21話 ある日、庭にマンドラゴラが生えました
日が傾き、窓から差し込むオレンジ色の光が部屋をやさしく染めていた。
今日、薬草店で見たマンドラゴラに似た毒草の根。
その毒草の名前やマンドラゴラがどこで採取できるのか――
すべてが、調べても全くわからなかった。
「うーん……
マンドラゴラってどこで採取できるんだろう……?」
その後も調べるが、これといった情報がない。
エレノアは机に頬杖をつきながら、分厚い薬草図鑑をぱたんと閉じた。
「……ない」
小さくため息をつく。
机の上には何冊もの本が積み上がっていた。
古い薬草大全、地方の採取記録、錬金術師の研究書――どれも片っ端から目を通したが、欲しい情報はひとつも見つからない。
市場で見かけた、あの毒草。
マンドラゴラに似ていた、けれど確かに違った“何か”。
根の形。
葉の色。
漂っていた微かな魔力。
思い出すほどに、違和感は大きくなる。
「……普通の毒草じゃない気がするんだよね」
ペンを持ち、思いついた特徴を書き出していく。
・根がねじれていた
・葉が少し灰色がかっていた
・触れると魔力がぴりっとした
「うーん……」
椅子の背にもたれ、天井を見上げる。
窓から差し込む夕日の光が、紙の上をゆっくりと移動していく。
部屋の空気は静かで、どこか落ち着いていた。
それでも、胸の奥が少しだけざわつく。
(……知らないものって、ちょっと怖いな)
前世の記憶があるとはいえ、この世界はまだ知らないことだらけだ。
だからこそ、ちゃんと知りたい。
危険なら、なおさら。
エレノアは再び本を開いた。
「マンドラゴラ……マンドラゴラ……」
一般的な特徴。
叫び声の危険性。
鎮静方法。
薬効。
「……でも、どこで採れるかは書いてないなぁ」
地域差があるのだろうか。
それとも、今はもう採れないのか。
過去にエレグラム災害で大地が枯れ、多くの薬草が姿を消した。
その影響で記録が途絶えた可能性もある。
「もし今もどこかにあるなら……」
目がきらりと輝く。
「育ててみたいな」
ぽつりと呟いたその言葉は、静かな部屋にやさしく溶けた。
――その頃。
窓の外。
小さな光が、ふわりと揺れていた。
庭の花の影に隠れるように、妖精たちが集まっている。
きらきらとした羽が夕日に透け、淡く光る。
『ねぇねぇ、見た?』
『見た! あの子、マンドラゴラ調べてる!』
『欲しいのかな?』
『困ってるみたいだったよ』
ひそひそ、ひそひそ。
妖精たちは、窓越しにエレノアの姿を覗き込んでいた。
真剣な顔で本を読み、時々首をかしげ、また書き込む。
その姿は、小さいけれどどこか頼もしい。
『……どうする?』
『精霊さまに聞いてみる?』
『うん、相談しよう!』
ぱっと光が弾ける。
小さな羽音を残して、妖精たちは一斉に飛び立った。
庭を越え、木々の間を抜け、森の奥へ。
夕暮れの空気の中、光の軌跡だけが静かに残る。
その頃、エレノアはまだ気づいていない。
自分の何気ない一言が、
小さな存在たちを動かし、
そして――
新しい出会いへと繋がっていくことを。
「……よし」
本を閉じ、背筋を伸ばす。
「明日、お父様に古い採取記録がないか聞いてみよう」
窓の外では、夕日がゆっくりと沈み始めていた。
部屋の中はやわらかな橙色に包まれ、
静かで、穏やかな時間が流れていく。
けれどその裏で。
小さな光たちは、すでに精霊のもとへ向かっていた。
――やがて訪れる、
少し騒がしくて、
でもきっとやさしい“新しい日常”のために。
それから数日後の、ある朝。
カーテンの隙間から差し込むやわらかな朝日で、エレノアは目を覚ました。
いつものように薬草畑の水やりをしようと、身支度を整える。
あれからお父様にも聞いてみたけれど、有力な情報は見つからず、ひとまず深く考えるのはやめていた。
侍女に着替えを手伝ってもらったあと、庭の離れにある実験室の鍵を開ける。
棚から栄養剤を取り出し、じょうろに適量を混ぜた。
「今日も元気かな」
そう呟きながら薬草畑へ向かい、水やりを始めようとしたその時――
ふと、視界の端に見慣れない色が映る。
「……あれ?」
植えた覚えのない、小さな四枚花弁の花が、静かに咲いていた。
「なにこれ……雑草かな?
