31話 午後のお茶会、小さな騒動
夏空が広がる、とある日のこと――
私は王城へ納品するポーションの調合をしていた。
事件以降、納品が止まっており、魔導士団も騎士団の皆さんもきっと困っているはず……
そう思うと、自然と肩に力が入る。
「陛下はまだ無理はしないようにっておっしゃってたけど……
もし何かあったら大変だし、いっぱい作らないとね!」
黙々と作業を続けていると――
いきなり背後から強く抱き着かれた。
「エレノアー!! 会いたかったよー!!」
「うわぁぁぁぁぁぁ!!」
ガシャン――
手に持っていたポーション入りの瓶を足元に落とし、ガラス片やポーションが飛び散る。
慌てて振り向くと――背後から強く抱きついているミストルティン様の姿があった。
「ちょ! ミストルティン様、いきなりはびっくりしますって!!」
「ごめんごめん!」
そう言いながら、飛び散ったガラス片やポーションを魔法で空中に浮かばせる。
「概念消去!」
その言葉と同時に、宙に浮かんでいたガラス片やポーションは、何事もなかったかのように消滅した。
「ふぅ……これで解決だね!」
ミストルテイン様は深く息をつき、片付けの終わった床を見下ろす。
「解決していないよ!?」
振り返ると――背後で両手を腰に当て、得意げな顔をしたミストルティン様が立っていた。
突然の抱きつきに、全身がびっくりして硬直する。心臓はまだドキドキ、呼吸も乱れたままだ。
「え……でも、ガラス片もポーションも全部消えたし……」
「そういう問題じゃないんだよ! 心臓に悪すぎるんだよ!!
それにさっきの魔法概念消去だよね!? 絶対使い方間違えてるって!!」
「そ、そうかな……」
まだ背後からの温もりと衝撃で、頭の中は混乱したままだった。
「それで……今日は何の用ですか?」
「寂しかったからまた来た!! お茶会しよー!」
「寂しいって……昨日も来ましたよね!?」
「一日に一回はエレノアを堪能しないとやる気でないのよねー」
「……言っていること変態のそれですよ……」
「えー! いいじゃん! 女の子は大好きだよ!」
「……ミストルティン様、その顔……完全に変態ですってば!」
「変態!? そんなことないもん! ただ、エレノアを愛でる天才なだけよ!」
「……愛でる天才って、もう意味わからないです……」
結局、私はため息をつきながらお茶会の準備を始めた。
私たちは屋敷のテラスへ向かう。
窓の外に広がる花壇には、色とりどりの花が咲き誇り、夏の光を浴びて優しく揺れていた。
テラスにはすでに、メルとアメリアお姉さまの姿がある。
二人ともお茶の準備を手伝ってくれていた。
「あっ! そういえば今日もお土産買ってきたよー!」
ミストルティン様が白い箱を机に置く。
その瞬間、メルの耳がぴくりと動いた。
「今日はル・ビジューのショートケーキをいっぱい買ってきたよー!」
「そこ高級店ですよね!? お金大丈夫なんですか……?」
「へへ、それがね――魔導書を複製して売ってるの! 無限に複製できるんだから、全然大丈夫なのさー!」
「えぇ!? 魔導書を複製!? でもそれって……」
「バランスが崩れない範囲でやってるから大丈夫だよー!」
私は思わず頭を抱えた。
「……もう、何でもアリですね、ミストルティン様」
「そうそう! だからこそ楽しいんだよ、エレノア!」
けらけらと笑う魔法の神。
その横でメルが箱を覗き込み、
「わぁ……きれい……」
と呟いた瞬間。
「メル、かわいい!」
「ふぇっ!?」
勢いよく腕を引かれ、メルはそのままミストルティン様の膝の上へ。
「よいしょー!」
すとん、と収まる体勢。
「ちょ、ちょっと待ってください……!」
抗議しているのに、逃げない。
いや、逃げられない。
「やっぱり猫耳族は最高……」
優しく、ゆっくりと頭を撫でる。
ぴく、ぴく、と耳が震えた。
撫でられるたびに耳はゆるりと伏せ、尻尾がそわそわと揺れる。
「み、ミストルティン様……それは……その……」
「……メル、顔赤いよ」
アメリアお姉さまが淡々と指摘する。
「ち、違います……これは、その……本能が……」
「完全に負けてるじゃないですか!」
私が思わず声を上げると、ミストルティン様は満足げに頷いた。
「うんうん、素直でよろしい。エレノアもどう?」
「私は猫耳族じゃありません!」
笑い声が広がる。
花壇の花が揺れ、夏の風が四人の間を通り抜けた。
ひとしきり騒いだあと、私はふとミストルティン様を見上げる。
「……そういえば」
「んー?」
「この間、護衛してもらったときにいた“戦闘の神の眷属”って言ってた人」
