新始動、新生徒会
三月十五日。選挙から五日が経った。
放課後の生徒会室には、いつもより多い熱が詰まっていた。桐谷会長、蓮、俺、藤崎書記、野村会計――そして、新しい顔が二つ。
新一年生から選ばれた二人だ。制服の袖がまだ硬そうで、背中に「初日」の緊張が貼り付いている。こちらもこちらで、顔と名前を一致させるのに必死になる。けれど、受け答えはまっすぐで、目つきも真面目だった。
……生徒会は、ちゃんと次に繋がっていく。
「さて、今日から本格的に引き継ぎを始める」
桐谷会長が資料を広げた。紙の擦れる音がやけに大きく聞こえたのは、室内の空気がいつもより真剣だからだろう。
「俺たち三年生は、三月二十日に卒業式を迎える」
会長の言葉に、部屋の温度が少しだけ下がる。
“卒業”という単語は、終わりの響きを持っている。だけど生徒会室にとっては、終わりじゃなく「引き渡し」だ。
「あと五日しかない」
会長の声は淡々としていたが、どこか寂しさが混じっている。
「だから、この五日間で、全ての業務を引き継ぐ」
「はい」
蓮が即座に答えた。声はしっかりしているのに、表情は固い。
それでも目は逸れていない。怖さを抱えたまま前を向く――それは、蓮が選挙で身につけた強さだ。
「まず、日常業務について」
会長は、普段なら流してしまいそうな項目も、ひとつずつ“手順”として言語化していく。生徒会の日常業務、予算管理、イベント企画。
引き継ぎは、経験を丸ごと移す作業だ。曖昧な部分ほど、言葉にして残す必要がある。
蓮はメモを取る。ペンを握りしめる指先に力が入っているのが分かった。
大丈夫、と思いながら、俺も隣で書く。蓮の背中を支えるために、俺が把握していない項目があってはいけない。
「次に、卒業式の準備について」
会長の声色が、わずかに変わった。
「卒業式は、生徒会の重要な仕事だ」
「はい」
「会場設営、式次第の確認、来賓の対応。全てを、完璧にこなす必要がある」
“完璧”という単語が、会議室の空気を一段重くした。
行事は一度きりだ。やり直しが効かない。だから、段取りがすべてになる。
「鈴波。お前が生徒会長として初めて仕切る大きなイベントだ」
「はい……分かってます」
蓮の声が、ほんの少しだけ揺れた。
“仕切る”という言葉が、責任のサイズを一気に拡大させる。自分が軸になる。見られる側になる。判断する側になる。
「大丈夫だ。俺たちが、サポートする」
会長が言い切ると、蓮は小さく頷いた。
その頷きは、安心というより――受け取る覚悟に見えた。
※ ※ ※
会議が終わり、三年生の生徒会メンバーが帰った後。
生徒会室には、蓮、俺、藤崎、野村だけが残った。
「蓮ちゃん、大丈夫?」
藤崎が、声を落として聞いた。こういう時の藤崎はいつも、周りが見えている。
「うん……ちょっと、緊張してるけど」
蓮は正直に言った。強がらない。そこが蓮の長所だと、選挙を通して改めて思う。
「卒業式……うまくできるかな」
「大丈夫ですよ」
野村が、すぐに言葉を添えた。
野村の励ましは軽くない。数字と手順の人間が言う「大丈夫」には、裏に実務が付いてくる。
「私たちが、サポートしますから」
「ありがとう」
蓮は微笑んだ。けれど、その笑顔にはまだ不安が残っていた。
責任というものは、誰かが「支える」と言ってくれても、いったん胸の中で“自分の重さ”に変換される。
「蓮」
俺は蓮の肩に手を置いた。
「一人で抱え込むな」
「うん……」
「何かあったら、すぐに相談しろ」
「分かった」
蓮が俺を見る。視線が少しだけ柔らかくなる。