でもお花は綺麗だから別のとこに植えようかな」
エレノアは小さな移植用スコップを手に取り、花の根元の土をそっと掘り始めた。
「傷つけないように……」
思ったよりも深く根が張っている。
両手でそっと茎を持ち、ぐっと引き上げた。
すぽん――
次の瞬間。
「ぎゃあああああああああああ!!!!!!」
「きゃああああああああああああ!?」
庭中に響き渡る大絶叫。
エレノアは驚きのあまり尻もちをついた。
手には――小さな人型の根っこ。
葉っぱの髪を振り乱し、全力で叫び続けている。
「な、なにこれ!? 動いてる!? 叫んでる!?!?」
「ぎゃああああああ!!」
屋敷の窓が次々と開いた。
「エレノア様!?」
「何事です!?」
使用人たちの慌てた声が重なる。
二階の窓からルーカスが顔を出した。
「エレノア!? どうした――……」
「ぎゃあああああ!!」
「うわああああああ!?!?」
慌てて部屋から飛び出す音がする。
反対側の窓ではアンナが青ざめていた。
「お嬢様!! 今行きます!!」
ばたばたと廊下を走る足音。
屋敷の扉が勢いよく開いた。
「エレノア!!」
最初に庭へ駆け込んできたのはルーカス。
続いてアメリア、メル、カイルも息を切らしながら飛び出してくる。
「大丈夫!? 何があったの!?」とアメリア。
「すごい悲鳴でしたよ!?」とメル。
「敵!? 魔物!?」とカイル。
「え、えっと……これ……」
震える手で掲げられた“それ”を見るなり――
「ぎゃあああああ!!」
「うわあああああ!? なにそれ!?」
ルーカスとカイルが同時に後ずさる。
「……かわいい」
「お姉さま!?!?」
アメリアだけが目を輝かせていた。
「ぎゃあああああ!!」
叫び声がさらに大きくなる。
「ちょ、ちょっと待って! 落ち着いて!? 私も落ち着いてないけど!」
エレノアは半泣きで必死にあやす。
その時、ゆっくりとした足音が近づいた。
「……朝から賑やかだな」
ノエルが庭の端から現れる。
「ノエル!! これなに!?」
「……マンドラゴラだ」
「マンドラゴラ!?!?!?」
場の空気が一瞬止まる。
「え、じゃあ……前に調べてた……」
「ぎゃああああ!!」
「わかった! わかったから!!」
耳を塞ぎながら慌てて近くの鉢に戻す。
すると叫び声が少しだけ小さくなった。
「……ぎゃ……」
「……おさまった……?」
全員がそっと息を吐く。
「ふぅ.....びっくりした.......」
「……マンドラゴラって喋るの……?」
アメリアお姉さまがそう呟いた瞬間――
「しゃべるよ!! さっきからずっとしゃべってたよ!!」
鉢の中から元気いっぱいの声が響いた。
「「「「しゃべった!!?」」」」
庭にいた全員の声が見事に重なる。
マンドラゴラは葉っぱの髪をぶんぶん振りながら、ぷんすか怒っている。
「ぎゃーって叫んでたの、ちゃんと意味あったからね!?
“いきなり引っこ抜かないでー!!”って言ってたの!!」
「ご、ごめんなさい!?」
エレノアが慌てて頭を下げる。
「だってお花綺麗だったから雑草かと……」
「酷くない!?
物凄く高級な素材だよ!?」
「そ、そうなの!?」
横でルーカスが小声で呟く。
「……なんか、思ってたより普通に会話してるな……」
「かわいい……」とアメリアは目を輝かせている。
「それで、マンドラゴラさんはどうしてうちの薬草畑に来たの?」
そう聞くと意外な答えが返ってきた。
「私達いいとこがあるよ!って言われて連れてこられたんだよ!」
ノエルが深いため息をつく。
「……やっぱりあいつらか……」
そう呟くと、彼はゆっくりと畑を見回した。
風に揺れる薬草。静かな庭。――けれど、その視線だけが妙に鋭い。
「隠れてるんだろ。出てこい」
沈黙。
誰もいない……ように見える。
ノエルはしゃがみ込み、畑の隅に生えている背の高い薬草の葉をひょいっと持ち上げた。
その瞬間――
「わっ」
「ばれた!」
「なんでわかったの!?」
光の粒がぱっと弾け、小さな妖精――いや、精霊たちが次々と姿を現した。
ノエルは無表情のまま言う。
「気配、隠せてない」
「えー……」
精霊たちは不満そうにふよふよ浮かぶ。
私は慌てて口を開いた。
「えっと……もしかして、この子たち連れてきたのって……」
すると一体が元気よく手を挙げた。
「はーい! いいとこあるよって連れてきた!」
「やっぱりな……」
ノエルがこめかみを押さえる。
「ここ、いい土だったしー」
「日当たりよかったしー」
「エレノア優しそうだったしー!」
口々に言い訳(?)を始める精霊たち。
その横で、マンドラゴラたちは得意げに胸(葉)を張った。
「ぼくたち、選ばれし四本なんだよ!」
