2話 庭に現れた、小さな神秘
――とある昼下がり。
昼食を終えたあと、私はいつものように庭へ足を運んだ。
柔らかな陽射しが花壇を照らし、色とりどりの花が静かに揺れている。
けれど、その傍らのベンチには――
珍しく、庭師のオリバーさんが腰を押さえて座り込んでいた。
「オリバー? どうしたの?」
「おや……エレノア様……。いえ、その……少々、腰魔詰まりをやってしまいましてな……」
立ち上がろうとして「いてて……」と小さく顔をしかめる。
どうやら本当に動けないらしい。
「だ、大丈夫? お医者様呼ぶ?」
「はは……大したことはございません。少し休めば良くなります。ただ……今日の水やりが難しそうでしてな……」
申し訳なさそうに、オリバーさんは花壇へ視線を向けた。
乾き始めた土が、陽の光を受けて白く見える。
「……じゃあ、私がやるね」
「え?」
「いつも見てるし、ジョウロも持てるよ。重いのは無理だけど……少しずつならできると思うの」
そう言うと、オリバーさんは一瞬驚いた顔をして――
やがて、穏やかに目を細めた。
「……それでは、お言葉に甘えましょう。無理はなさらぬように」
「うん!」
小さなジョウロに水を入れ、両手でしっかりと持つ。
少し重たいけれど、ゆっくり歩けば大丈夫。
花壇の前にしゃがみ込み、そっと水を傾けると――
さらさらと水が土に染み込み、乾いた表面がじんわり色を変えた。
「……元気に育ってね」
思わず、そう呟いた瞬間――
ふわり、とやわらかな風が頬を撫でた。
静かなはずの庭で、
あのときと同じように、私の周囲だけがわずかにざわめいた気がした。
――胸の奥が、ひやりとする。
けれど今回は前とは違う。
明らかに、誰かの気配がある。
お花を傷つけないよう、そっと葉っぱを掻き分ける。
するとそこには――
小さな存在が、ふよふよと宙に浮かんでいた。
「え……なに、これ」
驚きのあまり、思考が止まる。
そのとき――
「え、ちょっと待って!?なんで見えてるの!?」
……しゃべった。いや、しゃべったよね今?
呆然としている間にも、小さな存在は私の目の前をふよふよと飛び回っていた。
目で追いかけているとーー
「やっぱり私達のこと見えてる.....
嘘!?なんで!?大地を愛し純粋な心を持っていないと見えないはずなのに....」
「普通は見えないの? 私には見えるけど……」
妖精はふわふわと宙を飛び回りながら、目を輝かせて言った。
「普通は見えないわね! でも、よく見るとあなた、大地を愛してるし、純粋そうだから見えたんじゃない?」
小さな羽をぱたぱたさせて、私の周りをくるくる旋回する。
「あ……あの、名前は……?」
「私は大地の精霊王の眷属の妖精だよ!
名前はないよー」
そう言いながらくるくると飛び回る妖精さん
「大地の精霊王の眷属……って、どういうこと?」
思わず口をついて出た言葉に、妖精はくるくると宙で跳ねながら答えた。
「えーっとね、私たちは大地の精霊王様に仕えてるの!
大地を守ったり、お花や植物、生物を元気にしたりするのが仕事だよ!」
「そ、そうなんだ……!」
私は目を丸くして見つめる。小さな羽が光を反射して、まるで宝石みたいにキラキラしている。
「でね! あなたみたいに大地を愛してる人間には、こうして私たちが見えるんだよ!」
妖精は両手を広げて嬉しそうに笑う。
「えへへ、今日は特別に見せてあげる~!」
私がそっと手を差し伸べると、妖精はふわりと飛んで手のひらの上に着地した。
「わっ……軽い……!」
羽の柔らかさと小さな体温に、思わず心がほっと温かくなる。
「ふふ、怖がらなくて大丈夫だよ。私たちは害を与えないから」
妖精はちょこんと手のひらに座り、くるくると回りながら話す。
「で……でも、なんでわざわざ私に見せてくれたの?」
私が尋ねると、妖精はちょっと考え込む素振りを見せたあと、にっこり笑った。
「ふふ、それはね……これから君に大事な仕事をお願いするかもしれないから!