ミストルティン様の手が、ほんのわずかに止まる。
「戦闘の神本人ですよね?」
風が、すっと通り抜けた。
メルが小さく頷く。
「……あの威圧感は、眷属ではないと思いました」
アメリアお姉さまも続ける。
「隠す必要があったのですか?」
数秒の沈黙。
そして――
「あー……やっぱわかってた?」
軽い。あまりにも軽い。
「隠す気ありました?」
「一応それっぽく言ってみただけー」
「全然それっぽくなかったです」
「だよねー!」
あっけらかんと笑い、あっさりと認める。
「まあ本人だよ。戦闘の神。ちょっと様子を見に来ただけ」
「様子見……?」
私が問い返すと、ミストルティン様はほんの少しだけ真面目な顔になった。
「だってさ」
ひと呼吸。
「エレノアは、錬金術再興の最後の砦として転生させた子だよ?」
――空気が、止まる。
「神々全員、知ってるに決まってるじゃん」
さらり、とんでもないことを言う。
メルの尻尾がぴたりと止まり、
アメリアお姉さまの視線が鋭くなる。
「…………はい?」
私は瞬きを繰り返した。
「それに、前世の記憶を保持したままにしたのだって私だしね!」
――空気が、凍った。
私も、メルも、アメリアお姉さまも、言葉を失う。
「……転生? 前世の記憶? 一体どういうこと……?」
「そ、それってどういう意味ですか……?」
困惑した二人の視線が、私へ向けられる。
その言葉に、私は苦笑するしかなかった。
「えーっとね……ここだけの秘密にしてほしいんだけど……」
そう前置きしてから、私はゆっくりと口を開いた。
「私はね、桜井紗月っていう名前で、こことは別の世界の住民だったんだ。
この世界と違って、魔法なんてないし……時代も文明もまったく違う世界だった」
二人は黙って聞いている。
「前世の私は、高校一年生の冬に交通事故で死んでしまったんだ……
あの時の光景は今でも覚えているよ。
突っ込んでくるトラック、救急車のサイレン――
他の人が駆け寄ってくる中、意識が遠のいていく感覚も……」
静寂。
メルが小さく口を開く。
「……高校一年生? 交通事故……トラックに救急車って何ですか……?」
知らない単語に、純粋な疑問が滲む。
アメリアお姉さまは別の点に引っかかっていた。
「それもそうだけれど……魔法がない世界って、どういうこと?」
私は少し考えてから説明する。
「高校は、この世界でいう王立魔法学院みたいなものかな。
トラックは荷馬車みたいなもの。
救急車は、怪我した人や病気の人を運ぶ専用の馬車……みたいなものだよ
そして私は、荷馬車とぶつかって死んだーーそれが交通事故だよ......」
そこでミストルティン様が、楽しそうに口を挟んだ。
「世界はね、複数あるんだよ。それぞれに神族がいるの。
エレノアの前世の世界は、とても文明が発達していて――魔法なんて必要のない世界」
メルが目を丸くする。
「どのくらい文明が違うの……?」
ミストルティン様は、指で空をなぞる。
「エレノアが住んでいた街はね、この国と違って空まで届く大きな建物が立っているし、
移動手段は馬車じゃない。
この世界でいう魔道具みたいなものを使っているのよ」
にやりと笑う。
「実際は“科学”の力で動いてるんだけどね!」
「「科学……??」」
メルとアメリアお姉さまの声が重なる。
ミストルティン様は、うんうんと頷いた。
「簡単に言うとね――
魔法は魔力を使って火を起こすよね?」
二人がこくりと頷く。
「でも“科学”は、この世界でいう自然法則に縛られている。
だから魔力で火を起こす、なんてことはできないの」
「自然法則……?」
アメリアお姉さまが眉を寄せる。
私は言葉を補う。
「えっと……例えば、何かを燃やすには“燃えるもの”と“火種”が必要、とか。
重いものは下に落ちる、とか。
決められた仕組みに従って、必ず同じ結果になる――みたいな感じかな」
「……魔力を込めれば無理やり覆せる、っていう発想がないのね」
「そう。魔法みたいに“意思”でねじ曲げることはできない。
でも、その代わりに――」
ミストルティン様が楽しそうに続ける。
「誰がやっても、同じ条件なら同じ結果が出せるの。
才能や魔力量に左右されにくい」
メルが目を丸くする。
「それって……すごいことじゃないですか?」
「うん。だから文明が発達したんだよ。
空に届く建物も、遠くまで一瞬で移動できる乗り物も、
全部その“科学”で作られてる」
私は静かに頷いた。
「両方、いいところもあれば欠点もあるんだけどね。
魔法は自由で強力だけど、扱える人が限られる。
