修学旅行後の話
五月十四日。修学旅行から帰って、最初の登校日。
朝、校門をくぐった瞬間から、空気が騒がしかった。校庭にも廊下にも人が溜まり、昨日まで京都や奈良にいたはずの連中が、もう次の話題で盛り上がっている。
修学旅行は終わったのに、熱だけがまだ残っている――そんな感じだった。
教室に入ると、岡波が先に来ていて手を振った。
「おはよう、海斗」
「おはよう」
「昨日、疲れただろ。帰って即寝た?」
「少しな。荷物の片付けだけして」
俺が席に着くと、岡波は大げさに伸びをした。
「でも、楽しかったな。京都、また行きたい」
「分かる。今度はもう少しゆっくり回りたい」
そう答えながら、窓の外を見る。五月の青空がやけに眩しい。
旅の色は、もう日常の光に薄く溶け始めている。
ふと、隣の席に目をやった。蓮の席。
まだ来ていない。
――いつもなら、もういる時間だ。
少し気にしながらも、視線を戻したところで。
「海斗」
声がした。振り返ると、蓮が教室に入ってきていた。少し早足。頬がうっすら赤いのは、運動のせいか、寝不足のせいか。
「おはよう」
「おはよう」
蓮は隣に座ると、軽く息を整えた。目元に、ほんのわずか疲れが見える。
「大丈夫か?」
「うん……ちょっと寝不足かも」
言いながら、蓮は視線を泳がせて、最後に俺の方を見て小さく笑う。
昨日の記憶が、互いに一瞬だけよぎったのが分かった。
「無理するな。今日、長いぞ」
「分かってる」
蓮は机に手を置いて、姿勢を正した。
その仕草が、もう“会長の癖”になっている。
※ ※ ※
チャイムが鳴り、ホームルームが始まった。
担任が教壇に立ち、いつもより柔らかい声で言う。
「みなさん、おはよう。修学旅行、お疲れさまでした」
教室から拍手が起こる。どこか照れくさい拍手だ。
「今回、大きな事故もなく無事に終了しました。ルールを守って協力してくれたおかげです」
先生は一度、ほっとした顔をしてから資料を配り始めた。
「今日は振り返りをします。班ごとに、学んだこと・感じたことをまとめて提出してください」
机が動く音。椅子を引く音。教室が一気に“作業モード”に切り替わる。
俺たちの班は、俺、蓮、岡波、雪原の四人だ。
「じゃあ、まとめよう」
俺が言うと、全員が頷いた。
※ ※ ※
班での話し合い。
岡波がペンを持ち、雪原がタブレットを開いてメモの体勢に入る。蓮は配られた用紙を揃え、見出しから整え始めた。手際がいい。
「一番印象に残ったの、みんな何?」
岡波が切り出した。
「俺は清水寺かな。舞台の上、景色が圧倒的だった」
雪原がすぐに続ける。
「私は金閣寺。あの反射、ずるい。写真が全部映える」
「俺は東大寺の大仏。現物、サイズ感がバグってた」
岡波が言い、最後に視線が蓮へ来る。
「で、会長……じゃなくて。蓮は?」
からかうような言い方に、蓮が小さく咳払いをしてから答えた。
「私は……嵐山かな。竹林の道、空気まで綺麗だった」
蓮の目が、ほんの一瞬だけ俺に触れる。
言葉にしない分だけ、意味が残る視線だった。
「海斗は?」
「俺も嵐山。景色も良かったし、落ち着けた」
雪原が「分かる」と頷き、岡波が「お前ら分かりやすすぎ」と笑う。
四人で、学んだことを箇条書きにしていく。
文化、歴史、集団行動の難しさ。時間管理。班の協力。――案外、書くことは多い。
修学旅行は“楽しい”だけじゃない。
楽しむために守るべきものがある。そのことを、みんながちゃんと知った顔をしていた。
※ ※ ※
昼休み。生徒会室。
修学旅行後、最初のミーティング。
蓮、俺、藤崎、野村、神崎、そして新メンバーが揃っていた。
「それでは、ミーティングを始めます。修学旅行、お疲れさまでした」
蓮が会長として仕切ると、部屋の空気が自然に整う。
この数か月で、蓮は“場を回す声”を手に入れていた。
「生徒会として、運営上のトラブルはありませんでしたね。各担当、報告お願いします」
藤崎がメモを見ながら言う。
「点呼の補助、スムーズに回せました。班の遅れも最小でした」
野村も続く。
「緊急連絡の運用も問題なし。先生方からも評価いただいてます」
「ありがとう。みんなの動きが良かった」
