17話 孤児と眷属、屋敷に集う
ーー朝の光が屋敷の庭をやわらかく包み込む頃、エレノアは薬草畑や花壇に水をやっていた。小さな手でジョウロを傾け、葉先に水滴を落とすたび、朝露のような光がきらりと揺れる。
「ふぅ……朝の水やりは、やっぱり気持ちいいな……」
庭を撫でる穏やかな風に、花の香りと湿った土の匂いがふんわりと混ざり合う。エレノアが小さく微笑みながら水をやっていると、背後からやさしい声が届いた。
「おはよう、エレノア……」
振り返ると、大地の精霊王が静かに佇み、その隣には白い犬のような姿をした神獣が寄り添っていた。
「精霊王様、おはようございます……
その隣にいるワンちゃんみたいな子は……?」
精霊王はくすりと微笑む。すると隣の神獣が、低く落ち着いた声で答えた。
「お初にお目にかかります。我が王の愛し子様。
私は大地の精霊王の眷属、神獣のフェンリルと申します」
静かに頭を下げるその姿からは、揺るがぬ威厳と深い落ち着きが感じられた。
「私はエレノアと言います。
フェンリルさん、よろしくお願いします」
エレノアも小さく頭を下げ、穏やかな挨拶を交わした。
「それで、精霊王様……今日はどういったご用件ですか?」
「実は、エレノアの父君に話があってな……
もしよければ、呼んでもらえると助かる」
「わかりました」
エレノアは屋敷の中へ入り、書斎へ向かった。書斎の扉をノックして中に入ると、今日は休息日のはずなのに、お父様は王城へ行くときの格好をしていた。
「あれ? お父様……今日は休息日ですよね……?」
「そうなんだが……この間の魔軍激突の後処理がまだ終わっていなくてね。
本来は休息日なのだが、今日は王城で働く者は皆来るようにと言われてしまって……」
お父様は遠い目でため息をついた。
「それはそうと、何か用があったんじゃないかい?」
その言葉にハッとする。
「精霊王様がお父様に話があるそうで……
庭にいらっしゃるので、来ていただけますか?」
「わかった、今行くよ」
お父様はそう言うと書斎を後にした。
庭に出ると、精霊王は穏やかに微笑んでいた。
「お待たせしてしまい、申し訳ございません。大地の精霊王様」
「いや、急に私が来たのが悪い。実はお願いがあってな……」
「そのお願いとは……?」
「実はだな、エレノアに我が眷属のフェンリルを護衛として置きたいのだ。
先日の魔軍激突後も、エングラムの流れはまだ完全には安定していない。
またいつ何が起きるかわからん状況だ。
それに、あの場にいた者には、エレノアが大地の精霊魔法を使えることが既にばれてしまっているしな……」
「エングラム.....?」
聞いたことがない言葉が出て固まるお父様に私は説明する。
「エングラムっていうのは簡単にいうと大地で生きる生物や植物にとって必要な栄養みたいなものだよ。
このエングラムの流れが乱れると大地が枯れたり上位種や亜種が生まれ魔軍激突の原因になるんだって。
この間の魔軍激突は精霊王様が予め教えてくれたからポーションを前もって多く作ってたんだ」
「ざっくり言うとそうなるな......」
「では、大地の精霊王様はあの魔軍激突を予見していたと.......