その準備のために、まず私たちと仲良くなってほしいの!」
「大事な仕事……?」
胸が高鳴る。妖精の目はきらきらと輝き、何か秘密を抱えているようだ。
「うん、でも今日はお試し! まずはお花や植物と仲良くなることから!」
妖精はふわっと飛び、花壇の花に向かって軽く手を振る。すると、乾きかけた花びらがみるみる生き生きとして、色鮮やかに揺れた。
「わっ……! 本当に生き返ったみたい……!」
目を見張る私に、妖精はにこにこと笑った。
「ね、すごいでしょ! 君と私たちが一緒に頑張れば、もっとすごいことだってできるんだから!」
私は深呼吸をして、静かにうなずいた。
「うん……やってみる……!」
ふわふわと宙を舞う妖精を見上げながら、私の胸には不思議な期待感が広がった。
この小さな庭から、何か大きな冒険が始まる予感――。
ふわふわと舞う妖精を見つめながら、私は思わずつぶやいた。
「……精霊王様って、どんな人なんだろう……」
妖精は首をかしげ、両手をぱたぱたさせた。
「えーっとね……会ったことはないけど、私たち眷属が伝えているところによると……すっごく大きくて、優しくて、力強いんだって!」
「力強い……?」
私は不思議そうに聞き返す。妖精は小さく頷き、言葉を続けた。
「うん、大地や自然を司ってるからね。私たちに指示を出すこともあるんだ。で……なんだかあなたには、精霊王様が直接、興味を持ってるみたいなんだよ!」
「え……直接?」
思わず声が大きくなる。妖精はふわりと宙を舞い、目を輝かせる。
「そう! いつか……あなたのところに、精霊王様自身がやってくるかもしれないって!」
私の胸が、ドキドキと高鳴る。
「私に……?」
妖精はにっこり笑いながら、私の肩にちょこんと止まった。
「うん。だってあなた、大地を愛してるし、純粋だから。精霊王様が興味を持つのも納得でしょ!」
「でも……どうして私に?」
自然や植物を愛しているだけの私に、精霊王様が……?
頭の中で考えがぐるぐる巡る。
妖精はくるくると私の周りを回りながら、楽しそうに答える。
「ふふふ、それは……まだ内緒! でもね、精霊王様が来たときは、ちゃんと教えてあげるから!」
私は少し不安な気持ちと、それ以上の期待感を胸に抱きながら、小さな妖精と一緒に花壇を見つめた。
――庭の向こう、深い森の奥で、誰かが私のことを見ている――そんな気配を、ほんのわずかに感じながら。
そのとき――
足元の土が、ほんのわずかに震えた気がした。
「……え?」
私が顔を上げると、花壇の土がふわりと盛り上がり、細かな粒子が空中へと舞い上がる。
まるで、誰かが下から息を吹きかけたみたいに。
妖精の動きが、ぴたりと止まった。
「……あ」
小さな声が漏れる。
さっきまで楽しそうに飛び回っていた妖精の顔が、急に真剣なものへと変わった。
「どうしたの?」
私が尋ねると、妖精はゆっくりと庭の奥――森の方へ視線を向ける。
風が止まった。
鳥のさえずりも、葉擦れの音も、なぜか遠くに感じる。
代わりに――
大地の奥から、どくん、と脈打つような感覚が伝わってきた。
胸の奥が、静かに震える。
「……この気配……」
妖精が小さく呟く。
「え? なに……?」
私が聞き返した瞬間、足元の花々が一斉に、同じ方向へと向いた。
まるで、誰かに頭を下げているみたいに。
庭の土が、ほんのりと温かくなる。
靴越しなのに、それがはっきり分かった。
そして――
耳元で、低く穏やかな声が響いた気がした。
――……見つけた。
「……っ!」
思わず振り返る。
けれど、そこには誰もいない。
妖精は、ぱちぱちと目を瞬かせながら私を見つめた。
「……今、聞こえた?」
「……うん……声……みたいなのが……」
妖精は小さく息を呑み、そして――
少しだけ嬉しそうに、でもどこか緊張した顔で言った。
「……たぶんね」
一拍置いて、静かに続ける。
「もうすぐ……精霊王様が来るよ」
その言葉と同時に、庭の奥の土がゆっくりと脈打った。
まるで――大地そのものが、目を覚まそうとしているかのように。