蓮が微笑むと、場の緊張がほどける。
神崎も顔を上げた。
「僕も、すごく勉強になりました。現場で回すって、想像よりずっと難しいですね」
「でも、神崎くん、よく動いてくれた」
蓮が言うと、神崎は少し照れたように頷く。
「さて、次の議題です」
蓮が資料を開く。
「六月から文化祭準備が本格化します。予算・企画・スケジュール、ここからが勝負です」
空気が切り替わる。
修学旅行の余韻が、仕事の現実に置き換わる音がした。
「今日のうちに、各担当の初動を決めましょう」
「はい」
全員が声を揃えた。
※ ※ ※
ミーティングが終わり、神崎以外が帰った後。
生徒会室には、蓮、俺、神崎だけが残った。
神崎が、少し迷ってから口を開く。
「鈴波会長」
「うん、どうしたの?」
「……修学旅行、本当にありがとうございました」
神崎は深々と頭を下げた。
“礼”というより、“区切り”みたいな頭の下げ方だった。
「え? こちらこそ、お疲れさま」
蓮が戸惑うと、神崎は顔を上げる。
「選挙で負けた時、正直、僕は悔しくて。自分の正しさしか見えてなかった」
少しだけ言葉を探し、神崎は続けた。
「でも、生徒会に入って、運営の現場を見て……分かりました。正しさだけじゃ回らない。人を見て、段取りを組んで、責任を背負って、それでも笑顔を残す」
神崎の視線が真っ直ぐになる。
「鈴波会長がやってることって、そういうことなんですね。僕はそれを、ここで学びたい」
蓮は一瞬黙ってから、柔らかく笑った。
「神崎くん、真面目すぎ。でも……ありがとう。そう言ってくれるの、嬉しい」
蓮が手を差し出す。神崎が握る。
「これからも、一緒に頑張ろう」
「はい」
神崎は、今度は穏やかに微笑んだ。
神崎が出ていくと、生徒会室に静けさが戻った。
蓮が小さく息を吐く。
「海斗」
「ん?」
「神崎くん、変わったね」
「ああ。ちゃんと“現場”を見た顔になってる」
蓮は頷き、窓の外を見てから、少し寂しそうに笑った。
「修学旅行、終わっちゃったね」
「……終わったな」
「でも、すごく楽しかった」
蓮が俺を見る。
俺は机の下で、そっと蓮の指先に触れた。握るほどじゃない。けど、伝わる。
「最高の思い出になった」
「うん」
蓮は、安心したみたいに微笑んだ。
※ ※ ※
放課後。教室。
俺と蓮はスマホで写真を見返していた。
清水寺、金閣寺、東大寺。竹林の道。渡月橋。
「この写真、いいね」
蓮が画面を指差す。
渡月橋を背景に、二人が並んで写っているやつだ。光の具合も、表情も、ちょうどいい。
「プリントして、どこかに飾るか」
「うん。アルバムも作りたい」
蓮の声が弾む。
少し間を置いて、蓮が言った。
「また、京都行きたいね」
「今度は……二人きりで、時間気にせず」
蓮の頬が赤くなる。
「卒業したら、行こうね」
“卒業”という言葉が、軽いようで重い。
残り一年が、ちゃんと現実として胸に刺さる。
蓮が不安を隠しきれない目で俺を見る。
「卒業しても……ずっと一緒だよね」
俺は迷わず答えた。
「一緒だ。どんな時も」
「……約束?」
「ああ。約束する」
蓮は目を潤ませたけど、すぐに笑った。
泣くより先に、笑おうとしてくれるところが、蓮らしい。
※ ※ ※
その夜。蓮の部屋。
二人でソファに座り、修学旅行の写真をもう一度眺めていた。
東京の夜景が窓に広がり、現実がちゃんと戻ってきている。
「写真、アルバムにしようかな」
「いいな。形に残る」
「うん。海斗との思い出、ちゃんと残しておきたい」
蓮はスマホを胸に抱え、少し照れたみたいに言う。
「これから、もっと思い出作ろうね」
「作ろう。次は文化祭だ」
「うん。それに夏休みも」
蓮が期待の目を向ける。
「海とか……行きたい」
「いいな。じゃあ夏は海、決定」
蓮が嬉しそうに笑って、俺の肩に頭を預けた。
修学旅行は終わった。
でも、終わったからこそ、次が始まる。
文化祭。夏休み。卒業――その先。
俺は蓮の髪を撫でながら、次の段取りを頭の中で組み始めていた。
蓮が前を向けるように。俺も、ちゃんと前へ進めるように。
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