それに魔軍激突にそんな法則があったとは知りませんでした。」
「魔軍激突は必ずしも起きるとも限らないし他の要因で起こることもあるから何とも言えないが大体はエングラムの流れが乱れていると思っていいだろう」
初めて知ることを手帳に書き留めていくお父様。
「今聞いた内容を王城で共有してもよろしいでしょうか.......?」
その問いに対して大地の精霊王様は了承するとお父様は深々と頭をさげお礼を言った。
「話を戻すとエレノアの元に精霊王様の眷属を護衛として置きたいとのことでしたね。
私は構いませんが、この国法律でフェンリル様は従魔という扱いになり従魔の印をつけなくてはなりません。
誤って討伐されることを防ぐためです。
ですので後程従魔であることを示す首飾りをフェンリル様にお付けすることになるのですが、よろしいでしょうか?」
「我が王の愛し子様であるエレノア殿をお守りする役目が果たせるのなら私は構わん。
そこら辺の人間や魔物に負けるとも思わんが反撃するのが面倒だしな」
「ありがとうございます!フェンリル様。
では後程従魔を証明する首飾りをつけさせていただきます。
フェンリル様はお名前ありますか?」
「名前はない」
フェンリルがそう言うとお父様は困った顔をした。
「実は手続きをするのに名前が必要でして.....」
「なら、エレノアが名前を付ければいいんじゃないか?」
大地の精霊王様はそう提案するとフェンリルもお父様も頷く。
……私、名前をつけるセンスないんだけど!?
内心で盛大に慌てながらも、皆の視線が一斉にこちらへ向いていることに気づき、エレノアは小さく息を吸った。
目の前には、大地の精霊王の眷属――白き神獣フェンリル。
朝の光を浴びた真っ白な毛並みは、空に浮かぶ雲のようにやわらかく輝き、静かな金色の瞳がまっすぐエレノアを見つめている。威厳に満ちた姿なのに、不思議と心を落ち着かせる穏やかな気配があった。
(うぅ……どうしよう……でも、この子を呼ぶ名前……ちゃんと考えたい……)
エレノアはしゃがみ込み、フェンリルと目線を合わせる。
「……ねえ、フェンリルさん。呼びやすくて、優しい名前でもいい……?」
「構わん。愛し子殿が呼びやすい名がよい」
低く落ち着いた声に、エレノアは少しだけ肩の力を抜いた。
(白くて……ふわふわで……雲みたい……)
じっと毛並みを見つめる。
(雲……うーん……でも、なんか違う……)
指先でそっと撫でると、さらさらと雪の粒のような光がこぼれ落ちた。
(……雪……? 白くて、きれいで……でも……)
ふと、冬の景色が胸の奥に広がる。
暖かな光、やさしい笑顔、みんなで囲む食卓。
(雪……冬……クリスマス……)
その瞬間、胸の奥に小さな灯りがともった。
「あ……」
思わず声が漏れる。
エレノアは少し照れながら、それでも真っ直ぐフェンリルを見つめた。
「……ノエル、ってどうかな……?」
周囲が静まり返る。
「白くて……優しくて……なんだか、あったかい感じがして……」
少し不安そうに言葉を続ける。
「その……嫌だったら、別の名前考えるけど……」
フェンリルはゆっくりと目を細めた。
そして――静かに尻尾を揺らす。
「……ノエル、か」
低く響く声が、朝の庭に落ちる。
「よい名だ。温かく、優しい響きだな。我は気に入った」
「おお、愛し子らしい名ではないか」
大地の精霊王が満足そうに頷く。
「呼びやすく、印象も良い。護衛の名としても申し分ありませんね」
お父様も穏やかに微笑んだ。
胸の奥の緊張が、ふわりとほどけていく。
エレノアは小さく笑って、手を差し出した。
「じゃあ……ノエルさん。これから、よろしくお願いします」
白き神獣――ノエルは、その手にそっと鼻先を寄せる。
「こちらこそ。主を守る刃として、全力を尽くそう」
朝露の残る庭に、静かで頼もしい誓いの言葉が響いた。
――精霊王との話し合いが終わると、お父様は小さく息を吐いた。