科学は制限が多いけど、誰でも使える仕組みを作れる」
テラスに、少しだけ真面目な空気が落ちる。
メルはぽつりと呟いた。
「……エレノア様は、そんな世界を知ってるんですね」
その視線は、驚きよりも尊敬に近かった。
私は小さく笑う。
「知ってるって言っても……普通の高校生だったけどね。
成績も、飛び抜けて良かったわけじゃないし」
「え?」
アメリアお姉さまが首を傾げる。
「成績?」
「あ、えっと……その世界では、勉強の出来を数字で評価する仕組みがあって……
私はだいたい上のほうではあったけど、特別天才ってほどじゃなかったよ」
そう言った瞬間――
「何言っているんだか……」
ミストルティン様が肩をすくめる。
「私、前世のエレノアの成績知ってるよ?
得意教科は科学で、苦手教科は――」
「ちょっと!? なんで得意教科と苦手な教科を知っているんですか!?」
思わず立ち上がりかける。
ミストルティン様は、にやにやとこちらを見る。
「だって転生させたの私だし?
魂の状態も、記憶も、適性も、ぜーんぶ確認してるに決まってるじゃん」
「確認って……何をどうやって……!?」
「内申点とか偏差値とかも見たよー。
あ、理科は安定して上位だったよね。
でも古典は最後まで伸び悩んで――」
「やめてください!! 黒歴史を神様目線で解説しないでください!!」
メルがぽかんとし、アメリアお姉さまが目を細める。
「……偏差値?」
「……内申点?」
「数字で相対評価する制度だよー。
同年代の中でどれくらいの位置にいるかってやつ」
さらっと爆弾を落とす神様。
私は顔を覆った。
「でもその“そこそこ優秀”な頭脳と、錬金術の適性が合わさったから今があるんだよ?」
「ちょ、そういう言い方やめてください……」
頬が熱い。
前世では、ただの“少し理科が得意な高校生”だった。
特別でも、選ばれた存在でもなかった。
でも――
その記憶も、知識も、性格も。
全部まとめて、この世界の“エレノア”になった。
前世の記憶。
別の世界。
そして、転生。
穏やかな夏の風が、静かにテラスを吹き抜ける。
「……じゃあ」
メルがそっと口を開いた。
「エレノア様は、偶然ここに生まれたわけではないのですね?」
その問いに、私は言葉を詰まらせる。
ミストルティン様が、いつになく穏やかな声で答えた。
「偶然じゃないよ」
一拍。
「選んだの」
その言葉は、軽くも重くもなく――
ただ、まっすぐに響いた。
「選んだって……?」
私の声は、自分でも驚くほど小さかった。
ミストルティン様は、今度はふざけずに説明を始める。
「私たち神族にはね、死んでしまった魂の情報を読み取って、次にどの世界へ転生させるかを決める役目があるの」
メルとアメリアお姉さまが静かに耳を傾ける。
「普通はね、同じ世界の中で循環させる。
世界を跨いで転生させることは、ほとんどない」
「ほとんど……?」
アメリアお姉さまが問い返す。
「ある一定の条件を満たしたときだけ、世界を跨ぐ。
それは――その世界が危機を迎えるとき」
風が止まったように感じた。
「あるいは、別の世界の価値観や知識を持つ魂を入れることで、“刺激”が必要なとき」
ミストルティン様は、まっすぐに私を見る。
「エレノアの場合は――両方だけどね」
沈黙。
メルの耳が小さく震える。
「……この世界は、危機にあるのですか?」
「うん」
即答だった。
「錬金術は衰退し、魔法体系は歪み、神々の均衡も崩れかけてる。
このまま何も変わらなければ、いずれ大きな破綻が来る」
私は思わず手を握りしめる。
「……だから、私?」
「そう」
迷いのない返事。
「前世のエレノア――桜井紗月の魂は、論理的思考と探究心が強かった。
科学的な思考を持ちつつ、柔軟で、他者を切り捨てない気質もあった」
「な、なんか就職面接みたいなんですけど……」
「魂の適性評価だよ?」
軽く言うけれど、その瞳は真剣だった。
「この世界に足りないのは、“魔法だけに依存しない思考”。
自然法則を理解し、積み重ね、再現する力。
それを錬金術という形で再興できる可能性があった」
アメリアお姉さまがゆっくりと息を吐く。
「だから……記憶を保持させたのですね?」
「うん。本来は消す。
でも今回は、あえて残した」
私は、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
偶然じゃない。
事故でもない。
たまたまでもない。
「……じゃあ、私の人生って」
言いかけて、言葉が止まる。
操り人形だったのか?
