてもできなかった。
そのとき――。
背後で、静かに扉が開く音がした。
振り返ると、月明かりに照らされながらお父様とお母様が並んで立っている。
二人は何も言わず、ゆっくりと歩み寄り、私の左右に並んだ。
しばらく、誰も口を開かない。
ただ、夜風と花の香りだけが流れていく。
やがて、お父様が穏やかな声で問いかけた。
「なぁ、エレノア。なにかあったのかい?」
「……」
喉の奥が詰まり、言葉が出てこない。
すると、お母様がそっと手を差し伸べ、私の小さな手を包み込んだ。
その温もりが、じんわりと胸に広がる。
「エレノア。黙っていると、自分が余計に辛くなるだけよ。
大丈夫。絶対に怒ったりしないから、話してごらんなさい」
優しく背中を撫でられ、堪えていたものが少しずつ揺らぎ始める。
「……怒らないって……ほんと……?」
震える声でそう尋ねると、お父様はすぐに答えた。
「もちろんだ。
お前は、私たちの大切な娘なんだから」
その言葉に、胸の奥が熱くなる。
私は何度も息を吸って――そして、ようやく口を開いた。
「……わたし……魔導師じゃ……ないの……」
言葉がこぼれ落ちるたびに、心臓が強く脈打つ。
「授かったのは……《錬金術師》……だった……」
言い終えた瞬間、怖くて目を閉じた。
満月の光も、夜風の感触も、すべて遠くに感じる。
――沈黙。
長い、長い数秒。
けれど。
「――そうか」
聞こえてきたのは、落ち着いた声だった。
恐る恐る目を開けると、お父様は驚くでも怒るでもなく、静かに頷いている。
「神から授かった職なのだろう?」
「……うん……」
「なら、それがエレノアの進む道だ」
思わず目を見開いた。
「でも……!
魔導師の家系なのに……今日も……医者の子が……」
言葉が溢れ、止まらなくなる。
すると、お母様が私を優しく抱き寄せた。
「エレノア。
あの方たちと、私たちは違うわ」
耳元で、温かな声が響く。
「あなたがどんな職でも――
私たちの娘であることに、何一つ変わりはないのよ」
お父様も小さく笑った。
「それに……錬金術師か。
むしろ、お前にぴったりじゃないか」
「……え?」
思わず顔を上げる。
「五歳にして本を読み、難しい文字まで書ける子が、どれだけいると思う?
お前は昔から、知ることも考えることも好きだっただろう」
お父様は優しく私の頭を撫でた。
「錬金術師は、知識と観察力が命だ。
むしろ、お前に似合いすぎているくらいだよ」
お母様もくすっと笑う。
「本棚の本、半分以上読んでしまったものね。
使用人たちが“お嬢様は小さな学者様みたい”って言っていたのよ」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「……ほんとに……?」
「もちろんだ」
お父様は力強く頷いた。
「それに錬金術師なら、新しい可能性も広がる。
魔導師とは違う形で、家を支える未来だってあるはずだ」
涙が、ぽろぽろと頬を伝った。
「……追い出したり……しない……?」
その問いに、お父様は一瞬驚いた顔をして――そして苦笑した。
「そんな心配をしていたのか」
大きな手が、ぽん、と私の頭に乗る。
「エレノア。
お前には、いつでも帰る場所がある」
お母様も、ぎゅっと私を抱きしめる。
その瞬間――。
ふわりと、懐かしい大地の香りが風に混じった気がした。
足元の花壇の土が、わずかに揺れたように見える。
私はそっと視線を落とす。
月明かりの中、淡く光る影が静かに立っていた。
透き通るような姿が、月光の中に浮かんでいる。
それは人の形をしているけれど、確かに人ではない――
大地の精霊王だった。
優しく、静かな眼差し。
声は聞こえない。
けれど――胸の奥に、あの言葉が蘇る。
……この世界を、頼んだよ。
職業神様から授かったあの瞬間、
確かに託された想い。
精霊王は何も言わず、ただ静かに頷いた。
まるで「見ている」「大丈夫だ」と告げるように。
私は小さく息を吐き――そして、ほんの少しだけ笑った。
満月の光に包まれながら、
胸の奥に張り詰めていた不安が、静かにほどけていく。
私はもう、一人じゃない――そう、信じられた夜だった。