「……護衛の件、確かに承りました。王にも正式に報告しておきましょう」
そう言うと、先ほどまでの穏やかな空気とは打って変わり、てきぱきと身支度を整え始める。
「本当は休息日のはずだったんだけどね……どうにも仕事が山積みで」
困ったように苦笑しながらも、その手の動きは慣れたものだった。
エレノアの前にしゃがみ込み、優しく頭を撫でる。
「エレノア、今日はノエルと一緒にゆっくり過ごすんだよ。無理はしないように」
「はい、お父様」
「ノエル、娘を頼む」
「心得た」
短いやり取りを交わすと、お父様は立ち上がった。
外ではすでに馬車の準備が整っており、使用人たちが慌ただしく行き来している。
「それでは、行ってくるよ」
軽く手を振り、少しだけ急いだ足取りで屋敷を後にするお父様。
門が閉じられると、庭には再び穏やかな朝の空気が戻ってきた。
新しい護り手と、新しい名前。
それは、エレノアの隣に寄り添う――静かで確かな絆の始まりだった。
ーー午後の柔らかな日差しが屋敷の玄関前を照らしていた頃。
庭でノエルと一緒に過ごしていたエレノアの耳に、馬車の止まる音が届いた。
「……お父様、帰ってきたのかな?」
門の方を見ると、見慣れた子爵家の紋章が入った馬車から、お父様が降りてくる姿が見えた。
しかし――
「……あれ?」
その後ろから、小さな影が二つ。
ひとりは猫耳をぴんと立てた女の子。もうひとりは、きょろきょろと周囲を見回す元気そうな男の子だった。
玄関前に出てきたのは、お母様とルーカスも同じだった。
「おかえりなさいませ、あなた……って……その子たちは?」
お母様が驚いたように目を丸くする。
お父様は小さく息を吐き、二人の背中を軽く押した。
「まずは中に入ろう。説明はその後で」
――応接間。
温かいお茶が用意され、少しだけ落ち着いた空気が流れる。
猫耳の女の子は膝の上で手をぎゅっと握り、男の子は緊張を隠すように背筋を伸ばしていた。
エレノアはそっと二人の前に座る。
「……ねえ、お父様。その子たち、どうしたの?」
お母様とルーカスも静かに頷く。
お父様は真剣な表情で口を開いた。
「……この子たちは、先日の魔軍激突で亡くなった冒険者の子供たちだ」
部屋の空気が少しだけ重くなる。
「今回の被害で孤児院が受け入れの限界に近づいていてね。王城から各貴族家へ、職を授かった子供を中心に一時的に受け入れてもらえないかと要請があったんだ」
そう言いながら、二人を優しく見た。
「二人とも既に適性が確認され、職を授かっている」
猫耳の女の子が小さく頭を下げる。
「……メル、です。調理師の職を授かっています……」
柔らかく、少し震えた声だった。
続いて男の子が勢いよく立ち上がる。
「カイルです! 錬金術士の職を授かりました! よろしくお願いします!」
ぺこりと深く頭を下げる。
エレノアはぱっと目を輝かせた。
「錬金術士……!? 私と同じ……!」
お父様は微笑みながら続ける。
「二人は義理の姉弟だ。両親の再婚で家族になったそうだが……今回の魔軍激突で二人とも亡くなってしまってね」
メルの耳が少しだけ伏せられる。
カイルはぎゅっと拳を握った。
重くなりかけた空気を、お母様が優しく包み込む。
「……ここはもうあなたたちの家でもあります。無理に頑張らなくていいのよ」
その言葉に、メルの目が少し潤んだ。
お父様はエレノアへ視線を向ける。
「メルは調理師として厨房の補助をしつつ……エレノアの専属侍女として学んでもらう予定だ」
メルが慌てて立ち上がる。
「よ、よろしくお願いします……!」
「そしてカイルは――」
お父様は小さく笑った。
「エレノアの専属執事兼、錬金術の弟子だ」
「えっ……!?」
エレノアが目を丸くする。
カイルは一歩前に出た。
「師匠! いっぱい勉強させてください!」
「え、えええ……!?」
思わず後ずさるエレノアの横で、ノエルが静かに尻尾を揺らした。