選ばれただけの道具なのか?
その不安を察したのか、ミストルティン様はふっと笑った。
「誤解しないでね」
優しい声。
「転生先を選んだのは私。
でも、どう生きるかはエレノア自身だよ」
風が、やわらかく吹き抜ける。
「強制なんてしてない。
エレノアが錬金術を選んだのは、自分の意思。
ポーションを作ってるのも、誰かを助けたいって思ったのも――全部エレノア」
胸の奥の緊張が、少しだけ解ける。
メルが静かに言った。
「……なら、私は誇らしいです」
「え?」
「エレノア様が、この世界を選んでくれたこと」
私は、目を見開く。
アメリアお姉さまも頷く。
「たとえ始まりが神の選択でも、今ここにいるあなたは、あなたです」
言葉が、胸に落ちる。
前世の記憶。
別の世界。
神の選択。
でも――
今ここで笑っている私は、エレノアだ。
そしてミストルティン様は、いつもの調子に戻ってにやりと笑った。
「というわけで、世界の命運を背負った美少女錬金術師なんだから、もっと胸張っていいよ?」
「最後で台無しにしないでください!!」
テラスに、再び笑い声が戻った。
けれど。
メルが、少しだけ不安そうに視線を落とす。
「……したら……エレノア様は、役目が終わったら元の世界へ戻るんですか……?」
その問いに、空気が静かに張りつめた。
私は答えられない。
代わりに、ミストルティン様が口を開く。
「今のところはわからない……」
その声は、先ほどまでよりもずっと落ち着いていた。
「そもそもね、私たち神族の間では“三つの道”を用意しているの」
アメリアお姉さまが静かに問う。
「三つ……?」
ミストルティン様は指を一本立てる。
「一つ目。このままこの世界で魂を循環させる。
つまり、エレノアが天寿を全うしたあとも、この世界で生まれ変わる道」
二本目の指が立つ。
「二つ目。元の世界へ魂を戻す。
記憶をどうするかは別として、“桜井紗月”の世界へ帰す選択肢」
胸が、わずかに締めつけられる。
そして三本目。
ミストルティン様は、わざとらしくにやりと笑った。
「そして三つ目――これは私と大地の精霊王が提言している案なんだけど」
「……案?」
「今は秘密!」
「そこで引っ張るんですか!?」
思わず声が大きくなる。
「だってまだ正式決定してないしー?」
「じゃあ言わないでください!」
メルは不安げに私を見る。
「……戻ってしまう可能性も、あるんですよね……?」
私は、言葉を探す。
戻りたいか、と聞かれたら――
前世の家族、友達、見慣れた街。
恋しくないと言えば嘘になる。
でも。
目の前には、メルとアメリアお姉さまがいる。
錬金術があって、守りたい人たちがいて。
私は、ゆっくりと微笑んだ。
「まだわからない、が正解かな」
ミストルティン様が頷く。
「最終的に選ぶのはエレノアだよ」
「……私?」
「うん。三つの道、どれを選ぶかは本人の意思。
神族は“用意”するだけ」
テラスに、静かな風が吹く。
運命は与えられた。
でも、未来は決められていない。
「……なら」
メルが小さく拳を握る。
「エレノア様がここにいたいと思える世界に、私たちがします」
アメリアお姉さまも静かに頷く。
その言葉に、胸の奥があたたかくなる。
ミストルティン様は、満足げに笑った。
「いいねぇ。青春だねぇ」
「茶化さないでください」
私は苦笑しながら、空を見上げる。
今はまだ、答えは出さなくていい。
この世界で生きる時間が、
私の選択を、きっと形作っていくのだから。




