20話 忍び寄る陰謀、変わらぬ日常
「あぁ忌々しいったらありゃしない!!!
あの娘め、陛下に近づきすぎるんだ……!」
とある貴族家の私邸で、苛立ちをぶつけるように机を叩く男。その額には怒りの血管が浮かび、拳の震えが止まらない。彼は代々レーヴェン子爵家と長年、魔導師団副師団長の席を争ってきた。権力と栄誉を巡る戦いは幾世代にも渡り繰り返され、彼の家系に深く刻まれていた。
しかし、男自身は私利私欲に溺れ、魔法の鍛錬も人心掌握術も、ありとあらゆる能力の向上を怠った結果、今や影は薄く、かつての威光はすでに過去のものとなっていた。
そこに現れたのが、若き錬金術士エレノアだった。大地の精霊王の加護を受け、魔法と錬金術の双方で才覚を存分に発揮する彼女は、瞬く間に王城内での地位と信頼を築いた。副師団長の座を狙っていた男にとって、エレノアの存在は許しがたい脅威でしかない。
跡目を狙う野心はあっという間に潰え、男の胸には焦燥と屈辱だけが残った。
「あのポーションさえなければ……!!!!!!」
男はエレノアのポーションを王城で導入することが決まった際、衛生大臣や陛下に抗議した。だが結果は覆ることなく、賛成多数により魔軍激突後に正式導入が決定された。
それ以来、襲来する魔物や森の中の魔物を討伐する際、エレノアのポーションは大活躍し、従来のポーションはほとんど使われなくなってしまった。
男は裏稼業で借金を抱えた錬金術士を雇い、粗悪で品質の悪いポーションを正規品と混ぜ、差額を懐に入れていた。その収入は馬鹿にできないレベルの富をもたらしていた。
このままでは裏稼業も潰れ、レーヴェン子爵家に魔導士の名門としての飛躍をさらに許すことになる――そんな一方的な恨みを男は抱えていた。
しかし、現実問題としてエレノアやレーヴェン子爵家に直接手を出すことは、藪をつついて蛇を出すようなものである。正攻法で動こうとすれば、返り討ちにあう危険があるのだ。
王城ではエレノアの噂や情報が至る所で飛び交っており、「影の諜報機関がエレノアを護衛している」「エレノアを大地の精霊王の眷属が護衛している」といった様々な噂が聞こえてくる。もちろん全てが真実とは限らないが、嘘と証明することそのものが難しい噂まで存在する。
加えて陛下は、エレノアとの接触をごく限られた官僚のみに許可する王命を出しており、男の貴族家はその対象に含まれていなかった。
「まずは陛下の信頼を築き、エレノアとの接触を図る……
そして私邸に幽閉し、その力を我が物にすれば完璧だ……!
もし駄目なら、陛下を暗殺し、エレノアを王城の牢に厳重に拘束したうえで幽閉する……
全ては我が貴族家の栄光のために!!!!!」
男は書斎の奥にある隠し扉を開き、エレノアを幽閉するために特注で作った専用の地下牢を見て、決意を固めるのであった。
――王都・市場
王城へポーションを納品した帰り道、エレノアとノエルは貴族街を抜け、市場へと向かっていた。ノエルが護衛として常に付き添うようになってからは、王都内であれば実質一人で出かけられるようになり、ポーション納品の帰りに市場を覗く機会も増えた。
「さぁ寄ってらっしゃい! 見てらっしゃい! 新鮮なお野菜がたくさん入ってるよー!」
「我がお肉の品質は王都一だよー! ぜひ見てってくれ!!」
あちらこちらから賑やかな声が響く。エレノアは定期的にポーションを納品することで潤沢な資金を得ていたが、使い道は限られており、こうして市場で素材や食材を買う以外にはほとんどなかった。
「エレノア殿、疲れはございませんか?」
ノエルがそっと声をかける。
「今のところは大丈夫だよ!」
エレノアは笑顔で答え、通りの屋台を見渡す。そこには行列ができており、同時にスパイスのいい香りがしていた。
吸い込まれるように列に並び、店主の華麗な手さばきに見とれていると、私たちの順番になった。
「お嬢ちゃん初めて見る顔だね! いいとこの冒険者かい?」