「賑やかになりそうだな」
小さく呟くその声に、場の空気が少しだけ和らぐ。
お母様が手を叩く。
「ではまず、お茶にしましょう。長旅で疲れたでしょう?」
その言葉に、メルの耳がぴくりと動いた。
カイルのお腹がぐうっと鳴る。
一瞬の静寂のあと――
皆が小さく笑った。
こうして、レーヴェン子爵家に新しい家族と仲間が加わったのだった。
ーー夕食の時間。
大きな食卓には、温かな湯気を立てる料理が並び、焼きたてのパンの香ばしい匂いが部屋いっぱいに広がっていた。
柔らかな灯りがテーブルを照らし、どこか安心するような穏やかな空気が流れている。
けれど――新しく迎えられた二人、メルとカイルはどこか落ち着かない様子で椅子に座り、周囲をきょろきょろと見回していた。
「そんなに緊張しなくて大丈夫よ。今日は歓迎の食事会みたいなものだから」
お母様が優しく微笑む。
「……はい」
メルは小さく頷き、背筋をぴんと伸ばしたまま両手を膝の上に置く。
その隣では、カイルが並べられた料理を見て思わず目を丸くしていた。
「……すご……」
思わず漏れた声に、ルーカスがくすっと笑う。
エレノアは二人の前に、ふわりとした焼きたてのパンをそっと置いた。
「はい、どうぞ。焼きたてだよ」
「……ありがとうございます」
メルは両手で丁寧にパンを持ち上げる。
そして――少しだけ力を入れた瞬間。
「……え?」
ふに、と指先が沈んだ。
驚いたように目を瞬かせる。
「……や、やわらかい……」
隣でカイルも恐る恐るパンを掴む。
「……え、なにこれ……ふかふか……」
両手で押してみる。
パンはゆっくりと沈み――すぐに元の形に戻った。
「……え!? 戻った!!」
思わず声を上げるカイルに、ルーカスが吹き出しそうになるのを必死に堪える。
アメリアがくすりと笑いながら口を開いた。
「ふふ……そんなに慌てなくても大丈夫よ。
この家の食事、みんな最初は驚くの」
優しく微笑みながら、そっと続ける。
「エレノアの錬金術、本当にすごいのよ。
私も最初に食べた時、同じ顔してたもの」
「錬金術……?」
メルが不思議そうにエレノアを見る。
エレノアは少し照れながら答えた。
「うん。このパンね、錬金術で酵母を作ったんだ。
それでこんなにふわふわになるの」
その言葉に、メルの猫耳がぴくりと動いた。
「……え……錬金術って……こんなこともできるんですね……」
驚きと尊敬が混ざったような瞳でパンを見つめる。
一方、カイルは目を輝かせた。
「……すげー!!
錬金術って爆発とか薬だけじゃないんだな!」
「爆発はあんまりしないよ……!?」
エレノアが慌てて否定すると、食卓に小さな笑い声が広がる。
アメリアは優しくメルに声をかけた。
「メル、ゆっくり食べていいのよ。
ここでは急がなくて大丈夫だから」
その言葉に、メルは小さく頷いた。
そして――そっと一口、パンをかじる。
――ふわり。
優しい甘みが口いっぱいに広がる。
メルの猫耳がぴくりと震えた。
「……おいしい……」
ぽつりと漏れた声は、とても小さかったけれど――
確かに嬉しそうだった。
カイルも慌ててかじる。
「……っ!? え、これパンなの!?」
思わず立ち上がりかけて――
「カイル、パンに負けないで座って食べなさい」
アメリアが軽く笑いながら言うと、カイルは「は、はい!」と慌てて座り直した。
「前の……その……固いやつしか知らなくて……」
少しだけ気まずそうに視線を落とすカイル。
エレノアは優しく微笑んだ。
「いっぱい食べていいんだよ。ここでは遠慮しなくて大丈夫」
お母様も穏やかに頷く。
「そうよ。おかわりもたくさんあるからね」
メルは小さく息を吸い、もう一度パンを見つめた。
そして――
少しだけ安心したように、二口目をかじった。
食卓には、温かな空気と小さな笑い声が広がっていく。
新しい日常が、静かに――そして確かに始まろうとしていた。




