35話 猫耳族の小さな風邪③
ーー王都・市場
「むしろ、とても身近なものです」
その言葉に、私たちは顔を見合わせた。
身近?
薬の材料で?
こんなに効果が強いのに?
ますます混乱する私たちをよそに、店員さんはくすりと笑う。
「でも、こんなことを言われても混乱するだけですよね。ヒントを差し上げます」
「ヒント……?」
思わず身を乗り出す。
「あなた、薬剤師か錬金術士のどちらかの職を授かっているのでしょう?」
「そうですけど……なんでそう思ったんですか?」
そう尋ねると、店員さんはテーブルの上に置かれたメモに視線を落とした。
「だって材料を聞き回っているのなら、どちらかの職を授かっていると考えるのが自然でしょ?」
「はい……」
「なら――答えは、自分で見つけないとね?」
にこり、と営業用とは違う、どこか試すような笑みを浮かべながら三本の指を立てる。
「材料は三つ。
うち一つは、そのメモに書いてあるわ。
残り二つも、どこでも見かけるものね。
あとは――共鳴熱用の薬は、ケーキと似ているとだけ言っておくわ」
そう言って、店員さんは次のお客に向き直ってしまった。
残された私たちは、ただ呆然とするしかなかった。
テーブルの上に置かれたメモ。
そこに書かれている材料は――
卵の殻、魔力草の根、薬草、小麦粉、木炭。
正直、どれも決め手に欠ける。
どこにでもありそうで、どこか噛み合わない。
「やっぱり薬草かな……」
ぽつりと呟くと、向かいに座るアメリアお姉さまが首を傾げた。
「でも薬草って、言うほど身近かしら?」
「そこなんだよね……」
お姉さまの意見はもっともだった。
ポーションの材料として考えれば、薬草は確かに基本中の基本。
けれど、それはあくまで“私たちにとって”の話だ。
一般人にとって薬草は、山に採りに行くもの。
市場でわざわざ買うもの。
庭に自然に生えているものではない。
店員さんが言った「とても身近なもの」。
それに当てはまるとは、どうしても思えなかった。
「じゃあ……小麦粉?」
「パンやお菓子には使うけれど、薬とは結びつかないわね」
「木炭も、燃料か浄化用くらいだし……」
視線が、最後の一つに止まる。
卵の殻。
料理のあと、必ず残るもの。
特別でも何でもない。
むしろ、捨てるもの。
「……卵」
その瞬間、胸の奥がわずかに引っかかった。
身近。
誰の家にもある。
毎日のように使う。
「でも、殻よ?」
自分で言っておきながら、首を振る。
ただの殻。
ただの――
(……カルシウム)
ふと、前世の知識がよぎる。
殻の主成分は炭酸カルシウム。
粉末にすれば、吸着や中和に使える。
そして、木炭。
これも吸着。
小麦粉は結合剤。
練れば形を作れる。
「……待って」
もし、これは“薬”を作る材料じゃないとしたら?
もし、暴走した魔力を抑えるための――
“吸着剤”や“安定剤”だとしたら?