「いいえ、たまたま来ていた通りすがりの者です! 猪頭人肉のスパイス串を二本ください。」
「あいよ! いいとこを焼くからちょっと待ってな!」
そう言うと、見るからに脂がのっていて美味しそうなところを網台にのせ、スパイスをまんべんなく振りかける。
焼けていくにつれスパイスの香りと猪頭人肉の香ばしい匂いが私たちを包み込む。ノエルはその香りに、普段はクールで大人しいが、まだかと言わんばかりに尻尾を振り回していた。
「お待たせ! お嬢ちゃん! 二本で三百ルミナね!」
「はい、ありがとうございます!」
エレノアは焼きたての猪頭人肉の串を受け取り、ノエルと並んで通りの石畳に腰を下ろした。ノエルも串を一緒に受け取り、静かに座る。
「……いただきます」
エレノアが串を口に運ぶと、香ばしく焼けた肉の旨味とスパイスの風味が口いっぱいに広がった。ジュワッと溢れる肉汁に、思わず目を細める。
「……うん、美味しい」
ノエルも小さく頷き、串をかじる。普段は落ち着いた表情のノエルが、香ばしい匂いに誘われて少し目を輝かせているのが微笑ましい。
二人は串を交互に見比べながら、時折会話を挟む。
「ノエル、このスパイス、ほんのり甘くて香ばしいね」
「ええ、肉の旨味を引き立てています。」
串を食べ終えると、エレノアは手に持った小さな布袋に残った食べかすをそっとしまい、立ち上がる。通りの向こうには香り高い薬草店が見えた。
「よし、次はここだね」
エレノアは薬草店の扉を開ける。中には色とりどりの薬草が並び、乾燥させた葉や小瓶に詰められた香草が棚いっぱいに置かれている。店主が柔らかく微笑み、挨拶を返す。
「あら!この間のお嬢様じゃないかい!いらっしゃい」
「この間はありがとうございました!お陰様でいいものが作れました!」
「そうかい!そりゃあ良かったね!それで今日はどんな薬草を探しているのかい?」
「珍しい素材とあと薬草畑を作ったので何かいい苗がないか探しに来たんです!」
そう言うと店主は珍しい素材をカウンターにおいて説明した。
「これは、マンドラゴラの根でね
ポーションとかに入れると効果が増すらしいけど実際のとこは成功したって話がないから中々売れないものでね」
「そうなんですね......」
そう言いながら鑑定すると驚きの結果が出た。
【鑑定結果】
名前:マンドラゴラに似た毒草の根
品質:低品質-
備考:時間が経過するにつれ毒性が強くなる性質を持つ
マンドラゴラに非常に似ており多くはこの根が流通している
最悪の場合死に至る為絶対に素材にしてはいけない
「店員さん……これ、マンドラゴラに似た毒草の根ですよ……」
「え……そうなんですか……?」
店主は目を丸くし、慌ててカウンターの上の根を手に取った。年季の入った指先がわずかに震えている。
「そ、そんな……仕入れ先は昔から付き合いのある行商人なんだよ。まさか偽物なんて……」
エレノアは小さく首を横に振った。
「見た目はほとんど同じなんです。でも、この根は時間が経つほど毒性が強くなります。ポーションに混ぜたら……危険です」
店内の空気が一瞬で張り詰めた。棚に並ぶ乾燥薬草の香りさえ、どこか重く感じられる。
店主は深く息を吐き、根を丁寧に布で包んだ。
「教えてくれてありがとう……。もし誰かに売っていたらと思うと、背筋が冷えるよ」
「まだ誰にも売っていませんか?」
「幸い、売れ残りだったんだ……。珍しいからって仕入れただけでね」
ノエルが静かに周囲を見回しながら口を開く。
「流通経路を確認した方がいいですね。市場に出回っているなら、被害が出る可能性があります」
「……そうだね。すぐに行商人に連絡を取るよ」
店主は頷き、奥の帳簿を取りに向かった。その背中はどこか沈んで見えた。
やがて帳簿を確認し終えると、店主は気持ちを切り替えるように手を叩いた。
「……よし、気を取り直そうか。せっかく来てくれたんだ、いい苗を見ていっておくれ」