「四本……」
私は畑を見渡す。
よく見ると――さっきの花の近く。
土が、微妙に盛り上がっている場所が……四つ。
「……え、待って」
嫌な予感がして近づくと。
ひょこ。
ひょこ。
ひょこ。
ひょこ。
四本の小さなマンドラゴラが顔を出した。
「こんにちはー!」
「よろしくー!」
「ここ住んでいいって聞いたー!」
「水やり楽しみー!」
アメリアお姉さまが目を輝かせる。
「かわいい……」
メルとカイルは若干引いている。
ルーカスお兄様は腕を組んで苦笑した。
ノエルは静かに精霊たちを睨む。
「……増やすなって言った覚えがあるんだが」
「まだ言われてないもーん」
「今、言った」
精霊たちは顔を見合わせ、気まずそうに笑う。
私はしゃがみ込んで、四本のマンドラゴラを見る。
「……叫ばない?」
「抜かなければ叫ばないよ!」
「優しくしてくれたらいい子!」
「おしゃべりもできるよ!」
「……思ってたより普通に会話できるんだね……」
私は苦笑しながら空を見上げた。
……なんだか、とんでもないことになってきた気がする。
その時だった。
四本のマンドラゴラのうち、一番背の高い子がぴょこんと前に出た。
「あとね! 大事なお話あるの!」
「お話?」とエレノア。
「ぼくたち、びっくりすると叫んじゃうから!」
「さっきみたいにね!」と別の一本が元気よく言う。
「だから――」
四本が揃って胸を張った。
「勝手に引っこ抜かないでね!!」
「う、うん……それはもう本当に……ごめんなさい……」
エレノアは深く頷いた。
すると今度は、小柄な一本が葉っぱの手をぶんぶん振った。
「でもね! 素材が欲しかったら言ってくれればいいよ!」
「え?」
「葉っぱとか、ちょっとした根っことか!」
「自分たちで分けてあげる!」
「無理やり抜かなくても大丈夫だから!」
エレノアは目を丸くする。
「……それ、すごく助かる……」
横でアメリアがぱっと顔を輝かせた。
「共生……ですね!」
「共生だね!」とマンドラゴラたちも嬉しそうに跳ねる。
ノエルは腕を組んだまま精霊たちを見た。
「……で? 勝手に連れてきた件は?」
「えへへ……」
「いい子だからさー」
「絶対エレノアと相性いいと思ってー」
精霊たちはふよふよと目を逸らす。
ノエルは深くため息をついた。
「次からは報告しろ。護衛対象の敷地だ」
「はーい……」
珍しく素直にしょんぼりする精霊たち。
その様子を見て、エレノアは少しだけ笑った。
畑には穏やかな空気が戻り、
四本のマンドラゴラは楽しそうに土の上でぴょこぴょこ跳ねている。
――そして。
エレノアはふと、思い出したように口を開いた。
「……あ、そういえば」
全員の視線が集まる。
「マンドラゴラの叫び声を聞くと……死ぬって聞いたことあるんだけど……
私たち……大丈夫……?」
――しん。
次の瞬間。
「「「「えっ……」」」」
メルとカイルが一気に青ざめた。
「さ、さっきめちゃくちゃ聞きましたよね……?」
「お、俺……今から倒れる感じ……?」
ルーカスがゆっくり後ずさり、
アメリアも固まったまま口を押さえる。
使用人たちの間にもざわめきが走った。
その横で。
ノエルだけが首をかしげる。
「……なんだそりゃ」
そして――
精霊たちが顔を見合わせて、あっけらかんと言った。
「あー、それねー」
「昔の噂だよー」
「というかー」
一体が元気よく手を挙げる。
「それ、私たちが流したんだよ!」
「「「「えっ!?」」」」
全員の声が揃う。
精霊たちはけろっとした顔で続けた。
「昔、乱獲ひどくてねー」
「マンドラゴラさん絶滅しかけたからー」
「怖い噂流したら誰も抜かなくなったの!」
マンドラゴラたちも得意げに頷く。
「先祖がんばったって聞いた!」
「大成功作戦!」
エレノアはぽかんとしたまま尋ねた。
「……じゃあ、死なないの?」
「死なないよー!」
その瞬間。
メルがその場にへたり込み、
カイルは大きく息を吐き、
アメリアは胸に手を当ててほっと笑った。
ルーカスは空を仰ぐ。
「……本気で覚悟したぞ……」
ノエルは肩をすくめた。
「最初からそんな顔してなかっただろ」
にぎやかな笑い声が薬草畑に広がる。
四本のマンドラゴラは楽しそうに跳ね、
精霊たちはくるくると宙を舞い、
家族と使用人たちはようやく落ち着きを取り戻した。
エレノアは小さく息を吐いて、くすっと笑う。
……本当に、とんでもない朝になったけれど。
「……これから、よろしくね」
そう言うと、四本は元気いっぱいに答えた。
「よろしくー!!」
――朝の光の中、
レーヴェン家の薬草畑は――
少しだけ、にぎやかになったのだった。