それだけで、蓮の中の緊張がほんの一段、ほどけた気がした。
「じゃあ、今日はここまでにしよう」
俺が言うと、全員が頷いた。
藤崎と野村が生徒会室を出ていく。
ドアが閉まる音のあと、部屋に残るのは沈黙じゃなく、二人分の呼吸だけだった。
「海斗」
「ん?」
「ありがとう」
蓮が俺の手を握る。指先が、温かい。
「いつも、支えてくれて」
「当たり前だ」
俺は蓮の頭を撫でた。撫でる手に、自分の決意を乗せるみたいに。
「これから、もっと忙しくなるな」
「うん……」
蓮の声が、少し不安そうになる。
「でも、大丈夫」
俺ははっきり言う。曖昧にしない。ここは“安心の根拠”を、言葉で渡すところだ。
「蓮なら、できる」
「本当に?」
「ああ。俺が保証する」
蓮が微笑む。その笑顔に、少しだけ色が戻る。
「ありがとう」
二人で、しばらく抱き合った。静かな生徒会室。外の騒がしさが遠い。
「ねえ、海斗」
「ん?」
「会長……卒業しちゃうんだよね」
蓮の声が、寂しさを隠しきれない。
「ああ」
「寂しいな……」
蓮の目が潤む。
「会長には、本当にお世話になった」
「ああ」
「選挙の時も、いつも支えてくれて……」
蓮の声が感情を帯びる。
「会長がいなくなったら……私、ちゃんとできるかな」
「できる」
俺は蓮を抱きしめ直した。
“できる”は励ましじゃなく、方針だ。蓮が迷った時に戻ってこられる場所になる言葉だ。
「蓮は、もう一人前だ」
「でも……」
「会長も、そう思ってるから、お前に任せたんだ」
蓮が顔を上げる。まだ揺れているけれど、受け止めようとしている目。
「そうかな……」
「ああ。だから、自信を持て」
「うん……」
小さな頷き。
その頷きが、また次の一歩になる。
※ ※ ※
その夜。俺は家で卒業式の資料を見ていた。
式次第、来賓リスト、会場設営の配置図。ページをめくるたび、当日の時間が具体性を帯びて迫ってくる。
蓮を支えるために。俺が、しっかりしなければ。
スマホが振動した。蓮からのメッセージ。
『海斗、起きてる?』
『ああ、起きてる』
すぐに電話がかかってきた。俺は迷わず出た。
「もしもし」
「海斗……」
蓮の声は小さくて、でも助けを求めるほど弱くはなかった。
蓮は今、“倒れないため”じゃなく、“前に進むため”に電話をしている。それが分かった。
「どうした?」
「眠れなくて……」
「卒業式のこと、考えてたら……」
「……」
「不安で……」
声が震える。緊張の種類が、選挙の時と似ている。
でも今回は、蓮の周りに味方がちゃんといる。そのことを、蓮自身がまだ十分に信じきれていないだけだ。
「私、ちゃんとできるかな」
「大丈夫だ」
俺は即答する。間を置かない。
「蓮なら、できる」
「でも……もし、失敗したら……」
「失敗しても、いい」
言った瞬間、蓮の息が止まったのが分かった。
「え?」
「失敗しても、また立ち上がればいい」
俺は続ける。
「選挙の時みたいに」
「海斗……」
「俺が、そばにいる。何があっても、支える」
蓮が小さく泣き声を漏らす。
「ありがとう……」
「どういたしまして」
「海斗がいてくれて、本当によかった」
「俺も、蓮がいてくれてよかった」
しばらく、沈黙が続く。
でもそれは、何も言えない沈黙じゃない。安心が、音になる前の静けさだった。
「ねえ、海斗」
「ん?」
「おやすみ」
「おやすみ、蓮」
電話が切れた。静かな部屋。
でも、俺の胸は温かかった。
蓮を守る。支える。
その決意を胸に、俺は再び資料に目を通した。
※ ※ ※
三月十六日。