私は、もう一度メモを見つめた。
薬草や魔力草の根が“目くらまし”なら。
本当に身近なのは――
捨てられる殻。
台所にある粉。
竈に残る炭。
この三種類は、「とても身近なもの」という意味では最も答えに近い。
だが――
一つの材料に目星がついたとしても、残りの二つが分からなければ意味がない。
三つ揃って初めて成立する。
「正直、一つ分かったとしても、残りの二つが分からないとどうしようもないよね……」
その言葉に、ミストルティン様とアメリアお姉さまが静かに頷いた。
「前世の知識を元に考えると、卵の殻か木炭のどちらか、というところまでは来ているのよね……」
「なんでその二つなの?」
ミストルティン様は首を傾げる。
「卵の殻も木炭も、“中和”や“吸着”という意味では似た性質を持っているんです」
私は指折り数えながら説明する。
「卵の殻は灰汁を吸着しますし、粉末にすれば性質はより顕著になります。
木炭も匂いや不純物を吸着して、消臭や浄化に使われます」
「それは……科学の知識を参考にして、という感じ?」
「そうなりますね……」
この世界の常識ではなく、前世の理屈。
物質の性質。
中和反応。
吸着作用。
魔力という未知の要素に、それを当てはめて考えているだけだ。
「なら、前世の知識で他に材料として使えそうなものはないかしら……?」
アメリアお姉さまは紅茶のカップを静かに置きながら尋ねた。
私は少し迷ってから答える。
「正直に言うと確信はないです……ただ、“とても身近なもの”という観点なら――塩や酢、ニンニクあたりかなとは思っています……」
「どれも食材や調味料じゃない……」
ミストルティン様の言葉に、私は小さく息を吐いた。
確かにそうだ。
塩も酢もニンニクも、台所にあるもの。
薬というより料理の材料。
けれど――
「だからこそ、です」
テラス席を吹き抜ける風が、テーブルの端のメモを揺らす。
「塩は中和の結果生まれる物質です。
そして固体であれば電気を通さない性質を持っています」
「電気……?」
「魔力をエネルギーの一種だと仮定するなら、流れを遮断する性質は意味を持つ可能性があります」
卵の殻は中和。
木炭は吸着。
塩は遮断。
「酢やニンニクは殺菌作用が強い。そして不要なものを排出する……いわば浄化です」
「余分な魔力を外へ追い出す、ということ?」
アメリアお姉さまが静かに問い返す。
「理論上は、ですが……」
けれど、そこまで言って私は言葉を止めた。
カップの中で紅茶が小さく波打つ。
結局、決定打は出ないまま、私たちは席を立った。
空になった皿。
甘い香りの余韻。
午後の柔らかな日差し。
「美味しかったわね」
アメリアお姉さまが満足そうに微笑む。
私は最後までメモを見つめていた。
卵の殻。
木炭。
小麦粉。
塩。
酢。
ニンニク。
「答えは、見つかりましたか?」
会計台の向こうで、店員さんが穏やかに尋ねる。
私は正直に答えた。
「……いくつか候補は出ました。卵の殻、木炭、小麦粉、塩、酢、ニンニク……あたりです」
その瞬間。
店員さんの目がわずかに楽しげに細まる。
「その中に、すでに二つ――正解がありますよ」
「え?」
思わず身を乗り出す。
「ご褒美に、もう一つだけ」
小さく指を立てる。
「ニンニクではありません」
「……!」
頭の中で材料が弾ける。
二つはもう正解。
ニンニクは違う。
ということは――
その間に、ミストルティン様が何気ない顔で店員さんと言葉を交わし、さりげなく支払いを済ませていた。
「では、またのお越しを」
伝票はすでに片付けられている。
「……え? あれ?」
「話に夢中になっている間に終わりましたよ」
ミストルティン様は涼しい顔だ。
けれど私は、それどころではなかった。
ニンニクは違う――。
普通なら「ただの食材だから弾かれた」と受け取るだろう。
けれど、私の中での除外理由はまったく別だった。
殺菌。
デトックス。
体内の不要なものを排する作用。
その観点で見るなら、酢も同じだ。
どちらも“攻撃的な浄化”。
強く働きかけ、分解し、排除する。
けれど店員さんは言った。
――整え、受け止め、繋ぐ。
役割は分かれているはずだ。
同じ効果を持つ素材が三要素の中に二つ並ぶとは考えにくい。
作用が重複するものは、理にかなわない。
だから、ニンニクは弾かれた。
そして――酢も。
残るのは、性質の異なるものだけ。
「……塩」
それは攻める素材ではない。
味を引き締め、
全体を均し、
過不足をなくす。
攻撃ではなく、調律。
塩は“整える”。
だからこそ、正解の一つ。
では――受け止めるのは?