エレノアは棚の奥へと足を進め、小さな鉢が並ぶ一角を覗き込む。葉の形も色もさまざまで、ほのかに青い薬草の香りが漂っていた。
「……あ、この苗、初めて見るかも」
指差したのは、銀色の細い葉を持つ小さな植物だった。葉の縁がわずかに青く光っている。
「それは“霧銀草”だよ。朝露を吸うと葉に魔力が溜まる性質があってね。鎮静系のポーションや魔力回復薬の補助素材として重宝されるんだ」
「へぇ……畑でも育てられますか?」
「日陰と湿り気さえ保てば丈夫さ。成長も早いし、初めての栽培でも扱いやすいよ」
エレノアは目を輝かせ、苗をそっと持ち上げた。
「じゃあ、この霧銀草を三株ください。それと……この“赤葉カモミラ”も。香りが良さそう」
「お、目の付け所がいいねぇ。それは精神安定系の調合に向いてるよ」
店主は丁寧に苗を布で包みながら、先ほどの件を思い出したように小さく頭を下げた。
「それにしても、さっきは本当に助かった。危ない素材をそのまま売るところだったよ」
「いえ……気づけて良かったです」
苗を包み終えた店主は、差し出しかけた代金をそっと押し戻した。
「今日はお代はいらないよ。命拾いしたお礼ってことで、受け取っておくれ」
「え……でも……」
「いいんだ。商売人としての信用を守れたんだ、それだけで十分さ」
エレノアは少し迷ったあと、静かに頭を下げた。
「……ありがとうございます。大切に育てます」
店を出ると、外はすでに夕暮れ色に染まり始めていた。市場の喧騒も少しずつ落ち着き、屋台を片付ける音があちらこちらから聞こえてくる。
ノエルが荷物の一部を受け取りながら言った。
「霧銀草ですか。新しい素材ですね」
「うん。畑にちょうど日陰の場所があるから、そこで育ててみようかなって」
「収穫が楽しみですね」
エレノアは苗を大切そうに抱え、少しだけ早足になる。
「帰ったら早速植え替えしなきゃ。土の配合も考えないと……!」
楽しそうに話すエレノアを見て、ノエルは静かに微笑んだ。
夕焼けに照らされた石畳の道を、二人は並んで屋敷へと戻っていく――。
ーー王城・執務室
夕刻。西日が執務室を赤く染め、書類の影を長く引き伸ばしていた。陛下が静かに筆を走らせていると、不意に足元の影がわずかに揺れる。
「……この気配は」
次の瞬間、床に淡い土色の光が広がり、重厚な存在感と共に大地の精霊王が姿を現した。
「人の王よ。再びまみえることになったな」
「……大地の精霊王。まさか、そちらから来るとはな」
二人の間には、まだ測り合うような緊張が残っている。だが敵意ではない――互いの力を認めた者同士の、静かな距離感だった。
「本日は礼ではない。忠告に来た」
精霊王の声が低く響く。
「そなたの城に、我が愛し子に害をなそうとする者の気配がある」
陛下の目が鋭く細められる。
「……エレノアに、か」
「嫉妬と欲に濁った悪意。まだ動きは小さいが、放置すれば芽は確実に育つ」
執務室の空気が張り詰める。遠くで鐘の音が一度だけ鳴った。
陛下はゆっくり立ち上がり、窓越しに王都を見下ろす。
「忠告、感謝する。……あの子は、この国の宝だ。決して傷つけさせはしない」
そう言って、陛下は何気なく視線を横へ流した。
――誰もいない壁際。
しかし次の瞬間、ほんのわずかに影が揺れる。
陛下は言葉を発しない。ただ、静かに目を細め、わずかに顎を引いた。
それだけで十分だった。
音も気配も残さず、“何か”がそこから消える。空気が一瞬だけ軽くなる。
精霊王はその様子を見つめ、僅かに目を細めた。
「……言葉を使わず命じるとは。人の王のやり方、興味深い」
「王城には、声を出さずとも動く者たちがいる。それだけの話だ」
短い沈黙。
やがて精霊王は頷く。
「ならば任せよう。我も遠くより見守る」
土色の光が揺らぎ、精霊王の姿はゆっくりと消えていった。
残された執務室で、陛下は低く呟く。
「……影よ、動け。芽のうちに摘み取れ」
夕闇が王都を包み始める頃――
誰にも知られぬまま、王城の闇は静かに動き出していた。