放課後、俺と蓮は体育館にいた。卒業式の会場設営を確認するためだ。
桐谷会長も一緒に来ている。
「椅子の配置は、この図の通りだ」
会長が配置図を見せる。
「来賓席は、前方左側」
「はい」
蓮がメモを取る。短い返事の中に、集中が詰まっている。
「演台は中央。花は演台の両脇」
会長の説明が続く。その声は落ち着いていて、手順が明快だ。
こういう時の会長は、現場の空気を締めるだけじゃなく、安心も置いていく。
「当日は、朝七時から設営を始める」
「はい」
「生徒会メンバー全員で、協力して行う」
俺と蓮は頷いた。
“協力する”が、言葉で終わらない現場になる。ここからが本番だ。
「あと、一つ」
会長が蓮を見る。
「鈴波。お前は生徒会長として、式に出席する」
「はい」
「壇上で、卒業生を見送る立場だ」
その一言が、体育館の広さをさらに広く感じさせた。
壇上――そこは、逃げられない場所だ。視線が集まる。責任が集まる。
「責任重大だ。でも、お前ならできる」
「……はい」
蓮の声がわずかに震える。
けれど、その震えは“拒否”じゃない。“飲み込んだ震え”だ。
「大丈夫だ。俺たちがいる」
会長は蓮の肩を叩いた。
「それに、春川もいる」
会長が俺を見る。
「春川。鈴波を頼んだぞ」
「はい」
俺ははっきり答えた。ここで曖昧に返したら、蓮の背中が揺れる。
「じゃあ、今日はここまでだ」
会長は体育館を出ていった。
広い体育館に、俺と蓮だけが残る。
静けさが、さっきまでの説明を反芻させる。
「海斗……」
蓮が俺を見る。
「壇上に立つんだって……」
「ああ」
「緊張する……」
「大丈夫だ」
俺は蓮の手を握った。温度を確かめるみたいに、強さを確認するみたいに。
「俺が、そばにいる」
「うん……」
蓮が俺の肩に頭を預ける。
「海斗がいてくれるから、頑張れる」
「ああ」
二人で、しばらくそうしていた。
広い体育館。二人だけ。
誰も見ていないはずなのに、ここは“本番の場所”だから、抱き合うことさえ少しだけ神聖に感じる。
窓の外を見ると、夕日が差し込んでいた。オレンジ色の光が、体育館の床を斜めに染める。
今日という日が、ちゃんと終わっていく色だった。
「ねえ、海斗」
「ん?」
「会長……本当に、いい人だよね」
「ああ」
「私、会長みたいになれるかな」
蓮の声が小さい。
だけど、願いが混じっている声だ。
「なれる」
俺は即答した。
「蓮は、蓮のやり方で、いい生徒会長になれる」
「海斗……」
「会長の真似をする必要はない」
俺の言葉に、蓮が顔を上げる。
「蓮らしく、やればいい」
「蓮らしく……」
蓮がその言葉を繰り返す。確かめるように、胸の中へ落とし込むように。
「そうだね。私らしく……」
蓮の目に光が宿った。
大げさな決意じゃない。明日も歩ける程度の、現実的な光。
「ありがとう、海斗」
「どういたしまして」
俺は蓮にキスをした。軽く、優しく。
それは励ましというより、確認だった。“一人じゃない”の確認。
キスが終わると、蓮は恥ずかしそうに俺の胸に顔を埋めた。
「もう……体育館なのに」
「誰もいないから、大丈夫だろ」
「もう……」
蓮は俺の胸を軽く叩いた。でも、その仕草が嬉しそうだ。
卒業式まで、あと四日。
蓮の生徒会長としての初めての大仕事が、もう目前まで来ている。
俺は祈る。成功を。――だけどそれ以上に、蓮が“蓮らしく”立っていられることを。
そのために、俺は隣にいる。
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