木炭。
確かに吸着作用はある。
毒も、穢れも、余分なものも絡め取る。
けれど。
「それは……外へ出すためのもの」
受け止めるというより、排出の補助。
しかも木炭は加工品だ。
“とても身近なもの”。
子どもでも思いつく、生活に溶け込んだ素材。
私はゆっくりと息を吐いた。
「卵の殻」
衝撃を受け止め、内側を守る構造。
外界からの圧力を引き受ける、天然の壁。
殻は、“受け止める”ために存在している。
塩で整え、
殻で受け止める。
二つは、確定。
「……二つはもう出ている」
店員さんの言葉が、今になって重みを持つ。
甘い香りがまだ鼻に残っている。
けれど辿り着いたのは、甘味ではなく――構造。
整え。
受け止め。
そして、繋ぐ。
最後の一つが見つかれば、完成する。
ーー王都・屋敷
あの後、市場で必要な買い物を済ませ、ノエル用の串焼きを買ってから屋敷へと帰宅した。
途中、海を挟んだ東の国の輸入食品店を見つけ、何気なく立ち寄る。
店内には、エレノアの前世――日本と遜色のない食品がいくつも並んでいた。
その中に、お米を見つける。
この世界では主食はパンが中心で、米はあまり流通していない。
共鳴熱用の薬とは関係ない。
けれど、体力が落ちているメルには消化の良いものが必要だ。
「……おかゆくらいなら、負担も少ないよね」
必要な分だけ購入し、店を出る。
薬の材料ではない。
あくまで、支えるための食事。
屋敷へ向かう足取りは軽いが、頭の中は別だった。
塩。
卵の殻。
そして、残る一つ。
共鳴熱用の薬の構成は、まだ完成していない。
屋敷へ戻り、厨房に買った米を渡すと、シェフは困惑した表情を浮かべた。
だが作り方を説明し、メル用の食事であることを伝えると、最終的には了承してくれた。
「お米を炊いた後に、水でさらに煮るんですか……?」とは言われたが……。
厨房を後にして実験室へ向かうと、そこには見覚えのない素材が籠の中に入っていた。
「あれ? こんなの育てたっけ……?」
疑問に思い、薬草畑へ足を向ける。
そこでは、楽しそうに飛び回る精霊さんたちと、実験室にあった見覚えのない素材が並んで育てられていた。
「精霊さん、これどうしたの?」
「メルが共鳴熱になったって聞いたから、猫耳族が使う材料を採ってきたの!
雑草で繁殖力も強いから、別に区画を分けて育ててるし、増殖しないように結界も張ったから安心して!」
「えっ!?」
驚いた私は、すぐに鑑定をかける。
すると、表示されたのは意外な内容だった。
【鑑定結果】
名前:銀緑草
品質:高品質
備考:繁殖力の強い雑草で、どこにでも自生している。
風に乗って遠くへ運ばれる綿毛は、空気中の振動を完璧に受け流す特殊な構造を持つ。
魔力の吸収材や、一部の種族の薬として綿毛が使われている。
――空気中の振動を、完璧に受け流す。
その一文を、私はもう一度読み返す。
振動。
受け流す。
吸収材。
脳裏に、あの言葉がよみがえる。
――整え、受け止め、繋ぐ。
塩は整える。
卵の殻は受け止める。
では、これは。
止めるのではなく、弾くのでもなく。
分解し、乱れた波をほどき、別の形へ渡すもの。
風に乗り、遠くへ届く綿毛。
「……繋ぐ、って……そういうこと?」
胸の奥で、かちりと何かが噛み合う音がした。
遮断でもない。
排除でもない。
暴走する魔力を、断つのではなく。
整えた上で、受け止め――
そして、流す。
繋ぎ直す。
私は、ゆっくりと銀緑草の綿毛に触れた。
軽い。
けれど、確かにそこにある。
「三つ、揃った……」
思考が、ひとつの形になる。
共鳴熱用の薬。
整え。
受け止め。
そして――繋ぐ。
「他の材料も教えてあげるー!」
無邪気な声が弾む。
「他の材料はもうわかるから大丈夫だよ。
精霊さんたち、ありがとね!」
そう言って微笑むと、精霊たちは満足そうにくるくると舞った。
三つは、揃った。
私は深く息を吸い込み、実験室へと向かう。
これは、反応させる薬じゃない。
暴走する魔力を断ち切るのでも、抑え込むのでもない。
整え、受け止め、そして――繋ぎ直すための薬。
静かな決意とともに、私は調合を開始するのだった。




